ASEAN主要国の産業政策と企業によるサプライチェーン対応IC設計拠点が始動、高付加価値投資の誘致を強化
マレーシア(3)
2025年12月5日
マレーシアのエレクトロニクス産業のエコシステムは、多国籍企業の誘致を通じて形成されてきた。日本企業も、整備されたインフラや多言語人材、コスト優位性、投資優遇措置などを強みに数多く進出してきた。地場企業によるエコシステムへの参画も周辺産業を中心に徐々に広がりつつある。マレーシア政府にとっては、高所得国入りに向けて、産業の高度化や地方経済の活性化が長年にわたる命題で、現アンワル政権下でも高付加価値投資の誘致に力点を置く。中でも主要産業の半導体分野では、2024年の国家半導体戦略の策定以降、IC(集積回路)設計拠点や人材育成に向けた取り組みが進展しつつある。
高付加価値投資の誘致に力点
マレーシアは、1970年代以降、長期的な国家開発政策を継続的に打ち出している。国全体の経済発展だけでなく、国民の統合や所得格差の縮小、特にブミプトラ(マレー系や先住民族の総称)の経済的地位向上を目指す政策を推進してきた。また、2000年代以降、各州に投資誘致機関を設けるなど、地方の経済開発にも力を入れてきた。足元の長期的な経済政策は、2023年7月にアンワル・イブラヒム首相が発表した「マダニ(MADANI:持続可能性、繁栄、革新、尊敬、信頼、思いやりのマレー語頭文字)経済政策」(2023年8月2日付ビジネス短信参照)だ。マダニ経済政策では、これまでの政策方針を踏襲しつつ、高付加価値投資の誘致強化や経済構造の改革を通じて5.5%の高い経済成長を目指す方針が打ち出された。
製造業の投資誘致においては、1990年代以降、第3次まで続いた「工業化マスタープラン」の後継策として、アンワル首相が2023年9月に「新産業マスタープラン(NIMP)2030
」を発表した。NIMP2030では、(1)経済の複雑性推進、(2)国家のデジタル化に向けた技術力向上、(3)脱炭素の推進、(4)経済安全保障と包摂性確保の4つをミッションとする。これらを達成するための要素(エネーブラー)として、(A)資金調達エコシステムの活性化、(B)人材の育成・獲得の強化、(C)ビジネス環境改善に向けた投資過程の改善、(D)国家のガバナンス強化を進めるとしている(2023年9月7日付ビジネス短信参照)。NIMP2030は200ページ近くに及ぶ政策ペーパーだ。ミッション実現に向け、航空、化学、電気電子(E&E)、医薬、医療機器といった重点産業を含む21産業を対象に、戦略やアクションプランが明記されている。
半導体の前工程へのシフトを目指す
NIMP2030では、主要産業のエレクトロニクス分野に関して、後工程の高度化と前工程の産業育成や投資誘致を目指す方針だ。後工程では、先端パッケージング、具体的にはファンアウトパッケージング(FOWLP)やチップレットのダイ・ツウ・ダイ(D2D)パッケージングなど、より高度な技術の実現を目指す。また、前工程では、電気自動車(EV)、再生可能エネルギー、人工知能(AI)といった急成長分野向けのIC設計能力の向上を図るとともに、ウエハー製造〔特に28~40ナノメートル(nm)プロセス〕分野での外国投資の誘致を進める方針が示されている。
2024年5月、アンワル首相は「国家半導体戦略(NSS)
(1.21MB)」を発表し、NIMPにも沿った形で産業高度化を推進すると表明した。表1に掲げた第3段階までの目標達成に向け、250億リンギ(約9,000億円、1リンギ=約36円)を投じるとした(表参照)。また、国内で6万人規模のエンジニア人材を育成するという野心的な目標を掲げた。NSS策定以降、マレーシアは2025年3月時点で、総額630億リンギ超の投資を獲得しており、うち約92%が外資によるものだった。主な外資案件として、ドイツのインフィニオンのSiCパワー半導体工場設立、オランダのNXPおよび米国シンティアントによるセンサー事業などがあった。これらの投資は、マレーシアが世界の半導体バリューチェーンにおける地位を強化する動きだ、とアンワル首相は評価している。一方、カーセム、イナリ、ペンタマスターといったマレーシア企業も潜在的なプレーヤーとして台頭しつつある。オップスターやスカイチップなどマレーシアの集積回路設計企業も売上高を伸ばしており、国内企業の成長にも期待がかかる。
