特集:動き出した人権デューディリジェンス―日本企業に聞くキヤノン、影響度と発生可能性の2軸で顕著な人権リスクを特定
ベトナムでは全従業員にハンドブックを配布

2023年4月5日

企業理念「共生」のもと、人・社会・自然が調和して人類すべてが豊かに暮らしていける社会の実現を目指すキヤノングループ(本社:東京都大田区、プリンティング、イメージング、メディカル、インダストリアル分野の開発・製造・販売)。ジェトロはILO駐日事務所とともに、人権デューディリジェンスへの取り組みなどについて、キヤノン本社サステナビリティ推進本部主幹の足原志子氏、法務統括センター主幹の柏原正幸氏、人事本部主幹の鈴木貴雅氏、調達本部副部長の栗林郁夫氏に話を聞いた(2022年10月28日)。また、生産拠点の取り組みについて、ベトナムの現地法人であるキヤノンベトナムのシニアジェネラルマネージャーの田中幹直氏にも話を聞いた(2022年11月9日)。

2021年10月にグループ人権方針を策定・発表

キヤノンは、ウェブサイト上のサステナビリティに関する情報開示の中で、国連「ビジネスと人権に関する指導原則」に基づき、従業員や取引先をはじめとする事業活動に関わるすべての利害関係者(ステークホルダー)の人権を尊重するという基本的な考え方を示している。キヤノンは、1988年には「共生」を新しい企業理念として掲げ、創業以来の人間尊重主義をグローバルに昇華させて、世界中のステークホルダーとともに歩んでいく姿勢を明確にした。そして、昨今では国際規範に基づく人権対応が社会的な要請であるとして、2021年10月に代表取締役会長兼社長CEO名で「キヤノングループ人権方針PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(194KB)」を発表した。キヤノンは、従来「キヤノングループ企業の社会的責任に関する基本声明PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(103KB)」を公表し、児童労働や強制労働、差別の禁止など、人権を尊重する姿勢を表明していた。しかし、社内で人権方針の在り方を検討し、ビジネスと人権の指導原則で求められている国際的なスタンダードに合わせるため、改めて人権方針として策定した。これまでキヤノンが表明している姿勢や取り組みを踏まえ、国際基準に照らして方針を整備した形である。

この人権方針に基づき、推進体制として、代表取締役副社長CFOを責任者とし、サステナビリティ、法務、人事の3部門で人権推進事務局を構成している。人権推進事務局は、人権対応全体の計画の立案、救済メカニズムの整備と運用、ステークホルダー・エンゲージメントの実施などの役割を担っている。

リスクマネジメント委員会を活用し、人権デューディリジェンスを実施

キヤノンでは、取締役会決議に基づきリスクマネジメント委員会を設置している。同委員会では、キヤノンが事業遂行に際して直面し得る重大なリスクの特定(法令・企業倫理違反、環境問題、品質問題、情報漏えいなど)を含むキヤノンのリスクマネジメント体制の整備に関する諸施策を立案する。法務部門、ロジスティクス部門、品質部門、サステナビリティ部門、人事部門、経理部門など、事業活動に伴う各種リスクを所管する本社の各管理部門が、その所管分野について、本社各部門および各グループ会社のリスクマネジメント活動を統制・支援する。本社各部門および各グループ会社は、年間活動方針・計画を策定し、本社リスク所管部門による統制・支援の下、自律的にリスクマネジメント活動を実施する(図1参照)。

図1:リスクマネジメント体制図
リスクマネジメント委員会の役割は、キャノングループのリスクマネジメント体制の整備方針・施策の立案、整備・運用状況の検証。本社リスク所管部門は、法務部門、ロジスティクス部門、品質部門、サステナビリティ部門、ファシリティ部門、人事部門、経理部門、情報通信システム部門、調達部門、知的財産部門で、各所管分野におけるリスクマネジメント活動の統制・支援を行う。各部門及び子会社は、自律的リスクマネジメント体制の整備・運用を行う。

出所:キヤノンウェブサイト サステナビリティ、リスクマネジメント体制の状況外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます

2021年から、リスクマネジメント委員会の枠組みを利用し、グループ全体で人権デューディリジェンスを実施。本社各部門および各グループ会社は、サプライチェーンを含むそれぞれの事業活動にて想定される人権に対する負の影響の洗い出し、評価および顕著な人権リスクの特定を行い、その後、人権推進事務局は各組織の人権リスクを集約、分析、評価し、ステークホルダー・エンゲージメントを経て、キヤノンとしての顕著な人権リスクを特定。2022年からは、各組織で特定された顕著な人権リスクのうち、現状の取り組みでは不十分と思われるものについて、リスクを防止・軽減する取り組みを実施している。

人権リスクの洗い出しのため、事例集を作成

人権デューディリジェンスの具体的な実施方法については、国連のビジネスと人権に関する指導原則などに基づき、ステップ1として、人権リスクの洗い出しを行い、ステップ2として、洗い出された人権リスクの所在を特定し、ステップ3として、人権リスクの重大性の評価を行い、ステップ4として、それらの対応案を検討する。

より具体的には、ステップ1としては、バリューチェーン全体での人権リスクの洗い出しを各組織において実施する。その際、人権リスクは人権主体に対するリスクであって、企業に対するリスクではないこと、対象は自社従業員だけではなく、バリューチェーン全体であって、サプライヤー、委託先、地域社会や顧客など全てのステークホルダーを対象とすること、また、企業自らが人権侵害を引き起こすことだけではなく、企業が人権侵害に加担している場合も含まれることなどを事務局から説明している。各組織において人権リスクを洗い出すための素材として、人権リスクの事例集を事務局から提供している。また、キヤノンはレスポンシブル・ビジネス・アライアンス(RBA)にも加盟しており、RBAが提供するセルフチェックリスト(SAQ:Self-Assessment Questionnaire)(当時は400問ぐらいあった)も活用している。

