特集:ロシアでの日本食ビジネスの新たな潮流カジュアル系の浸透に注目!(ロシア)

2020年8月21日

近年、モスクワでは外食サービスに大きな変化が生じている。例えば、オシャレ感を前面に出したフードコートの流行、高級価格帯を含むハンバーガーブーム、ロシア産牛肉を使ったステーキハウスの出現、中華やベトナムなどを含む汎アジア料理の普及などだ。日本食では、ラーメンやいわゆる「粉モノ」などのカジュアル系(モスクワではしばしばストリートフードとも呼ばれる)が勢力を拡大しつつある。伝統的に、ロシアで日本食として認識されてきたのは、スシ(特に日本以外から入ってきたロール)と刺し身だった。しかし今では、これら以外への関心が高まっている。

2020年に入っての新型コロナウイルス感染症の流行拡大、それに伴うカフェ・レストランの営業停止措置などで、外食産業は大きなダメージを受けた。本特集で取り上げる日本食店も同様だ。6月以降これらの措置の多くは解除となった。ただ、食(外食を含む)に対しては、外出制限期間に抑制されていた「飢餓感」がある。この欲求と所得の減少を背景とする消費意欲の減退がどのように拮抗(きっこう)するのかは、予断を許さない。しかし、新しい流れは途絶えることなく、本レポートで紹介するレストランも営業を再開した。客足も、徐々に戻りつつある。各レストランのオーナーやシェフも、仕切り直しの形にはなったが、改めて日本食の拡大に取り組みたいとしている。

2000年代に入ってのチェーン展開、高級店の出現が日本食普及を後押し

日本食はロシアにおいて、ある種の「特別な」地位を占めている。農林水産省の調査(2019年12月時点)によると、ロシアにある「日本食レストラン」は約2,600店(表参照)。また、ロシアのエンターテインメント総合情報サイト「アフィシャ」によると、モスクワには約1,800店の日本食レストランがある。

表:世界の日本食レストラン数
国・地域 店舗数(2019年時点) 2017年時点との比較
アジア 約101,000店 約69,300店から5割増
北米 約29,400店 約25,300店から2割増
欧州 約12,200店 約12,200店から横ばい
中南米 約6,100店 約4,600店から3割増
オセアニア 約3,400店 約2,400店から4割増
ロシア 約2,600店 約2,400店から微増
中東 約1,000店 約1,000店から横ばい
アフリカ 約500店 約350店から5割増

出所:農林水産省「海外における日本食レストラン数の調査結果(令和元年)」(2019年12月13日)

この日本食レストラン数には、メニューの一部に「スシ・ロール」(クリームチーズやアボガドなどをネタとした巻き寿司)のあるレストランが含まれる。それを差し引いても、在留邦人数約2,700人(注)との比較の上で、日本食レストランの多さには驚かされる。ちなみに、欧州では在留邦人22万人強なのに対し、日本食レストラン数は約1万2,000軒だ。ロシアでの日本食の浸透度合いがうかがわれる。

では、ロシアでの日本食レストランの多さは、どこから来るのだろうか。それは、1990年代から芽生え、2000年代以降に大きなブームとなったロシアにおける日本食の歴史と密接な関係がある。

ソ連崩壊後の1990年代、「サッポロ」や「土佐藩」などの日本食レストランがモスクワに登場した。これらではスシ、刺し身、そのほかに前菜や鍋物を中心としたメニューを中心としていた。1990年代半ば以降、日本の居酒屋のコンセプトをモチーフにしたという「銀の滝」や、焼き鳥を前面に押し出した「ヤキトリヤ」などが出現。焼き鳥は、ロシア料理(正確には旧ソ連諸国のコーカサス地方や中央アジア料理)の「シャシリク(串焼き肉)」にどこか似たところがある。このため、ロシア人の間で抵抗なく受け入れられていった。

