特集:北米イノベーション・エコシステム 注目の8エリア世界最大規模のバイオテック・クラスターとして成長を続ける米ボストン

2019年11月22日

米国スタートアップ・ゲノム社が5月に発表したスタートアップの都市別ランキング「グローバル・スタートアップ・エコシステム・レポート2019外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」で、ボストンは世界第5位のスタートアップ都市に位置付けられた。マサチューセッツ工科大学(MIT)やハーバード大学など世界トップクラスの大学・研究機関が集積していることに加え、特にライフサイエンスの分野では、州政府や支援機関などの後押しも加わり、世界最大規模のバイオテック・クラスター都市として成長してきた。本稿では、ボストンにおけるエコシステムの発展に寄与した業界プレーヤーや起業家を支援する設備環境などをみる。

ライフサイエンス分野のスタートアップが投資を牽引

米調査会社のCBインサイツとプライスウォーターハウスクーパーズ(PwC)がまとめた「マネーツリーレポート2019年Q3外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」によると、ボストン地域の2018年のベンチャーキャピタル(VC)投資額は前年比44.5%増の102億ドルに達し、過去最高を記録した(図参照)。

図:ボストン地域のVC投資額の推移
ボストン地域のベンチャー・キャピタル投資額の推移。 2006年 31億7200万円、2007年 29億9400万円、2008年28億9300万円、2009年23億9300万円、2010年25億2100万円、2011年33億4100万円、2012年39億1600万円、2013年37億500万円、2014年50億7600万円、2015年67億9100万円、2016年64億6800万円、2017年70億8600万円、2018年102億3600万円。 ニューヨーク周辺のベンチャー・キャピタル投資件数の推移。 2006年280件、2007年296件、2008年308件、2009年322件、2010年389件、2011年409件、2012年450件、2013年441件、2014年488件、2015年523件、2016年454件、2017年479件、2018年490件。

出所:「PwC/CB Insights Money Tree Report, Regional Aggregate Data」の統計を基にジェトロ作成

この投資額の伸びを牽引している産業には、ライフサイエンス(ヘルスケア)や、先端製造技術・ロボティクス、人工知能(AI)・ビッグデータ解析、教育といった分野がある。特にライフサイエンスを中心としたヘルスケア分野に対する投資額は全体の約6割と大きな割合を占めている。

これは、同地域のスタートアップによる巨額な資金調達にも反映されている。米国のテック系メディアのテッククランチによると、ボストンに拠点を置く企業へのVC投資額の中では、がん免疫治療メッセンジャーRNA(mRNA)医薬品の開発を手掛ける「モデルナ」に対する投資6億2,500万ドルが2018年の最大案件だった。同社は個別化がんワクチン療法の開発で2016年から医薬品メーカーのメルクと提携し、2018年にはメルクから1億2,500万ドルの追加資金を調達した。2018年12月にNASDACに新規上場(IPO)し、現在は75億ドルの評価額を超える注目企業だ。このほかにも、2018年に1億ドル以上の資金調達を行った企業(表1参照)は多数あるが、その多くがライフサイエンス関連のスタートアップだ。

表1:2018年のVC投資額の大型10案件
企業名 事業内容 金額
(億ドル)
モデルナ がん免疫治療メッセンジャーRNA医薬品の開発 6.2
ケンブリッジ・モバイル・テレマティクス 運転行動分析 5.0
リレー・セラピューティクス 新薬発見エンジン 4.0
ディボーテッド・ヘルス 医療保険サービス 3.0
インディゴ・アグリカルチャー 農業向けの技術を開発 2.5
WuXi ネクストコード 遺伝子情報プラットフォーム 2.0
TCR2セラピューティクス がん治療におけるT細胞療法の開発 1.2
サークル 仮想通貨技術 1.1
データロボット 機械学習の自動化 1.0
ルビウス・セラピューティクス 赤血球治療薬の開発 1.0

