大阪・関西万博から世界へ、サステナビリティの社会実装日本企業の強みと課題は
人権尊重をバリューに(前編)
2025年9月25日
2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)では、地球規模の課題解決について対話を行う「テーマウィーク」という取り組みを行っている。8月1~12日は「平和と人権
」がテーマに設定された。この一環で、大阪府社会保険労務士会と全国社会保険労務士会連合会は8月9日、大阪市で「ビジネスと人権」シンポジウム
を開催した。「人権尊重の課題と持続可能な社会の実現」をテーマに、企業、アカデミア、国際機関、社会保険労務士(社労士)という多様な立場の登壇者が人権尊重の実践とその意義について発表し、議論を行った。本連載では、シンポジウムの内容を基に、企業に求められる人権尊重について、ポイントを解説する。前編となる本稿では、人権尊重の取り組みが求められる背景や、日本企業の現状について、登壇者の講演を基に示す。
グローバル・バリューチェーン時代に求められる人権尊重
関西大学経済学部の後藤健太教授は講演の中で「21世紀はグローバル・バリューチェーン(GVC)の時代」と定義づけ、バリューチェーン全体を通じて、サステナビリティーや倫理的責任を考慮したビジネスを行うことが求められていると説明した。GVC上での人権侵害は企業の経営リスクになる一方、人権尊重は企業価値の向上につながる。
後藤教授は、GVC上で人権侵害が起きた代表的な事例として、バングラデシュの「ラナプラザ」崩落事故を紹介した。2013年、複数の縫製工場が入居するビル「ラナプラザ」が突然崩れ、工場の労働者1,000人以上が死亡、2,500人以上が負傷した(2021年10月8日付地域・分析レポート参照)。違法増築や粗悪な資材の使用など、工場の安全性に重大な問題があったが、さらに、工場所有者・経営者が警察や業界団体などの警告を無視して、労働者に出勤を強制していたことが事故の主な原因とみられている。「ラナプラザ」では、欧米の著名なアパレルブランド向けの製品が作られており、事故を受けて欧米の消費者やNGOから、発注元のブランドにも責任を求める声が殺到した。これが企業に人権尊重責任を求める動きを加速させる国際的な契機となった。後藤教授は別の事例として、大手アパレルブランドの児童労働問題を取り上げた。これがメディアの報道やNGOなどの抗議活動を受けて明るみに出た結果、米国の学生による不買運動などが起こり、多額の機会損失を生んだ。 このように、自社ビジネス上の人権尊重の取り組みが不十分だと、レピュテーションリスクや経済的損失を招き、長期的には企業の存続を脅かす可能性がある。たとえ自社の従業員に対する人権尊重を意識していたとしても、GVCの中でサプライヤーや取引先による人権侵害に加担してしまう可能性があるという点は、企業が認識しておくべきポイントだ。逆に、人権尊重の姿勢を明確に示すことは、企業価値の向上にもつながる。後藤教授は「今やQCD(Quality, Cost, Delivery)、すなわち、高品質で安い製品を迅速に提供することだけでは、企業の競争力は保てない」と指摘する。米中対立や各地での紛争などの地政学リスク、気候変動といった課題を抱える不確実な国際情勢下で、投資家や消費者はQCDに加え、倫理的責任や社会的価値などの「V(Value)」を期待するようになっている。この「Value」には人権尊重も含まれており、QCD+Vを持続可能なかたちで提供し続ける企業が今後、「世界で選ばれる企業」となると後藤教授は強調した。
こうした中で企業に求められているのは、人権尊重の視点を自社のバリューチェーン全体に広げ、継続的にリスクを点検することだ。そのために、「人権デューディリジェンス(DD)」を実施する重要性が高まっている。人権DDとは、自社の事業活動が引き起こす人権への「負の影響」を防止、または軽減することを目的に、予防的な調査・把握を行い、適切な手段を通じて是正し、その進捗と結果について、外部に開示する継続的なプロセスを指す。
日本企業の人権DD実施は道半ば
