特集:各国が描く水素サプライチェーンの未来需要喚起と環境整備策
EU、グリーン水素の供給と活用に野心(2)

2023年6月9日

EUの政策の大きな特徴は、2030年にグリーン水素の域内供給量を年間2,000万トンにするという非常に野心的な目標を設定した上で、グリーン水素を優先的に活用するセクターとして、特定の産業部門や運輸部門を想定し、グリーン水素を直接的・間接的に活用する政策を打ち出している点である。EUの水素政策を解説する2回シリーズの2回目となる本稿では、産業部門や運輸部門を中心に、欧州委員会がこれまでに提案したグリーン水素の需要喚起策や供給拡大に向けた環境整備策を紹介する。

グリーン水素の需要喚起策

グリーン水素は現時点では割高で、価格競争力がないため、まず需要を拡大させる必要がある。欧州委員会は域内の産業部門や運輸部門のグリーン水素需要を直接的・間接的に喚起する法案を提案し、そのうちの多くは正式採択に向けて既に政治合意している。

(1)再エネ指令改正案

需要喚起に向け、欧州委はまず、再エネ指令改正案で産業部門の水素消費量に占めるグリーン水素の最低比率に関する目標の導入を提案した(2021年7月20日付ビジネス短信参照)。2023年3月の政治合意ベースでは、グリーン水素の最低比率目標は2030年までに42%、2035年までに60%となった。この目標は、産業部門の企業に直接適用するものではなく、あくまでもEU加盟国を拘束するものだ。各加盟国は目標達成に向けて、独自に政策を策定し、実施することになる。

なお、この目標には、例外規定を設けており、特定の条件を満たすことで、グリーン水素の最低比率目標を20%下げることを認める。これは、原子力由来の水素の活用を実質的に認める規定とみられている。

また、再エネ指令改正案には、運輸部門の最低比率目標も含まれる。今回の改正案により、同部門に供給されるエネルギーに占めるグリーン水素の最低比率目標を強化し、先進バイオ燃料との合算で2030年までに5.5%にするとした。

(2)運輸部門での改正案

運輸部門では、欧州委は2050年までに温室効果ガス(GHG)排出の9割削減を目標に、自動車、航空、海運など幅広い分野で、脱炭素化に向けた改正案を発表している。これらの改正案は、グリーン水素の需要を直接的に喚起するものではないが、化石燃料の代替燃料の1つとしてグリーン水素や、グリーン水素を原料にする合成燃料を推進する内容になっている。

自動車に関しては、電気自動車(EV)の推進を念頭に、2035年以降の新車のゼロエミッション化が決定している乗用車などに加えて、欧州委は2023年2月、大型車についても、2030年以降の新車の二酸化炭素(CO2)排出基準の厳格化を提案。対象範囲について、従来の中・大型トラックに加えて小型トラックについても対象とするよう範囲を拡大した上で、新車の排出量の削減目標を2019年比で2030年に45%減、2035年に65%減、2040年に90%減にするとした。今回の改正案により、欧州委は大型車については、電動バッテリーとともに、水素燃料エンジンの活用も重視しており、トラックを中心に水素自動車の需要が拡大することが予想される。

航空分野では、欧州委が2021年7月に発表し、2023年4月に政治合意した持続可能な航空燃料(SAF)の生産拡大と普及に関する規則案(ReFuel EU)がある。この規則案は、燃料事業者にSAF混合率の順次引き上げを義務付け、EU域内の空港から出発する航空便に対しては、SAFを混合した航空燃料を搭載することを義務付ける。規則案によると、SAFは合成航空燃料や先進バイオ燃料などと定義され、合成航空燃料(水素とCO2を合成して製造される燃料)については、非バイオ由来の再生可能燃料(RFNBO)の定義に沿ったグリーン水素を原料とする航空用燃料とされている。水素を動力源とする航空機の市場投入が2035年以降とみられることから、欧州委の提案では、除外されていたグリーン水素も有望な技術として、最終的には合成航空燃料の定義に含まれた。燃料事業者に義務づけるSAFの混合比率目標は、2025年に2%から導入し、2050年までに70%に段階的に引き上げる。また、合成航空燃料の比率目標についても別途規定があり、2030年に1.2%から導入し、2050年までに35%に段階的に引き上げる。

