特集:北米イノベーション・エコシステム 注目の8エリア「取引横丁」からテックハブへ発展する米アトランタ

2019年11月22日

米国南東部にあるジョージア州の州都アトランタは近年、さまざまなテクノロジー分野のスタートアップが集まるテクノロジー都市として成長を遂げており、「次のメジャーテックハブの1つ」とも言われる。金融産業が集積し、全米の支払い処理の7割が同州を経由することから「取引横丁(Transaction Alley)」と呼ばれるアトランタでは、フィンテックが発達。加えて、サイバーセキュリティー、医療IT、デジタル・エンターテインメントなど幅広い分野でスタートアップが活動している(表参照)。

表:アトランタ発の主なスタートアップの例

フィンテック
企業名 設立年 概要
キャベッジ
(Kabbage)
2009 顧客のさまざまな信用データを用いてクレジットスコア(信用偏差値)を算出し、小規模事業者および個人向けに融資を行うプラットフォーム。同社は2015年、シリーズEの資金調達で1億3,500万ドルの資金獲得に成功し、企業評価額が10億ドルを超えるユニコーン企業の仲間入りを果たしている。また、2017年8月にはソフトバンクグループから2億5,000万ドルの資金を調達するなど、オンライン融資サービス分野で急成長を遂げている。約17万人の顧客を有し65億ドルに上る融資を提供(2019年4月時点)。
カードリティクス
(Cardlytics)
2008 バンク・オブ・アメリカを含む2,000社の金融機関と提携し、金融機関の各顧客の購入行動に基づき、特典を提供するキャッシュバックプログラムのプラットフォームを手掛ける。同社は、レストラン、小売店、旅行業者、食料品店、家庭用定期購入サービスなどのブランドと提携しており、金融機関の顧客は、スターバックス、スポティファイ、エアビーアンドビー、ヒルトン、ホールフーズなどの店舗で割引を受けられるようになっている。2018 年 2 月には IPO を果たしている。
サイバーセキュリティー
企業名 設立年 概要
ピンドロップ・セキュリティー
(Pindrop Security)
2011 金融機関や保険会社、小売業者などのコールセンター向け情報セキュリティーソリューションを提供。同社は、電話の音声と発呼者に関するメタデータの両方を分析し、なりすましなどによる詐欺を特定、カスタマーエクスペリエンスと企業ブランドのイメージ向上につなげることを支援。米国の顧客の7割はフォーチュン500企業。
エアーウォッチ
(AirWatch)
2003 企業向けモバイル管理プラットフォーム。同社は、モバイル端末で利用するアプリケーション、コンテンツ、メール、ブラウザなどの管理を統合したプラットフォームを提供。企業における業務専用のワークスペースをモバイル内に構成し、個人利用のアプリケーションやメールなどから切り離すことで、高いセキュリティーを保った状態で業務アプリケーションやデータ利用を可能にする。2014 年にVMウェア社に15.4億ドルで買収されている(買収時、1万以上の顧客を有していた)。
医療 IT
企業名 設立年 概要
シェアケア
(Sharecare)
2010 患者と医師をつなぐ健康管理のプラットフォーム。患者が健康的な生活を送られることを目的に、ユーザーの健康状態を査定し、最適なプログラムを提供するほか、ユーザーは専門家のアドバイスやコミュニティーサポートを受けたり、体重や睡眠、運動に関わるオンラインツールを使うことが可能。同社は2014年、医療機関や製薬会社と提携し、患者向け健康管理サービスを提供し5,000万人に上る患者データベースを有するクオリティーヘルスを買収するなど、自社サービスを充実させるために提携企業/機関の拡大に注力している。
ディアスキャン
(DiaScan)
2015 機械学習技術を用いて腫瘍のCTスキャン画像を分析し、良性・悪性腫瘍の特徴を正確に把握することで、がんの早期発見・治療につなげるソフトウエアソリューションの開発を手掛ける。
デジタル(広告)メディア/エンターテインメントテクノロジー
企業名 設立年 概要
パードット
(Pardot)
2006 B2Bを中心としたマーケティングオートメーションツール。見込み顧客の創出に向け、最適なタイミングで最適なコンテンツをパーソナライズ化して提供し続けることで、顧客との関係構築や育成を行う。最終的には、営業に引き渡せる購買意欲の高まった段階に持っていくことで、商談化の効率を高めることを目的にする。同社は2012年にエグザクト・ターゲット社に約1億ドルで買収された後、2013年にエグザクト・ターゲット社を買収したセールスフォース社の傘下に入り、salesforce.comのCRM 製品と統合されている。
スピンリラ
(Spinrilla)
2013 新人ヒップホップアーティストのリミックスを配信する音楽プラットフォーム。新人アーティストの楽曲にフォーカスすることで、スポティファイなどの競合プラットフォームとの差別化を図る。若者を中心に人気を集めており、アトランタ出身の新人アーティストのマーケティングにも注力している。
その他(クリーンテック、ビッグデータ分析)
企業名 設立年 概要
ルビコン・グローバル
(Rubicon Global)
2008 運送業者とゴミ処理を頼みたい企業や行政機関をマッチングするリサイクル分野の企業。リサイクルを促進するアプローチを通じて、コスト削減を支援するクラウドベースのソリューションを提供。2017年にはユニコーン企業の仲間入りを果たし、2019年9月には、IoT Evolution Worldよりスマートシティにおけるイノベーション賞を受賞。
ネクシディア
(Nexidia)
2000 顧客との音声対話・ビデオデータを分析し、顧客が抱える問題の特定・解決などにつなげる顧客対話分析ソフトウエアを提供。同社は2016年、イスラエルのソフトウエア企業ナイス・システムズ社に1億3,500 万ドルで買収されている。

