特集:動き出した人権デューディリジェンス―日本企業に聞く要請高まるグローバルな人権尊重対応(総論)
先行企業の人権デューディリジェンス取り組み事例を各論で紹介

2023年3月14日

近年、欧米などでの法制化の動きもあり、グローバルなサプライヤー、取引先、進出国の従業員などとの関係を通じて、企業が海外の人権状況に影響を及ぼしていないかを確認し、適切な対応を取る必要性が強く認識されるようになってきている。これまでも、国際的な原則や宣言、ガイダンスなどの枠組み(表1参照)のもとで、多国籍企業を中心に、人権デューディリジェンスの自主的な取り組みが求められてきた。すなわち、企業の責任として、自社の活動やサプライチェーン上の取引先において、強制労働や児童労働などの人権侵害が行われていないかを把握し、予防策や是正策、救済措置を講じる取り組みへの要請である。主要な国際原則や宣言は、企業が人権尊重に関し、責任ある行動を取るための指針であり、法的義務の有無にかかわらず、自主的に実践すべき有用な内容を示唆している。企業は、それらの内容を理解したうえで人権デューディリジェンスの方針を策定することが重要になる。

表1:人権に関する主要な国際原則・宣言などと概要
主要な原則・宣言等 時期 概要
労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言 1998年 ILO総会で「労働における基本的原則及び権利に関するILO宣言」を採択。グローバル化の進んだ現代世界にあって最低限遵守されるべき基本的権利(ILO中核的労働基準)として、結社の自由・団体交渉権の承認、強制労働の禁止、児童労働の禁止、差別の撤廃の4分野にわたる労働に関する最低限の基準を定めた。
国連グローバル・コンパクトの10原則 2000年 国連グローバル・コンパクト(UNGC)が、世界的に普遍的な価値として国際社会で認められている4分野(人権、労働、環境、腐敗防止)に関して定めた10原則。UNGCの署名企業はトップ自らのコミットメントのもと、その実現に向けて努力を継続することが求められる。
国連ビジネスと人権に関する指導原則 2011年 人権に関するグローバルなビジネス活動の影響防止・軽減のため、政府と産業界の義務と責任を概観した初めての国際的な枠組み。(1)人権を保護する国家の義務、(2)人権を尊重する企業の責任、(3)救済へのアクセス、の3本柱で整理。企業の責任では、企業方針によるコミットメント、人権デューディリジェンスなどを要請。
OECD多国籍企業行動指針 2011年 OECDは1976年、多国籍企業に対して、責任ある行動を自主的にとるよう勧告するための「多国籍企業行動指針」を策定。2011年の改訂で、企業には人権を尊重する責任があるという内容の人権に関する章を新設。リスクに基づいたデューディリジェンスを実施すべき等の規定が新たに盛り込まれた。
ILO多国籍企業及び社会政策に関する原則の三者宣言(多国籍企業宣言) 2017年 ILO理事会が1977年に採択。2017年の改訂で、ディーセント・ワークの課題に対応する原則を強化。企業活動の模範的ガイドラインになるもので、国際労働基準から導き出される労働の基本原則を企業がどのように適用すべきか、国家はどのようにこれを促進すべきか、勧告と指針を提供。
責任ある企業行動のためのOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンス 2018年 OECDは、企業がOECD多国籍企業行動指針を実施するため、人権、雇用・労使 関係、環境、贈賄・賄賂要求・金品強要防止、消費者利益、情報開示など、事業運営とサプライチェーンに含まれる様々なリスクに対処する実務的方法を提示。デューディリジェンスの実施手順(リスク特定・評価➝対策実施➝実施状況・調査結果➝公表・伝達)も規定。

出所:ILO、国連、UNGC、OECDの各原則・宣言などの資料から作成

国際スタンダードに沿った自主的な取り組みから義務化へ

これまでは国際的な宣言やガイダンスに沿った企業の自主的な取り組みが奨励されてきたが、特に欧州では自主的な取り組みでは不十分との判断から、法制化によって人権デューディリジェンスを義務付ける国が増えてきている(表2参照)(注1)。2017年3月にフランスで施行された「親会社および発注企業の注意義務に関する法律(注意義務法)」が、フランス国内で直接、間接的な従業員数5,000人以上を雇用する企業などに対し、サプライチェーンを含む人権・環境デューディリジェンスを初めて義務付けた。これに続き、ドイツが2023年1月から「サプライチェーン・デューディリジェンス法」の施行を開始、ドイツ国内の従業員数3,000人以上の企業を対象に、間接的な取引先も含め自社のサプライチェーンに関わる国内外の全ての企業が人権や環境をリスクにさらさないよう注意義務を課している。主な内容は、対象企業の社内に人権に関するリスク管理体制を確立すること、リスク分析や予防措置の実施、人権侵害に関する苦情処理の仕組み構築、人権報告書の作成・公表などである。2024年 1 月からは、従業員数1,000人以上の企業に対象を拡大する。また、欧州委員会が2022年2月に発表したEUの企業持続可能性デューディリジェンス指令案は、EU加盟国すべてに対して、人権・環境デューディリジェンスを義務付けるもので、その対象は、従業員数500人超で1億5,000万ユーロ超の年間売上高がある企業などとされており、現在、欧州議会やEU理事会で審議中だが、義務対象がより広がっていく方向にある[2022年4月28日付地域・分析レポート「バリューチェーンも人権・環境デューディリジェンスの対象に(EU)」参照]。

