特集:各国が描く水素サプライチェーンの未来供給目標と財政支援
EU、グリーン水素の供給と活用に野心(1)

2023年6月9日

2050年までの炭素中立を目指す「欧州グリーン・ディール」を掲げるEUは、次世代エネルギーとして期待される水素の中でも、再生可能エネルギー(再エネ)電力に由来する水素(グリーン水素)を政策の中心に据える。水素関連技術は、脱炭素化の実現に向けた最重要技術の1つとの位置付けだ。グリーン水素の大量供給と産業・運輸部門での積極的な活用を目指し、EUは域内における水素関連の研究開発、水素製造用の電解槽などの製造、水素生産と、水素支援策を全方位的に推進している。

EUは、水素技術で域内企業が世界をリードしていると自負する。域外国・地域との競争が激化する中で、水素技術でのEUの優位性を確固たるものとし、グリーン水素を世界的に競争力のある域内産業に育てたい意向だ。そのため、EUは研究開発支援に加えて、域内でのグリーン水素の需要喚起策、水素関連の法整備、インフラ整備を進めつつ、公的な財政支援を強化するなど、水素政策を加速度的に進めている。

EUの執行機関の欧州委員会は、2020年7月にEUの水素政策の基礎となる「水素戦略」を発表以降、水素に関連した法案を立て続けに提案している。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻以降は、ロシア産天然ガスへの依存から脱却すべく、「リパワーEU」計画(2022年9月1日付地域・分析レポート参照)を発表し、グリーン水素の域内生産拡大を含むエネルギー自給強化を決定した。

2023年2月には、「グリーン・ディール産業計画」を発表し、気候変動対策において、最も重要なのは、温室効果ガス(GHG)排出ネットゼロの実現に貢献する産業(ネットゼロ産業)だと表明した。背景には、米国や中国の補助金による、グリーン水素関連を含むグリーン産業の域外移転や域内投資の減少に対する危機感があった。グリーン・ディール産業計画の一環として発表した「ネットゼロ産業法案」(2023年3月20日付ビジネス短信参照)では、水素製造用の電解槽に関する技術を「戦略的ネットゼロ技術」に指定し、域内での電解槽製造に対する支援を表明した。このように、EUによる支援は、従来の水素関連技術の研究開発を対象にした限定的なものから、EUのエネルギー自給や競争力の強化の名の下に、水素生産や電解槽製造に対するより包括的かつ大規模なものへと転換しつつある。

水素をめぐる競争激化の中で、欧州委は2030年までにグリーン水素の域内供給を大幅に拡大する非常に野心的な目標を立てている。ただし、グリーン水素を活用すべき分野については、鉄鋼などの電化による脱炭素化が難しいエネルギー集約型産業や長距離輸送を中心とした運輸部門など一部のセクターを想定する。これは、現状ではグリーン水素だけでなく、グリーン水素生産に必要な再エネ電力も不足しているからだ。エネルギー効率性の観点から、電化できる分野では、再エネ電力を優先的に活用し、グリーン水素は再エネ電力を補完する燃料として推進するとの立場だ。

2回シリーズの第1回となる本稿では、EUのグリーン水素の供給目標や定義を確認した上で、グリーン水素の域内生産の拡大に向けたEUと加盟国による財政支援を紹介する。第2回では、グリーン水素の域内への大量供給実現に向けた、水素需要の喚起策から、供給面の法律やインフラ整備まで、EUの水素政策の要点を解説する。

EUにおけるグリーン水素の供給目標

EUのグリーン水素に関した供給目標は表1の通りだ。まず、2030年までに最低でも100ギガワット(GW)相当のグリーン水素の電解槽を設置し、年間1,000万トンのグリーン水素の域内生産を掲げている。現時点では、域内での水素生産はごくわずかで、その大部分が天然ガスや石炭に由来するものであることを考慮すると、この域内生産の目標は非常に野心的といえる。また、域内生産に加えて、域外から年間1,000万トンのグリーン水素輸入も目指している。これらが実現すれば、年間2,000万トンという大量のグリーン水素が域内に供給されることになる。

表1:EUのグリーン水素の供給目標
時期 政策 主な内容
2020年7月 水素戦略
  • グリーン水素を戦略の重点として位置付け
  • 2030年までに最低40GW相当の電解槽設置、年間最大1,000万トンのグリーン水素の域内生産を目標に 
2022年5月 リパワーEU計画
  • グリーン水素の供給目標大幅引き上げ
  • 2030年の域内生産目標である年間1,000万トンに加えて、域外からの輸入目標を年間1,000万トンに
  • 域内生産と域外からの輸入で、年間計2,000万トンを域内に供給 
2023年3月 ネットゼロ産業法案
(グリーン・ディール産業計画の一部)
  • 水素製造用の電解槽に関する技術を「戦略的ネットゼロ技術」に指定
  • 2030年までに最低100GW相当の電解槽設置を目標に 

