「次のフロンティア」アフリカを巡る世界各国・地域の動向TICAD9をTICAD史とともに振り返る
2025年10月30日
厳しい国際情勢の中で開かれた第9回アフリカ開発会議(TICAD9)。その意義は、これまでのTICADの流れの中でどのように位置付けられるか、日本企業のアフリカビジネスの今後にTICAD9が残したものはなにか、検討する。
1950年代から現在まで、世界とアフリカの関わりについては、本特集「世界はアフリカとどう向き合ってきたか:独立から現在まで」を参照。
官民連携で挑むアフリカ市場、横浜TICADの現在地
8月20日から22日にかけての3日間、横浜でTICAD9が開催された(2025年8月25日付ビジネス短信参照)。横浜での開催は2008年のTICAD4に始まり今回で4回目、ホストシティーとしてすっかり定着した感がある。
TICADに企業が参加するようになったのはそのTICAD4からで、ここで初めて官民連携が打ち出された。この時期、日本の援助額は減少傾向にあったが、英米を中心に世界のODAは急増しており、「援助大国日本」の令名は失われつつあった。他方、資源ブームの中でアフリカへの投資流入が急増し、加えて中国のアフリカ攻勢が猛烈な勢いで進展していた。経済成長から見放された日本は世界貿易額や製造業生産額で中国に抜かれ、日中の経済力逆転が目前に迫っていた。
リーディングドナーの日本が貧困に苦しむアフリカ諸国を招いて開発について議論するためのフォーラムとして始まったTICADは、開催地を東京から横浜に移して以降、日本企業の再興を図る貿易投資促進の会議へと変貌する。後に安倍晋三政権は、これを「New TICAD」と称した。
TICAD9では、2019年横浜TICAD7からさらに企業の展示エリアが拡大され、出展企業数は156社・団体から194社・団体に増加し、過去最大だった。設計段階からビジネス交流に軸足が置かれていた。
国際政治としてのTICAD
とはいえ、TICADがアフリカ各国の元首を招待するサミットである以上、国際政治の場であることは間違いない。1993年の初回は、冷戦終了後の新しい国際社会で日本が果たそうとする役割、すなわち経済開発の誠実なるパートナーという立ち位置を打ち出した。初のアフリカ開催になった2016年、ケニア・ナイロビでのTICAD6では、中国の台頭を意識した「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想を初めて披瀝(ひれき)している。
今回TICAD9を囲繞(いじょう)した国際情勢は、かつてない混迷の中にあった。長期化するウクライナ戦争とガザでの紛争、国連安全保障理事会の機能停止、米国のトランプ政権による米国国際開発庁(USAID)解体と高関税政策などで、自由貿易や国際開発の理念は失われようとしている。
ロシアのウクライナ侵攻や、米国の自国第一主義的な政策を前に日本を含む先進諸国は困惑し対応を模索しており、アフリカ諸国も方向感覚を喪失している。国際開発レジームに最も依存してきたサブサハラ諸国は、それがもう機能しなくなるかもしれないという不安と、これまで鬱積(うっせき)してきた国際社会への反発とが混交して、統合よりも分裂の気配が強い。ロシアに逆らうことも米国に異を唱えることもできず、グローバルサウスの自律などと言っている状況にはなさそうだ。
TICAD9で発表された横浜宣言は、TICAD発足以来テーマになっている国連改革やFOIPの推進をはじめ、自由貿易体制の維持や多国間合意の重要性など可能なかぎりの相互確認を表明してはいるものの、国際体制の再建に向けてなんらかのメッセージを発しえただろうか。例えば、日本が一般特恵関税制度(GSP)の堅持を改めて掲げてみるといった工夫もありえたのではないか。
アフリカビジネスと日本
TICAD4で日本のアフリカビジネスを代表したのは、三菱商事が25%資本参加したモザンビークのアルミ精錬事業モザールプロジェクトだった。同事業を企画した南アフリカ共和国(南ア)の白人企業家の力量には驚嘆を禁じえなかったし、それに素早く反応した三菱商事の決断力にも感服した。すでにトヨタは南ア工場の大拡張工事を進めていたし、住友商事が参画したマダガスカルのニッケル採掘アンバトビー・プロジェクト、三井物産参画のモザンビーク沖合天然ガス開発プロジェクトが動き出し、日本たばこ産業(JT)、関西ペイント、豊田通商、NEC等による大型M&Aが日本の対アフリカ投資を押し上げ続けた。しかし日本からアフリカへの直接投資残高は2013年をピークとして減少に転じ、貿易も伸びなくなった。
