米中対立の新常態-デリスキングとサプライチェーンの再構築 IPEFの意義と発効に向けた課題
米国の通商協定戦略と中国の台頭(後編)

2024年2月20日

前編では、北米自由貿易協定(NAFTA)から環太平洋パートナーシップ(TPP)、米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)、インド太平洋経済枠組み(IPEF)に至るまでの、米国の通商協定戦略について、中国の台頭を踏まえながら整理した。後編では、バイデン政権の代表的な「現代の通商協定」である、IPEFが有する今後の米国の通商協定戦略への影響と、2024年大統領選挙を見据えた米国での発効見通しについて解説する。IPEFは、発効が危ぶまれる柱があるものの、今後の米国の通商協定のフォーマットとなり得るため、予見可能性の低い現代に、企業が地政学的リスクも踏まえて経営戦略を立案する上で、指針の1つとすることもできるだろう。

現代の通商協定

ジョー・バイデン大統領は、ドナルド・トランプ前大統領によって中断された、通商協定を通じたアジア太平洋への米国の関与を再開した。その最も代表的なツールが、IPEFだ(注1)。IPEFは、2022年2月に発表されたインド太平洋戦略で、同地域との経済的結びつきを倍加させる重要な手段と位置付けられている。またバイデン政権は、トランプ政権下で顕在化した自由貿易へのネガティブな世論や、米中対立、新型コロナウイルス禍によるサプライチェーン途絶リスクを踏まえ、伝統的な自由貿易協定(FTA)から脱却を図るアプローチを掲げており、こうした考え方がIPEFに反映されている。

IPEFには、柱と呼ばれる4つの交渉分野があり、柱1の「貿易」、柱2の「サプライチェーン」、柱3の「クリーン経済(脱炭素・クリーンエネルギー)」、柱4の「公正な経済(税・腐敗防止)」に分かれている。だが、いずれにも関税削減を交渉する市場アクセスは含まれていない。最も市場アクセスと関係する柱1の貿易には、貿易円滑化のような伝統的なFTAの交渉項目に加え、デジタル貿易や労働、環境といったバイデン政権が重視する項目が含まれている。また、バイデン政権はサプライチェーン強靭(きょうじん)化を重要な政策課題の1つとして掲げており、柱2では、途絶リスクに対応するための危機対応メカニズムの確立など、同盟国や友好国間でのサプライチェーン強化を目的とする項目が含まれている(表参照)。

表:IPEFの概要
交渉の柱 米国の
担当省庁
交渉状況 主な交渉内容
貿易 USTR 交渉中 労働、環境、デジタル経済、農業、透明性と良き規制環境、競争政策、貿易円滑化、包摂性、技術支援と経済協力
サプライチェーン 商務省 2024年2月発効予定 重要産業・商品の基準確立、重要産業・商品の強靭性と投資の拡大、情報共有と危機対応メカニズムの確立、サプライチェーンロジスティクスの強化、労働者の役割の増進、サプライチェーン透明化の改善
クリーン経済 商務省 2023年11月実施妥結 エネルギー安全保障と転換、優先分野での温室効果ガス(GHG)排出削減、持続可能な土地・水・海のソリューション、GHG除去のための革新的技術、クリーン経済移行するためのインセンティブ
公正な経済 商務省 2023年11月実施妥結 反腐敗、税制、キャパシティービルディングとイノベーション、協力・包摂的協調・透明性

出所:米政府発表資料などを基に作成

IPEFサプライチェーン協定のフォーマット化

IPEFには、今後の米国の通商協定を占う上で重要な点がある。それは米国が今後追求する通商協定のフォーマットに成り得ることだ。特にサプライチェーン強靭化はバイデン政権や米国だけに固有の課題ではなく、国際社会の共通課題であることから、サプライチェーンに関する初めての複数国間による協定のIPEF は、米国の今後の交渉相手国からも受け入れられる余地がある。バイデン政権以降の政権が「現代の通商協定」から市場アクセスを含む伝統的なFTAへかじを再度切ったとしても、その将来的なFTAに「サプライチェーン章」が組み込まれることは十分に考えられるだろう。実際、NAFTA以降は、労働や環境といった内容がFTAに組み込まれることが当たり前になっている。また、過去のFTAでは、既存の条文とほぼ同じ表現が用いられたこともある(注2)。

ただし、IPEFサプライチェーン協定が今後のフォーマットになるためには、これが実効力のあるものとして機能することが重要となろう。日本の外務省、経済産業省の発表に基づけば、IPEFサプライチェーン協定は主に以下の点について規定している。

  • サプライチェーンの強化のための協力および各国の行動ならびに規制の透明性の促進
  • サプライチェーンにおける労働者の役割の強化
  • IPEFサプライチェーン協定に関する機関(IPEFサプライチェーン理事会、IPEFサプライチェーン危機対応ネットワーク、IPEF労働者権利諮問委員会など)の設置
  • 個別の施設における労働者の権利との抵触への対処
  • 重要分野・重要物品の特定
  • サプライチェーンの脆弱(ぜいじゃく)性に対する監視および対処
  • サプライチェーンの途絶への対応

