量子技術時代の到来に向けて-深化するグローバル・イノベーション量子コンピュータのユースケース開発、日本の産業多様性と技術基盤がカギ

2026年9月15日

量子コンピュータは、従来のコンピュータとは異なる原理で動作するため、特定の課題においては飛躍的な性能向上を実現する可能性を秘めており、材料開発、創薬、金融、物流、エネルギーなど幅広い産業分野で活用が検討されている。アニーリング方式が最適化問題への応用を先行して進める一方、汎用(はんよう)性の高いゲート方式についても、多様な産業課題への適用可能性を探るユースケースの開発や実証が世界中で進められている(注1)。特に近年は、ハードウエア性能の向上とソフトウエア技術の進展が同時に進んでおり、量子コンピュータの将来的な社会実装を見据え、産業界は「どのような課題を解くべきか」を検討する段階に入っている。

量子コンピュータの本格的な実用化が期待される2030年前後を見据え、国内外では産学官が連携しながらユースケースの創出や実証を加速させている。本稿では、国立研究開発法人、業界団体、企業という3つの主体による取り組みを紹介するとともに、「産業の多様性」と「強固な技術基盤」という日本の強みについて考察する。量子コンピュータの実用化に向けては、日本の多様な産業基盤を生かしたユースケース開発が重要なカギとなりそうだ。

ユーザーの課題とソリューションをつなぐ「NEDO懸賞金活用型プログラム」

市場黎明(れいめい)期の量子コンピュータにおいては、実機の研究開発と並行して、その用途の議論が欠かせない。実用化の道筋が見え始めた昨今、政府の拠出額も増加している(注2)。その資金は各省庁傘下の研究開発法人の拡充や、基金として各種プロジェクトを公募するかたちで企業に分配されており、研究開発を下支えし産業化を牽引している。省庁の中で最も予算額の大きい経済産業省については、主に新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が受け皿として機能しており、大きく分けて(1)計算基盤(ハードウエア、部素材、ミドルウエア)開発、(2)ユースケース開発、(3)人材育成に取り組んでいる(注3)

NEDOAI・ロボット部の工藤祥裕量子ユニット長は「実用化されたときに日本が世界から取り残されないように、さまざまな事例を集め、蓄積しておくことが重要」と語り、特にユースケースの開発に力を入れている。基金事業とは別に、独自に「NEDO懸賞金活用型プログラム/量子コンピュータを用いた社会問題ソリューション開発外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」(通称:量子懸賞金)という取り組みを2024年度から実施している。産業界やアカデミアから広く未来志向の課題を募り、専門家の手で最終化された課題に対して、コンテスト方式で課題解決の挑戦者を募るものだ。使途を限定しない懸賞金を用意し、関心喚起を図った。また、計算環境は無償で提供され、単独での保有が難しい最新鋭の量子コンピュータを実際に使える。

京都大学大学院情報学研究科の藤井啓祐教授をはじめ、名だたる専門家が課題設定から審査まで関与することで、より実用化に近づけるとともに、その中からキラーアプリケーション(量子コンピュータの普及を後押しする決定的な用途)を探索している。第1期でスクリーニング採択を経たものは80件(注4)あり、現在は実際に課題解決に向けた取り組みを進めているところだ。2026年9月の最終審査では、3つの課題領域(Society5.0、Quality of Life、Cool Japan)それぞれで上位3チームが選定され、その先で事業化や共同研究へとつながっていく。日本の事業者と組めば外国企業の参画も可能であり、例えばイスラエル本社の量子ソフトウエア開発プラットフォーム企業クラシック(Classiq)はソフトバンクと組み、「次世代エアモビリティ向け無人航空機の大規模飛行管理技術開発」という課題に取り組んでいる。第1期と並行して、2026年4月から第2期も始まっており(注5)、第1期成果の深掘りと、早期活用が期待される課題に焦点を当てる。

NEDOはこのほかにも、幅広い産業の企業に自社の領域での活用イメージを持ってもらうためのユースケース事例集(注6)の策定や、全国を巡回して各地域の大学や企業と連携しながら量子技術を身近に感じてもらうための「量子キャラバン」(注7)など、普及活動にも力を入れている。

