特集:各国が描く水素サプライチェーンの未来チリのグリーン水素戦略、政権をまたぎながらも着実に進展
中南米の水素動向(2)

2023年6月9日

脱炭素へ向けた取り組みが世界各国で進む中、チリもその例外ではない。しかし、再生可能エネルギー由来のグリーン水素のみに焦点を当てているという点で、他の国々と比較して、異彩を放っていると言えるだろう。事の発端は、2020年11月の「グリーン水素国家戦略」の発表までさかのぼる。新型コロナウイルス感染拡大の脅威も冷めやらぬ中、当時のセバスティアン・ピニェラ政権は「2030年までに世界一安価なグリーン水素の生産体制を国内に構築する」「2040年までに世界トップ3の水素輸出国家となる」「2025年までに電気分解による水素の製造量を5ギガワット(GW)まで増加させる」という3本柱の政策を打ち出し、それらは現在のガブリエル・ボリッチ政権に継承されている。

チリがこれほどまでにグリーン水素に特化した方針を表明するに至った背景には、太陽光と風力を中心とする再生可能エネルギー産業の発達に適した国土と、そこから生産される水素の価格競争力への自信がうかがえる。政府作成資料「Chile’s Green Hydrogen Strategy and investment opportunitiesPDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(6.7MB)」の中でも、2030年までにグリーン水素1キログラム当たり1.5ドルを下回る水準で生産を目指すという目標を掲げている(表1参照)。また、マッキンゼー(McKinsey)による均等化エネルギーコストの予測調査(Levelizad cost of production by 2030)を引用し、中東、オーストラリア、中国、欧州、米国といった国・地域と比較しても抜きん出たチリ産グリーン水素の価格優位性をアピールしている。

表1:チリの水素関連政策・目標
2030年(または2050年)までの目標 製造/供給 グリーン水素製造のための国内電気分解容量
2025:5GW
2030:25GW
年間供給量
2025:20万トン
貯蔵・輸送 2028年ごろをめどにサプライチェーンを構築し、グリーン水素(アンモニア)の輸出を開始
利用 (1)製油所での利用
(2)アンモニア
(3)鉱山用トラック
(4)重量物輸送
(5)長距離バス
(6)ガスパイプラインへの注入
(7)輸出
供給コスト 2030:グリーン水素製造コスト1.5ドル/キログラム未満の達成
水素の製造方法 再エネ+電解槽
水素の利用用途/目標
  • 輸出
    2030年までに輸出金額25億ドル/年を達成
  • 鉱業
    国内最大の産業である鉱業分野において、鉱山用トラックの燃料や火薬製造への利用
  • 石油精製
    製油所における利用
  • 輸送(車)
    自動車、バス、トラックなどの燃料としての利用

  • 合成燃料としての利用
  • 航空
    合成燃料としての利用
水素戦略の有無
(有の場合、名称)
グリーン水素国家戦略(2020)
主な所管省庁 エネルギー省
公的投資額 チリ産業開発公社(CORFO)を通じ、総額5,000万ドルをグリーン水素生産プロジェクトの開発支援のために資金供給
※2021年12月に支援対象として選定された6つのプロジェクトを公表済み
備考 チリ政府・ウェブサイト参照PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(6.5MB)チリ産業開発公社(CORFO)ウェブサイト参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます

出所:チリ政府

製造したグリーン水素と、そのキャリアとしても注目を集めるグリーンアンモニアの使途として、短期的に想定しているのは、以下に挙げるようなチリ国内での利用だ。

  • 鉱業用に利用されている輸入アンモニアの国産への置き換え
  • 精油の工程で使用されるグレー水素(注1)のグリーン水素への置き換え
  • ディーゼルで稼働する鉱業用大型トラックの代替燃料としての利用
  • 重量物運搬や、長距離走行用の車両の代替燃料としての利用

これらの取り組みを進めつつ、中長期的には国外への輸出を目指す。港湾や船舶などのインフラ整備が課題ではあるが、政府発表によると、輸出の開始は2028年ごろを予定しており、2030年までにグリーン水素とグリーンアンモニアの輸出額として、25億ドル超の達成を目標としている。

先行する「ハル・オニ」プロジェクト

チリ国内で既に20前後のグリーン水素関連のプロジェクトが立ち上がった中で、現在最も注目を集めるのは、チリ最南のマガジャネス州の「ハル・オニ」だろう(表2参照)。同プロジェクトは、チリで合成燃料の製造を行うHIFの主導の下、2021年5月の許認可手続きの完了を経て進められているもので、風力由来の電力の電気分解を通じて生成されたグリーン水素を利用し、2023年中に年間で350トンのメタノールと13万リットルの合成燃料(e-Fuel、注2)の生産を予定している。その発足当初から、ドイツの経済・エネルギー省(現在の経済・気候保護省)の金融支援や、ポルシェ(関連調査の提供と合成燃料の買い取り)、シーメンス(プラント設計や技術的支援を提供)といった名だたるドイツ企業の参画によって話題となった。2022年12月20日にはパイロットプラントの開所式が行われ、関係各社の代表者に加えて、チリ政府からはディエゴ・パルドウ・エネルギー相も参加し、プロジェクトへの期待をのぞかせた。