出所:各社のウェブサイトからジェトロ作成

世界有数の学術・研究機関が集積するボストン

ボストンが世界的なスタートアップハブとして躍進している背景の1つに、近郊のケンブリッジ市を中心に立地するハーバード大学やMIT、ボストン大学など、世界有数の大学・研究機関の集積がまず挙げられる。これらの多くは大学内に起業家育成プログラムがあり、アントレプレナーシップ教育が充実している。例えば、2011年に設立されたハーバード大学のプログラム「ハーバード・イノベーション・ラブズ」はハーバード大学・大学院に在籍する学生や卒業生を対象に、社会的問題の解決を目的とした事業を実施するために、起業を志向するものを支援するプラットフォームだ。このほかにも多くの大学が起業家育成プログラムを提供しており、MITの「MIT Delta V」、マサチューセッツ大学の「UMass Venture Development Center」、エマーソン大学の「Emerson Launch」などもその一例だ。学生の段階からアントレプレナーシップ教育が根付いていることから、卒業後にスピンオフとして起業する者も多い。

また、世界トップクラスの大学や最先端のテクノロジー研究機関が集積し、世界中から専門性の高い優秀な人材が多数集まっていることから、複雑な問題を解決するための技術的なイノベーションもしくは科学的発見をベースとする「ディープ・テクノロジー」と呼ばれる領域のスタートアップ企業が多いという点もボストン地域の特徴となっている。

業界関係者が互いに高め合うイノベーションハブを提供

前述のスタートアップ・ゲノム社によると、ボストン都市園には50以上のアクセラレーターやインキュベーターが存在するなど、起業家を支援する環境が充実している。その中でも中核的な拠点といえるのが、ケンダル・スクエア地区に立地する世界最大級のイノベーションハブ「ケンブリッジ・イノベーション・センター(CIC:Cambridge Innovation Center)」だ。コワーキングスペースを提供するCICには700社以上の企業が入居しており、スタートアップ企業のみならず、スタートアップとの協業を模索する大企業、投資を行うVC、法律事務所や会計事務所などの士業事務所、アクセラレータープログラム運営者、行政機関などが同じ屋根の下に集まっている。専門知識を持つさまざまな関係者が1つの場所にいることで、イノベーションが生まれやすくなるとの考えに基づく。

さらに、CICでは非営利団体の「ベンチャーカフェ」がイノベーション創出プログラムとして、カフェスペースでさまざまなプログラムを開いている。その中心となるのが毎週木曜日に開催される「Thursday Gathering(木曜日の集い)」だ。ここでは、大企業やスタートアップ、投資家、支援機関の関係者、研究者など多様な参加者が集まり、イノベーター同士の交流を促進している。ベンチャーカフェの成功モデルはCICの他地域の拠点にも共通プログラムとして提供されている。ベンチャーカフェは2018年に日本にも進出した。森ビルとの提携により、東京都内の虎ノ門ヒルズで前述と同様の木曜日の定例イベントを開いている。ここでは起業家が登壇してビジネスプランを紹介するピッチイベントが行われたり、毎回異なるテーマに絞ったワークショップなどが開催されている。

ケンダル・スクエア地区には、ライフサイエンスやバイオテック分野のスタートアップを入居対象としたシェア型研究室「ラボ・セントラル」も立地する。後述するマサチューセッツ州政府の関連機関ライフ・サイエンス・センターからの資金的支援を受けて設立された。機能としては、実験スペースや機材の貸し出し・保守・修理に加え、廃棄物処理や会計に係るサポートなどを行っている。また、企業の資金調達を一元化することで購買力を高め、入居企業がより安価に資材を入手できるようにしている。これには、ライフサイエンス分野のスタートアップのコスト負担を削減し、研究に集中できる環境を提供する狙いがある。現在、ラボ施設を2倍に拡張する計画を進めており、同施設は「ラボ・セントラル238」と名付けて2021年秋に稼働する予定だ。

強力なメンターシップ・ネットワークなどによる支援プログラム

表2は、ボストン地域発のインキュベーターとアクセラレーターの例を示している。これらの機関では創業間もないスタートアップ企業に対して、オフィススペースを貸し出すほか、投資家や業界関係者とのネットワーク作りなど、さまざまな支援を提供している。このうち、ボストンを拠点にする非営利組織のアクセラレーター「マス・チャレンジ」のプログラムでは、800人の専門家によるメンターシップ・ネットワーク、個別対応カリキュラム、コーポレートパートナーへのアクセスを提供する。2019年現在、ボストンのほかに、イスラエル、メキシコ、スイスなどにも展開している。プログラム開始以来、2,300社以上の企業を支援し、これらの企業は総額50億ドル以上の資金を調達し、27億ドル以上の収入を得ている。非営利団体の組織であることから、プログラムの運営は全て提携機関からのスポンサー資金で行っており、IBMやGE、マイクロソフトなどの大手企業がスポンサーに名を連ねる。

