大阪・関西万博から世界へ、サステナビリティの社会実装人権デューディリジェンスの第一歩
人権尊重をバリューに(後編)

2025年9月25日

大阪府社会保険労務士会と全国社会保険労務士会連合会は8月9日、大阪市で「ビジネスと人権」シンポジウム外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますを開催した。「人権尊重の課題と持続可能な社会の実現」をテーマに、企業、アカデミア、国際機関、社会保険労務士(社労士)という多様な立場の登壇者が人権尊重の実践とその意義について発表し、議論を行った。本連載では、シンポジウムの内容を基に、企業に求められる人権尊重について、ポイントを解説する。「人権尊重をバリューに(前編)日本企業の強みと課題は」では、企業による人権尊重の重要性を確認するとともに、「具体的な取り組み方法がわからない」ことが特に日本の中小企業の人権デューディリジェンス(DD)の実施に歯止めをかけている実態を示した。後編となる本稿では、人権尊重の取り組みの具体例と、企業が人権DDの初めの一歩を踏み出すためのポイントを紹介する。

身近な例から考える人権尊重

ILO駐日事務所の小林有紀プログラムコーディネーターはシンポジウムで、企業が人権に配慮する際のポイントを説明した。ILOは、全てのILO加盟国が尊重すべき労働者の基本的権利として、「中核的労働基準」〔(1)結社の自由と団体交渉権、(2)強制労働の撤廃、(3)児童労働の実効的な廃止、(4)雇用と職業についての差別の撤廃、(5)安全かつ健康的な作業環境〕を定めている。これは、国際連合(国連)の「ビジネスと人権に関する指導原則PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(1.1MB)」の中でも最低限守るべき基準とされ、企業の人権への取り組みの指針となる。

「中核的労働基準」に反した人権問題は、身近な職場でも起き得る。ILOの小林氏は5つの労働基準に照らし、具体的な人権問題とその対応策について例を紹介した(表参照)。例えば、「強制労働」には物理的な拘束だけではなく、処罰の脅威による非自発的労働が広く含まれ、雇用主による外国人労働者のパスポートの保管、あるいは残業の強要なども含まれうる。そのため、取引先のリソースや対応能力に配慮した無理な発注を避けることも、人権に配慮した取り組みとなる。また、職場でのハラスメントも人権侵害の1つで、防止に向けた方針を定めたり、研修などを通して社内に啓発したりといった対応が求められる。

表:中核的労働基準と職場での身近な問題の例
中核的労働基準 身近な人権問題の例 具体的な対応策の例
結社の自由と団体交渉権 職場の声を聞く場や労働者代表との対話がない 定期的な労使対話の実施、従業員アンケートなど声を聞く仕組みづくり
強制労働の撤廃 無理な発注による取引先での長時間労働 サプライヤー契約の見直し
外国人労働者の寮の門限やパスポートの管理、強制残業 明確な雇用契約、書類の本人管理
児童労働の実効的な廃止 予期せぬ児童労働(自社・サプライヤー) 雇用時の年齢確認の徹底
雇用と職業についての差別の撤廃 性別や年齢、婚姻状況などによる採用や昇進の制限 属性ではなく、能力に基づく採用・昇進基準の設定・実施
ハラスメント ハラスメントのない職場に向けた方針の策定・周知、従業員への啓発
安全かつ健康的な作業環境 労働災害(事故、機械・化学物質の取り扱い、メンタルヘルス、過重労働など) 労使による職場ごとのリスク評価、マネジメントシステムの構築

出所:ILOの小林氏の講演資料からジェトロ作成

多様な人材が働きやすい環境づくりも人権尊重の1つ

日本でも度々問題視される長時間労働やハラスメント、外国人労働者の労働環境なども、労働に関する身近な人権問題だ。特に日本で外国人労働者数が年々増加する(注1)中、多様性に配慮した公平・公正な環境・仕組みづくりがますます重要となっている。シンポジウムでは、金型製造を手掛ける東亜成型(本社:大阪市西淀川区)の浦竹重行代表取締役と、アフリカから大学院法学研究科に留学生を受け入れている関西大学法学部の山名美加教授がそれぞれ、外国人材との協働における人権尊重やそのための環境づくりに関して、取り組みを紹介した。

