特集:変わるアジアの労働・雇用環境と産業界の対応 人材不足、感染対策、勤務態勢の多様化など複雑化する労務管理(マレーシア)

2021年10月6日

マレーシアでは、新型コロナウイルス感染対策として、2020年3月中旬から操業制限を伴う移動制限令が発令され、感染状況に応じて規制緩和と厳格化を繰り返して現在に至っている。2021年5月以降は感染者数の急激な増加から、より厳しい制限内容となった。事業継続に加え、従業員の感染対策や人材の確保など、労務管理に苦慮する日系企業が多くみられる。在マレーシア日系企業へのインタビューを通じて、新型コロナ禍で日系企業が直面する労務問題について聞いた。

失業率は過去10年で最悪水準に

マレーシアの失業率は例年3%前後と安定的に推移していた。しかし、新型コロナウイルス感染拡大に伴い、2020年3月中旬から移動制限令による操業制限が導入されたことや、国内外の経済不振などにより、失業者が増加した。2020年の失業率を月別にみると、5月は5.3%(約83万人)で、過去10年間の最高値を記録した。その後も4%台後半で推移した(図1参照)。特に、15~30歳の若年層の失業率は、全体の失業率よりも高い傾向にある。例年は7%台前半だったが、2020年以降は9%台まで上昇した。このうち15~24歳の失業率が13%前後であることから、新卒者にとって特に厳しい雇用状況といえるだろう。マレーシア経営者連盟(MEF)のサイド・フセイン会長は2021年8月、昨今の産業界の採用方針について、新型コロナ禍で需要が高まるデジタル技術やインダストリー4.0などに関連したスキルなど、特定の高いスキルを持った高度人材を採用したいという傾向があると述べ、新卒者にとって厳しい競争環境にあると指摘した(2021年8月15日「ザ・スター」紙)。日系人材紹介会社によると、日系企業でも同様に熟練者や経験者の採用ニーズが高い傾向にあるという。

図1:マレーシアの月別労働人口および失業率の推移(2019年~2021年6月)
労働人口は2019年1月に1,550万人で、翌年2月までに約30万人増加した。3月から減少し、4月には約1,570万人となった。6月から回復傾向に転じ、12月には1,600万人に近づいた。2021年1月には1,600万人を越え、5月までにさらに約10万人増加した。6月に小幅に減少した。失業率は2019年1月に3.3%で、その後翌年3月まで同様の水準だった。しかし、4月に5.3%まで急上昇した。7月までに5%未満となったが、2021年6月まで小幅に上下しながら4%台後半が継続した。

出所:マレーシア統計局

政府は若年層や失業者の雇用促進策として、2020年6月に発表した「短期経済回復計画(PENJANA)」の中で、若年層や40歳未満の失業者の採用とトレーニングに対する補助金制度などを導入している。MEFは、同制度が採用活動の後押しになっているものの、長引く移動制限令によって中小企業を中心に深刻な資金繰り難に見舞われているため、雇用促進にはさらなる政府支援が必要と指摘する(2021年8月7日「フリー・マレーシア・トゥデー」紙)。

人手不足、在宅勤務整備などが課題

在マレーシア日系企業についても、移動制限令に伴う操業制限により、厳しい経営状況が続いている。特に、営業活動の制限や海上輸送の遅れ、部品・原材料の納入停止・遅延などが課題の上位に挙げられている。

労務は在マレーシア日系企業の中長期的な投資環境上の課題だが、その労務に係る環境においても、新型コロナ禍でさまざまな課題が浮上しているのが現状だ。移動制限令下では、業種によって課される制限が違うため、大別すると製造業と非製造業でそれぞれ別の課題がある。2021年1月20日から2月22日にかけて、マレーシア日本人商工会議所(JACTIM)とジェトロ・クアラルンプール事務所が共同で実施した「2021年度JACTIM-JETRO共同日系企業アンケート」によると、「オペレーション上の課題」のうち、労務関連では、製造業で「工場作業者の不足」(28.8%)、非製造業で「在宅勤務による稼働能力の低下・限界」(42.0%)が上位に挙がる(図2参照)。

図2:オペレーションにおける現状の課題(上位12項目)
上位12項目のうち、在宅勤務による稼働能力の低下・限界は6番目で、全体199社のうち35.7%、そのうち製造業111社の30.6%、非製造業88社の42.%が選択。工場作業者の不足は11番目で、全体の18.6%製造業の28.8%、非製造業の5.7%が選択。他の項目は上位から順に、国内での営業活動に制約があるが55.3%、海上輸送の遅れが52.8%、新規ビジネス機会の減少が42.7%、海外サプライヤーからの製品・部品・原材料などの納品遅延が41.2%、海外での営業活動に制約があるが40.2%、海上輸送のキャンセル・抜港が31.2%、航空貨物スペースの確保・料金上昇が28.6%、政府の標準作業手順書を満たすにあたっての制約があるが21.1%、国内供給先/顧客からの注文留保・減少20.6%、港湾機能の低下が16.1%。%はいずれも全体199社の回答率。