ステップ2として、ステップ1で洗い出した人権リスクが、バリューチェーンのどこで発生するのか、誰の人権が影響を受けるのかを各組織において特定する。

ステップ3として、このように洗い出されたリスクについて、人権への影響度と、発生可能性の2軸で重大性を評価し、各組織における顕著な人権リスクを特定する(図2参照)。人権リスクの評価にあたっては、RBAが提供する国・地域別の人権リスクインデックスなども参考にしている。

ステップ4として、評価により特定された顕著な人権リスクについて、現状の各種取り組みでは不十分な場合には、それを防止・軽減する取り組みを検討・実施する。顕著な人権リスクには、人権デューディリジェンスを始める前から、日々、各組織の責任で管理しているものが含まれている。例えば、過重労働やサービス残業、ハラスメント、労働安全衛生、プライバシー保護などについては、人事部門の日常のオペレーションの中で、かなり注意を払って管理している。

人権デューディリジェンスの実施にあたって、各組織による人権リスクの洗い出しや重大性の評価などは、それぞれの担当者の感覚によるところも大きく、相談や心配を寄せる部門も多くあったが、説明会を個別に設けて疑問を解消することで、各組織の協力と理解を得た。

図2:人権リスク特定のための評価軸
バリューチェーンにおける人権リスクを、縦軸の影響度と、横軸の発生可能性の2軸で評価。上に行くほど影響度が大きく、右にいくほど発生可能性が大きい。影響度は、人権の主体、すなわち権利保有者に対する影響度で、被害者の数や救済の余地で評価。発生可能性は、国・地域のカントリーリスクやその他(経験に基づく感覚など)の要素により評価。右上が最優先に取り組むべき重大なリスク。左上がその次に優先すべき重大なリスク。

注:影響度=人権の主体(権利保有者)に対する影響度。
出所:キヤノンより提供

人権に関する労働組合との意見交換を2021年から開始

国連のビジネスと人権の指導原則で奨励されているステークホルダー・エンゲージメント外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます については、従業員がキヤノンにとって重要なステークホルダーであることから、日本では通常の労使協議とは別に、労働組合と人権に関する意見交換を2021年から始めた。人権デューディリジェンスの必要性を労働組合の代表者に説明し、労働組合が人権に関し把握している範囲でどのようなリスクがあり得るのか確認している。

なお、キヤノンでは、長い労使協議の歴史の中で、労使が一体となって人権を含めた従業員の課題に取り組んできた土壌がある。

サプライチェーンの人権対応の難しさ

キヤノンは、RBA会員として、RBAの行動規範を順守し、キヤノンの取引先に対してもRBA行動規範の順守を要請しているが、国際的な規範と現地法の相違があるため、取引先にどこまで対応していただくべきか日々頭を悩ませている。電気・電子業界はサプライチェーンが複雑で、サプライチェーン全体を管理するには、全ての関係企業がそれぞれ人権デューディリジェンスを実施する必要がある。サプライヤーの取引先はキヤノンだけではないこともあり、一企業での対応には限界がある。業界での統一した対応が必要と考えている。

キヤノンベトナムでは従業員の入社時にハンドブックを配布

2001年4月に設立されたキヤノンベトナムはタンロン工場、クエボー工場、ティエンソン工場の3つの拠点を所持し、約2万2,000人の従業員を有する。キヤノンの中では、世界最大の従業員数をもつ生産拠点となっている。キヤノンベトナムによれば、キヤノングループが掲げる「共生」の理念のもと、人権配慮はキヤノンベトナムの企業文化にも組み込まれている。さらに近年は、RBA監査の認定取得や人権方針の策定など、社会の要請に応じた活動も行っている。RBAの監査では、一部ベトナム国内法とRBA行動規範との整合性が求められる部分などは法律以上の対応に是正するなどして対応しており、監査は、社内業務手続きや方針の文書化、プロセスの明文化を行うために良いきっかけとなっている。

また、キヤノンは2001年に「キヤノングループ行動規範外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます 」を制定し、グループ全体の経営姿勢や、役員・従業員が業務遂行にあたり順守すべき規準を示している。各グループ会社はそれぞれの取締役会などで同規範を採択し、浸透に努めることになっており、キヤノンベトナムでは、企業理念や行動規範、同社方針を含めたハンドブックを従業員の入社時に配布し、周知に努めている。ハンドブックでは、社長からのメッセージやグループの企業理念・三自の精神(自発・自治・自覚)に加えて、第1項はグループの行動規範として、総則、経営姿勢、役員・社員行動規範で構成、第2項はキヤノンベトナムの方針・基本規定として、人権保護(強制・児童労働の防止など)、採用方針、セキュリティ、環境方針、労働安全衛生、福利厚生活動、社会貢献活動・寄付、労働組合、内部通報制度について記載している。この取り組みは、現場で人権方針を経営システムに組み込むための優れた好事例と言えるだろう。


キヤノンベトナムのハンドブック表紙 (キャノンベトナム提供)
執筆者紹介
ジェトロ海外調査部 主任調査研究員
田中 晋(たなか すすむ)
1990年、ジェトロ入構。ジェトロ・パリ事務所、ジェトロ・ブリュッセル事務所次長、欧州課長、欧州ロシアCIS課長などを経て現職。著書は「欧州経済の基礎知識」(編著)など。