また、NEDO事業に採択された理化学研究所(理研)、ソフトバンク、東京大学、大阪大学が共同で進める「計算可能領域の開拓のための量子・スパコン連携プラットフォームの研究開発(JHPC-quantum外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)」は、量子コンピュータとハイパフォーマンスコンピューティング(HPC、いわゆるスパコン)を組み合わせることによる、スパコン単体に対する優位性を、具体的なアプリケーションで実証することを目標としている。世界最高レベルのスーパーコンピュータ「富岳」、米IBMおよび米クオンティニュアム(Quantinuum)の量子コンピュータ、そして2026年6月に新たに運用開始したJHPC-quantum GPUスーパーコンピュータ「ROQUO外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」といった最高性能の実機を利用できる環境を整備している。2023年11月から2028年10月までの5年間、テストユーザープログラムというかたちで利用者を募っている。既に成果も出始めており、例えば2026年5月には米IBM、米クリーブランドクリニックと理研が共同で、過去最大規模の原子数から成るタンパク質複合体のシミュレーションの実施を発表 した(注8)。これは医薬品開発期間の短縮につながる一歩とされる。

企業の垣根を越えてユースケース創出を目指す

企業横断の取り組みとして、量子技術による新産業創出協議会(Q-STAR)は160の会員(2026年6月時点)のうち約半数がユーザー企業で構成されており(注9)、産業化に向けたユースケース創出の重要性を掲げている。「量子重ね合わせ応用部会」や「最適化・組み合わせ問題に関する部会(最適化部会)」といった7つの部会が存在し、部会ごとにさまざまなテーマで企業の垣根を越え、ユースケースの探索や仮説の立案・検証が行われている。

例えば、NECが部会長を務め、38法人が参加する「量子重ね合わせ応用部会」では、量子コンピュータの特徴である、「量子重ね合わせ」の応用により創出されるシステムやサービス、ビジネスと、それが既存産業や業界構造にもたらす変化を広い視野で検討し、ユーザーとベンダーが協力して新産業の創出を目指している。ユースケースの提案、詳細検討、実装、評価のPDCAを回し、量子重ね合わせを生かしたイノベーションが発生しそうな社会課題を特定することが狙いだ。現在は、分子軌道計算を使った新素材発見の可能性などを議論している。また、富士通が部会長を務め、60法人以上が参加する最適化部会では、量子現象およびそれに着想を得た新コンピューティング技術(イジングマシン)を用いて産業分野のさまざまな課題解決を目指す。製造、物流インフラ、材料・創薬、金融の4つの分野で8つのユースケース仮説を立案、検証し(注10)、ユースケースと計算資源をつなぐソフトウエアを共通部品化できるよう整理・体系化している。

この整理・体系化に活用しているのが「QRAMI(Quantum Roadmap Architecture and Management Initiative)外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」というフレームワークだ(図参照)。縦軸にバリューチェーン、横軸に技術レイヤーを設け、量子技術を用いたビジネスから具体的な技術要素までを7つのレイヤーに階層的に分解し、可視化できるよう設計されている。Q-STARは国際標準化における中心的な役割を担っており(2026年6月25日付地域・分析レポート参照)、海外との連携に際してもこれを共通言語として利用していくとしている。

図:QRAMIのイメージ
量子技術の産業化に向けた参照アーキテクチャモデル「QRAMI」の構造と活用例を示す図。量子技術関連産業を、ドメイン(分野)、アーキテクチャレイヤ、階層レベルの3軸で整理する。アーキテクチャは下から、資産(労働力を含む)、統合、通信、情報、機能、インターフェース、ビジネスの7層で構成される。産業の全体像を可視化し、関係者の共通言語として、長期ロードマップの策定、ビジネスケース・ユースケースの検討、海外との連携に活用する。世界的な活用を広げ、事実上の標準となることを目指す。

出所:「量子レファレンスアーキテクチャモデルのデファクトスタンダード化」(Q-STAR提供)

企業内人材の育成を起点に、課題発掘から開発まで伴走

量子コンピュータのソフトウエアベンダーであるキュナシス(QunaSys)は、2020年に量子コンピュータのユーザーコミュニティ「QPARC外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」を設立した。自動車、化学、電機、エネルギー、医薬品など幅広い業種のエンドユーザー企業が参加し、現在の会員数は2026年8月26日時点で58社に上る。各産業で量子コンピュータがどのように活用され得るのかを、会員企業とともに検討している。QPARC参加企業を含め、これまでに43社と協業の実績がある。

顧客企業との協業形態は、大きく2つに分かれる。1つは、量子コンピュータに精通した人材を社内に擁し、既に自社でも取り組みを進めている企業だ。こうした企業とは共同研究を行い、その成果を論文や学会発表として発信している。もう1つは、これから新たに量子コンピュータに取り組む企業だ。この場合は、量子のコアチームとなる人材を数人選出してもらい、QunaSys独自のプログラムによる育成から着手する。その上で、自社の事業のどこに量子コンピュータを活用できるかをともに考え、ユースケースの開発へとつなげていく。現在は、化学計算とCAE(Computer Aided Engineering)と呼ばれるシミュレーション・解析の領域での事例が多い。