出所:欧州委員会資料を基に作成

グリーン水素と低炭素水素の定義

ここで、EUのグリーン水素の定義を確認したい。グリーン水素の定義は、厳密には定義そのものと、その認定基準からなる。定義に関しては、政治合意済みの再エネ指令改正案(2023年4月3日付ビジネス短信参照)で、グリーン水素を含む非バイオ由来の再生可能燃料(RFNBO)として、「バイオマス以外の再生可能エネルギー源(風力、太陽光、地熱、周辺熱、潮力、波力などの海洋エネルギー、水力、埋め立てガス、下水処理場消化ガス、バイオガス)に由来する液体およびガス燃料」と規定している。

RFNBOの認定基準に関して、欧州委は2023年2月に委任規則案(2023年2月15日付ビジネス短信参照)を発表。グリーン水素の認定を受けるには、再エネ購入契約などに基づいてグリッドからの電力供給を受けて水素を生産する場合、水素生産と再エネ発電の時間的相関性と地理的相関性に加えて、水素生産用に新たに設置した再エネ発電施設から電力供給を受けることとする追加性を満たす必要があるとした。なお、委任規則案には、原子力発電などにより炭素排出集約度が低いことを条件に、追加性要件を免除する例外規定もある。この委任規則は今後、EU理事会(閣僚理事会)と欧州議会が否決しない限り成立する。

低炭素水素に関しては、域内ガス市場に関する法案パッケージ(2021年12月16日付ビジネス短信参照)で、「GHG排出の70%削減を満たす非再生可能エネルギー由来の水素」と定義されている。同改正案は現在審議中だが、この規定に関してはEU理事会と欧州議会がともに支持していることから、このまま成立するとみられる。欧州委は、同改正案の成立後に低炭素水素の認定基準に関する委任規則案を別途提案する。

なお、水素戦略では、低炭素水素に関する具体的な目標は設定していないものの、グリーン水素の大規模な生産拡大までの移行期には、炭素回収技術を念頭に化石燃料由来の低炭素水素を活用し得ると明記している。また、リパワーEU計画でも、天然ガスの代替として一定の役割を果たすとして、原子力発電を用いた低炭素水素の活用にも言及している。

今後の投資目標額とEUおよび加盟国による財政支援策

(1)EUレベルの投資目標額と財政支援策

グリーン水素の大量供給を目指す2030年目標の達成には、官民合わせて巨額の投資が必要となる。欧州委は、水素戦略では、2030年までにグリーン水素の域内生産量を1,000万トンにする場合、水素製造用の電解槽だけで最大420億ユーロの投資が、また、グリーン水素の生産に必要な太陽光や風力に由来する再エネ電力への投資には最大3,400億ユーロがそれぞれ必要になると試算。さらに、水素の輸送、供給、貯蔵充填(じゅうてん)などのインフラ整備には650億ユーロの投資が求められるとしている。こうした投資の大部分は民間投資で賄われるとみられるものの、水素分野への投資を加速させるべく、民間投資を引きつけるためにEUレベルと加盟国レベルでさまざまな財政支援が提供されている。

EUレベルでは、欧州委はグリーン・ディール産業計画で、電解槽の域内製造やグリーン水素の生産自体への支援を明らかにした。EUの支援は、これまで水素関連の研究開発や技術革新を対象にしたものが中心だったことから、電解槽の域内製造やグリーン水素の生産という企業の生産活動そのものへの支援の拡大は、大きな方針転換といえる。この背景には、域内でのグリーン水素の生産拡大にとどまらず、今後世界的な拡大が見込まれるグリーン水素市場での主導権確保を目指すEUの狙いがあるとみられる。

ただし、EUによる支援は比較的小規模なものにとどまり、当面は加盟国が支援の中心的な役割を担うとみられる。これは、EU予算は加盟国予算に比べて限定的、かつ、2021年から2027年までのEU予算は中期予算計画(多年度財政枠組み:MFF)として、2018年からの審議を経て大枠が既に決まっており、新たな支援に向けた大規模な予算確保が困難だからだ。一方、2024年以降の現行MFF後期に向けて、2023年後半にはMFFの修正が見込まれている。欧州委は、グリーン産業の製造支援策として「欧州主権基金」を検討しており、水素分野への支援を今後強化する可能性はある。現時点で既に決まっているEUレベルの主な支援は表2のとおり。

