ASEAN主要国の産業政策と企業によるサプライチェーン対応産業高度化に向けた課題と展望
インドネシア(4)
2025年12月1日
本シリーズでは、自動車産業や鉱物資源産業を中心に、インドネシアの貿易・投資構造の変化や日系企業の対応を概説してきた。最終稿となる本稿では、政府が生産・輸出拠点化を目指すバッテリー式電気自動車(BEV)産業を例に取り、同国政府や業界団体、関連企業へのヒアリング(実施日:2025年8月5~8日、21日)結果を踏まえ、同国の産業高度化に向けた課題と提言を報告する。
EV産業を製造業振興の核の1つに
前稿までのとおり、自動車産業でインドネシアは、これまでタイに次ぐ生産拠点として2010年代以降、発展してきた。政府は、鉱物資源分野でニッケルを中心に下流化を推進し、資源輸出型経済からの脱却と産業高度化を図っている。こうした流れの中で、政府が次の成長エンジンとして重視するのが電気自動車(EV)産業だ。インドネシアは、ASEANおよび世界における生産拠点となることを目指し、2030年までにBEVを約200万台、電動二輪を約1,200万台普及させるという野心的な目標を掲げる。さらに、長期国家開発計画(RPJPN 2025~2045)では、GDPに占める製造業の割合を2045年までに28%へ引き上げることを目指し、BEVエコシステム構築を成長戦略の中核に位置付ける(本特集「インドネシア(1)続く資源依存、製造業振興を継続」参照)。
裾野産業や人材の育成に課題
インドネシア政府は2045年を見据えた長期国家開発計画の中で製造業振興を掲げている。しかし、グローバル・サプライ・チェーンへの本格参入は途上段階にある。特にBEV産業の基盤は脆弱(ぜいじゃく)で、裾野産業の未成熟、人材育成の遅れ、インフラ不足など多面的な課題に直面している。
自動車産業では、完成車の輸出台数も、地域の自動車生産・輸出拠点として先行しているタイの約半分にとどまる。その背景には、裾野産業の薄さがある。インドネシアの裾野産業の薄さの一因には、インドネシアの資源輸出に依存した貿易構造や産業育成があるだろう。価格変動が大きい資源収入に頼る構造は、資源の低価格期には財政悪化による産業投資の停滞を招き、高価格期には資源部門への投資集中を引き起こし製造業育成の必要性を弱めた。資源に恵まれない代わりに製造業振興と輸出主導の産業政策を1960年代から推進してきたタイと比較し、インドネシアでは資源ブームに支えられた経済発展の半面、製造業強化が後手に回った。タイでは現在、主要部品の多くを国内調達できる体制が構築されているのに対し、インドネシアでは基幹部品の国内生産はいまだ限定的で、政府が求める国産化率も実際には組み立て工程で満たされているに過ぎない。日系企業の見解は分かれており、「力をつけている現地サプライヤーもいる」との声がある一方で、「タイの裾野産業の蓄積には全く及んでいない」とする企業もあった。
現状の政府の取り組みでも既に厚みのある製造基盤をさらに高度化させようとしているタイに対し、インドネシアは後れを取っている。タイ投資委員会(BOI)は現地調達と地場サプライヤーの高度化を目的に、「自動車部品製造におけるタイ企業と外国企業の合弁事業への奨励措置」を導入した。同措置は、タイ側が30%以上の資本を有するタイ企業と外国企業の合弁による自動車部品製造事業に対し、一定条件の下、通常の恩典に加え、さらに2年間、法人税免除を適用する。インドネシアも外資と内資の合弁事業を奨励しているものの、直接的な恩典を付与する政策はとっていない。
人材・技術面では、BEVシフトに対応できる労働力の育成と技術力向上が鍵となる。高等教育機関でEV工学など関連する教育課程を拡充し、職業訓練校ではBEV製造・整備の技能研修を強化すべきだ。特にバッテリーセル製造などの分野は人材不足が予想されるため、海外企業との提携研修や留学支援を通じた人材育成が不可欠だ。タイでは、BEV製造技術への投資と人材育成によって既存の自動車サプライチェーンを高度化しBEVシフトを進めることが重視されている(2025年2月28日付地域・分析レポート参照)。インドネシアも官民連携で人材の再教育を推進することが望ましく、この分野での日本企業の貢献に期待する声も大きい。
一貫性のある政策・制度運用が必要
在インドネシア日系企業が指摘する課題の1つに、輸入規制や運用の不透明性がある。政府は、2018年にインドネシア産の原材料・部品の利用を積極的に推進するP3DN政策を導入し、国産化率証明書の付与などを通じ、国産品の活用を奨励している。P3DNおよび国産化率に関する措置は、本来、輸入規制を目的とするものではないが、制度の運用が輸入にも及ぶケースがある。不透明な運営は、日系企業だけでなく、インドネシア内資企業の操業にも影響を与え、産業全体の成長を妨げる恐れがある。
また、他国と比較して高額な企業設立時の最低払込資本金も、技術力を持った日系中堅・中小企業の進出を阻み、人材育成や技術移転の障壁となっている。インドネシアでは、外資企業の設立時の払込資本金を100億ルピア(日本円で約1億円)と規定していた。この高額な払込資本金により、外資の中堅・中小企業の投資が進んでいなかった可能性がある。一方で、インドネシア投資・下流化省は2025年10月2日、外資企業設立時の払込資本金を25億ルピアに引き下げた(BKPM規則2025年第5号)。総投資額は100億ルピアという基準は維持されるが、設立時の負担が大幅に軽減され、中小企業を含めた外資の投資増が期待される。