2000年前後から、「プラネタ・スシ」「タヌキ」といった比較的安価なスシバー・チェーンが登場した。また「ヤキトリヤ」も、サンクトペテルブルクを含め地方都市への店舗展開を進めた。このことから、日本食は一般市民の間でも急速に浸透していった。同じころ、モスクワでは日本人シェフを擁する「誠二」をはじめとする高級日本食店が出現した。一部レストランでは、マグロを築地から空輸するなどして、好景気に沸くロシア人ビジネスパーソンなどの舌と心をつかんだ。2000年代半ばには、豊富な居酒屋メニューを取りそろえ、手軽な価格帯で日本食が楽しめる「いちばんぼし」が登場した。「いちばんぼし」は、日本人駐在員だけでなく、ロシア人中間層の間でも人気店となった(2019年1月21日付海外農林水産・食品ニュース(Food & Agriculture)記事参照)。

その一方で、2010年代も終わりに近づくまで、モスクワでは日本食といえば米国から入ってきた「スシ・ロール」が日本食のイメージを形作っていた。言い換えれば、海外市場でよく見られるステレオタイプの日本食の時代が、ロシアでも長く続いたのだ。カジュアル日本食が受け入れられるまでには、まだ時間が必要だった。

カジュアル日本食が根付くかの正念場

カジュアル日本食がロシア市場に入ってきたのは、2010年代も後半になってからだ。2016年にオープンした「コーナー・カフェ&キッチン」では、オーナーシェフの小林克彦氏(本特集「『新しいものを探す』人たちに日本の味覚を融合させたメニューを」参照)がフランスを中心としたヨーロピアンと日本食を融合させた新たなメニューが提供される。

2017年9月に登場した「ラーメン居酒屋・クウ」は、本格的なカジュアル日本食ブームの火付け役といっても過言でない。「シベリアのレストラン王」と称されるデニス・イワノフ氏が2017年9月、モスクワ中心部に近いスモレンスカヤ地区に第1号店を設けた(2017年12月18日付海外農林水産・食品ニュース(Food & Agriculture)記事参照)。2020年7月現在、モスクワ市内に4店舗を数える。そのほか、本特集で取り上げる「RA'MEN」(本特集「カジュアル日本食も多品種のメニュー展開が必要」参照)、「J'PAN」(本特集「『粉モノ』の先駆者が挑む日本産抹茶の普及」参照)、「泉」(本特集「食分野にも広がる日本への関心」参照)など、若いロシア人起業家によるカジュアル日本食普及への挑戦も始まっている。


モスクワの日本食レストランが提供する日本食(ジェトロ撮影)

一方で、牛丼チェーン「松屋」はモスクワで2019年6月にオープンしながら(2019年6月20日付ビジネス短信参照)、同年末に撤退した。こうした例もあり、カジュアル日本食の行方が今後どうなるかは予断を許さない面もある。だが、大勢としては、新しい日本食への関心は拡大していくだろう。サンクトペテルブルクでも、たい焼きを中心とする店舗(本特集「ロシアの本格たい焼き店、事業拡大へ」参照)、お好み焼きを専門とする店舗、日本人が関係するラーメン店などが営業している(本特集「日本人起業家、ロシアのカフェと組み、ラーメン店を本格展開」参照)。

ロシアでのカジュアル日本食拡大に関心を示す日本の外食関連企業もある。仙台を拠点に「麺屋政宗」などのブランドを展開する有限会社アールは、2015年にサンクトペテルブルクで開店した「ヤルメン」をプロデュースしている(2015年10月9日付ビジネス短信参照)。札幌市の「麺や琥張玖」は、ウラジオストクのラーメン店にメニューを提供している。「泉」のプレ・オープン・イベントでは、六花界グループで和牛料理店を展開する森田隼人氏が和牛と日本酒の試食・試飲会を開催した。

オリジナルとローカライズの葛藤を超えて

ロシアで日本食を展開する場合、味を現地に合わせるかどうかが大きな挑戦となる。一般的には、ロシアでも現地の味覚に合わせた方が売り上げは伸びるとされることが多い。例えば「丸亀製麺」は、豚骨うどんや照り焼きうどんなど、日本人にとっては奇抜とも思えるメニューを次々に打ち出した(2018年11月29日付「世界は今 -JETRO Global Eye」参照)。それがロシア人に好評を博している。「J'PAN」のエレーナ・コジナ共同オーナーも、「日本の味が受け入れられ始めてはいるが、まだロシア人の味覚に合わせる必要がある」と言う。

