特集:アジアのサプライチェーンをめぐる事業環境コロナ禍後のシンガポールで物流・製造業再編加速か

2022年12月6日

新型コロナウイルス流行は、世界的なサプライチェーンの混乱を引き起こした。シンガポールにも及んだサプライチェーンの混乱は2022年9月以降、沈静化しつつある。一方で、物流を取り巻く課題が一層、浮き彫りとなっており、この先、製造や物流活動の再編の動きが加速する可能性もある。

新型コロナ禍で物流が混乱、企業は在庫を積み増し

2022年に入っても、シンガポール港やチャンギ空港では、世界的なサプライチェーンの混乱による貨物の混雑や遅延が続いた。日系企業を含む各社は、その対応に追われた。日系物流会社A社の幹部によると、マレーシア、タイなどの港の混雑が悪化した際には、「タイやマレーシアの貨物はシンガポールへ陸路で運び、シンガポール港から輸出。また、マレーシアで入港が難しい場合には、シンガポール港から入れて陸送した」と述べた。また、コンテナ不足や運賃高騰の問題では、「特に北米向けでひどい状況が発生した」と指摘。ただ、2022年6月になり、「北米向け運賃が落ち着いてきた」という。

しかし、日系の製造業や物流会社からは、こうした混乱を受けて調達先の変更など、サプライチェーンを大きく見直したという声は(2022年9月時点で)あまり聞かれない。日系物流会社B社の幹部によると、物流の混乱に、顧客の日系企業は「一般的に、多めに発注をして在庫を積み増す。または、複数拠点での製造に切り替える」ことで対応している。また、日系物流会社C社は「国際物流が混乱しても、サプライチェーンの見直しなど、特段の対応を取ってない顧客の方が多い。むしろ、取りようがないのではないか」との見方を示す。今後の対応として、日系消費財メーカーD社の幹部は「購買先の代替先探しや購買先の複数化などに取り組むしかない。今後の見通しが不透明とは言え、中長期的な方向性を出さざるを得ない」と語った。

倉庫需要が堅調、稼働率も上昇傾向

サプライチェーンの混乱が収まりつつありながら、シンガポールでは、倉庫の稼働率が高止まりしている。その理由として、日系物流会社E社の幹部は「新型コロナウイルス流行の中で、新たな倉庫設置があまり望めない。その一方で、メーカーの方は在庫を積み増している」と説明する。JTC(シンガポールの工業団地を開発・運営する政府機関)の統計によると、国内の倉庫の稼働率は2021年第2四半期時点で90.2%。2022年第2四半期に90.9%、同年第3四半期に90.8%と高止まりしている。

国内の倉庫賃貸料金も上昇している。JTCによると、国内倉庫の賃貸料金指数は2022年第2四半期に前年同期比で5.7%上昇、同年第3四半期も6.0%増となった。さらに倉庫のほか、工業施設の賃料も上昇基調にある。工場や工業団地を含め全ての工業スペースの賃貸料金指数は2022年第2四半期に同3.4%上昇し、同年第3四半期に同4.9%上昇した。

人件費上昇対策として、倉庫自動化を模索

他方、コロナ禍を経た現在、より大きな課題となってきたのが労働力の獲得だ。コロナ禍が蔓延していた時点でも、製造活動自体は継続が認められていた。しかし、渡航規制により外国人就労者の新規入国が困難になったことが尾を引いている。工場のラインや物流の現場では国内の労働力では不足することが多いため、外国人労働者が多い。外国人の中には、隣国マレーシア南部ジョホール州から橋を渡って通勤する越境通勤者も少なくない。2022年4月1日以降、水際対策が大幅に緩和されるに連れ、外国人労働者も戻りつつはある。

それでも、低熟練の外国人労働者について、業種別に雇用可能人数の上限が設定されているのが響く日系物流会社F社の幹部は「(渡航規制により)マレーシアからの越境通勤者が一時、入国できなくなった。インドやミャンマー、フィリピンなどからのワーカーの確保も、簡単ではない」と述べる。特に、物流分野の低熟練外国人就労査証(Work Permit)の発行上限は、全従業員の35%以下と定められている。これは、サービス業と同様の規制だ。F社の同幹部は「建設や石油化学関連分野の場合、外国人の雇用比率が(全従業員の)87.5%以下(注)とされる。しかし、物流業では飲食店と同じカテゴリーとなってしまう」と語った。