| 段階 | 目標 |
|---|---|
| 第1段階 | 回路設計や先端パッケージング、製造装置を中心とした国内投資、および製造装置とウエハー製造に重きを置いた対内直接投資で合わせて5,000億リンギの投資を誘致。 |
| 第2段階 | 回路設計と先端パッケージングにおいて売上高10億~47億リンギ規模の国内企業を10社、半導体関連企業では売上高10億リンギ規模の企業を100社育成。 |
| 第3段階 | 世界レベルの国内メーカーを育成し、米国のアップルや中国の華為技術(ファーウェイ)、同レノボといった先端企業向けの製品を製造。 |
出所:NSSを基にジェトロ作成
こうした取り組みが進む中、米国の関税政策が影を落とす。2025年8月以降、米国はマレーシアからの輸出に対して19%の追加関税を課している。ただ、半導体製品は現状では関税免除の対象で、マレーシア政府は「製造業の競争力維持に資する成果」だと、二国間交渉の結果を評した。米国向けの集積回路出荷は輸出全体の1割強を占め、関税が賦課された場合、経済への打撃は甚大と見込まれる。製造業の屋台骨である半導体への影響を緩和すべく、マレーシア政府は、米国製AI半導体の迂回輸出に関する懸念に対応し、戦略貿易法に関する輸出規制を強化(2025年7月16日付ビジネス短信参照)。米国との信頼関係を維持しつつ、国際的なサプライチェーンの透明性確保に努める姿勢を見せている。
IC設計拠点やアカデミーも始動
NSSに基づく、IC設計拠点や人材育成機関の立ち上げなど、具体的な取り組みが進みつつある(表2参照)。IC設計拠点では、オフィス賃料や公益費などの補助を一定期間受けられる。シャトル・サービス(注1)、電子設計自動化(EDA)ツール、テスト・検査機器、半導体設計資産である知的財産(IP)などのICチップの設計に欠かせないインフラを提供することで、IC設計企業の育成および自立を後押ししたい考えだ。
| 発表時期 | 内容 |
|---|---|
| 2023年8月 | 「新産業マスタープラン2030(NIMP2030)」策定 |
| 2023年11月 | スランゴール州に先端半導体アカデミー(ASEM)設立 |
| 2024年5月 | 「国家半導体戦略」発表 |
| 2024年8月 | スランゴール州プチョン市に「マレーシア半導体ICデザインパーク」を開設 |
| 2024年9月 | ペナン州のIC設計への投資優遇策「ペナン・シリコン・デザイン(PSD)@5km+」を発表 |
| 2025年3月 | マレーシア政府が英国半導体大手アーム・ホールディングスとの戦略的提携を発表 |
| 2025年7月 |
「ペナン・シリコン・リサーチ・アンド・インキュベーション・スペース」を開設 ペナン技能開発センター(PSDC)内に「ペナン・チップ・デザイン・アカデミー」を開設 |
| 2025年8月 | マレーシア先端半導体アカデミー(ASEM)にて初の「アームオンデマンド」研修を開催 |
| 2025年11月 | スランゴール州サイバージャヤに2カ所目となる半導体設計拠点を開設 |
出所:マレーシア政府の発表に基づきジェトロ作成
スランゴール州では2024年8月に「マレーシア半導体ICデザインパーク」が開設し、同センター内に半導体の人材育成機関である先端半導体アカデミー(ASEM)も併設されている。ASEMはマレーシア国内20の大学との連携を通じて、2025年までに2万人のIC設計人材を輩出するほか、日本を含む海外大学との連携も計画している。さらに、英国設計大手アームと連携した研修を通じて1万人のIC設計人材の輩出を目指す(2025年3月10日付ビジネス短信参照)。ICパークの入居企業が設計したチップの最終的な用途として、スランゴール州のマレーシア半導体ICデザインパークでは、同州に集積するデータセンターや自動車、航空などの産業への供給も想定される。

ペナン州では、州政府が2024年9月に投資優遇策「ペナン・シリコン・デザイン(PSD)@5km +」を発表した。NSSの方向性にも沿いつつ、州政府の補助金も活用して、投資誘致を強化している。さらに、2025年7月には「ペナン・シリコン・リサーチ・アンド・インキュベーション・スペース」およびIC設計人材の育成拠点「ペナン・チップ・デザイン・アカデミー(PCDA)」が開設された(2025年7月3日付ビジネス短信参照)。