QunaSysの越智由浩CROは「多様な産業が偏りなく、適切なポートフォリオで存在しているのが日本の強みであり、幅広いユースケースを探索・実証するには適した環境だ。各分野において高い競争力を持つ大企業が数多く存在し、それぞれが強固な事業基盤や専門性を有している」と話す。同社はデンマークに現地法人を設立するなど海外展開にも力を入れており、その際にも日本の多様なユーザー企業との協業の蓄積が生かされるという。

三者の取り組みは、NEDOが課題公募と解決者の接続、Q-STARが企業横断の取り組みと共通言語開発、QunaSysが人材育成と個社への伴走を担う点で相互補完的だ。2026年6月に東京で開催された国際的な量子コンピューティングカンファレンス「Q2B Tokyo」には、多くの海外ベンダーが参加し、日本企業に対して量子技術関連事業への参画を呼び掛けた。こうした動きの背景には、日本が有する幅広い産業基盤と高い技術力への期待がある。実際に、日本は製造業、素材、物流、金融、医療など多様な産業が集積しており、量子技術の活用可能性を検証するための豊富なユースケースを有している。今後は、この多様かつ競争力の高い産業基盤を生かし、量子コンピューティングのキラーアプリケーションを創出できるかが重要な課題となる。また、ユーザー側企業に対しては、ビジネスとして成立し得るかや採算性を示していく必要がある。その上で、産業界、研究機関、スタートアップ、行政が連携しながら、日本発の量子イノベーションを生み出し、グローバルに不可欠な存在となる量子エコシステムを国内に形成できるかが問われている。


注1:
アニーリング方式の量子コンピュータは、組み合わせ最適化問題の解探索に特化した量子計算方式であり、汎用性の高いゲート方式とは用途や技術的特徴が異なる。東京工業大学大学院理工学研究科の西森秀稔教授(現在は東京科学大学特任教授)らが1998年に量子アニーリングの理論を初めて発表し、2011年にカナダ発祥のD-ウェーブ・クオンタムが世界で初めて商用化に成功した(2026年3月13日付2026年5月13日付地域・分析レポート参照)。現在は、物流経路や製造工程など膨大な組み合わせが考えられる分野で実証・商用利用が進展している。 本文に戻る
注2:
日本政府の量子産業に係る支援金額は「令和7年度補正予算における量子関連施策についてPDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(1.3MB)」(内閣府 科学技術・イノベーション推進事務局)を参照。当初予算および補正予算などを含め、2024年度の1,003億円から、2025年度は1,693億円となり、68.8%増加した。 本文に戻る
注3:
NEDOの計算基盤開発(事業名:ポスト5G情報通信システム基盤強化研究開発事業/量子コンピュータの産業化に向けた開発の加速および量子コンピュータの産業化にかかる人材育成事業)に関する実施体制については、同機構の2025年7月4日付NEDOリリース外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますを参照のこと。 本文に戻る
注4:
NEDO量子懸賞金事業2025解決案募集のスクリーニング採択者はNEDO資料PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(916KB)を参照。 本文に戻る
注5:
NEDOの量子懸賞金事業の第2期については、同事業の第2期案内ページ外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますを参照。 本文に戻る
注6:
NEDOの量子コンピュータユースケース事例集は、第1版(2025年2月公開)(9.4 MB)第2版(2026年4月公開)PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(10.4MB)のとおり。 本文に戻る
注7:
「量子キャラバン」の詳細については、NEDO量子懸賞金事業の案内ページ外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますを参照。 本文に戻る
注8:
米IBM、米クリーブランドクリニックと理研によるタンパク質複合体のシミュレーションについては、IBMのニュースリリース外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますを参照。 本文に戻る
注9:
Q-STARの会員については、同協議会の会員一覧PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(487KB)を参照。​ 本文に戻る
注10:
Q-STAR「最適化部会」における8つのユースケースは以下のとおり。
(1)有機分子の結晶構造予測、(2)新建材(コンクリート)の材料混合比最適化、(3)自然災害リスクポートフォリオ最適化、(4)製造業における人員スケジューリング、(5)製造業における生産スケジューリング、(6)報酬発生型ルート案内システム、(7)FMQAによる機械学習の特徴量選定、(8)イジングマシンによる配送ルート最適化。 本文に戻る
執筆者紹介
ジェトロイノベーション部戦略企画課 課長代理
谷口 嘉那子(たにぐち かなこ)
2010年、ジェトロ入構。海外調査部 欧州ロシアCIS課/総務部 秘書室/ビジネス展開支援部 途上国ビジネス開発課 BOP班/日本食品海外プロモーションセンター(JFOODO)海外プロモーション事業課を経て、2024年8月から現職。