激動の中東情勢:中東各国への影響と展望ゼイディー新政権、汚職と武装勢力統制に挑む
揺れるイラク(1)
2026年9月2日
2025年11月の国民議会選挙後、イラクの主要シーア派勢力はヌーリー・アル・マーリキー元首相を次期首相候補に選んだが、米国のドナルド・トランプ大統領の反対などを受けて復帰は見送られた。代わって2026年5月、独自の政党や武装組織を持たず、公職経験もない実業家のアリー・ゼイディー氏が首相に就任した。戦後イラクでは、宗派・民族・政党間で政府ポストや国家資源を配分する慣行「ムハーササ」が政治の安定を支える一方、汚職や既得権益を温存してきた。ゼイディー政権は汚職対策と「武器の国家管理」を掲げるが、その対象には自らを選んだ政治勢力やイランと連携する武装組織も含まれ得る。2026年2月28日に米国・イスラエルがイランへの攻撃を開始して以降、両国とイランの間で続く紛争の中で、イラク領内では対米攻撃と米軍などによる反撃も相次ぎ、国内統制の必要性は一段と高まった。
本連載はゼイディー新政権下のイラク政治について論じる。第1回となる本稿では、政権誕生の経緯と、政治基盤の乏しい首相が直面する統治上の課題を整理する。
本稿は2026年8月上旬までの情報に基づいている。中東情勢の最新動向については、ビジネス短信特集「イスラエル・米国とイランの衝突に関する中東情勢、各国の反応」も参照されたい。
宗派・民族間の権力分配が形づくったイラク戦争後国内政治
現在のイラクは、第1次世界大戦後の英国委任統治下で、1921年に成立した。人口の多数をイスラム教シーア派が占める一方、王政期から共和制、バアス党政権に至るまで、軍、治安機関、中央官僚機構の要職は主にスンニ派アラブ人が占めていた。
2003年のイラク戦争でフセイン政権が崩壊すると、この権力構造は大きく転換した。旧政権下で弾圧されていたダアワ党などのシーア派イスラム主義勢力や、国外に亡命していた政治家が帰国し、戦後の統治機構と政党政治の中心を占めるようになった。
イラク戦争後の政治体制を理解するカギとなるのが、「ムハーササ」と呼ばれる権力・ポストの分配慣行だ。大統領にはクルド人、首相にはシーア派、国民議会議長にはスンニ派を選ぶことが、事実上の慣例となった。閣僚、省庁次官、独立委員会、国営企業、治安機関などのポストも、政党、宗派、民族勢力間の交渉を通じて配分されてきた。なお、憲法は大統領が国民議会最大会派の候補者に組閣を命じると定めるだけで、首相をシーア派とする規定はない。宗派・民族別の配分は非公式な政治慣行だ。
ムハーササは、多民族・多宗派国家で特定勢力による権力独占を防ぐ調整装置として、一定の役割を果たした。一方で、各政党が割り当てられた国家機関を自らの勢力圏とみなし、ポストだけでなく、予算、公共事業、許認可、国営企業、国境通関、公共部門の雇用など、国家資源や行政権限までを支持者への利益配分の手段とする構造も生み出した。
こうした権力分配の下では、国民議会選挙で最多議席を得た会派の党首が自動的に首相になるわけではない。近年は、主要シーア派政党・勢力が参加する「シーア派調整枠組み」(以下、調整枠組み)内の合意が、事実上、首相の選出を左右している。
米国の反対などで見送られたマーリキー氏の再登板
2025年11月の国民議会選挙後、調整枠組みが首相候補を一本化できない状態が長く続いた。ムハンマド・シヤーウ・スーダーニー前首相の政党連合は国民議会で最多議席を得たものの、同氏の首相続投には至らなかった。そうした中、調整枠組みは2026年1月24日、2006~2014年に首相を務めたマーリキー元首相を正式な首相候補に指名した。