より具体的には、「生産増大などの奨励」「共同の調達および提供の探求および円滑化」「代替輸送能力へのアクセスの円滑化と特定など」など、「途絶に対する他国の対応を支援する」内容が定められている。だが、実際に危機に直面した国に対して、これを実現するのはそう容易ではないと考えられる。例えば2011年の東日本大震災では、日本の部品工場が稼働できなかったことで、米国やタイの自動車工場の生産が滞った。他国で同様の部品が生産でき、スムーズに供給できていれば、米国やタイの工場は停止しなかったかもしれない。また、新型コロナ禍下で発生したマスクや半導体の供給停止は、世界共通の課題だったため、他国による融通が難しかった。こうした状況に、IPEFサプライチェーン協定がどのように実効性を持った対策を打ち出せるのかが、今後の焦点となっていくだろう。

IPEF発効に向けた課題

なお、現在の米国はそもそも、IPEFを発効できるかという大きな課題を抱えている。米国では2024年11月、大統領選挙が行われる。現在、民主党と共和党の2大政党の有力候補者はそれぞれバイデン大統領とトランプ前大統領だ。バイデン大統領が再任されれば、自身が主導してきた協定ということもあり、このままIPEFの発効に向けた交渉が続けられるだろう。他方、トランプ前大統領は既に、IPEFへの不支持を表明しており、トランプ前大統領が選ばれれば、バイデン政権の代表的な通商協定であるが故に、TPPと同様、就任直後に離脱を発表する可能性がある。

IPEFは柱ごとに協定が定められているため、実際に発効されるのか、破棄されるのかは、柱ごとにみていく必要がある。4つの柱のうち、発効が確定しているのは、柱2のIPEFサプライチェーン協定だ。2024年2月24日に発効する。同協定は第21条で、参加国のうち少なくとも5カ国が、国内手続きの完了を寄託国の米国に通告してから30日後に発効すると定められている。2024年1月下旬までに、日本、米国、シンガポール、フィジー、インドが、国内手続きを経て通知を完了したことで、発効要件が整った。一方で同協定では、第23条で、発効3年後以降に脱退を通知でき、通知した6カ月後に効力を有すると定められている。従って、次期政権発足後、少なくともしばらくの間、サプライチェーン協定は効力を有し続けられるだろう。

柱3のクリーン経済と柱4の公正な経済は、2023年11月に実質妥結されている。仮にこれら協定の発効や脱退要件が、サプライチェーン協定と近い内容とすると、11月の大統領選挙前に発効できるよう、最終段階の交渉の加速が重要となるだろう。

他方、IPEFの中で明示的に「貿易」と名がつけられている柱1は、発効の見通しが厳しいのが現状だ。複数の交渉分野で、米国内で意見がまとまっていない。特にデジタル経済では、意見が真っ向から割れている。それが端的に表れたのは、米通商代表部(USTR)が2023年10月に発表した、電子商取引(EC)に関する貿易関連ルールを交渉するWTOの共同声明イニシアチブ(JSI)会合での越境データフロー、データローカライゼーションの要求禁止、ソースコードの開示要求禁止への支持の取り下げだ。米国内では、市場を寡占する巨大IT企業に対する監視が強まっており(注3)、左派を中心とする議員はこれら企業への規制強化を求めている。こうした点が影響し、米国はTPPで議論を主導してきた越境データフローなどへの支持を取りやめたと考えられている。米国はこの発表の後、IPEF交渉でデジタル経済の協議を先送りすると伝えた。これにより、11月に行われたIPEF閣僚級会合での柱1の交渉は、他の柱の交渉がまとまったのと対照的に難航した。上院で通商を所管する財政委員会に所属しているエリザベス・ウォレン議員(民主党、マサチューセッツ州)らは、「政府がIPEFのデジタル分野の交渉を中断したことに感謝する」との書簡をバイデン大統領に送っている。一方で、ロン・ワイデン財政委員長(民主党、オレゴン州)や下院で通商を所管する歳入委員会のジェイソン・スミス委員長(共和党、ミズーリ州)などは、デジタル貿易のルール形成に対する米国の関与の減退が中国を利することにつながる、などと批判している。米国商工会議所や全米製造業協会(NAM)、全米小売業協会(NRF)などの産業団体も、デジタル経済での高水準のルール形成を支持している(注4)。そのほか、労働や環境といった分野でも、より高いルール水準にすべきとの批判があり、交渉が難航しているもようだ。例えば、シェロッド・ブラウン上院議員(民主党、オハイオ州)は、強力で強制力のある労働基準がない通商協定は受け入れられないとし、IPEFの柱1の交渉をやめるよう政権を促したと述べている。ブラウン議員も、通商を所管する上院財政委員会に所属している。