東亜成型では、外国人エンジニアの採用や育成に取り組んでいる。「一緒に働いて楽しい仲間を探す」という視点で採用を行い、外国人社員もともに働く仲間として尊重している。同社では、国籍に関係なく、全ての社員が「給料も昇格も全て公平であるべき」との考えの下で、ベトナム人社員を日本人の部下を持つ部門長に登用した。この取り組みは2022年、北おおさか信用金庫のSDGs(持続可能な開発目標)コンテストで最優秀賞に選ばれた。2015年の国連総会で採択されたSDGsは「誰ひとり取り残さない」という理念に基づいており、全ての人の人権を守ることが前提だ。SDGsの17目標の全てが直接的、または間接的に人権の尊重・保障に結び付いている。浦竹氏は「町工場でSDGsというと、電気代などの『削減』をイメージしがちだが、SDGsをあらためて見返した時に、人権や平等といった文脈で自社が既に取り組んでいると気付いた」と話す。国籍や文化にかかわらず、無理に価値観を合わせようとするのではなく、違いを受け入れた上で共感できるところを探していくアプローチが重要だと浦竹氏は指摘した。

山名氏は、アフリカからの留学生をインターンシップで受け入れた日本企業の事例を紹介した。同氏は文化や習慣の異なる外国人材と協働することが日本国内においても不可欠になりつつあるとした上で、短期的なものであっても、インターンシップ受け入れは企業と外国人材の相互理解の場になると強調した。留学生や外国人社員との関わり合いという身近な場面が多様性を尊重し、人権に配慮した経営を実現する足掛かりになる。さらに、世界全体でのSDGs達成に向けては、グローバルサウス諸国への働きかけが重要だ。山名氏は例として貧困問題を挙げ、サブサハラ・アフリカと南アジアに貧困率の高い国が集中している現状を紹介した上で、日本の大学や企業で学んだ留学生が母国の社会課題解決にも貢献することへの期待を見せた。

ここまで、身近な人権尊重の例として、外国人も含めた労働者の働きやすい環境づくりについて取り上げた。東亜成型の事例では、前から当たり前のように取り入れていた考え方や取り組みが結果的に外部評価に結び付いた。このように、まずは自社で実践している「人を大切にする取り組み」を洗い出し、国際的な「人権」の文脈でとらえ直すことも重要だ。

既存の取り組みをベースに、人権DDにつなげる

既存の取り組みは改善しながら継続しつつ、これを発展させ、人権DDにつなげていくことも重要だ。シンポジウムでは、三起商行(本社:大阪府八尾市)の執行役員で経営企画本部ESG推進部長の平野芳紀氏が登壇し、自社の取り組みを紹介した。ベビー・子ども用品の「ミキハウス」ブランドを手掛ける三起商行は2013年ごろからCSR調達(注2)の必要性を認識しており、2016年には調達方針の検討など具体的な対応を始めた。こうした中で同年11月、国際人権NGOからグループ会社の製品を扱うミャンマー工場での労働環境問題を指摘された。これを受けて、現地での実態調査やNGOとの対話、情報公開などを進めるうちに、指摘を受けた労働環境にとどまらないさまざまな課題が明らかになった。ここから、CSR推進部の設置や各種方針(注3)の策定など、人権に対する取り組みを本格化させたかたちだ。こうした体制と方針に基づき、三起商行では2019年から人権DDを実施している(2023年5月25日付地域・分析レポート参照)。平野氏は、外国人技能実習生の労働環境など、日本国内の人権侵害リスクは一般に想像されるより高いと指摘している。三起商行では、人権DDの一環として国内サプライヤーを訪問監査し、外国人技能実習生が働く作業現場や待遇などを確認している。また、2020年にはNGOと連携して、労働者を救済するための苦情処理メカニズムを設置した。このように、三起商行は第三者からの指摘をきっかけに、当初から検討していたCSR調達を具体化し、社内の体制整備や方針策定を経て、数年かけて人権DDの開始につなげた。平野氏は、良い製品やサービスの提供には働く人の環境を守ることが不可欠で、それが企業価値の源泉になると強調した。

