高リスクが常態化する時代に、踏みとどまる自由貿易体制ルールに基づく自由貿易体制の維持と強化に向けて(世界)
2026年8月6日
米国での政権交代以降、関税を中心とした不透明な経済政策への対応に各国・地域および企業が翻弄(ほんろう)された2025年。追加関税が矢継ぎ早に発表された同年前半は緊張が高まり、貿易の大きな落ち込みが予測された。それ以上に、過去半世紀以上維持されてきた自由な貿易秩序そのものの崩壊を危ぶむ声すらあった。しかし年後半に入ると、世界の貿易は予想以上の力強さを示し、2025年通年で金額、貿易数量の両面で前年を上回った(本特集記事「変貌する世界貿易、高リスク常態化が招く構造転換」参照)。人工知能(AI)関連財が新たな成長エンジンとなり、世界貿易を牽引した(本特集記事「財貿易の主役に躍り出るAI関連財(世界)」参照)。結果として、各国は総じて関税引き上げに走ることなく、自由貿易体制は何とか踏みとどまっている。むしろ自由貿易を維持し、強化を図る国・地域の動きも確認できる(本特集記事「経済の武器化による分断の中、再強化される自由貿易網と連携(世界)」参照)。
一方、2026年に入っても米国による国際法の軽視はエスカレートし、年前半は中東情勢の混乱とそれに伴う原油や石油関連製品の供給不安が企業活動を直撃した。6月半ばに米国とイラン間で戦闘終結に向けた覚書で合意したものの、その後も両者の攻撃の応酬が続き、事態の正常化には程遠い。世界を見渡せば、既に5年目に入ったものの、いまだ出口が見えないロシアのウクライナ侵攻のみならず、各地で火種がくすぶる。
企業の投資判断においては、常態化する地政学リスクを踏まえ、従来重視されてきた効率性から、リスクに対する強靭(きょうじん)性へと価値基準がシフトしつつある(本特集記事「選別される世界投資(1)地政学が塗り替えるFDI地図」参照)。
こうした情勢を踏まえ、2026年版ジェトロ世界貿易投資報告の副題は「高リスクが常態化する時代に、踏みとどまる自由貿易体制」と冠した。本特集では、約150ページに及ぶ同報告書のエッセンスを、各執筆者独自の視点から企業ユーザーに使いやすいスタイルに再構成している。上記のほか各論では、注目トピックスとしてエネルギー安全保障(本特集記事「世界の脱炭素化動向(1)世界のEV市場に変容の兆し」参照)、重要鉱物(本特集記事「高まる重要鉱物の供給リスク(世界)」参照)や宇宙など戦略産業の動向、AI拡大を支える半導体エコシステム(本特集記事「AI時代の半導体産業(1)AI向け半導体の「主役」に迫る(世界)」参照)を取り上げた。
本稿では、報告書副題とした「踏みとどまる自由貿易体制」に着眼し、自由貿易を支える、WTOやFTAをはじめとする多層的な通商ルールの役割と意義を整理するとともに、その維持・強化につながる活用例を紹介する。
自由貿易体制を下支えする国際通商ルール
米国による関税引き上げに対し、日本やEUを含む主要国・地域は、米国との間では二国間交渉という選択肢を取りつつ、それ以外の国・地域とは最恵国待遇(MFN)税率または自由貿易協定(FTA)などに基づく特恵関税率を適用する従来の貿易を継続した。
注:実行関税率は単純平均ベース。
出所:WTO Tariff & Trade Data, Tariff actionsデータベースからジェトロ作成
米国が追加関税発動を開始した2025年以降の国別の実行関税率の推移を、WTOのデータベースで入手可能な主要国について見た(図1参照)。米国では2025年2月に中国産品への追加関税を課したのを皮切りに、特に同年4月に発動した国際緊急経済権限法(IEEPA)を根拠とするいわゆる「相互関税」や、1962年通商拡大法232条による自動車・同部品、鉄鋼・アルミ製品などへの品目別関税によって、平均関税率はピーク時には約18%に上った。その後、IEEPA関税は2026年2月に米連邦最高裁判所が違憲判決を下したことで、米国の平均関税率は一時的に低下したものの、米政権は別の国内法を根拠に再び税率を引き上げ、2026年6月末時点での平均関税率は13.8%となっている。
これに対し、図上の他の国々では、中国やカナダで対米措置が取られたほか、メキシコで砂糖類の関税引き上げといった部分的・一時的な変更はあったものの、米国の乱高下と比較して、おおむね関税率は安定的に推移している。WTOによれば2026年2月時点でMFNベースの関税率を適用した貿易は、世界貿易の72%と大部分を占める。
国際経済秩序は多層的な構造へ