ここで、日本企業による人権DDの実施状況を確認する。ジェトロが2024年11~12月に実施した「日本企業の海外事業展開に関するアンケート調査」(注)の結果によると、「人権DDを実施している」企業の割合は16.4%だった。これに、「実施していないが1年以内に実施予定」の企業(2.8%)と、「数年以内の実施を検討している」企業(36.8%)を合わせると56.0%で、前年から15.1ポイント増加した。残りの44.0%は人権DDを実施する予定がないと回答した。その理由としては、「具体的な取り組み方法がわからないため」が38.5%で最多だった。中小企業の回答割合が39.5%と高く、大企業(24.5%)を15ポイント上回った。そのほか、「顧客から特に要請がないため」(29.0%)、「特にない」(28.1%)、「十分な人員・予算を確保できないため」(19.2%)などが続いた。顧客の要請など外部からの働きかけがない場合や、人員・予算などのリソース不足も、企業の自発的な人権DDの実施に歯止めをかけている。他方、これらの理由が上位になる背景には、企業が既に実践している人権に配慮した取り組みと人権DDを全く別の概念として捉えている現状があると考えられる。しかし、実際には以下に示すように、人権尊重へのアプローチの違いとして整理することができる。企業に求められる人権DDとは、ゼロから始めるものではなく、既存の取り組みを活用しながら発展させていくことがカギとなる。
人権尊重における日本企業の強みと今後
人権尊重のアプローチには大きく分けて、「de jure」型(制度・法令ベース)と「de facto」型(実践ベース)がある。まず、「de jure」型は、国際規則や法令などに沿って行う人権尊重の取り組みで、人権DDの実施もこれに含まれる。対する「de facto」型は、企業の現場で日々実践されている人権尊重の取り組みだ。この2つのアプローチは相互補完的なもので、両輪で進めることにより、人権に配慮した責任ある企業活動を促進することができる。関西大学の後藤教授は講演の中で、「日本企業は『de facto』型の人権尊重の取り組みに強みがある」と述べた。日本企業の現場では、協調性や倫理性に優れた経営・労働慣行が敷かれており、その結果、人権が尊重されているケースが多いという。さらに、組織文化に根付いた自発的な取り組みゆえに、従業員の要望や環境の変化などに合わせて柔軟な対応ができるという側面もある。
他方、国際ビジネスにおいては、「de jure」型アプローチを求められる場面も徐々に増えている。世界の潮流を見ると、欧州を中心に、人権DDを企業に義務付ける法令の整備が進み、こうした法令の適用対象企業には、自社だけでなくGVC上の取引先に対しても人権DDを実施することが求められている。日本企業も欧州の取引先などから人権尊重の取り組み内容を尋ねられたり、監査を受けたりすることが増えているといい、無関係ではいられない。このように、中長期的には人権DDを実施する必要がある中、実際に始める際には日本企業の強みの「de facto」型の取り組みを生かすことができる。後藤教授は「既に企業が現場で実践していることが実は国際基準に沿っている場合も多い」として、既存の取り組みを発展させて「de jure」型の評価につなげていくことができるとした。シンポジウムでは、登壇者による具体的な実践例や、人権DDを始める上で最低限確認すべき国際基準なども紹介された。これらに基づき、連載の「人権尊重をバリューに(後編)人権デューディリジェンスの第一歩」では、人権DDの第一歩を踏み出すためのポイントを解説する。
- 注:
- 海外ビジネスに関心の高い日本企業(本社)9,441社を対象に、アンケート調査を実施。3,162社から回答を得た(有効回答率33.5%)。
人権尊重をバリューに
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- 執筆者紹介
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ジェトロ企画部企画課
河合 美歩(かわい みほ) - 2025年、ジェトロ入構。同年から現職。

- 執筆者紹介
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ジェトロ調査部国際経済課
宮島 菫(みやじま すみれ) - 2022年、ジェトロ入構。調査部調査企画課を経て、2023年6月から現職。