マーリキー氏とイランの関係は長年にわたり、イランとの近さが指摘されてきた。首相退任後も国家機関や治安機関への影響力を保ち、イランと関係の深い政治家や武装勢力とも関係を築いた。ただし、首相在任中にはシーア派武装勢力に対しても軍事作戦を実施しており、単に「親イラン」と位置付けるだけでは実像を捉えにくい。一方、スンニ派政治家への強硬姿勢や党派的な統治が宗派対立を深め、結果として「イスラム国(IS)」の台頭を許す環境をつくったとの批判は根強い。
マーリキー氏の指名に対し、米国のトランプ大統領は1月27日、同氏が首相に復帰すれば米国はイラクを支援しないと警告した。マーリキー氏と調整枠組みは、これを「内政干渉」と批判した。調整枠組みはいったんは同月31日、同氏への支持を再確認した(2026年4月20日付ビジネス短信参照)。
米国大統領にイラクの首相候補を拒否する法的権限はない。しかし、イラクの石油収入は米ニューヨーク連邦準備銀行を経由している。ドル供給や対外金融取引、安全保障協力においても米国との関係が重要であるため、米大統領の反対は実質的に大きな影響を及ぼす。調整枠組み内部にも対立があり、スンニ派・クルド勢力もマーリキー氏の復帰を警戒していた。最終的にマーリキー氏の首相復帰は見送られた。この一連の流れは、首相が憲法上は国内手続きで選ばれる一方、現実には国内の勢力均衡だけでなく、対米関係によっても選択肢が狭まることを示した。
調整難航の末に選ばれたゼイディー氏
調整枠組みは4月27日、実業家のゼイディー氏を新たな首相候補に選んだ。イラク国民議会は5月14日、ゼイディー氏の首相就任を承認した(2026年5月12日付、2026年5月27日付ビジネス短信参照)。ゼイディー氏は銀行業などに携わってきた実業家で、政党政治の経験に乏しく、イラク首相としては異例の経歴を持つ人物だった。
この選出は、2022年にスーダーニー氏が首相に選ばれた構図と部分的に似ている。いずれも、シーア派有力者の間で比較的受け入れられやすい候補として登場した。ただし、スーダーニー氏が県知事、閣僚、国民議会議員などとして長い行政・政治経験を持っていたのに対し、ゼイディー氏は政府の食料配給制度向けの物資供給など、官公需ビジネスに携わってきたものの、首相就任まで公職経験がなかった。独自の政党や武装組織を持たないことも、首相が独自の権力基盤を築きにくいという点で、調整枠組みの有力者にとっては利点だった。
ゼイディー氏は首相就任直後から、汚職対策と武器の国家管理という2つの課題に取り組んだ。しかし、改革は、自らを首相に選んだ政党や有力者の既得権益にも及び得る。政治基盤の乏しい首相が、既存勢力の利害にどこまで踏み込めるか。そこに改革の難しさがあり、成否は現時点では判断できない(図参照)。
図:ゼイディー政権を取り巻く政治・統治構造
出所:イラク国民議会、イラク国営通信、米中央軍(CENTCOM)、各種報道を基にジェトロ作成
汚職対策、摘発から制度改革へ
前述のムハーササは、政党・官僚ポストだけでなく、石油収入を原資とする国家資源の配分にも影響を与えてきた。その結果、イラクの汚職は個人の違法行為にとどまらず、政党、官僚機構、企業を結ぶ政治・経済システムの一部として定着している。ゼイディー政権は就任後、汚職対策を最優先課題の1つに掲げた。6月14日には、前政権下で契約された7億6,400万ドル規模のバグダッド国際空港開発事業を、汚職の疑いを理由に取り消した。
国営イラク通信は6月28日、治安部隊が政府機関や外国大使館が集中するバグダッドのグリーンゾーンなどで汚職関係者の摘発作戦を実施し、国民議会議員や政府高官ら47人が逮捕されたと報じた(イラク国営通信、2026年6月28日)。逮捕者には、現職議員のほか、石油省の副大臣級高官も含まれ、捜査は政治・行政の中枢に及んだ。