表2:インキュベーター/アクセラレーターの事例

アクセラレーター
企業名 設立年 プログラム概要/特徴
マスチャレンジ・アクセラレーター 2010 支援するスタートアップ企業から株式の提供を受けない非営利組織のアクセラレーター。参加企業は3カ月にわたって専門家によるメンターシップ、個別対応カリキュラム、コーポレート・パートナーへのアクセスを受ける。プログラムの最後に行われるコンペティションでは、上位のスタートアップ企業には200万ドル以上の資金が現金で提供される。これまで2,000社近くのスタートアップを支援。
ラーンローンチ 2012 教育分野のスタートアップ企業にコワーキングスペースやメンタリング、ワークショップや資金提供などを行うほか、教育イノベーションにおける教育者、起業家、学習者、投資家、教育関連企業をつなぐ場所として、毎年約40の会議や交流会、レッスンなどのイベントも開催している。
インキュベーター
企業名 設立年 プログラム概要/特徴
グリーンタウン・ラブズ 2011 MITの起業家5人が自社製品の試作品を作るための共有ラボを探していたことが設立のきっかけ。エネルギーや環境問題に取り組む起業家を対象とし、企業が試作品を開発するための共同のオフィススペースや機械製作所、エレクトロニクス・ラボが完備されており、スタートアップ間同士が交流できるイベントなども開催している。
ザ・エンジン 2016 投資・事業・経営の側面におけるスタートアップ支援を行うため、MITによって設立。主に技術分野の企業を支援しており、宇宙技術、先端材料、バイオテック、遺伝子工学、再生可能エネルギー分野などに注力する。スタートアップ企業に対する長期的な資金、各種ラボ施設、知的財産の維持管理など起業ノウハウ、パートナーネットワークの提供を行っており、参加企業は最大12カ月間のプログラムに参加する。

出所:各社のウェブサイトからジェトロ作成

州政府や支援機関がイノベーションを後押し

ボストン周辺地域のエコシステム発展に州政府が果たした役割は大きい。特に、マサチューセッツ州の前知事デバル・パトリック氏が知事在任中(2007年1月~2015年1月)にイノベーションの促進に向け、ライフサイエンス分野への支援を強化してきた取り組みが大きく寄与している。同氏は在任中、州全体でライフサイエンス分野に関する大々的な戦略を打ち立て、2008年にはマサチューセッツ州ライフサイエンス・イニシアチブ法を成立させた。これを受け、多数の州政府主導のスタートアップ向け支援策やイニシアチブが開始された(表3参照)。

そのうちの1つのマサチューセッツ・ライフサイエンス・イニシアチブは、2009年から10年間にわたって10億ドルの資金を投入し、イノベーション促進、研究開発の支援、商業化支援により、企業の継続的な成長を促すことを目的としている。マサチューセッツ・ライフサイエンス・センターはこの政策執行を担う機関で、ライフサイエンス分野における中高の教育・人材育成から学術研究と商用化・グローバル規模での事業育成支援まで行っている。例えば、科学者や投資家で構成する理事会の承認を得て決定されたスタートアップには、最大75万ドル融資することで、大手製薬企業が潜在的な研究パートナーまたは買収候補となる有望なスタートアップを見いだすきっかけを作っている。