その一方で、ウラジオストクに2017年に開店した居酒屋「炎」は、日本の味を持ち込んで成功した。当初はロシア人スタッフもつくねや数人でシェアしながら食べる鍋などを出すことに否定的な見方が強かったが、本物の日本の味ならば分かってくれると信じて出し続けたところ徐々に受け入れられ、今では人気メニューの一つになっている(伸和ホールディングスの中山洋輔取締役。同社は「炎」の運営主体)。「炎」が立地するのは極東で、日本に近い地理上の特性がある。それを差し引く必要はあるが、今後のロシアでの日本食の展開を考える上で興味深い事例だ。

日本のコンセプトをそのまま持ち込むのは、一般的にロシア市場では受け入れられにくいだろう。少なくともモスクワではそうだし、ほか大部分の地域でも同様だ。カジュアル日本食であっても、変わりないだろう。例えば、食事をするときの雰囲気だ。「コーナー・カフェ&キッチン」の小林克彦オーナーは「ロシア人はゆったりと食事をするのが好きな人たち。現在人気のフードコート(2018年7月17日付地域・分析レポート参照)は(食事をするには慌ただしく)ロシア人は実は居心地が悪いと思っている」と語る。店舗の内装も、簡素なものよりもおしゃれ感、ゴージャス感を打ち出すところが多い。

ロシアでの事業展開を考える日本企業の中には、あくまでも日本のやり方、味にこだわる例も見受けられる。それも1つの考え方ではある。しかし、味だけでなく店舗も含め、どこまでロシアの感覚を取り入れていくかが、現時点ではロシアにおける日本食展開を成功させるカギになるだろう。


あるカジュアル日本食店のメニューの一例(ジェトロ撮影)

本格的な消費者向けプロモーションの展開を

日本食材の普及も課題の1つだ。ロシアでは、日本食といっても、食材は大部分が中国など日本以外のアジア諸国からの輸入だ。また、最近では、ロシア国産材料を使用するところも増えてきた。ロシアの食材(特に肉類)の品質が上がったこと、日本製の製麺機を導入するところが出てきていることなどが、その原因だ。

「現在、日本産食材でロシアに多く入っているのは調味料」との声が多い。数量は必ずしも多くないが、「伸び率では2019年は前年の倍増ペース」(日本食材輸入・卸S-フッシュの村田知義部長)とも言われる。ゆずドレッシングや七味唐辛子など、とくに日本独自の調味料でその傾向が強い。その一方で、ソースなど独自にブレンドして作ってしまう場合もある(本特集「調味料を中心に、日本食材の売れ行きに伸び」参照)。外食産業では、中央アジアからの出稼ぎ労働者が多く人件費が安いため、このような手法もとられている。

一部の日本産食品が伸びつつあるとはいえ、主要な商材となるコメなどはまだ普及が進んでいないのが現状だ。J'PANのように、日本製のコメやあん、抹茶へのこだわりを見せるところはまだ少数だ。コメについては、ロシア人自身が他の短粒米(ロシア国産米や欧州産米)と日本米との味の違いを十分に理解できておらず、価格差から購入には及び腰、それが普及を阻み日本産米は依然として高価なままという悪循環になっている。

ただ、日本と関係が深いロシア人は味の違いを知っている。また、試食の場での食べ比べなどでは一般のロシア人も味の違いに気づくことが分かっている。消費者向けのプロモーションを行うことで、日本産食材への認知向上を図る。それを消費量拡大につなげることで、価格も徐々に低下していく。それが、求められる姿だ。

ロシアにおける日本食材の普及に向け、外食関連企業を含め、消費者向けのプロモーションを積極的に打ち出していく時期が来ているといえよう。


注:
外務省の「在留邦人調査」によると、2018年10月時点で、ロシア全土の在留邦人数は約2,700人とされる。また、モスクワでは、2,000人以下だ。
執筆者紹介
ジェトロ・モスクワ事務所長
梅津 哲也(うめつ てつや)
1991年、ジェトロ入構。本部、ジェトロ・モスクワ事務所、サンクトペテルブルク事務所などに勤務。主な著書に「ロシア 工場設立の手引き」「新市場ロシア-その現状とリスクマネジメント」(いずれもジェトロ)。