また、地元労働力の人件費も上昇している。人材省によると、新型コロナウイルスの感染予防対策が緩和されるとともに、雇用市場の流動化が進んだ。その結果として、物流分野では、需給バランスが一段とタイトになる結果に動いた。人材省によると、求人倍率(失業者1人当たりの求人数、季節調整済み)は2021年12月の2.11から、2022年6月に2.53へ上昇した。また、同国の名目総賃金は2021年に前年比3.9%増。前年の1.2%増に比べて上昇幅が拡大したかたちだ。人材省は、労働力の獲得競争の継続で賃金がさらに上昇すると見込んでいる (2022年6月1日付ビジネス短信参照)。

こうした状況を受け、物流各社は、倉庫業務の省力化・倉庫の自動化を模索している。日系物流会社B社の幹部は「自動化の導入は、待ったなし」と語る。先述のF社の幹部も、フォークリフトの自動化を検討している、と述べた。人件費の上昇だけでなく、ガソリン価格の高騰でトラック輸送費コストも上昇している。日系物流会社E社の幹部は「コスト高の一部を顧客に転嫁しようとしている。しかし、値上げを認めない顧客もある」と語った。世界的な燃料価格の上昇を受けて、電気料金も急騰している(2022年6月22日付ビジネス短信参照)。

海外生産移転を含め、生産・物流再編が加速する可能性も

シンガポールでの人件費や賃料などの経営コストの上昇は、今に始まったことではない。この10年、同国に製造拠点を置く日系企業は、よりコスト競争力のある拠点への移転などを理由に縮小する傾向にあった。経営環境が厳しさを増すなかで、シンガポールで特に労働集約的な製造活動を維持することが年々、厳しさを増している。

直近の撤退事例をみると、パナソニックは2021年9月、シンガポールでの冷蔵庫用コンプレッサーの生産を停止。マレーシアや中国への生産移転を発表した。また、三井化学は2022年8月、フェノールをシンガポールで生産している同社子会社三井フェノールズ・シンガポールを、英国化学大手イネオス・ホールディングスに譲渡すると明らかにしている。

当地物流業・製造業の一部では、隣接するマレーシア南部ジョホール州への注目が改めて高まっている。倉庫増設や製造施設の移管先の候補として検討されている状況だ。同州に拠点を置く日系物流関係者によると、2022年4月以降、シンガポールの日系製造・物流業からの問い合わせや視察が相次いでいるという。今回のコロナ禍を機に、シンガポールの経営コスト上昇に勢いが加速した。今後、生産や物流活動の再編の動きが、日系企業の間でさらに加速する可能性もある。

政府は、2030年までに製造業の付加価値50%増を狙う

ただし、シンガポールで製造業が縮小しているわけではない。当地製造業生産高は、2021年に3,724億Sドル(約39兆円、Sドル、1Sドル=約105円)。2010年の2,614億シンガポール・ドルから拡大した。

分野別には、コンピュータや電子、光学製品の成長が目立つ。製造業生産高に占めるその割合は、2021年時点で44.8%。2010年の36.7%から大きく膨らんだ。一方、石油精製関連の割合は、2010年に16.1%あったのが、2021年に9.5%と縮小した。国内製造活動の内容がこの10年間で変化してきたことがわかる。今後も、さらに姿を変えていくことが見込まれる。

政府としては今後も、国内の製造活動を拡大させていく方針だ。チャン・チュンシン貿易産業相(当時、現教育相)は2021年1月25日、同国の製造業の付加価値が「過去10年間で約50%拡大した」と語った。さらに、「2030年までの向こう10年でさらに50%拡大させる」との目標を発表した。ポストコロナ禍に向けて踏み出したシンガポールでは、新型コロナウイルスを機に人材獲得や経営コストの上昇など、これまでの経営課題が一層、浮き彫りになっている。

同国に拠点を置く企業は今後、こうしたコスト上昇の加速や業界再編の動きに対して、自動化などによる効率化に向けた対応を迫られている。


注:
建設およびプロセス・エンジニアリング(石油・石油化学・特殊化学・製薬関連のプラントの建設、メンテナンス)に従事する低熟練外国人労働者(当該就労査証保持者)の雇用上限は、現行の87.5%から83.3%に引き下げられる。この措置は、2024年1月1日から施行予定。
執筆者紹介
ジェトロ・シンガポール事務所 調査担当
本田 智津絵(ほんだ ちづえ)
総合流通グループ、通信社を経て、2007年にジェトロ・シンガポール事務所入構。共同著書に『マレーシア語辞典』(2007年)、『シンガポールを知るための65章』(2013年)、『シンガポール謎解き散歩』(2014年)がある。