PCDAでは、物理設計、デザイン検証、カスタムIC設計、アナログIC設計の4分野に重点を置き、今後5年で1,000人以上のIC設計人材育成を目指す。グローバル企業で20年以上の実務経験がある専門人材と連携し、企業の即戦力となる人材の育成を目指すという。ペナン州は電気電子産業の一大集積地で、IC設計分野では2025年7月時点で45社を超える地場・グローバル企業が拠点を構える。包括的なエレクトロニクスのエコシステムがIC設計拠点としての地位向上にも貢献すると期待される。インベスト・ペナンでPSD@5km+を主導するプログラム・ディレクターのオン・ミー・チョー氏は「ペナン州の産業育成を通じて、ペナンから海外への人材流出に歯止めをかけたい」と強調する。
ペナン州では、2026年起工を目指して「シリコン・アイランド」構想も進行中だ。半導体関連企業の誘致を目的としたグリーン技術パークを中心に、東南アジア最大級の半導体エコシステムの構築が期待されている(2025年8月15日付ビジネス短信参照)。
前工程へのシフトには中長期的な取り組みが必要
既述のとおり、マレーシアは半導体の前工程での産業育成に向けた取り組みを強化している。地場のIC設計企業育成においては、AI需要の拡大を見据えたチップ開発の動きも一部みられる。2025年8月に、地場IC設計企業スカイチップが初の国産AIチップ開発を発表した(2025年10月3日付ビジネス短信参照)。同チップはエッジAIプロセッサで、自動車からロボットまでさまざまなデバイスの電力供給部品となる見込みだ。NVIDIA(エヌビディア)の最先端チップには及ばないものの、先端技術の構築に向けた第一歩といえる。
IC設計人材や地場企業育成の政策に対して、現地に進出する日系企業からは、顧客創出に有益な取り組みとし、評価する声が聞かれた。一方、マレーシア半導体協会(MSIA)は、前工程の投資誘致競争が世界的に激化している中で、膨大な資金を投じて人材育成にも中長期的に取り組む必要があると指摘する。人材面では、IC設計やウエハー製造分野では機器や装置の技術者が限られるため、マレーシア人だけでなく、外国人材の活用も視野に入れる必要があるとした。
なお、2025年7月には、「ASEAN半導体サミット2025」において、ASEAN5カ国にある半導体の業界団体(注2)が覚書を交わした。ASEAN地域の半導体サプライチェーン統合に向け、人材育成や研究開発などで連携を目指すと発表した。「統合された半導体サプライチェーンに向けたASEAN枠組み(AFISS)」の開発も進行中だ。ASEANとして、世界の半導体サプライチェーンを支える拠点から中心的な役割を担う拠点への転換を目指す。NSSの実現においては、マレーシア政府の安定した政策運営と重点分野への資金投入に向けた予算措置に加え、ASEAN間での連携も重要になるだろう。
- 注1:
- 複数のチップを1枚のウエハーに配置して製造するサービス。安価にチップの試作ができる。
- 注2:
- シンガポール半導体業界協会(SSIA)、フィリピン半導体・エレクトロニクス産業連盟(SEIPI)、タイ半導体産業貿易協会(THSIA)、ベトナム電子協会(VEIA)。
- 執筆者紹介
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ジェトロ調査部アジア大洋州課 リサーチ・マネージャー
山口 あづ希(やまぐち あづき) - 2015年、ジェトロ入構。農林水産・食品部農林水産・食品課(2015~2018年)、ジェトロ・ビエンチャン事務所(2018~2019年)を経て現職
- 執筆者紹介
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ジェトロ・クアラルンプール事務所
吾郷 伊都子(あごう いつこ) - 2006年、ジェトロ入構。経済分析部、海外調査部、公益社団法人日本経済研究センター出向、海外調査部国際経済課を経て、2021年9月から現職。共著『メイド・イン・チャイナへの欧米流対抗策』(ジェトロ)、共著『FTAガイドブック2014』(ジェトロ)、編著『FTAの基礎と実践-賢く活用するための手引き-』(白水社)など。




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