取り組み開示やリスクの「見える化」から始める

ILO駐日事務所でプログラムオペレーションオフィサーを務める鴨下真美氏は、企業が既に行っている取り組みを活用しながら、人権DDを実施していくことも1つの有効な選択肢として検討してほしいと述べた。実践していることを洗い出して開示し、ライツホルダーとの対話を進めながら国際基準に沿って改善していくことも人権DDのプロセスの1つだ。鴨下氏は「人権尊重を実践できている企業ほど、当たり前と思っていてあえて言わないこともあるが、しっかりと取り組みを公開することが重要」と強調した。

同時に、既存の取り組みで対応できている人権リスクだけでなく、バリューチェーン全体を見て、潜在的なリスクを特定する必要もある。まずは、何が自社の事業の中で優先度の高いリスクかを「見える化」することが求められる。その後、それぞれのリスクに対応していくフェーズでは、ステークホルダーを巻き込んでいくことが重要となる。ステークホルダーには社内の関係者も含まれる。鴨下氏は、社内だけでも関係者は多岐にわたり、それぞれの部署にできることがあると説明した。どの部署が担うかは各社の状況によるが、例えば、人事・労務部門であれば、従業員の属性や潜在的リスクを把握し、研修や就業規則に反映する役割がある。法務部門は国内外の法令や、社内外通報制度を確認し、社内展開や通報窓口の改善を行うことができる。調達や営業部門でバリューチェーン(上流・下流)を点検し、人権侵害リスクのある取引を防止する必要もある。広報部門は人権侵害発生時の対応窓口として、適切な対応の準備を整えておくことが求められる。

また、人権DDを進める上では、外部のリソースや専門家の知見を活用することも有効だという。政府やNGO、ジェトロなどがガイドラインやツール、関連情報の発信を行っている(注4)ほか、社労士も支援を行っている。シンポジウムを主催した全国社会保険労務士会連合会の理事の小野佳彦氏は、ILOとの覚書締結(2020年4月22日付全国社会保険労務士会連合会 お知らせ参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)を機に、「ビジネスと人権(BHR)推進社労士」を養成していることを紹介した(注5)。社労士が専門性を生かして企業の実務に寄り添うことで、制度と現場のギャップを埋める役割を果たしている。


注1:
厚生労働省の「『外国人雇用状況』の届出状況まとめ(令和6年10月末時点)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」によると、外国人労働者数は2013年以降一貫して増加しており、2024年には過去最多の約230万人を記録した。
注2:
CSR(企業の社会的責任)を果たすため、人権、環境などの社会的側面を考慮して調達を行うこと。
注3:
グループ共通の人権方針、環境方針のほか、三起商行ではCSR調達方針、サプライヤー行動規範、サプライヤー移民労働者方針を策定し、公開している。
注4:
ジェトロは「サプライチェーンと人権」特集ページで、ビジネスと人権に関する情報発信を行っている。
注5:
社労士のビジネスと人権に関する取り組み内容は、全国社会保険労務士連合会ウェブサイト参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます

人権尊重をバリューに

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執筆者紹介
ジェトロ企画部企画課
河合 美歩(かわい みほ)
2025年、ジェトロ入構。同年から現職。
執筆者紹介
ジェトロ調査部国際経済課
宮島 菫(みやじま すみれ)
2022年、ジェトロ入構。調査部調査企画課を経て、2023年6月から現職。