出所:2021年度JACTIM-JETRO共同日系企業アンケート

この結果から、製造業では工場作業者の確保が課題となっていることがわかる。背景には、新型コロナ禍でマレーシア人の雇用を優先すべく、2020年6月から実施している外国人労働者の新規雇用凍結がある。翌7月にJACTIMとジェトロ・クアラルンプール事務所が実施した「2020年度第2回在マレーシア日系企業の新型コロナウイルス対策に関わる緊急アンケートPDFファイル(1.12MB)」によると、製造業の約6割、非製造業の約3割が外国人労働者を雇用している(注)。特に製造業では、生産現場で外国人労働者を活用している企業が多い。日系製造業A社は「外国人労働者の新規雇用が凍結されたため、工場オペレーターとしてマレーシア人を雇用したが、なかなか定着しない」と指摘する。同社は「現在は操業制限により出勤率の上限が60%となっているため従業員は足りているが、今後制限が緩和され、生産が増えた場合には間違いなく人手が不足する」として、将来的な人手不足を懸念する。マレーシア製造者連盟(FMM)のソー・ティエン・ライ会長も、特に輸出志向型製造業で、安定的な生産をするために外国人労働者の新規雇用の早期再開が重要と政府に要請している。日系製造業のみならず、マレーシアの製造業全体で、外国人労働者の雇用難による人手不足が深刻となっていることがうかがえる。

また、製造業では、全国的に感染者が増える中で一定水準までの出勤が認められている。出勤した従業員の中から新型コロナウイルスの陽性者が出るケースも少なくない。陽性者が出た場合には、濃厚接触者の隔離や一時操業停止などの措置を、政府が定める標準作業手順書(SOP)に沿って行う。日系製造業B社では、陽性となったマレーシア人従業員と同じ生産ラインで外国人労働者が1人働いていたために、同社の外国人労働者用の寮に入居する全員を1週間以上隔離するよう保健所から指示された。生産シフトに大きく影響したと話す。濃厚接触者の定義や隔離の基準が当局の担当者によって変わる点もリスクとなっているようだ。

そのほか、従業員へのワクチン接種も課題となっている。政府は製造業に従事する従業員のワクチン接種を進めるために「集団ワクチン接種プログラム(PIKAS)」を2021年6月から開始した。多くの日系製造業が申請済みだ。徐々に同プログラムが進んでいることもあり、ワクチン接種率向上に貢献しているが、首都圏以外の地域などで申請から1~2カ月経過しても承認されないという企業もみられる。日系製造業C社では、PIKASに申請したがなかなか承認されず、その間に個人向けに政府が進めている「国家ワクチン接種計画」による接種通知が多数届いた。従業員が個人で接種することで、ワクチン接種率が上がってきているという。他方、既に「国家ワクチン接種計画」で接種を受けた従業員は、PIKASで申請した従業員リストからその都度削除しなければならず、逆に手間がかかっていると指摘する。

マレーシアでワクチンの2回接種を終えた成人の比率は8月16日時点で、47.2%に達しているが、州ごとにばらつきがあることも課題となっている。例えば、セランゴール州を含む首都圏では68.9%だが、北部のペナン州は38.1%、南部のジョホール州は29.3%と大きな差がある。同日からは製造業で、従業員のワクチン接種完了者の比率に応じて出勤率の制限が緩和された。従来、政府が進める国家回復計画の第1段階は出勤率60%まで、第2段階は80%までとしていたが、従業員のワクチン接種率に応じて、これらの上限を超えた出勤率が認められる。接種が進んでいない州に所在する企業では、なかなかこの緩和策を享受できないという可能性も懸念される。

在宅勤務には課題もあるが、将来的な期待も

「2021年度JACTIM-JETRO共同日系企業アンケート」で、非製造業や製造業の管理・事務部門の労務上の課題として多く指摘されたのは、在宅勤務態勢の整備だった。主な課題としては、従業員のインターネット環境や、業務に必要な資料のデジタル化やクラウド化が進んでいないこと、在宅勤務用のパソコン支給が遅れていることなどが挙げられる。ほとんどの日系企業で、移動制限令が始まった2020年3月中旬から在宅勤務を導入したとみられる。在宅勤務を導入後、1年以上が経過し、これらの課題への取り組みやオンライン会議の経験の積み重ねなどにより、業務効率が大きく落ちたという声は少なかった。しかし、人材育成という観点からは、対面でのコミュニケーションが取れないことが大きな問題だと指摘する企業もあった。日系流通業D社では、在宅勤務を導入している間接部門の従業員の中には、子供を持つ女性も多く、在宅勤務を歓迎する者がほとんどという。在宅勤務導入前と比べて、業務効率の低下も見られないため、同社の社長は「金銭的な手当の増加は難しい面もあるが、在宅勤務制度は福利厚生としてメリットがあると思う」と、仮に新型コロナ禍が収束したとしても、働き方改革や組織のコンパクト化を図るために在宅勤務の態勢は残したいと語った。

他方で、出勤しなければならない職種と在宅勤務ができる職種が混在している企業では、特に前者の職種の従業員が不公平感を抱いているとの声もある。交通費などで一部違いはあるものの、こうした不公平感をうまくコントロールする必要があるという。従業員の要望に合わせ、福利厚生としての在宅勤務制度の導入や、省人化や業務効率化を目的とした自動化・デジタル化に取り組む企業もある。

国内のワクチン接種率の上昇により、経済活動が徐々に再開されつつある中、政府による操業条件などの頻繁な変更と、感染から従業員を守るための対策に加え、在宅勤務の一般化による勤務態勢の多様化など、より複雑な労務管理が求められているというのが、日系企業を取り巻く現状と言えそうだ。


注:
調査実施期間は2020年7月13日~17日。有効回答企業数は209社(製造業115社、非製造業94社)。
執筆者紹介
ジェトロ・クアラルンプール事務所
田中 麻理(たなか まり)
2010年、ジェトロ入構。海外市場開拓部海外市場開拓課/生活文化産業部生活文化産業企画課/生活文化・サービス産業部生活文化産業企画課(当時)(2010~2014年)、ジェトロ・ダッカ事務所(実務研修生)(2014~2015年)、海外調査部アジア大洋州課(2015~2017年)を経て、2017年9月より現職。