量子技術時代の到来に向けて-深化するグローバル・イノベーション 市場予測と欧米の戦略
量子技術への世界的関心の高まり(1)
2026年3月13日
近年、量子技術の研究開発や実用化に向けた取り組みは、予測を上回るスピードで進められ、世界各国で産業競争力と安全保障の両面から量子技術の向上を目指した戦略が策定されている。また、多くの企業や研究機関などがしのぎを削り、競争が激化するとともに国際連携の動きも活発化している。日本も後れを取ることなく、世界を先導する一員として、研究開発だけでなくビジネスへの応用や市場機会の創出に乗り出している。本稿は連載の総論(前編・後編)として、さまざまな量子技術の中から主に量子コンピューティング(注1)に焦点を当て、市場予測から見る今後の成長可能性と、諸外国・地域と日本の戦略を概観する。本稿前編では世界の市場予測と諸外国の動向、後編では日本の動向を取り上げる。
幅広い産業に強大なインパクト
量子コンピュータは、量子の「重ね合わせ」(注2)や「量子もつれ」(注3)といった特性を利用する次世代のコンピュータであり、従来のコンピュータ(古典コンピュータ)では非現実的な時間がかかる計算の高速処理を得意とする。例えば、「組合せ最適化」では大量に装置が並ぶ工場内レイアウトを最も効率の良い配置にできる。「量子計算化学のシミュレーション」においては化学材料の物性値予測や化学反応の解析に用いることができるほか、「機械学習の高度化」や「暗号・セキュリティー」への活用などに適している。そのため、幅広い産業(創薬、材料化学、金融、物流など)においてイノベーション促進に貢献することが期待されている。
他方、量子コンピュータは、古典コンピュータが基本とする四則演算の高速化には適さないといわれている。また、量子コンピュータの情報の基本単位である「量子ビット」の状態をコントロールするには高度な技術を要し、現時点では、エラーにより間違った答えを出力してしまう可能性がある。実用化には量子ビットの数を増やす必要があるなど課題も多い。そのため、量子コンピュータと古典コンピュータ双方の特性を活かして、相乗効果を高めるハイブリッド型の利用に向けた研究や実証も進められている。
市場は堅調に拡大する予測
黎明(れいめい)期である量子コンピューティングの市場規模やその見通しについてはさまざまな予測がある。米国の量子経済開発コンソーシアム(QED-C)
(注4)によると、世界の量子コンピューティング市場は、2024年時点で約10億7,700万ドル規模とされる。その後、年平均成長率27%で推移し、2027年には約22億600万ドルに達すると見込まれている(図)。
出所:QED-Cの調査資料(委託先:ハイペリオン・リサーチ)を基にジェトロ作成
グローバルな市場調査を行うインドのフォーチュン・ビジネス・インサイツの調査
(2025年12月更新時点)も、世界の量子コンピューティング市場規模を2024年で約11億6,000万ドル、2025年で約15億3,000万ドルと、上述の調査と同規模と見込んでいる。同社は、市場は今後年平均34.8%で拡大し、2032年までに約126億2,000万ドルに達すると予測している。
日本の量子コンピューティング市場について、米国・インド・日本に拠点を持つ市場調査会社レポートオーシャンの調査
(2024年11月更新時点)は、2023年の市場規模を約1億9,700万ドルと推計。2032年には約28億7,700万ドルまで増加すると見込んでおり、年平均成長率は34.7%と、世界全体に引けを取らないペースでの成長が予測されている。
量子コンピューティングが創出する経済価値についても、米国のボストン・コンサルティング・グループの調査
(2024年7月)が、2040年までに4,500億~8,500億ドルに及ぶと予測している。これら複数の調査結果が示すとおり、量子コンピューティング市場は今後数年の間に着実に拡大していくことが見込まれる。
実用化に向けて各国が多額の資金を投入
量子技術に関して、欧米主要国・地域の政策を見ていく(表)。米国の政策の根幹となるのは、2018年12月に制定された国家量子イニシアチブ法(National Quantum Initiative Act, NQIA