出典:各種資料を基にジェトロ作成

金融からサイバーセキュリティー、医療まで幅広い業種のスタートアップが立地

アトランタには連邦準備銀行(Federal Reserve Bank of Atlanta)が立地しており、米国の金融センターの1つとして発展してきた経緯がある。ジョージア州経済開発局によると、同州では現在、米国のカード取引およびデジタル決済の約70%(決済総額:年間5兆ドル)が処理され、フィンテック産業の集積地として知られている。ジョージア州のフィンテック産業の年間総収入は、ニューヨーク州やカリフォルニア州に次ぐ規模となっている。また、アトランタ市内および周辺地域に拠点を置くフィンテック関連企業は約100社に及び、同市は「取引横丁(Transaction Alley)」の異名をとる。

アトランタのテクノロジー産業の強みはフィンテックだけではない。同市には、約100社のサイバーセキュリティー企業が拠点を置き、セキュリティー市場における世界の売上高の25%をジョージア州が占める。

また、米国保健福祉省の疾病管理予防センター(Centers for Disease Control and Prevention)の本部があるアトランタには、エモリー大学やモアハウス大学などの著名な医学研究大学やエモリー大学病院、グレイディ・メモリアル病院、アトランタ小児病院といった大病院が立地し、医療分野にも強いことで知られている。ジョージア州全体で200社以上ある医療IT企業のうち、マッカーソンやメドアセッツ、グリーンウェイ・ヘルスなどアトランタ都市圏における8社の企業が、米健康情報学ヘルス・インフォマティックス誌による全米医療IT企業上位100社にランクされている。

さらに、ジョージア州は2008年に、映画やテレビ番組、ミュージックビデオ、CM、インタラクティブゲーム、アニメの制作を手がける企業に対し、同州で制作を行う場合、最大30%の税優遇措置を導入するなど、デジタル・エンターテインメント産業の誘致に注力している。以降、アトランタには関連テクノロジー企業が次々と拠点を構えるようになっており、米国のカルチャーハブとしてのプレゼンスを高めている。このように、アトランタにはフィンテックのほか、サイバーセキュリティー、ヘルスケア、デジタル・エンターテインメントと多岐にわたる分野の企業が集まる。アトランタ都市圏商工会議所のエコシステム拡張担当シニアディレクターのグラント・ウェインスコット氏は、アトランタは1つの分野に特化せず、テクノロジー産業が多様化していることが他の都市との違いだとしている。

スタートアップや大手企業、大学による連携で新たな産業創出を促進

テクノロジー産業の多様性に加え、多数のテクノロジー関連企業が市の中心部に集中していることもアトランタの特徴だ。特に、工学分野で米国屈指の名門校であるジョージア工科大学(Georgia Institute of Technology:Georgia Tech)のメインキャンパスから州間道路75/85号線を挟んで東に数ブロックの地区は「テクノロジー区域(テック・スクエア)」と呼ばれ、2000年ごろからジョージア工科大学と企業、ジョージア州政府、アトランタ市政府が共同で開発を進めている。スタートアップ、大手企業、大学が連携し、新たな産業の創出と地域の経済成長を促進するテックハブとして、アトランタのテクノロジー産業を牽引している。