ほとんどの国が選択した通常運転の貿易の礎であるMFNは、WTOルールの根幹にある原則だ。WTOでは2026年3月の第14回閣僚会議で機構改革などを目指したものの合意が得られず、ルール形成機能の低下が著しい。一方、WTOの前身であるガット時代からのルールであるMFNも含め、既に実施されているWTOの通商ルールは、国際貿易の基礎的インフラとして定着している。また、特に2000年代以降、各国・地域間で締結が進んだFTAもWTOルールを補完する通商ルールとして機能しており、FTAに基づく特恵関税が活用されている。高度なルールを含む代表的なFTAとしてはCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定)やUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)などがある。
今日の国際経済秩序では、WTO・FTAのみならず、多層的なルールや枠組みが共存している(図2参照)。多国間の枠組みでは、例えばOECD/G20の税源浸食と利益移転(BEPS)プロジェクトに代表される国際的な「制度インフラ型」ルール・枠組みがある。
特定の分野に内容を絞ったセクター特化型ルールも拡大している。中でもデジタル特化型ルールが代表的だ。デジタルルールは、電子的取引の進展やサイバーセキュリティへの認識の高まりなどから法制化が進み、内容も高度化している。一方で、AI規制やデータ保護のように、技術の発展にルール化が追い付かない領域や、国によって方向性が異なる領域もある。
近年、資源・重要鉱物に関する枠組みが急拡大している。代表的な枠組みとして「鉱物安全保障パートナーシップ(MSP)」(2022年発足)があり、2026年2月には「資源の戦略地政学的関与に関するフォーラム(FORGE)」がMSPを発展させるかたちで創設された。MSPはG7など15カ国・地域の枠組みだったが、FORGEは55カ国・地域程度と大幅な拡大が見込まれる。そのほか、米国やEU、中国などもそれぞれ独自に二国間の協力枠組みや地域別パートナーシップの構築を進める。こうした地政学・経済安全保障側面の強い分野型ルールは、拘束的な内容(ハードロー)よりも、緩やかな協力枠組み(ソフトロー)の要素が強い。WTOによれば2024年末時点で既に、デジタル貿易と重要鉱物の2分野だけでセクター特化型協定は185件に上る。WTOの役割の限界が指摘されて久しいが、今日の通商ルールの体系はWTOルールを土台に、このようにさまざまなルールが組み合わさった、柔軟な枠組みに発展しつつある。
図2:国際経済秩序における各枠組みの位置付け
注:図の詳細説明は、2026年版『ジェトロ世界貿易投資報告』第3章第3節(2)
(2.9MB)を参照。
出所:経済産業省「不公正貿易報告書」各年版など各種資料からジェトロ作成
通商ルールをどう活用するか
通商ルールを締結するのは国家の役割だが、ルールを活用するのはもちろん国だけでなく、企業もその中心的な主体だ。企業にとって通商ルールの最も身近な内容は関税率の適用だろう。FTAに基づく特恵税率の適用は、貿易を行う企業がFTA原産地規則に従って能動的に実行するものだ。
企業が通商ルールに接する局面は、ほかにもある。貿易ではアンチダンピング、セーフガード、補助金相殺関税の3措置から成る貿易救済措置が代表的だ。また、海外進出した企業にとっては、二国間投資協定やFTA・EPA(経済連携協定)に含まれる投資規定(以下、総称して投資協定)も、活用を検討し得るルールの1つだ。以下では、アンチダンピング(以下、AD)と投資協定について概説する。
通商ルールの活用ケース1:アンチダンピング措置
ある国からの輸入品が不当に安く売られているため、国内産業がダメージを受けているときに、救済手段となり得るのがAD措置だ。より具体的には、特定の製品について輸出先国でのダンピング(不当廉売)(注1)販売があり、それに起因して輸出先国の国内産業に実質的な損害またはその恐れが生じている場合に、輸出先国がWTOルールで認められた適正な調査に基づいて内外価格差を埋める関税を賦課できる。
ダンピング販売による損害を受けていると考えられる場合、日本では企業は経済産業省・財務省などから成る調査当局に申請を行うことができる。申請は条件を満たせば1社でも可能だが、国内産業の相当な部分を占めている必要があるため、実際にはまず業界団体などに相談し、複数企業での共同申請を模索するケースが多い。詳しくは経済産業省ウェブサイト
を参照されたい。
AD措置は3種類の貿易救済措置の中で、世界で最も利用件数の多い措置だ。WTOに通報された2025年のAD発動件数は234件で、前年比で8割増と高水準にあった。日本でも2025年に5件のAD調査が開始された(注2)。これは国内では過去最多であるものの、世界的に見ると、最も多かったインドが同81件、米国が38件と続き、日本は低い水準にある。経済産業省はさまざまな要因が考えられるものの、貿易救済措置についての認知度が低いことも件数が少ない一因と見ている。
