競争力重視にシフトする欧州課題
クリーン産業ディールは競争力強化の特効薬か(後編)

2025年12月19日

欧州委員会は2024年12月の新体制発足以降、域内産業の競争力強化を最優先課題に掲げている。その中心的政策として、エネルギー集約型産業の脱炭素化とクリーンテック産業の支援を目的とした新たな産業政策「クリーン産業ディール(CID)」を推進している。CIDは、従来の脱炭素化とエネルギー安全保障に加え、競争力強化という新たな目標を加えた政策である。前編ではCIDの概要を紹介したが、本稿ではCIDが抱える課題を検討した上で、CIDが域内産業の競争力強化に資するかを考察する。

CIDの実施は加盟国次第

CIDの実効性を左右する第1の課題は、加盟国がEU法に基づく政策をどこまで適切に実施するかという点だ。EUの政策は、EU法の制定などEUレベルでの政策決定で終わりではない。その多くは、各加盟国が適切に実施して初めて効果が出るものだ。しかし、EUでは従来、政策を実施する上での加盟国の政治的意思や運用能力の不足が課題となっている。

CIDの実施の前提となる、再生可能エネルギー(再エネ)の推進や電力市場改革などEU法の整備の大部分は、前体制において既に完了している。今後は加盟国による実施段階となるが、その遅れが既に出始めている。例えば、再エネの早期整備に向けた国内法化の遅れだ。

産業界の脱炭素化には再エネ整備が不可欠である。このためEUは再エネ指令を改正。2030年の最終エネルギー消費に占める再エネ比率目標を32%から42.5%へと引き上げた(2023年9月20日付ビジネス短信参照)。2023年時点で再エネ比率は前年比1.5ポイント増の24.6%にとどまっており(2025年7月10日付ビジネス短信参照)、2030年目標の達成には大幅な再エネ整備拡大が必要となる。欧州委は、2030年目標の達成は「おおむね可能」と評価している(2025年6月13日付ビジネス短信参照)。ただし、これは加盟国が策定済みの政策を予定通りに実施すればとの条件付きであり、欧州委の評価はかなり楽観的と言わざるを得ない。というのも、加盟国がEU指令を適用する上で必要となる国内法化など、最も基本的な部分で遅れているからだ。

再エネ指令改正法の主要部分の国内法化期限は2025年7月であったが、デンマークを除く26加盟国が期限までに国内法化を完了させていない(2025年7月31日付ビジネス短信参照)。また、2024年7月が国内法化期限となっていた同法の再エネ発電施設整備の許認可迅速化に関する規定についても、2025年10月時点でスペインなどが国内法化を完了していない。

加えて国内法化とは別に、加盟国当局による実務運用の不確実性という課題もある。EU法の運用の大部分を担うのは各加盟国の当局である。例えば、再エネ関連の許認可の迅速化に関し、再エネ指令改正法やネットゼロ産業法が規定する期間内に審査が完了するかは、各加盟国当局次第である。法整備が済んだとしても、必ずしも規定通りに運用される保証がないのが現状だ。

財源の不透明さとEU予算の限界

CIDの最大の課題は、必要とされる巨額の投資に対し、確定的な財源が示されていない点である。欧州委は、再エネに関する2030年目標を達成するためには、2020年代に年間4,870億ユーロの投資が必要であり、これは2010年代と比べ2,720億ユーロの増加となる、と試算する。産業分野に限っても、年間340億ユーロの投資が必要としている。

これに対し、CIDにおいて言及されている主な財源は、2028〜2034年の次期中期予算計画(MFF)案に盛り込まれている欧州競争力基金(2025年7月22日付ビジネス短信参照)である。本基金は、現行の複数の支援プログラムを統合する総額4,500億ユーロ規模の新たな枠組みである。欧州委は、次期MFF案において予算全体の増額だけでなく、予算全体に占める欧州競争力基金などの研究開発・産業支援の予算割合の引き上げも求めている。

次期MFF案全体におけるクリーンエネルギーや脱炭素化に充てられる予算総額を把握することは現時点では困難であるものの、図1の通り、欧州競争力基金においてクリーンエネルギーと脱炭素化に明確に割り当てられている予算は7年間で674億ユーロにとどまる。

図1:欧州競争力基金の分野別の予算割り当て
クリーン移行・脱炭素化が674億ユーロ、健康・バイオ経済が226億ユーロ、デジタル化が548億ユーロ、防衛産業・宇宙が1307億ユーロ、ホライズン・ヨーロッパが1753億ユーロ。

注:EUの研究開発支援枠組み。
出所:欧州委員会

また、欧州競争力基金とは別の、総額814億ユーロ億規模のインフラ整備支援策であるコネクティング・ヨーロッパ・ファシリティ(CEF)からもCID関連の支援は行われるとみられる。もっとも、CEFのエネルギー分野全体への割り当ては7年間で299億ユーロに過ぎない。

産業政策の効果を高めるには、支援対象を絞り込んだ上で集中的に財政支援を実施する必要がある。従来のEU予算は加盟国や各業界への配慮から全方位型の設計となっており、次期MFFにおいて「選択と集中」がどこまで実現されているかは疑問が残る。

