特集:変わりゆく中東とビジネスの可能性新型コロナ禍を通じてデジタルヘルスの実用化が加速(イスラエル)

2021年7月12日

新型コロナ禍ピーク期、イスラエルの新規感染者はわずか900万人余りの人口に対して1日当たり1万人を超えた。また重症患者も、最多で1,200人に迫ったことがある。このように、同国は感染拡大期に多くの困難を経験した。それにもかかわらず、病床の逼迫など医療崩壊は起こらなかった。重症患者を含めて適切な治療が施されてきたのだ。

その背景には、デジタルヘルス分野のソリューションがある。政府の迅速な意思決定により、遠隔診断や遠隔管理可能な集中治療機能(ICU)などをいち早く治療現場の最前線に投入してきた。この措置が、医療従事者の感染リスクを下げながら、少ない資源で効率的に診断・治療を行うことに大きく貢献した。

これを可能にしたのが、先端科学技術を実用化するイスラエルのハイテクエコシステムだ。同時に、幾つかの課題も見えてきた。本稿では、現地のデジタルヘルスの専門家2人に聞いた。

デジタルヘルスの実用化加速、課題は資金調達やデータ整備

イスラエル輸出機構(Israel Export Institute、IEI)は、イスラエルの貿易投資振興を担う非営利の公的機関だ。IEIでデジタルヘルス分野のスタートアップの海外進出を支援する医療機器・デジタルヘルスセクター長のマンドゥ・アルファサ氏に聞いた(2021年6月17日)。


イスラエル輸出機構医療機器・デジタルヘルスセクター長のマンドゥ・アルファサ氏(本人提供)
質問:
新型コロナ禍による大きな変化は。
答え:
端的に言えば、今回の感染症対策によって、これまでは単に理論上可能とされてきたさまざまな技術が一気に実用化されたということだ。新型コロナ禍に対応するために、遠隔治療、遠隔診断、診断支援システムなどが医療現場の実戦に投入され、成果を上げた。
質問:
ポスト・コロナに向けて有効とみられる技術やソリューションは。
答え:
イスラエルは世界に先駆けて、新型コロナ対応でデジタルヘルスを実用化してきた。その中で、装着型医療機器(ウェアラブル・メディカル・デバイス)や、モノのインターネット(IoT)を医療面に活用した「医療IoT(IoMT: Internet of Medical Things)」がますます重要な位置を占めるようになった。これらによって今後、再び同様の感染症が発生した場合に効果的な遠隔治療が実現するだろう。また、なにより時間的、経済的資源を節約することができる。 加えて重要なのが、人工知能(AI)と機械学習(ML)による診断支援システム(DSS)の発展だ。科学的なデータに基づく強力なアルゴリズムによる診断支援は、医療従事者の業務負担を大幅に軽減すると期待されている。そのデータは、過去の症例経験が数限りなく詰まったものだ。 さらには、今回のコロナ禍で明らかになった課題を克服するためのソリューションにも期待している。例えば、AIによる感染症発生予測システムの構築、3Dプリンターによる医療用防護器具や人工呼吸器のスピーディーな製造など、が挙げられる。
質問:
デジタルヘルス分野にとって、ポスト・コロナの課題は。
答え:
課題は幾つもある。まず、次々に大型化し、技術的に高度化するプロジェクトの実施を担保するのに十分な資金調達が挙げられる。各国政府規制への対応や、提供したソリューションに対する資金回収メカニズムを整えることも重要だ。さらには、収集した医療データの整理・統合や、治療結果を示すアウトカム・データの整備、治療の効果の定量的な確認も、今後必要になると考えている。

遠隔医療の課題は収益化、医師の負担軽減、情報格差への対応など

イーヘルス・ベンチャーズ(以下、イーヘルス)は、ヘルスケア専門のインキュベーターだ。当初は政府機関として2014年6月に設立された。政府の出資金を基に、シードレベルのスタートアップ支援を中心に活動。また同社は、イスラエルで最もデジタル医療データの活用が進んでいると言われる健康維持機構(HMO)の「マッカビ」と提携している(注1)。