表2:欧米などの人権デューディリジェンス義務化
国・地域名 法規制の名称 施行時期 内容
米国
カリフォルニア州
カリフォルニア州サプライチェーン透明法 2012年1月 同州で事業を行う年間収益が1億ドル超の小売業者と製造業者を対象に、サプライチェーンにおける奴隷労働や人身取引の根絶努力に関する情報を開示することを義務付け
英国 2015年現代奴隷法 2015年7月 年間売上高が3,600万ポンド以上の営利団体・企業に、奴隷労働や人身取引がないことを確実にするための対応に関する毎年の声明公表を義務付け
フランス 親会社および発注企業の注意義務に関する法律 2017年3月 従業員数が一定規模以上の企業に対し、親会社が海外子会社やサプライチェーン上で及ぼす人権・環境に対する悪影響についての注意義務に関する計画書の作成・実施・有効性評価・開示を義務付け
オーストラリア 2018年現代奴隷法 2019年1月 同国で事業を行う年間収益が1億豪ドル超の企業などの事業体に対し、サプライチェーンと事業活動における現代的な奴隷制度の存在を調査し、リスク評価方法とその軽減措置を毎年報告することを義務付け
EU 紛争鉱物資源の輸入業者に対するサプライチェーン・デューディリジェンス義務規則 デューディリジェンス義務は2021年1月適用 スズ、タンタル、タングステン、金の鉱石や金属を「紛争地域および高リスク地域」から調達するEUの精錬事業者や輸入事業者に対し、調達する鉱物資源が紛争や人権侵害を助長していないことを確認するデューディリジェンスの実施を義務付け
オーストラリア
NSW州
2018年現代奴隷法 2022年1月 年間収益が5,000万豪ドル超から1億豪ドルまでの企業などの事業体も、連邦法に基づく自主的な報告を奨励
ノルウェー 企業の透明性および基本的人権とディーセント・ワーク条件の取り組みに関する法律 2022年7月 一定の条件を満たす同国所在企業に対し、デューディリジェンスを実施し、同内容を説明、公開するとともに、情報開示要求等に対応することを義務付け
ドイツ サプライチェーン・デューディリジェンス法 2023年1月 従業員数が一定規模以上の企業に対し、間接的な取引先も含め自社のサプライチェーンに関わる国内外の全企業が人権・環境リスクにさらされないようデューディリジェンスと人権報告書の作成・公表などを義務付け
スイス 紛争鉱物および児童労働に関するデューディリジェンス法 デューディリジェンス義務は2023年1月適用(2022年1月施行) 一定の条件を満たす同国所在企業に対し、紛争鉱物や児童労働に関するサプライチェーン方針の策定やトレーサビリティシステムの構築等の報告作成・保持・公表を義務付け
オランダ 児童労働デューディリジェンス法 未定
(2019年10月公布)
同国市場に製品・サービスを提供・販売する企業を対象に、サプライチェーン上における児童労働の問題を特定し、防止するためのデューディリジェンスを行ったことを示す声明文の提出を義務付け
カナダ サプライチェーンにおける強制労働・児童労働の防止に関する法律案 2021年11月
上院に法案提出
一定の条件を満たす企業に対して、強制労働等のリスク評価や管理のために講じた措置などを、連邦政府に報告することを義務付け
EU 企業持続可能性デューディリジェンス指令案 2022年2月に
指令案発表
一定の条件を満たす企業に対して、バリューチェーンも含めた事業活動における人権や環境への悪影響を予防・是正する義務を課す提案

出所:各国法制などから作成

日本政府は2022年9月に人権尊重のためのガイドラインを発表

欧州で人権デューディリジェンスに関する法制化が進み、米国では2022年6月のウイグル強制労働防止法の施行など、強制労働に依拠する製品に対する輸入時の水際措置が強化される中、日本政府は2022年9月13日、「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドラインPDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(1.5MB)」を発表した。経済産業省が同年3月9日に、「サプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン検討会外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます 」を立ち上げ、企業が業種横断的に活用できるガイドラインの作成に取り組んできたもので、同検討会での議論を経て、同ガイドライン原案を示し、同年8月8~29日には意見公募も実施した。原案に示された多くの意見[「責任あるサプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン(案)」に係る意見募集の結果についてPDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(3.79MB)]を踏まえて必要な修正など行い、「ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会議」に報告、同会議において日本政府のガイドラインとして決定された。同ガイドラインは、人権デューディリジェンスの実施方法がわからないとする企業の声に応えるものでもある。

同ガイドラインによれば、人権方針を策定し(総論2.1.1、各論3)、人権デューディリジェンスを実施し(総論2.1.2、各論4)、救済措置を整備する(総論2.1.3、各論5)ことが基本となる。これは、国連のビジネスと人権に関する指導原則やOECDデュー・ディリジェンス・ガイダンスなどの国際スタンダードに沿った対応である。国際的な枠組みとの関係を図に一例として整理してみた。