表2:EUレベルの主な財政支援策
支援策 概要 
ホライズン・ヨーロッパ
「クリーン水素パートナーシップ 」
  • EUの主要な研究開発支援枠組み
  • グリーン水素の開発と技術革新をすべく、官民パートナーシップを立ち上げ
  • 2021~2027年のMFFで、約10億ユーロを割り当て、民間投資と合わせて計20億ユーロを想定
  • 脱炭素化が難しい産業や輸送分野での活用を念頭に、グリーン水素の生産、輸送、貯蔵などに関連する技術の研究開発や実用化を支援  
EU ETSイノベーション基金
  • EU排出量取引制度(ETS)の収入を原資に、産業の脱炭素化や炭素回収・貯蔵などの革新的な低炭素技術の事業化を支援
  • EU ETSの炭素価格によるものの、2020~2030年の予算規模は、グリーン水素関連技術を含めた低炭素技術支援全体で380億ユーロを想定
  • 近年の炭素価格の高騰やEU ETSの適用分野の拡大などにより、収入増加が予想されており、それに伴って支援の拡大も見込まれている
  • 2022年は、画期的な電化事業や産業での水素活用策を中心とした大規模事業への支援予算を30億ユーロに倍増   
欧州水素銀行構想
  • 2023年3月にグリーン・ディール産業計画の一環として、構想に関する政策文書を発表
  • 2023年秋をめどにパイロット事業として、グリーン水素の生産支援に向けた8億ユーロ規模の競争入札の実施を予定
  • 生産コストが低い事業者から順に落札者を決定し、落札者が生産するグリーン水素1キロにつき、固定額プレミアム(奨励金)を10年間にわたり提供 
復興レジリエンス・ファシリティー(RRF)
  • 新型コロナウイルス禍からの経済立て直し策である復興基金の中核政策
  • RRF総予算7,238億ユーロのうち約4,988億ユーロをコロナ対策、グリーン・デジタル化対策として加盟国に割り当て済み。このうち15加盟国が水素支援策を国別復興計画に盛り込み、計93億ユーロを充てた
  • 未割り当ての融資分2,250億ユーロを、水素関連を含むリパワーEU計画関連事業へ利用可能に
  • 加盟国は2026年8月までに国別復興計画にある全ての政策の実施が必要

出所:欧州委員会資料を基に作成

(2)加盟国レベルの財政支援策

加盟国レベルの財政支援としては、国家補助が挙げられる。水素分野では、複数の加盟国が共同で実施する「欧州共通利益に適合する重要プロジェクト(IPCEI)」が既に承認されている。EUでは、加盟国間の競争環境を不当にゆがめる可能性があるとして、加盟国による企業への国家補助は原則禁止されており、一定の条件を満たす場合にのみ、欧州委の承認を受けた上で例外的に認められる。IPCEIは複数の加盟国にまたがり、EU目標に沿った高い公益性を有する事業に対して国家補助を認める国家補助規制の特例措置だ。なお、加盟国による国家補助には、復興レジリエンス・ファシリティー(RRF)予算の一部が充当される場合がある。

欧州委は2022年7月、IPCEIの水素分野の第1弾として、産業部門や運輸部門の水素バリューチェーンの技術革新を目指す「IPCEI Hy2Tech」(2022年7月19日付ビジネス短信参照)(表3参照)を承認。このIPCEIは、35社が参加する41のプロジェクトを対象にするもので、参加するドイツ、フランス、イタリア、スペインなどを含む15加盟国により、最大54億ユーロの国家補助が可能となる。また、民間から約88億ユーロの追加投資も期待される。

欧州委は2022年9月には第2弾として、水素関連インフラの整備や産業部門の水素活用に必要な技術革新を目指す「IPCEI Hy2Use」(表4参照)を承認。このIPCEIは、29社が参加する35のプロジェクトを対象に、参加するフランス、スペイン、オランダ、イタリアなど13加盟国により、最大52億ユーロの国家補助を可能にする。これにより、民間から約70億ユーロの追加投資も期待される。 さらに、2023年には水素分野の新たなIPCEIの承認が予定されている。