ジョージア工科大学が1億8,000万ドルを拠出して開発を開始したテック・スクエアとその周辺のミッドタウンエリアは、当初は大部分が未開拓の平原地帯だった。今ではそこに企業のオフィスや研究施設、小売店、ホテルが集まる140万平方フィート(約13万平方メートル)のテック・スクエアに変貌した。さらに、周辺地域では住宅地や小売店の開発も進んでいる。テック・スクエアにはジョージア工科大学のビジネススクールや同大学の著名インキュベーターの「ベンチャーラボ」、先進テクノロジー開発センター(Advanced Technology Development Center、以下ATDC)が立地するほか、100社以上のテクノロジー・スタートアップと、約20社の大手企業のイノベーションセンター、複数のアクセラレータープログラムやベンチャー・キャピタル(VC)が集積している。テック・スクエアには、2018年に米フィンテック企業大手NCRが本社を移転するなど、ボストン(ケンブリッジ)のケンダル・スクエア地区と同様、研究開発拠点として大手企業の高い関心を集めている。ATDCのディレクターを務めるステファン・フレミング氏は、テック・スクエアでは1軒のスターバックス内に学生や研究者、起業家、大手企業のイノベーター、経済開発に関わる人員などイノベーションを起こすのに必要な最小人数が集まる環境(critical mass)が実現されているとし、「コーヒーを買う列でこれらの人々が偶然に出会い、相互に目標や野心について意見交換を行えるこの環境こそがテック・スクエアのイノベーション・エコシステムの成長と成功において重要な役割を果たしている」との見方を示している。

起業家に多様なリソースを提供している一方、資金調達が課題

このように、アトランタには、著名な大学や地域で成功を収めた起業家、大手企業の支援するテクノロジー・スタートアップ向けインキュベーターが多数存在し、起業家に多様なリソースを提供している。一方で、スタートアップ・エコシステムとしての大きな課題の1つが資金調達だ。

アトランタに拠点を置くアーリーステージ企業を対象とするVC、CTW ベンチャーパートナーズ(CTW Venture Partners)の創設者兼マネジング・パートナーのラージ・ パラニスワミー氏によると、アトランタのスタートアップには、主に、(1)起業直後のアーリーステージのスタートアップと、(2)シリーズBおよびCラウンドまで到達して事業拡大中にあるスタートアップの2種類がある。このうち(1)のシード、アーリーステージ向け投資家が不足しているため、優れた起業家から生み出された多数のスタートアップが設備投資や研究開発に必要な資金を得られず、困難を強いられているという。

この問題に対応するため、ジョージア州政府は2015年に「インベスト・ジョージア 」と呼ばれる投資プログラムを立ち上げた。このプログラムでは州政府が1億ドルを出資し、VCやインキュベーションプログラムを通じて地域のアーリーステージ企業に対する資金提供を後押ししている。ただし、資金提供対象をアーリーステージ企業に限定していないことから、アーリーステージのスタートアップに十分な資金が行き渡っていないと批判する声もある。

一方で、アトランタでは、フィンテック分野のカードリティクス(Cardlytics)やサイバーセキュリティー分野のピンドロップ(Pindrop)など、新規株式公開(IPO)後に外部のVCから多額の資金調達に成功した企業が複数誕生している。今後、市が強みとする多様なテクノロジー分野から業界の注目を集める革新的なテクノロジー企業が多数生まれることで、将来的に同地のスタートアップに対する資金面でのリソース状況も変化するとの見方もある。過去数年間で大きく成長を遂げたアトランタのスタートアップ・エコシステムの今後の動向が注目される。日系企業にとっては、これまで以上にアトランタをテクノロジーやソリューションを探す場として捉えることで、連携先や投資先としての北米のテックハブの選択肢が広がると考えられる。

執筆者紹介
ジェトロ・ニューヨーク事務所ディレクター〔兼(独)情報処理推進機構(IPA)ニューヨーク事務所長〕
中沢 潔(なかざわ きよし)
2017年8月より現職。北米東海岸を中心に、スタートアップ・エコシステム、コーポレート・イノベーションを含めIT関係動向調査、関係者紹介を行っている。
執筆者紹介
ジェトロ・ニューヨーク事務所 調査部
樫葉 さくら(かしば さくら)
2014年、英翻訳会社勤務を経てジェトロ入構。現在はニューヨークでのスタートアップ動向や米国の小売市場などをウォッチ。