一方、氏名が公表されたのは47人のうち15人にとどまった。各人の具体的な容疑も十分には明らかにされなかった。公表された逮捕者には前政権に近い人物やスンニ派政治家が目立ち、摘発対象に政治的な偏りがあるのではないかとの見方も出た。
この大規模摘発には、複数の政治勢力を対象に捜査を行うことで、政治的地位を問わず汚職を追及するという政府の姿勢を示す意図があったとみられている。ただし、捜査が政敵排除の手段と受け止められれば、汚職対策そのものが党派間の権力闘争に組み込まれ、正当性を失いかねない。今後は、容疑の開示、適正な司法手続き、監査機関と司法の独立性の確保を通じて、政治的所属に左右されない捜査を継続できるかが問われる。さらに、公的資産の回収や政府調達の透明化など、汚職防止に向けた制度改革を進められるかも焦点となる。
武装勢力を国家の統制下に置く試み
ゼイディー政権は就任直後から「武器の国家管理」を主要課題に掲げ、人民動員隊(PMF)傘下の有力組織を含む、国家の統制外で活動する武装勢力に対し、武器の引き渡しや、部隊・指揮系統を国家の実効的な統制下に置くことを求めている。名目上は既に国家機構に組み込まれている部隊も含め、保有武器と指揮命令系統を首相の統制下に置くことで、国家の枠外で活動する部隊をなくす狙いだ。
PMFは、ISの台頭に対抗し、シーア派武装組織を中心とした既存組織と新たな義勇兵を束ねるかたちで発足した。複数の武装組織から成る連合体で、2016年には法的に国家の治安機構に組み込まれ、首相の指揮下に置かれた。しかし、一部の有力組織は今も独自の指揮系統や政治基盤を維持しており、法的な位置付けと実態にはなお隔たりがある。
ゼイディー首相は、米国主導の対IS有志連合軍によるイラクでの任務が終了する2026年9月30日以降、国家の指揮下にない武装組織を残さない考えを示している。一部の組織は政府方針に応じて武器の引き渡しに着手する意向を示したが、武装解除を拒む勢力もあり、期限内の実現は容易ではない。
地域紛争が突き付ける武装勢力統制の必要性
米国・イスラエルとイラン間の紛争が始まると、イラク国内では米国関連施設への攻撃が相次ぐ一方、米軍もイランと連携するイラクの武装組織を攻撃した。米中央軍は後に、2~4月だけでイラク国内における米国人や米国関連施設に対する攻撃の試みが600件を超えたと発表した。
米中央軍は7月28日、米国とサウジアラビアが同日、イラク国内でイランと連携する武装組織の拠点を共同で攻撃したと発表した。米側は、攻撃対象となった組織がサウジアラビア国内のエネルギー関連施設を狙った無人機攻撃に関与していたと説明している。これに対し、親イラン武装勢力「イラクのイスラム抵抗運動」は関与を否定し、サウジ側の主張は捏造(ねつぞう)と反論した。イラク政府が国内の武装勢力を統制し、国外への攻撃を防げなければ、イラクは周辺国への攻撃拠点となるだけでなく、米国や湾岸諸国による報復の対象にもなり得る。武装勢力を統制できないままでは、イラクが再び地域紛争の戦場に引き込まれかねない。武器の国家管理は、国内治安にとどまらず、イラクの主権と対外関係を守る上でも重要な課題だ。
汚職対策と武器の国家管理はいずれも、ゼイディー政権を支える既存勢力の利益に触れ得る改革であり、政治基盤の乏しい首相がどこまで実行できるかが問われる。
- 執筆者紹介
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ジェトロ・ドバイ事務所
大野 晃三(おおの こうぞう) - 2016年、ジェトロ入構。ものづくり産業部環境・インフラ課、企画部海外地域戦略班(中東担当)、ラバト事務所実習、ジェトロ諏訪、企画部企画課を経て、2025年4月から現職。





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