事業開発担当副社長のオフィール・シャハフ氏に聞いた(2021年6月14日)。シャハフ副社長は、イーヘルスでヘルスケア分野のスタートアップ支援を担っている。


イーヘルス・ベンチャーズ事業開発担当副社長のオフィール・シャハフ氏(本人提供)
質問:
新型コロナ対策を通して見えた、遠隔医療を中心としたデジタルヘルス分野の課題は。
答え:
幾つかの課題が考えられる。ここでは3つ挙げてみたい。
まず、最も大きな課題は、病院など医療サービスを提供する側にとって、適切に収益化できるビジネスモデルを確立することだ。コロナ禍以前は、当たり前に、患者が病院に来て医療サービスの提供を受けていた。そのため、受け付けから支払いまでのプロセスが完全に病院のコントロール下にあった。しかし、遠隔診断や遠隔治療が可能なデバイスを患者が自宅に持ち帰ってサービスを受けるようになると、話が違ってくる。どのレベルの医療サービスをどの程度提供したのか、それに対してどのように課金し徴収するのかといった、病院内で従来完結していたプロセスを新たに病院外の環境を含めて構築しなければならない。適切なビジネスモデルがないと持続可能な医療を提供できない。そのため、この点は非常に重要な側面だ。
次に、遠隔医療での「同時診断」による医師の負担増の問題がある。新型コロナ禍が発生した当初、私たちは遠隔診断が可能なデバイスを用いることで、より早く、より便利に、より効率的に診断することができるようになると踏んでいた。その上で、デバイスを積極的に導入してきたのだ。ところが、病院に行く必要がなく、自宅でも簡単に診断が受けられるということになると、診断しなければならないデータが一度に大量に来てしまった。この状況で、患者がデバイスを使って診断を求めるのと同じタイミングで、医師が診断する「同時診断」をしようとすると、医師の負担がかえって増えてしまう。そのため、診断に必要なバイタルデータ(注2)などをあらかじめ記録して後から閲覧できるようにし、医師がスケジュールに合わせて、空いた時間などに適宜診断できるような仕組みの構築が必要だ。
もう1つは、情報格差(デジタルデバイド)の問題だ。遠隔医療を真に必要とするのは、例えば病院への移動自体が困難な高齢者層などだ。しかし、こうした患者の多くは、必ずしもデジタルデバイスやオンラインアプリケーションに親しみのない世代だ。デジタル技術に親しみのない層でも包摂できるような仕組みが必要と考えている。
質問:
ポスト・コロナでのデジタルヘルス分野の見通しは。
答え:
既に言及したような課題はあるものの、遠隔医療技術を含めたデジタルヘルスの利便性や効率性、社会的距離(ソーシャルディスタンス)が確保できる安全性は捨てがたい。各国の規制との関係はあるが、今後も導入が進んでいくものと考えている。
他方で、いくらデジタルデバイスの精度が上がり、使い勝手が良くなったとしても、単にデバイスだけが自宅に置かれていれば全てが事足りるというわけではない。実際に診断をして医療サービスを提供するのは、あくまでも医師や看護師など生身の医療従事者だ。そのため、これまでは患者が病院に行って診てもらうというワンステップのプロセスだったものが、ツーステップのプロセスに変わっていくのではないか。すなわち、最初には患者が実際に病院に出向き、2回目以降の診察は自宅のデバイスを通じた経過観察や、医療従事者による在宅診療などの組み合わせに置き換えていくというようになるのではないか。そのため、精度の高いデバイスとともに、専門知識のある医療従事者を配置して運用していく仕組みを構築することが重要になってくるのではと考えている。

注1:
健康維持機構(HMO)は非政府・非営利の健康保険組織で、加入者に対し傘下の医療機関で基本的な医療サービスを提供する。制度上、イスラエル国民は4つあるHMOのいずれかに必ず加入することが求められる。
注2:
人間の生体情報「バイタルサイン」をデータ化したもので、主に脈拍、血圧、体温などを記録する。
執筆者紹介
ジェトロ・テルアビブ事務所
吉田 暢(よしだ のぶる)
2004年、ジェトロ入構。アジア経済研究所、ERIA支援室、英サセックス大学開発研究所客員研究員、デジタル貿易・新産業部を経て、2020年8月から現職。

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