加えて、市場を拡大するためには、一貫性のある優遇措置の付与も課題だろう。政府は、2023年には一定の国産化率(40%)以上を満たすBEVに対して付加価値税(VAT)を11%から1%へ大幅減税する措置を導入した。さらに、2024年には、2026年までに現地工場設立を約束したメーカーに限り、BEV完成車とノックダウン(CKD)輸入に対する関税を0%とする措置を導入し、新規参入を促した。BYDの工場建設など中国BEVメーカーの動きが活発化するなど一定の効果を上げたが、短期的な輸入優遇と長期的な国産化目標が混在することとなった。
短期的な輸入優遇の恩恵を享受した中国メーカーに対して、早期に投資し、現地生産を行ってきた現代自動車などの先行組からは不満が表出した。また、自国のニッケルを活用したBEVやBEVバッテリーのサプライチェーン構築を進める一方で、ニッケルを使用しないリン酸鉄リチウムイオンバッテリーが主流の中国メーカーのBEV完成車輸入を促進したことに対し、本来の政策目的に反すると批判が政府内外から上がった。加えて、2025年からハイブリッド車(HEV)への優遇措置が復活したように、BEV一辺倒だった政府の姿勢に変化が生じている兆しもある。今後は政策の継続性・透明性を高め、投資家が安心できる安定した制度運用が必要だ。
インフラ整備や環境・社会面での対策が急務
生産拠点として成長するには、巨大市場の取り込みに向けた国内市場の基盤強化も不可欠だ。BEV産業では、普及に向けたハード・インフラの整備が急務となっている。インドネシア工業省の担当者も、BEVのシェアが急増しない最大の理由として「充電設備の圧倒的な不足」と述べた。インドネシア政府は2030年までに公共BEV充電ステーション(SPKLU)累計6万2,918基の設置を計画している。これは2024年時点(約3,200基)の20倍に相当する。
また、インドネシア製のBEVやバッテリーがグローバルなサプライチェーンに参入するため、環境面でも、実効性ある対応策を講じる必要がある。BEV普及による排出削減効果を最大化するため、発電部門の脱炭素化が不可欠だ。再生可能エネルギーの拡大により、BEV走行や製造時に間接排出される二酸化炭素(CO2)の削減につなげる必要がある。また、ニッケル採掘や製錬プロセスでの環境基準順守や汚染防止策の徹底も求められる。
社会面では、BEV産業の発展が地域社会の包摂的な成長につながるよう配慮が必要だ。特にニッケル採掘現場では、周辺地域に与える影響が懸念される。政府も地域社会貢献の取り組みを各鉱山会社に義務化するなど対策に動いてはいるが、取り組みを徹底させることが求められる。さらに、欧米市場で受け入れられるためには、労働環境や人権に配慮したサプライチェーン管理も必須だ。
一貫性ある産業奨励に向けた取り組みの強化
政府も一貫性のある産業開発に向け対応を強めている。政府は、国営企業連合の「インドネシア・バッテリー・コーポレーション(IBC)」を設立し、ニッケルなどの採掘からバッテリーのリサイクルまで、一気通貫のサプライチェーンを構築することで、バッテリーのグローバルハブ化を目指している。IBCは、戦略的投資家と共同投資を行う金融投資家としての役割を担っており、現在はプロジェクト・ドラゴンとプロジェクト・タイタンと呼ばれる大型のプロジェクトを、主に中国企業と連携して進めている。IBCの株主であるMIND IDを通じて、ニッケル原料の安定供給を保証できることも強みだ。また、IBCのパートナーとなる企業は、タックスホリデーなどの政府の優遇措置を享受できる。IBC担当者は、「より多くの日系企業を紹介してほしい。いかなる国のパートナーとの協業についても当社はオープンだ。電池パック組み立てやリサイクルなど、新たな協業が必要な工程もある」と述べ、日系企業との協業も模索している。
日系企業は状況を注視しながら、幅広い戦略を構築
先述したような課題を抱えながら成長するBEV産業について、日系企業は状況を注視しながらも、HEVやプラグインハイブリッド車(PHEV)など、より広義の低炭素化戦略を立てている企業が多い。インドネシアで操業する日系完成車メーカーA社は「充電ステーションが圧倒的に不足しており、利便性が著しく低い。BEVが大きく普及していく想像ができず、現状はハイブリッド車に注力したい」と述べた。部品メーカーB社も「当面は内燃機関やハイブリッドが主流だろう。そうした需要に引き続き応えたい」とした。
一方で、BEVに関連する動きも出てきている。IBCの担当者は「以前は日本の商社との協議が進んでいた」とし、ニッケルの製錬工程に関して水面下での交渉が行われていたと明らかにした。また、トヨタ自動車は2025年7月に開催された自動車展示販売会「GIIAS 2025」で、同社のBEV「bZ4X」をインドネシアで初めて、同年12月から現地生産を開始すると発表した。
BEV産業を軸とした製造業強化によって、インドネシアは2045年のビジョン達成を目指している。達成には、グローバルなサプライチェーンへの参画が不可欠だ。しかし現状では、裾野産業の脆弱(ぜいじゃく)性、人材不足、不透明な政策運用など、改善すべき課題は多い。これらを克服し、透明で持続可能な政策、実効性ある人材育成、ESG(環境・社会・ガバナンス)対応を進めることが、世界的なBEVサプライチェーンへの本格参入と輸出拡大の鍵となる。
- 執筆者紹介
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ジェトロ企画部企画課 課長代理
尾﨑 航(おざき こう) - 2014年、ジェトロ入構。生活文化産業企画課、サービス産業課、商務・情報産業課、EC・流通ビジネス課を経て、2020年9月からジェトロ・ジャカルタ事務所で調査担当として勤務。2023年12月から調査部アジア大洋州課で、ASEAN、インドネシア、シンガポールの調査・政策提言などに従事。2025年10月から現職。




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