ビクトリア州、豪州のイノベーションをリード
オーストラリアのスタートアップ・エコシステムをひも解く(4)

2020年6月18日

オーストラリアの南東に位置するビクトリア州(州都メルボルン)は、面積では国土全体の3%に過ぎず、他の州に比べて鉱物資源も乏しい。しかし、製造業やライフサイエンスなどが発達し、経済規模でオーストラリア全体の4分の1を占める。ビクトリア州はオーストラリアの産業革新を牽引してきた過去から、スタートアップ振興も盛んだ。州都メルボルンは、世界的なテックシティーとみられることもある。REAグループやSeek、Carsales.comといった大手IT企業が本社を置くヤラ市クレモルネは、「シリコン・ヤラ」と呼ばれることもあり、スタートアップ人材を誘引している。シリーズ第4回となる本稿では、ビクトリア州のエコシステムの概要を紹介する。

国内製造業の中心地で、医薬・バイオ、ITなどに強み

ビクトリア州の面積は日本の7割強で、オーストラリアの国土の約3%を占めるに過ぎない。しかし、人口は663万人、州内総生産(GSP)は4,546億オーストラリア・ドル(約34兆円、豪ドル、1豪ドル=約75円)だ。人口、経済規模とも国全体の4分の1を占め、ニューサウスウェールズ州(州都シドニー)に並んでオーストラリアを代表する州の1つとなっている。ビクトリア州には約200社の日系企業が立地しており、代表的な例では、伊藤園やカゴメ、ユニクロ(オーストラリアの1号店)、日本製紙などがある。総合商社では三菱商事や三井物産がオーストラリア本部を置く。トヨタ自動車などの自動車メーカーも、テストドライブコースが豊富な同州に拠点を設けている。

図1:ビクトリア州の地図
オーストラリアの地図とビクトリア州の位置。同州はオーストラリア南東部に位置し、州都はメルボルンである

出所:ジェトロ作成

ビクトリア州は、他州に比べて鉄鉱石や天然ガスなどの資源に乏しい。そのため、同州は製造業などを発展させ、産業革新と研究開発を熱心に行い、オーストラリアの産業を牽引してきた。この経緯から、スタートアップやイノベーションが生まれやすい素地がある。特に医薬品・バイオテクノロジーなどのライフサイエンス分野は有名だ。この分野では、全国の研究開発費の約4割がビクトリア州に投じられている。そのため、医薬品やバイオ関連のスタートアップが多い。例えば、世界初のインフルエンザ治療薬、ザナミビル(リレンザ)を開発したのは、ビクトリア州で1985年に創業したバイオベンチャーのビオタ・ホールディングスだった。

IT・ソフトウエア産業にも強みがある。オンライン不動産広告最大手のリー(REA)グループやオンライン求人サイト最大手シーク(Seek)など、オーストラリアの大手IT企業の多くがビクトリア州で生まれて成功している。IBMのデータセンターも州内に立地する。IT技術者も豊富だ。サイバーセキュリティーなどの分野でも、英国のオックスフォード大学が拠点をメルボルンに設立している。ゲーム産業も盛んで、ビクトリア州内にはゲーム制作会社が180社存在し、約200の独立系中小ゲームブランド(インディーズレーベル)がある。ビクトリア州政府東京事務所によると、「ゲーム学部を設置している大学も複数あり、毎年2,000人の学生が卒業している」という。

世界のIT企業や人材を呼び込む魅力

ビクトリア州では、以前から研究開発や起業、技術革新が盛んだったが、オーストラリア連邦政府が2015年からスタートアップとイノベーションを推奨し始めたことで、州の取り組みも後押しされた。ビクトリア州政府も2016年に「ローンチビック(LaunchVic)」というスタートアップ促進機関を立ち上げ、起業家支援に一層力を入れるようになった。ローンチビックの2018年の調べによると、ビクトリア州には2,770社のスタートアップが存在する。約半分がシードステージ、約4分の1がアーリーステージとなっている。オーストラリア証券投資委員会によると、ビクトリア州では2017年~2019年の間に約22万社の会社が新たに登記される。同州での起業がいかに盛んであるかがわかる。ニューサウスウェールズ州(25万社)と並ぶ規模で、両州でオーストラリア全体(約70万社)の3分の2を占める。