表2:チリの主要プロジェクトの概要
プロジェクト名 ハル・オニ
生産・貯蔵・輸送・利用 生産
水素の色(生産技術) グリーン(風力発電)
規模(生産量、設備容量) 生産量
2023:合成燃料13万リットル/年
2024:合成燃料5,500万リットル/年
2026:合成燃料5億5,000万リットル/年
設備容量
2023:風力発電タービン3.4メガワット
電解槽容量1.2メガワット
稼働(予定)時期 2023年中の商業稼働を予定
総投資額
(※必要に応じて年数追加)
2023:7,400万ドル
参画企業 HIF、Porsche、Siemens Energy、Enel、ENAP、Empresas Gasco、ExxonMobil
支援する政府(国、州)などとその支援額 ドイツ経済・気候保護省より、参画企業であるSiemens Energyに対し、800万ユーロを支援
参考リンク ハル・オニ・ウェブサイト参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますシーメンスウェブサイト参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます

出所:シーメンス公式ウェブサイトからジェトロ作成

HIFと日本企業との関わりについては、2023年4月5日に発表された出光興産との戦略的協力に関する合意書(MOU)の締結が記憶に新しい(2023年4月13日付ビジネス短信参照)。同合意書では、今後の検討項目として、出光興産によるHIFからの合成燃料調達、国内外の関連設備への共同出資、日本で回収された二酸化炭素(CO2)の原料としての活用の3点が含まれている。

その他の日系企業の動向

加えて、チリのグリーン水素を巡る日本企業の動向に関連して、3つのプロジェクトを紹介する。1つ目は、丸紅が出資するGasvalpoによるものだ。同プロジェクトは、チリ北部のコキンボ州で、太陽光由来のグリーン水素を州内のガスパイプラインに注入し、販売するというもので、グリーン水素の製造、配送、販売の工程の全てをGasvalpoが担っている。

2つ目は、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の採択を受けた三井物産と東洋エンジニアリングによる実証事業だ。チリ北部アントファガスタ州で、チリのEnaexと共同し、太陽光発電を通じたグリーンアンモニアの安定的な製造技術を検証するというもので、将来的には実証プラントの建設も視野に入れている。

3つ目は、住友商事とチリの発電事業者Colbúnによる共同検証プロジェクトだ(注3)。両社は2023年2月3日にグリーン水素とアンモニアに関する覚書を締結しており、今後は双方の知見とリソースを共有し、チリ北部で太陽光発電、南部では風力発電を活用し、その製造と輸出へ向けた取り組みが行われる。

グリーン水素で国内経済をより強靭なものに

これまで見てきたように、もともとの再生可能エネルギー適地としての利を生かし、グリーン水素の生産・輸出大国を目指すチリ政府の戦略は、日本企業を含む外国投資家の関心と参入の下、着々と進行しつつあるが、先述したように、約5年後に予定している輸出の開始に至るまでには、主にインフラ面で解決すべき課題を残している。

他方で、チリの農林水産業は、鉱業に次ぐ第2の産業でもあることから、例えば、生産したグリーンアンモニアを果樹用肥料として国内利用するなどの用途も大いに期待できるだろう。チリは、豊富な鉱物資源を有するという利点を長きにわたって享受してきた国ではあるが、同時に、主要な生産物である銅やリチウムの国際価格の値動きが国全体のGDPや為替の動向を左右するという脆弱(ぜいじゃく)性を併せ持っている。国内のグリーン水素産業の発達は、新規分野の外国投資の誘致や、それに伴う国内生産物の多様化・高付加価値化にも直結し得るという点で、将来のチリ経済をより強靭(きょうじん)なものにするための試金石とも位置付けられる。


注1:
化石燃料を原料とし、その生成過程で大気中に二酸化炭素(CO2)を排出する水素。
注2:
CO2と水素(H2)の合成により得られる燃料のことで、再生可能エネルギー由来のH2と大気中のCO2を合成することで生成される。
注3:
同プロジェクトの発表に先立って、住友商事は、経済産業省の令和4年度「質の高いエネルギーインフラの海外展開に向けた事業実施可能性調査事業費補助金(我が国によるインフラの海外展開促進調査)」の間接事業者として採択されており、チリで生産されたグリーン水素、グリーンアンモニアを日本へ輸送し、石炭火力発電所での混焼利用を行うまでのサプライチェーン構築に係る事業化調査を実施している。
執筆者紹介
ジェトロ・サンティアゴ事務所長
佐藤 竣平(さとう しゅんぺい)
2013年、ジェトロ入構。経理課、ものづくり産業課、海外展開支援課を経て、2019年7月から現職。

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