結局のところ、財政支援の頼みの綱は、加盟国が実施する国家補助である。欧州委は、加盟国によるクリーンテック支援と産業界の脱炭素化支援の拡大に向け、暫定的な国家補助規制緩和策として導入した「暫定危機・移行枠組み(TCTF)」の後継として、「クリーン産業ディール国家補助枠組み(CISAF)」(2025年6月30日付ビジネス短信参照)を採択。承認基準も明確化した(2025年8月8日付ビジネス短信参照)。

問題は、国家補助を積極的に活用できるのが、財政余力のある一部の加盟国に限られる点だ。図2の通り、2023年に国家補助を実施した加盟国のうち、TCTFに基づく大規模な国家補助を実施した加盟国は一部に限られる。域内2位の経済大国であるフランスですら財政赤字の削減に苦慮しており、TCTFに基づく国家補助は小規模なものにとどまる。このことからCISAFは、東欧諸国など財政余力に乏しい加盟国には恩恵が少なく、ドイツなど財政余力のある一部の加盟国のみを利する政策だ。こうしたことから、国家補助規制の緩和はEU単一市場のさらなる分断を招くとの批判は、今後も続くであろう。

図2:国家補助額:上位15カ国(2023年)
多い順にドイツが51億ユーロ、フランスが36億ユーロ、イタリアが22億ユーロとなっており、この上位3カ国で全体の58%を占める。TCTFについては、ドイツが14億ユーロ、イタリアが8億ユーロ、スペインが4億ユーロとなっており、この上位3カ国で63%を占める。

出所:欧州委員会

いずれにせよ、EU予算だけでは産業支援に限界があるため、加盟国予算との有機的な連携が不可欠である。CIDの目標である産業界の脱炭素化とクリーンテック産業の支援を実現するには、EU予算と加盟国予算の効果的な活用が求められる。

このため、欧州委は「競争力政策調整ツール」の導入を検討している(2025年2月6日付ビジネス短信参照)。このツールは、EUが設定した目標と加盟国の産業政策を一致させるため、欧州委が加盟国の産業政策を評価し、必要に応じて勧告を出す仕組みだ。グリッドや電力貯蔵などのエネルギーインフラの分野で試験的に導入するとしている。ただし、CIDにはこのツールへの言及はなく、詳細は不明である。もし、欧州委が加盟国の産業政策に実質的に介入できる設計にするのであれば、EU予算と加盟国予算の連携強化には有効であるが、加盟国からの反発は避けられない。

CIDは競争力強化策として実効性を持つのか

CIDは、脱炭素化とエネルギー安全保障という目標に加え、域内産業の競争力強化という新たな課題に対応するために提案された政策である。再エネ偏重から、原子力や低炭素水素などのクリーン技術を同様に優遇する方針への転換は、現実的な軌道修正と評価されるべきである。しかし、前体制の政策が十分な成果を上げていない中で、その延長線上にあるCIDが競争力強化にどこまで実効性を持つかは未知数だ。

欧州委は、競争力強化に向けて次期MFF案において、研究開発・産業支援予算の増額と自身の権限の実質的な強化を提案している。しかし、多くの加盟国が右傾化し、欧州議会のEU懐疑派が台頭する中で(2024年7月10日付地域・分析レポート参照)、欧州委案がそのままの形で賛同を得ることは政治的に困難であるとみられる。EU予算の増額、支援対象の「選択と集中」、欧州委の権限強化に基づく加盟国との連携は、競争力強化策の実効性を高める一方で、加盟国の分担金増加、加盟国の得る恩恵格差の拡大、加盟国の決定権の制限を伴うため、反発を招く可能性が高い。反発の結果、研究開発・産業支援予算の増額分が小幅にとどまり、EUと加盟国の連携が不十分なものとなれば、CIDに基づく競争力強化は限定的なものになるだろう。

域内産業の競争力強化は、時間との闘いである。ウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は、ドラギ報告書(2024年9月19日付ビジネス短信参照)を経て、競争力強化に向けた取り組みの緊急性を強調しているものの、実際にはさほど進んでいない。特にエネルギーやクリーンテック分野では進捗がほとんどみられない、と指摘されている(注)。同報告書を作成したマリオ・ドラギ元欧州中央銀行総裁も、同報告書の発表から1年が経った2025年9月、取り組みの深刻な遅れに懸念を表明している。

米中との競争が激化する中、EUのエネルギー集約型産業やクリーンテック産業が優位性を失う前に、欧州委がCIDに基づく政策をどこまで迅速に打ち出し、野心的なEU予算を確保して、加盟国と連携した支援を実施できるかが問われている。フォン・デア・ライエン委員長は今後、加盟国や欧州議会を大胆かつスピード感を持ってまとめあげることができるのか、2期目を迎えた委員長の手腕が今まさに試されている。


注:
Draghi Observatory & Implementation Index September 2025 Audit(European Policy Innovation Council、2025年)。

クリーン産業ディールは競争力強化の特効薬か

シリーズの前の記事も読む

(前編)概要

執筆者紹介
ジェトロ・ブリュッセル事務所
吉沼 啓介(よしぬま けいすけ)
2020年、ジェトロ入構。