図2:ビクトリア州のスタートアップ
ローンチビックの2018年の調べによると、ビクトリア州には2,770社のスタートアップが存在する。約半分の1,327社がシードステージ、約4分の1の674社がアーリーステージとなっている。

出所:ローンチビック

ビクトリア州のエコシステムの中心は、州都メルボルンだ。約480万人が住む大都市で、世界的にも最先端の都市として名高い。英国の不動産会社サビリスによる「テックシティー・インデックス」では、メルボルンは世界第22位にランクインしている。メルボルンは生活の質が高く、特に若い世代の優秀な人材を引きつけている。グーグルやアマゾンなどの世界的なテック企業が拠点を置いており、「活気に満ちたハイテクエコシステム」として評価されている。オーストラリアのデータ関連企業の2シンクナウが発表する「イノベーションシティー・ランキング」でも、メルボルンは第11位。シドニー(第15位)やブリスベン(第48位)を抑えて、国内で最も高い評価を得ている。(2020年5月26日付地域・分析レポート参照

ローンチビックのレポート(2018年)によると、メルボルンの強みは「グローバル・コネクション」と「グローバル・アトラクション」の2つだ。グローバル・コネクションとは、米国のシリコンバレーなど、世界トップクラスのエコシステムとつながりを持っている創業者が多いということを意味する。メルボルン発のスタートアップの成長にとって、情報や顧客の獲得、資金の面でプラス効果を与えている。一方のグローバル・アトラクションとは、世界中の起業家や有望スタートアップを引きつける魅力だ。例えば、前述したグーグルやアマゾンのほか、スラック、スクエア、ゴープロ、エバーブライト、ゼンデスクといった世界的に著名なスタートアップがアジア太平洋地域の本社をメルボルンに置いている。世界最大級のデザインマーケットプレースである99デザインズ(99designs外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)は、2008年にメルボルンで創業した後、いったんは米国サンフランシスコに本社を移したが、2017年にメルボルンに本社機能を回帰させた。


メルボルンはスタートアップにとって魅力的なテックシティーだ(ジェトロ撮影)

メルボルン周辺には、ビクトリア・イノベーションハブ(4,000平方メートル)をはじめ、約170カ所のコワーキングスペースがある。アクセラレータープログラムも充実。計算上はスタートアップ40社当あたり1社の割合でアクセラレーターがある。アグリテック分野に特化したスプラウトX(Sprout X外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)や、メドテック(医療テック)に特化したザ・アクチュエーター(The Actuator外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)などといったアクセラレーターもある。

シリコン・ヤラを形成するオーストラリアのアドテック大手3社

近年のビクトリア発のスタートアップとエコシステムを説明する上で、ビクトリア発の大手テック企業と「シリコン・ヤラ」について触れておきたい。ビクトリア州では1990年代以降のドットコム・ブームの中で創業し、オーストラリアのトップ企業へと成長したIT企業が幾つかある。

  • リー・グループ(REA group外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます):オンライン不動産広告の最大手企業。1995年にメルボルン郊外の倉庫で創業した。1999年にオーストラリア証券取引所に上場。現在は8カ国で展開し、従業員数は1,400人、売上高は8億7,500万豪ドル(2019年)で、時価総額は約130億豪ドルとなっている。マレーシアの同業大手iProperty.comを買収するなど、アジアへの展開も積極的だ。現在の本社はメルボルン近郊のヤラ市クレモルネにある。
  • シーク・リミテッド(Seek Ltd.外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます):求人検索サイト運営の最大手企業。1997年にメルボルンで創業し、2005年にオーストラリア証券取引所に上場した。現在はオーストラリア国内で約1,000人を雇用し、パートナー企業を通じて18カ国で展開する。売上高は15億3,730万豪ドル(2019年)で、時価総額(2020年6月現在)は約67億豪ドルに上る。
  • カーセールス・ドットコム(Carsales.com外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます):自動車やバイクのオンライン売買サイトを運営する大手IT企業。1997年にメルボルンで創業。2009年にオーストラリア証券取引所に上場。売上高(2019年)は4億1,750万豪ドルで、時価総額(2020年6月現在)は約39億豪ドル。本社はヤラ市クレモルネにある。
  • MYOB外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます:中小企業向けの税務・会計ソフトウエア開発大手。1980年代に米国企業の社内で開発された中小企業向け会計ソフトである「MYOB」を、1996年にオーストラリアのデータテック・ソフトウエア社が創業チームごと買収した。1999年にMYOBに社名を変更し、オーストラリア証券取引所に上場を果たした。2019年に米国の投資ファンドであるコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)によって約16億豪ドルで買収された。本社はメルボルンから南東へ20キロ離れたモナシュ市グレンウェーバリーにある。
  • アコネックス(Aconex外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます):2000年にメルボルンで創業したソフトウエア企業。建設業向けにプロジェクト管理や進捗管理のソフトウエアをクラウドサービス(SaaS)として提供している。世界に7万社のユーザーを有しており、欧州や東南アジア、中東などで販売を拡大している。2014年にオーストラリア証券取引所に上場。2017年に米国ソフトウエア大手オラクルによって12億米ドルで買収された。