表3:IPCEI Hy2Techの参加企業 
水素生産技術 燃料電池技術 貯蔵・輸送運搬技術 エンドユーザーによる活用技術
1s1 Energy*(ポルトガル)
Advent*(ギリシャ)
Ansaldo(イタリア)
AVL(オーストリア)
Christof Industries(オーストリア)
De Nora(イタリア)
Elcogen*(エストニア)
Elogen(フランス)
Enel(イタリア)
Genvia(フランス)
H2B2*(スペイン)
Cummins(ベルギー)
John Cockerill(ベルギー)
John Cockerill(フランス)
McPhy*(フランス)
Nordex(スペイン)
Ørsted(デンマーク)
Sener(スペイン)
Stargate(エストニア)
Sunfire*(ドイツ)
Synthos(ポーランド)
1s1 Energy*(ポルトガル)
Advent*(ギリシャ)
Alstom(フランス)
Ansaldo(イタリア)
Arkema(フランス)
Bosch DE(ドイツ)
Daimler Truck(ドイツ)
De Nora(イタリア)
EKPO(ドイツ)
Elcogen*(エストニア)
Fincantieri(イタリア)
Genvia(フランス)
HYVIA(フランス)
Iveco(チェコ)
Nedstack*(オランダ)
Plastic Omnium AT(オーストリア)
Symbio(フランス)
Arkema(フランス)
B&T Composites*(ギリシャ)
Daimler Truck(ドイツ)
Enel(イタリア)
Faurecia(フランス)
NAFTA(スロバキア)
Neste(フィンランド)
Ørsted(デンマーク)
Plastic Omnium FR(フランス)
Alstom FR(フランス)
Alstom IT(イタリア)
Bosch AT(オーストリア)
Daimler Truck(ドイツ)
Fincantieri(イタリア)
HYVIA(フランス)
Iveco CZ(チェコ)
Iveco ES(スペイン)
Iveco IT(イタリア)
Neste(フィンランド)
Ørsted(デンマーク)
Plastic Omnium AT(オーストリア)
Plastic Omnium FR(フランス)

注:*は中小企業を表す。
出所:欧州委員会資料を基に作成

表4:IPCEI Hy2Useの参加企業
水素インフラ 産業における水素の活用
Air Liquide France(フランス)
Air Liquide Netherlands – CurtHyl(オランダ)
Air Liquide Netherlands – ELYgator(オランダ)
Bay of Biscay Hydrogen (Petronor/Repsol)(スペイン)
Bondalti(ポルトガル)
Cartagena Hydrogen Network (Repsol)(スペイン)
ENGIE Belgium(ベルギー)
ENGIE Netherlands(オランダ)
Fluxys(ベルギー)
H2 Aboño (EDP)(スペイン)
H2-Fifty(オランダ)
H2 Los Barrios (EDP)(スペイン)
HyCC(オランダ)
Iberdrola(スペイン)
MassHylia (TotalEnergies and ENGIE France)(フランス)
Ørsted(オランダ)
P2X Solutions*(フィンランド)
PKN Orlen(ポーランド)
Shell(オランダ)
Uniper(オランダ)
Borealis(オーストリア)
Enel Green Power/Endesa(スペイン)
ENGIE Belgium(ベルギー)
Everfuel*(デンマーク)
Hybrit Development(スウェーデン)
IAM Caecius(スペイン)
NextChem(イタリア)
RINA-CSM(イタリア)
RONA(スロバキア)
SardHy Green Hydrogen(イタリア)
Solar Foods*(フィンランド)
South Italy Green Hydrogen(イタリア)
TECforLime(ベルギー)
TITAN Cement(ギリシャ)
VERBUND(オーストリア)

注:*は中小企業を表す。
出所:欧州委員会資料を基に作成

このほか、欧州委は2023年3月に、加盟国によるグリーン産業支援策の新たな枠組みとして「暫定危機・移行枠組み」(2023年3月15日付ビジネス短信参照)を採択した。この枠組みは、ネットゼロ技術の指定を受けたグリーン産業への加盟国による支援を後押しするために、国家補助規制を大幅に緩和するものだ。この枠組みの採択により、所定の条件を満たすことで、研究開発や再エネインフラの整備、生産プロセスの脱炭素化といった限られた分野だけでなく、ネットゼロ技術の製造という企業の生産活動そのものに対しても、国家補助の実施が認められることになる。この対象には水素製造用の電解槽のほか、グリーン水素の生産に必要な太陽光パネルや風力発電用タービンなどが含まれている。ドイツやフランスといった財政余力のある主要国を中心に、製造業に対する国家補助が増加すると予想される。

EU、グリーン水素の供給と活用に野心

執筆者紹介
ジェトロ・ブリュッセル事務所
吉沼 啓介(よしぬま けいすけ)
2020年、ジェトロ入構。

この特集の記事