アフリカで日系企業の動きが停止したわけではない。資源ブームが終わってアフリカの経済情況が急速に悪化し、各社なりの最適値に落ち着いたのだろう。おそらくは日本の経済界が持てる構想力の限界、アフリカという過酷なフロンティアでの企業体力の限界に突き当たったと考えられる。
とはいえそれが、日本が開くことのできる未来の限界を示唆しているとするなら、次世代のためにも新しい可能性を模索しなくてはならない。TICAD9で可能性を感じたのは、1つにはコンテンツ産業だった。ポップカルチャー展示やアニメ関連イベントが初めて設けられた(2025年5月13日付記者発表)。いまアフリカにおいて名指しで求められている日本製品は、乗用車のほかはアニメとマンガではなかろうか。日本のアニメやマンガは世界市場で圧倒的な支持を得ていて、アフリカも例外ではない。かつてサブカルチャーとされてきたこれらは現在、日本の出版市場や大衆文化の中心的存在で、成長力を備えた輸出財でもある。アフリカではいまだビジネス化の道筋が判然としていないものの、需要と競争力には確たるものがある。自動車産業に次いで日アフリカ経済関係を支える分野になるのではと期待を抱かせるし、日本が文化輸出国として再興する未来を感じさせる。
これからの日本・アフリカ関係
「アフリカは遠い」「アフリカは危ない」。これまで幾度となく耳にしてきた言説だ。だが、アフリカ最大の貿易相手国は隣の中国で、遠近感で市場を測るグローバル企業などない。また、災害多発の日本を含めて世界はリスクに満ちている。日本企業があれほど入れ込んだミャンマーへの投資は泡と消え、米国市場は高関税の壁で阻まれようとしている。グローバルビジネスとはグローバルリスクとの闘いで、グローバル企業はリスクの海を渡っている。
行政機構が脆弱でインフラも未整備なアフリカは、すべての業種や企業が参入できる市場ではない。しかし、世界中の先進国が人口減少局面にありアジアの開発途上国も遅からず人口が減少し始める中で、世界で唯一アフリカ大陸だけが人口を増やし続けている。アフリカは1950年代から一貫して2%以上の人口増加率を維持し、今後もこの水準を大きく割り込むとは考えられない。景気の浮沈はあっても毎年約2.5%ずつ消費者が増えている市場など、もはや世界のどこにもない。
このことが、1990年代以降アフリカから多くの多国籍企業が誕生した背景だ。小国家に分裂しているアフリカでは、規模の経済を享受するために企業は多国籍化するしかない。従って、アフリカの企業は政府とは違う思考と展望を持っている。アフリカビジネスを検討するに際していったい誰と話すべきか、どのような情報を集め、なにを参考にすべきか。TICAD9でジェトロが用意したのは、そのためのチャンネルだった。
アフリカで活躍する企業には、今世紀に入ってから創業したものも多い。他方、日本の弱点の1つはスタートアップが育たないことだ。老齢社会と老齢企業はリスクテイクが苦手で、概して未来を開拓する能力に乏しい。その点で、アフリカに根を張る日本人スタートアップがTICAD9に参加したことは心強かった。また新規創業的な事業再編を進めている企業、たとえばTOPPANのDX事業、富士フイルムのヘルスケア事業等に刮目(かつもく)させられた。
アフリカのGDP地域合計が世界総生産に占める割合は、約3%だ。日本の対アフリカ貿易投資割合は1%ほどだから、グローバル配分として3倍増してもおかしくない。だが、数値よりも重要なのはフロンティアに立ち向かう企業家精神のありようで、日本の未来を切り開く力なのだ。
- 執筆者紹介
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ジェトロ調査部上席主任調査研究員
平野 克己(ひらの かつみ) - 1991年、アジア経済研究所に入所。ヨハネスブルクセンター所長、地域研究センター長などを経て、ジェトロ理事(2015~2019年)。著書に『図説アフリカ経済』(国際開発研究大来賞)、『経済大陸アフリカ』『人口革命:アフリカ化する人類』など。




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