貿易救済措置は、貿易制限的な効果を有するためその濫用(らんよう)は慎まれるべきだが、ルールに従った措置である範囲において、ダンピング輸出をはじめ不公正な貿易政策を是正し、競争条件を平準化する手段として、利用を柔軟に検討するに価値があるケースもあるだろう。
通商ルールの活用ケース2:投資協定
海外に進出した企業が、進出先で現地政府や機関の政策によって不当な扱いを受けた場合に、対応するツールになり得るのが投資協定だ。ジェトロのアンケート調査によれば、企業が進出先国で直面した課題の主な内容として、以下が挙がった(図3参照)。
注:nは海外拠点があると回答した企業(代理店を除く)のうち、進出先において現地政府(政府系機関も含む)の対応・措置により直面した課題のうち1つ以上を選択した企業。5%以上の回答のみを抜粋した。
出所:ジェトロ「第24回 日本企業の海外事業展開に関するアンケート調査」(2026年3月)
投資協定の締結相手国・地域政府の対応・措置に基づいて、投資財産や機会に不当な損失が発生した場合、内国民待遇や不当な収用の禁止といった協定の合意内容に基づき、是正を求めることができるケースがある。日本が締結する投資協定は、FTA・EPAの投資ルールも含めると54件ある(注3)。問題措置の解決策として投資協定が定める投資家対国家紛争解決の利用も直接的な手段としてあるが、時間・費用がかかるため最終的な手段という位置付けだ。投資協定を根拠に日本の政府機関(大使館、ジェトロなど)に相談し、相手国政府・機関に申し入れを行うほか、日本貿易保険(NEXI)の海外投資保険制度の活用(注4)といった間接的な協定の活用方法もある。詳しくはジェトロウェブサイト「投資協定とは」を参照されたい。
ジェトロの同調査では、海外に拠点を有する企業のうち、投資協定を認知している企業(注5)は47.3%と半数以下にとどまっており、貿易救済措置と同様に、認知が高まればより活用の余地があると考えられる。
ルールに基づく自由貿易が維持されている要因は、多層的に構築されてきた国際通商ルールに基づく貿易が企業の利便性、合理性にかない、経済厚生を最適化する手段であるからにほかならない。FTAや投資協定、貿易救済措置などを戦略的に活用することは、企業のリスク対応力や事業機会の拡大にもつながる。国際通商ルールを公然と無視する国が現れる今日、本稿で紹介したケースも含め、ルールをより能動的に活用していくことは、その価値を示し、自由貿易体制を一層強固なものにする。
- 注1:
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輸出元国での通常の商取引における国内向け販売価格に対し、輸出先国向けの輸出価格が低い場合がダンピングに当たる。正確な定義はWTOアンチダンピング協定
(第2条)を参照。 - 注2:
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経済産業省資料
(2.0MB)参照。件数は、対象産品および対象国・地域のカウント方法により異なる数え方がされる場合がある。なお、AD調査開始から完結までは原則1年以内、最大で18カ月かかる。 - 注3:
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2026年2月末時点で発効済みの協定。外務省「投資関連協定の意義と現状
」を参照。 - 注4:
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NEXIウェブサイト
の「保険商品」から「海外投資保険」を参照。 - 注5:
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認知度は「投資協定を全く知らない」を選択した企業および無回答を除いた企業の割合。
- 執筆者紹介
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ジェトロ調査部国際経済課長
安田 啓(やすだ あきら) - 2002年、ジェトロ入構。海外調査部国際経済課、公益財団法人世界平和研究所(現・中曽根康弘世界平和研究所)研究員、ジェトロ・ブリュッセル事務所次長、調査部欧州課長などを経て、2025年から現職。





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