前述のうち、リー・グループ、シーク、カーセールス・ドットコムの3社は、いずれもオンライン広告サイトで成功したアドテック企業だ。これら3社の成功は、ビクトリア州でアドテック・スタートアップの創業が多いことに関係しているといわれる。3社の従業員を中心にアドテックに関するノウハウが蓄積され、次世代スタートアップの創業者やIT人材集積の素地を作った。また、メルボルンもアドテックの集積地として名を高めた。2011年にはアドテックの世界会議「ad:tech conference」がメルボルンで開催されるなど、国際的なアドテックやデジタルマーケティングに関する会議が開催されるようになった。ローンチビックによると、ビクトリア州にはアドテック企業が41社存在する(2018年時点)。大手3社とは異なった、新たなアドテック分野を切り開いたスタートアップを幾つか紹介する。

  • リブン(Liven外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます):2014年にメルボルン郊外のマウントウェーバリーで創業したアドテック企業。レストラン検索サービスと寄付を掛け合わせた「ソーシャル・アドテック」アプリを開発している。ユーザーは参加しているレストランで飲食すると、同社オリジナルの暗号通貨を得ることができる。これをアプリ内にリスト化されているチャリティー事業などに寄付できる仕組みだ。既に1億豪ドル以上をベンチャーキャピタル(VC)から調達し、米国や英国でも同じビジネスモデルを展開している。
  • ルメリー(The Lumery外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます):2017年にクレモルネにあるローンチパッド・コワーキングスペースで創業し、急成長している。広告とマーケティングを融合させたマー・テック(マーケティング・テクノロジー)の企業。「バズワード・アプローチ」と呼ばれる頻出単語の分析を利用して、データ・ドリブン型マーケティングとコンサルティングサービスを提供する。
  • アンロックト(Unlockd):2014年にメルボルンで創業したアドテックのスタートアップ。ユーザーのスマホ画面に広告を表示し、その閲覧に応じて報奨ポイントを獲得できるアプリを開発。ニューヨーク、ロンドン、シンガポール、ニューデリーに拠点を設け、資金調達にも成功。急成長企業として注目されていた。しかし2018年、同社アプリは利用規約に反しているとして、グーグルがアンドロイド端末へのダウンロードを禁止。係争案件に発展した。同年に任意管理手続きに入り、倒産した。

なお、リー・グループ、シーク、カーセールスの3社は、いずれもシリコン・ヤラに本社を置いており、アドテックに限らず、オーストラリアのスタートアップにとって中心的地域の1つになっている。シリコン・ヤラにはウーバーやテスラなども拠点を置いており、MYOBも2021年までに本社を移転させる計画だ。シリコン・ヤラ周辺にはコワーキングスペースが整備され、スタートアップがさらに集積するようになっている。本場のシリコンバレーのように、カフェやパブでは起業家やIT技術者が集まって情報交換を行っているという。

執筆者紹介
ジェトロ海外調査部アジア大洋州課 リサーチ・マネージャー
北見 創(きたみ そう)
2009年、ジェトロ入構。海外調査部アジア大洋州課(2009~2012年)、ジェトロ大阪本部ビジネス情報サービス課(2012~2014年)、ジェトロ・カラチ事務所(2015~2017年)を経て現職。