人権デューディリジェンスに取り組む企業の具体的な事例を各論で紹介

本特集では、ジェトロが現在、ILO駐日事務所と共同調査の覚書を締結し、進めている日本、ベトナム、カンボジア、バングラデシュでの主に繊維・アパレル、電気・電子分野の日本企業の好事例調査の中から、日本本社の取り組みを中心に、共同調査報告書の発表(2023年夏ごろを予定)に先駆けて紹介する。今後、対象分野を広げて、本特集で事例紹介を随時行っていく可能性も視野に入れている。

また、ジェトロが2022年11月17日~12月20日に実施した「2022年度日本企業の海外事業展開に関するアンケート調査」において、日本企業の人権デューディリジェンスの実施状況などを聞いた。同結果によると、人権尊重の方針を「策定している」企業の回答割合は32.9%だったが、方針をまだ策定していない企業のうち、「1年以内に策定予定」が3.1%、「数年以内の策定を検討中」が35.2%に達し、人権方針の必要性を認識し、検討段階に入っている企業が多くいることが明らかになった。また、「人権デューディリジェンスを実施している」企業の回答割合は10.6%にとどまったが、「1年以内に実施予定」が3.3%、「数年以内の実施を検討中」が39.9%に達し、人権デューディリジェンス実施に向けた企業の取り組みが今後、加速していくことが想定される。

さらに、人権デューディリジェンスを「1年以内に実施予定」もしくは「数年以内の実施を検討中」の企業にとって、海外で人権を尊重するサプライチェーンを構築する上での最大の課題は、「具体的な取り組み方法がわからない」(1,270社のうち40.4%が回答)であった。本特集は、人権デューディリジェンスに取り組むためのヒントになる情報を多く含んでいる。部門横断的な社内連携の事例、サプライヤーへのアンケートを通じたリスク特定の手法、社会的責任を推進する世界的な団体であるレスポンシブル・ビジネス・アライアンス〔RBA、旧電子業界CSRアライアンス(EICC:Electronic Industry Citizenship Coalition)〕などの外部団体や機関、NGOのツール活用、情報開示への対応などの具体的な内容を、総論に続く企業事例の各論記事で順次紹介していく。

他方、既に人権デューディリジェンスを実施している企業にとって、海外で人権を尊重するサプライチェーンを構築する上での上位課題は、「1社だけでは解決できない複雑な問題がある」(311社のうち32.8%が回答)、「サプライチェーン構造が複雑で、範囲の特定が難しい」(同22.2%が回答)であった。現在、EUで審議中の企業持続可能性デューディリジェンス指令案(人権・環境デューディリジェンス指令案)でも、バリューチェーンの範囲を巡り、間接サプライヤーの管理を企業に求めるのは現実的ではないとする意見が産業界から多く示され、販売先の人権尊重に対する責任も含めて、どこまでを義務の対象に含めるかの攻防が「バリューチェーン・マイナス、サプライチェーン・プラス(注2)」という表現で展開されていると聞く。人権デューディリジェンスの効果的な実施には、政府や業界レベルでの取り組みが必要な要素が多く含まれており、本特集を通じて、関係者の皆様に先行企業の具体的な課題も併せてお届けしたい。


注1:
各法制の詳細は、ジェトロ『「サプライチェーンと人権」に関する政策と企業への適用・対応事例PDFファイル(1.66MB)』(改定第七版 2023年3月13日掲載)参照。
注2:
2022年12月に採択されたEU理事会の立場では、価値の連鎖を示す「バリューチェーン」という用語が、「バリューチェーン」全体をカバーするのか、範囲を「サプライチェーン」に限定するのかという問題に関する加盟国の異なる意見を反映し、また既存の定義との混同を避けるため、「活動の連鎖(chain of activities)」という中立的な用語に置き換える修正案となった。「活動の連鎖」の内容に関して、完全な「バリューチェーン」の概念から、企業の製品使用の段階、もしくはサービスの提供全体の規定を除外することにより、「サプライチェーン」の概念に移行する妥協案となった。こうした適用範囲の特定を巡って、このような言い回しが使われている。

変更履歴
文章中に誤りがありましたので、次のように訂正いたしました。(2023年5月29日)
第4段落
(誤)同ガイドラインによれば、人権方針を策定し(総論2.2.1、各論3)、人権デューディリジェンスを実施し(総論2.2.2、各論4)、救済措置を整備する(総論2.2.3、各論5)ことが基本となる。
(正)同ガイドラインによれば、人権方針を策定し(総論2.1.1、各論3)、人権デューディリジェンスを実施し(総論2.1.2、各論4)、救済措置を整備する(総論2.1.3、各論5)ことが基本となる。
執筆者紹介
ジェトロ海外調査部 主任調査研究員
田中 晋(たなか すすむ)
1990年、ジェトロ入構。ジェトロ・パリ事務所、ジェトロ・ブリュッセル事務所次長、欧州課長、欧州ロシアCIS課長などを経て現職。著書は「欧州経済の基礎知識」(編著)など。