海運分野では、欧州委が2021年7月に発表し、2023年3月に政治合意した再生可能な低炭素燃料の利用に関する規則案(Fuel EU)がある。この規則案は、5,000トン超の船舶を対象に、船上で消費するエネルギーのGHG集約度を制限し、EU 域内の港湾停泊中は陸側からの電力供給、またはゼロ排出技術の利用を義務付ける。2025年以降はグリーン水素を含むRFNBOのほか、液体バイオ燃料、低炭素水素、再エネ電力などを用いて、GHG集約度を下げることを求める。GHG 集約度の上限については、2020 年の GHG 集約度の平均値を基準とし、この基準値から2025年に2%減、2050年までに80%減とする。なお、2034年までではあるものの、RFNBOの優遇策も盛り込んだ。

(3)EU排出量取引制度(ETS)改正指令

欧州委は、EU排出量取引制度(ETS)の改正指令(2022年12月20日付ビジネス短信参照)にも、産業部門のグリーン水素需要を間接的に拡大させる規定を盛り込んだ。同改正指令は4月25日にEU理事会による最終承認を経て(2023年5月12日付ビジネス短信参照)、5月16日にEU官報に掲載、6月5日に発効した。EU ETSでは、対象部門に対する排出上限を設定し、排出上限を毎年一定の割合で削減する。一方で、現状では鉄鋼などのエネルギー集約型産業を含む、域外へのカーボンリーケージ(注)が懸念される産業に対しては、無償割り当てを提供している。新たなカーボンリーケージ対策の炭素国境調整メカニズム(CBAM)規則(2022年12月14日付ビジネス短信参照)の段階的導入が決定したことから、連動するかたちでエネルギー集約型産業に対する無償割り当ても2026年から段階的に削減し、2034年には完全に廃止することとなった。これに伴い、エネルギー集約型産業は今後、オークション方式での排出枠の有償購入を迫られることになる。

また、改正指令には、運輸部門のEU ETS適用対象の拡大や規制強化なども含まれている。まず、現行ETSでは対象外となっている海運分野に関しては、5,000トン超の船舶について、2024年に排出量の40%を、2025年には70%を、2026年からは100%をEU ETSの対象とする。航空分野では、現行EU ETSの対象となっているものの、排出枠の大部分は無償で提供されているEU、ノルウェー、アイスランド、スイス、英国内の航空便について、2024年から無償排出枠の25%をオークション方式の有償提供に切り替え、2026年以降は無償割り当てを原則全廃する。ただし、RFNBOなどのSAFの優遇措置として、一部無償割当を2030年まで継続する。さらに、自動車などの道路輸送を対象に、ETSとは別の取引制度のETS IIを設置し、2027年からガソリンなどの化石燃料の供給事業者に新制度を適用する。

こうした改正指令の規定は、必ずしもグリーン水素の需要を拡大させるものではないが、産業部門や運輸部門では、これまでどおりのエネルギー消費を続ける場合、今まで以上に排出枠の有償購入が必要となる。これは、生産・運用コストの増加を意味することから、電化のほか、グリーン水素を含めた代替燃料への切り替えが進むことが予想される。

グリーン水素の供給拡大に向けた法整備、インフラ整備

欧州委は水素市場の確立に向けて、需要喚起策とともに水素の供給面についても、必要な法整備とインフラ整備に向けた計画策定に着手している。

(1)水素市場の確立と供給拡大に向けた法整備

欧州委はまず、水素の域内市場創設を目指す域内ガス市場に関する法案パッケージを発表した。EUには、天然ガスや電力に関しては、ある程度統合された域内市場が存在するものの、水素に関しては域内の供給ネットワークが確立していない。現在審議中の法案は、水素市場の確立に向けて、供給ネットワークの管理と生産・輸送・供給などの事業の経営分離、供給ネットワークへの自由なアクセス、水素の品質や天然ガスとの混合に関する透明性の確保、水素供給の既存の天然ガス供給ネットワークの利用促進などを規定している。