表3:マサチューセッツ州主導のスタートアップ向け支援策およびイニシアチブの事例
プログラム プログラム概要/特徴
ライフサイエンス・イニシアチブ 生命科学分野を中心に据えた産業振興政策として、デバル・パトリック前州知事の主導で2009年から開始したイニシアチブ。マサチューセッツ州ライフ・サイエンス・センター(MLSC)が運営母体となり、スタートアップに対する資金調達の支援や税制優遇措置、研究助成プログラムの提供、研究施設やアクセラレーターなどのインフラ整備などを行う。チャーリー・ベーカー州知事が、2019年以降も同イニシアチブを継続し、今後5年間にわたって5億ドルを追加投入する計画を発表。
デジタルヘルス・イニシアチブ マサチューセッツ州のヘルスケアのデジタル化を促進するために、産学官連携イニシアチブとして2016年に開始。主な活動として、ビジネスマッチングサイトを構築し、見込み顧客情報や企業プロフィールのほか、業界ニュースやイベント・ワークショップ情報などを閲覧できるようにすること、起業家に顧客開拓などの事業支援を行うための新たな拠点を形成すること、その他、企業支援ネットワークの拡大のためにさまざまな施策を講じることなどを目標とする。
トランスフォーマティブ・デベロプメント・イニシアチブ グローバル・スタートアップ・アクセラレーター「マスチャレンジ」が運営母体となって2014年に開始したイニシアチブ。マサチューセッツ州では、ボストンやケンブリッジと比べて市場規模は小さいものの、将来的に成長性を秘めている26カ所の中規模都市を「ゲートウエイシティーズ」と呼び、こうした地域で起業を促進することで、都市部の不動産・賃貸価格の高騰や所得格差の問題を解決する狙いがある。
マニュファクチャリング・イノベーション・イニシアチブ 官民共同で米国製造業の国際競争力向上に取り組む研究機関を支援する「マニュファクチャリングUSA」と連動して、州知事の先導で2016年に発表した産学官連携イニシアチブ。企業、大学、国立研究所、政府機関、インキュベーター、アクセラレーター、その他の学術機関・訓練機関での協力関係を築きながら、技術革新やイノベーションを通じて人材、知識、資金の好循環を生み出し、同州経済の生産性や雇用を改善することが本イニシアチブの目的である。

出所:各イニシアチブのウェブサイトからジェトロ作成

ボストン周辺地域でケンダル・スクエアに続く起業のハブの1つがシーポート地区だ。この地区発展のきっかけは、2010年にトーマス・メニーノボストン市長(当時)の下で発表された、ボストン中心市街のシーポート地区を「イノベーション地区」として、1,000エーカー相当の地域を再開発する計画だ。以後、開発が進められ、かつては駐車場や倉庫が広がっていたこの地区には今ではオフィスビルやレストランなどが立ち並び、イノベーションや起業のハブの1つとなっている。前述のマス・チャレンジも立地する。同地区で大きな役割を果たしているのは、公的なコミュニティースペース「ディストリクト・ホール」だ。「ディストリクト・ホール」は、イノベーションを市民にとって身近なものにすることを目的に、ボストン市とCICの提携により設立されたもの。非営利団体のベンチャーカフェ・ファウンデーションが同スペースを活用したイベントの企画・運営を担う。イベントやスペースの多くが無料で開放されているほか、定期的に勉強会も開催されている。ボストンは同地区を起点として、起業家やスタートアップ、また投資家や支援団体など、スタートアップ・コミュニティに貢献する関係者が互いに高め合えるオープンな場を提供し、ネットワークの構築を促進することでエコシステムとしての成長を目指す。

こうした政府による後押しを受けながら、ボストンのバイオテック・クラスターは急速に発展してきた。前述のマネーツリーレポートによると、バイオテック企業に対する投資額は2008年の2億700万ドルから2018年には約9倍の18億900万ドルに達し、急速な伸びを示している。また、米国不動産会社ヒッキー・アンド・アソシエイツが2019年4月に発表したグローバル・イノベーションハブの都市別ランキングで、ボストンは総合順位、バイオテック分野、製薬分野でそれぞれ首位を獲得した。ボストンに次いで、サンフランシスコ、シンガポールが続いた。ライフサイエンス産業の規模でサンフランシスコと比較されることが多いボストンだが、専門家の間では、ボストンは産業集積度が圧倒的に高いことが特徴の1つに挙げられている。こうした背景から、ケンダ・スクエア地区は「地球上で最も革新的な平方マイル」として知られるようになり、大手製薬企業の多くが拠点を設置したことにより、ボストン地域における創薬研究の発展につながっている。世界的にみても、ライフサイエンス産業は今後、継続的な市場拡大が見込まれており、この産業に強みを持つボストン地域は日本企業にとっても目の離せない地域となっている。

ジェトロは、CICとの提携を通じて、ボストンのエコシステムを活用したビジネス拡大を目指す日系スタートアップに対して、メンタリングやコワーキングスペース提供などのサービスを無料で行っている(2018年6月13日付ビジネス短信参照)。詳細はグローバル・アクセラレーション・ハブのページを参照。

執筆者紹介
ジェトロ・ニューヨーク事務所 調査部
樫葉 さくら(かしば さくら)
2014年、英翻訳会社勤務を経てジェトロ入構。現在はニューヨークでのスタートアップ動向や米国の小売市場などをウォッチ。