)だ。同法の下、2019~2024年の6年間で量子情報科学分野の研究開発関連に割り当てられた予算は50億ドルを超える。経済成長と安全保障を念頭に、米国が量子情報科学分野で世界をリードし続けるべく、研究開発や社会実装、人材育成などに取り組む。近年は、商務省傘下の国立標準技術研究所(NIST)などが量子技術の標準化、輸出管理、サプライチェーン強化を進めている。そのほか、CHIPSおよび科学法(CHIPSプラス法)(注5)の研究開発枠に量子技術が明記されている。州政府レベルでの動きも活発化している。イリノイ州(2024年8月1日付、2025年10月6日付ビジネス短信参照)やカリフォルニア州(2025年11月18日付ビジネス短信参照)などでは、大規模プロジェクトや新たな法制度の枠組み整備が進む。
カナダは、2021年1月に国防省と軍が共同で、安全保障の観点に基づく「量子科学技術戦略(Quantum Science and Technology Strategy, QSTS
)」を発表した。同年の予算において、7年間で3億6,000万カナダドル(約403億円、Cドル、1Cドル=約112円)を確保。その後、世界的な量子技術エコシステム形成の機運の高まりから、2023年1月には「国家量子戦略(National Quantum Strategy, NQS
)」を発表し、量子の研究、人材育成、産業化を進めるとした(2023年1月25日付ビジネス短信参照)。さらに2025年12月、産業規模の誤り耐性量子コンピュータの開発を支援するため、「カナダ・量子チャンピオンズ・プログラム(Canadian Quantum Champions Program
)」を立ち上げた。これは2025年予算で発表された、量子エコシステム強化などに充てられる5年間で3億3,430万Cドルの予算から、同プログラムに9,200万Cドルを投じるものだ。
EUは、2018年10月に「量子技術フラッグシップ(Quantum Technologies Flagship
)」を立ち上げた。量子関連研究者の支援を主目的に、10年間で10億ユーロの予算を投じている。2025年7月には、より包括的な枠組みとして「量子欧州戦略(Quantum Europe Strategy
)」を策定した(2025年7月4日付ビジネス短信参照)。研究開発だけではなく、インフラの整備やエコシステム構築、宇宙や防衛などの産業への応用、人材開発なども含めた取り組みを進める。この戦略が立ち上がった背景には、過去5年間、EU全域のさまざまな枠組みで研究開発を中心に110億ユーロ(EUとして20億ユーロ、加盟各国合計で90億ユーロ)を投じてきた一方、優れた研究開発が実用化に結び付かず、米中などに遅れを取っているという危機感がある。加盟国間や地方政府間で断片的に活動が行われたため重複などが発生したことが原因と考えられる。2026年中には欧州量子法(European Quantum Act
)を提案し、エコシステム構築や産業化を進めるためのインセンティブなどについても定める見込みだ。
EU加盟国の中でも特に量子技術への予算規模が大きいのは、ドイツとフランスだ。ドイツは、2018年9月に初めての基本計画「量子技術–基礎研究から市場へ〔Quantum technologies – from basic research to market
(2.6MB)〕」を発表した。2023年4月には、計画を改訂する新たな枠組み「量子技術に関する基本構想〔Quantum Technologies Conceptual Framework Programme
(5.0MB)〕」を打ち出した。2026年までに30億ユーロ規模を拠出する計画で、研究開発や産業化を後押ししている(2023年5月2日付ビジネス短信参照)。フランスは、2021年1月に「量子技術国家戦略〔Stratégie nationale sur les technologies quantiques(フランス語)