また、欧州委は水素生産やインフラ整備を進めるべく、再エネ指令改正案で再エネ事業の許認可プロセスの簡略化を提案。同案には、グリーン水素の生産施設、追加性要件により必要となる新規の再エネ発電施設のほか、関連インフラ設置の許認可プロセスの簡略化を規定している。また、域内ガス市場に関する法案パッケージでは、水素インフラや既存の天然ガスインフラの水素への転用に関して、ネットゼロ産業法案(2023年3月20日付ビジネス短信参照)では、電解槽の完成製品や部品の製造拠点に関して、許認可プロセスの簡略化をそれぞれ提案している。

(2)水素普及に向けたインフラ整備

水素関連のインフラ整備に関しては、水素自動車の推進に向けて、2023年3月に政治合意した代替燃料インフラ規則案で、欧州委提案からは後退したものの、汎(はん)欧州運輸ネットワーク(TEN-T)計画のうち中核ネットワークを対象に、少なくとも200キロごとに、また全ての都市圏を対象に、水素充填インフラを設置することが決定した。水素用のパイプラインや輸入ターミナルなど汎欧州水素インフラの整備に関しても、欧州委は既に加盟国や関係者ともに協議を始めている。

グリーン水素の輸入拡大に向けた政策

このほか、欧州委は、2030年までにグリーン水素1,000万トンを域外から輸入するという年間目標の達成に向けた政策を進めている。まず、法整備に関しては、RFNBOの認定基準に関する委任規則案で、域外から輸入するグリーン水素に対しても、域内で生産されるグリーン水素と同一の認定基準を適用することが確認されている。また、2023年5月17日に発効したCBAM規則では、生産方法にかかわらず、水素が適用対象に含まれることから、域外から水素を輸入する場合には、生産時の炭素排出量に応じてEU ETSに準じた炭素価格を支払うことが2026年以降は求められることになる。このほか、欧州委は、グリーン水素の輸入元として有望な地中海沿岸やサハラ以南のアフリカの国を中心に、水素輸入に関するパートナーシップの締結を進めている。2022年には、エジプト、モロッコ、ナミビアのほか、カザフスタンとパートナーシップに向けた覚書を締結している。

水素の中でも、グリーン水素は脱炭素化が特に望める燃料として、EUはこれまで、気候中立を目指す欧州グリーン・ディールの実現に向けて、研究開発を中心に支援をしてきた。一方で、EUは近年の地政学的な変化を受けて、研究開発支援の枠を越えたグリーン水素の実用化と普及の支援策を立て続けに発表している。

米国や中国による大規模な補助金提供の動きを受け、EUはこれまでの研究開発支援を基本とする方針を転換。グリーン・ディール産業計画で、産業育成の観点から、水素製造用の電解槽などのグリーン技術関連への積極的な支援にかじを切っている。欧州水素銀行構想として、グリーン水素の生産を支援する方針も明らかにした。EU予算によるグリーン水素支援策は現状では限定的で、加盟国による支援拡大は不可欠なものの、EUによる支援拡大に伴い、支援額は今後、増加するとみられる。

本稿で見てきたように、EUは、産業や運輸部門に対して直接的・間接的にグリーン水素活用を求める法案や、グリーン水素の供給面での環境整備に関する法案を成立させており、グリーン水素の本格的な普及に向けた制度は着実に整いつつある。EUの水素政策は、脱炭素化だけでなく、EUのエネルギー自給や競争力の強化という側面も持ち合わせており、産業や運輸部門を中心に、グリーン水素の普及に向けて加速度的に進むことが予想される。


注:
規制の緩いEU域外への生産拠点の移転や域外からの輸入増加。

EU、グリーン水素の供給と活用に野心

執筆者紹介
ジェトロ・ブリュッセル事務所
吉沼 啓介(よしぬま けいすけ)
2020年、ジェトロ入構。

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