〕」を発表した。2025年までの5年間で、官民合わせて18億ユーロ(うち国家拠出は10億ユーロ)を量子技術の開発に投じるとした。他のEU加盟国も量子エコシステムの強化に力を入れており、デンマークでは政府系ファンドが民間財団と量子技術活用を推進するための企業体を設立するなどしている(2025年9月25日付地域・分析レポート参照)。
EU加盟国以外を見ると、英国は世界に先駆けて2014年に「国家量子技術プログラム(National Quantum Technologies Program
)」を制定した。2023年までの10年間で、10億ポンド(約2,080億円、1ポンド=約208円)を投じてきた。次の10年間(2024~2033年)の指針として、2023年3月には「国家量子戦略(National Quantum Strategy
)」を発表した。研究開発支援および量子技術の実用化を加速させるべく、25億ポンドを投じて10億ポンドの民間投資の誘発を目指すとしている。
安全保障の観点からも、暗号解読やより強固なセキュリティー通信への活用を含め、自国内や同志国連携による量子関連技術の向上、実用化に向けた取り組みが世界各国で重視されている。
| 国・地域 | 基本政策(量子技術全体) | 政府予算規模 |
|---|---|---|
| 米国 | 国家量子イニシアチブ法(National Quantum Initiative Act)(2018年12月) |
50億ドル以上 (2019~2024年の足し上げ実績 注) |
| カナダ |
|
|
| EU |
|
10億ユーロ (2018年から10年間) |
| ドイツ |
|
|
| フランス | 量子技術国家戦略(Stratégie nationale sur les technologies quantiques)(2021年1月) |
10億ユーロ (2021~2025年) |
| 英国 |
|
|
注:米国の国家量子イニシアチブ法では予算については毎年議論の末、定めるとされている。
出所:各種ウェブサイトを基にジェトロ作成
世界の量子コンピューティング市場はこれから数年の間に持続的な拡大が見込まれ、先進技術を強みとする各国が量子技術開発をリードすべく戦略策定や資金投入に力を入れている。近い将来に量子技術の産業化が見込まれている今、先陣を切る国が、グローバルビジネスに必要な国際標準化の議論にも強い影響力を持つだろう。政府のみならず、産官学の各組織が連携し、一歩先を見据えた戦略を立て、実行に移していくことが肝要となる。
- 注1:
-
本稿における「量子コンピューティング」は、量子コンピュータおよび情報処理の手法や技術を包括する。
- 注2:
-
量子重ね合わせとは、コインの裏と表のような相反する複数の状態を同時にとる性質のこと。詳細は、文部科学省「量子と量子技術」を参照のこと。
- 注3:
-
量子もつれとは、どんなに離れていても2つの量子が連携して変化する性質のこと。
- 注4:
-
米国の国家量子イニシアチブ法の一環として、国立標準技術研究所(NIST)の支援を受けて2019年に発足。量子技術の推進に特化した産業コンソーシアムとして、企業、研究機関、政府機関間の連携促進をビジョンに掲げて設立された。
- 注5:
-
米連邦議会が、2021年度国防授権法に含まれたCHIPS法に対する予算措置を議論する中で、科学分野の研究開発向けの条項も盛り込まれた。そのため、CHIPSおよび科学法、またはCHIPSプラス法と呼ばれる。なお、CHIPSはCreating Helpful Incentives to Produce Semiconductorsの略称。
量子技術への世界的関心の高まり
シリーズの次の記事も読む
- 執筆者紹介
-
ジェトロイノベーション部戦略企画課
森谷 弥生(もりや やよい) - 公的機関、民間企業勤務を経て、2024年、ジェトロ入構(常勤嘱託員)。
- 執筆者紹介
-
ジェトロイノベーション部戦略企画課 課長代理
谷口 嘉那子(たにぐち かなこ) - 2010年、ジェトロ入構。海外調査部 欧州ロシアCIS課/総務部 秘書室/ビジネス展開支援部 途上国ビジネス開発課 BOP班/日本食品海外プロモーションセンター(JFOODO)海外プロモーション事業課を経て、2024年8月から現職。






閉じる