柱1の妥結に向けて政権は、こうした議会の意向を特にくむ必要がある。主要議員が議会承認は必要との立場を示しているためだ。これが柱1の交渉をより複雑にしている。合衆国憲法第8条第3項は、諸外国との通商を規制する権限を連邦議会に与えており、米国はこれまで、市場アクセス交渉を含むFTAを議会の承認の下で発効してきた(注5)。だがバイデン政権は、IPEFは市場アクセスを含まないこともあり、柱1から4まで全て、大統領が有する行政取り決めの範囲内で締結できるとの立場をとっている(注6)。こうした姿勢に対し、スミス下院歳入委員長は「バイデン政権は、憲法が米国の通商政策の中心に議会を置くことを認めようとしない」と述べ、ワイデン上院財政委員長は「政権は独り善がりの通商政策を恥じるべき」と痛烈に批判している(注7)。実際、議会の態度は強硬だ。バイデン政権は、台湾との通商協定交渉をIPEF同様、市場アクセスが含まれていないことなどから議会承認は必要ないとして進めてきた。だが、政権が当該協定の第1段階の合意をした後、議会は一方的に「21世紀の貿易に関する米台イニシアチブ第1段階協定実施法」を提出して成立させた。同法は、台湾との協定を議会が承認するとともに、第二段階以降の協定に対して議会による審査や承認などを課す内容となっている(注8)。

また、大統領選挙同日には、連邦上院と下院の選挙も行われる。労働組合を中心に、通商協定の締結や貿易の拡大に反対する声が一定数ある中、IPEFへの支持を積極的に表明できない議員も少なくない。労働組合を主な支持母体に持つバイデン大統領にとっても同様だ(注9)。こうしたことから、議会や政権の動向に詳しい首都ワシントンの専門家は、選挙が落ち着くまで、柱1の貿易についてはあまり目立たせることなく様子を見る状態が続くのではないかとの見解を示している(注10)。これらを踏まえると、柱1については、バイデン大統領が大統領選挙で勝利し、かつ議会が大統領と協力して妥協点を見つられるような状態でなければ、発効は難しいと考えられる。なお、貿易以外の他の柱については、交渉内容が通商に関わっていても、明示的に貿易と銘打たれていないことなどから、今のところ、議会承認を必要とするといった強い反応はみられていない(注11)。

米国の通商協定が有する意義

これまで述べてきたとおり、米国の通商協定は、内容に進化や揺り戻しがありつつも、世界の新たな経済ルール策定を牽引する役割を担ってきた。特に、近年のルール形成の背景には、中国の台頭が無視できない要因の1つとしてある。前編から続く議論の中で示しているように、TPPではデジタル貿易、USMCAでは原産地規則や毒薬条項、IPEFではサプライチェーンなどが、中国の台頭に少なからず影響を受けている。米中対立が常態化し、経済安全保障や経済的威圧といった言葉が外交や通商、海外ビジネスで一種のキーワードになっている中、確立されたルールのない分野で、国際的なルール形成の動きがあることは注目に値する。特に、予見可能性の低い現代において、将来的な通商協定のフォーマットになる可能性が秘められているIPEFの協定内容は、企業が地政学的リスクも踏まえて経営戦略を立案する上での指針となり得る。この観点から、海外ビジネスに携わる企業が、IPEF発効のカギを握る米国での議論の変遷を把握しておくことは重要となろう。


注1:
IPEFは2022年5月に東京で交渉開始が宣言された。参加国は米国、日本、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、ASEAN7カ国(インドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、ベトナム、マレーシア、ブルネイ)、インド、フィジーの14カ国。ただし、インドのみ貿易の柱への交渉参加を見送っている。
注2:
例えば、USMCAの第19章「デジタル貿易」とTPPの第14章「電子商取引」や、USMCAの第20章「知的財産」とTPPの第18章「知的財産」は極めて近い条文になっている。またUSMCAで初めて協定文に含まれた第33章「マクロ経済政策および為替レート」は、TPPの共同宣言を引き継ぐかたちで作られており、その後の米国と中国の第1段階の経済・貿易協定(2020年2月発効)にも、同様の内容が規定されている。USMCAの為替条項については、2022年10月28日付地域・分析レポート「為替操作と通商協定(後編)今後のFTAの為替条項(米国)」を参照。
注3:
例えば、司法省は2023年1月、グーグルがデジタル広告の売買を手掛ける主要な技術を独占しているとして、同社を反トラスト法(日本の独占禁止法に相当)違反で訴訟を起こした。また米国連邦取引委員会(FTC)は6月、マイクロソフトによるゲームソフトウエア開発会社アクティビジョン・ブリザードの買収を阻止するため、連邦裁判所に差し止めを求めた。9月には、FTCが17州の司法長官と、アマゾンがオンライン市場での排他的な行為によって独占力を維持し、反トラスト法に違反しているとの疑いで、同社をワシントン州西部地区連邦地方裁判所に提訴した(2023年9月28日付ビジネス短信参照)。
注4:
デジタル貿易のルール形成を巡っては、米商工会議所が、IPEFやWTO交渉で、越境データフローなどへの支持をUSTRが撤回したのは、一部の業界団体の主張に影響を受けているとする調査結果を発表している(2024年2月6日付ビジネス短信参照)。
注5:
例外的に議会承認を経なかったものとして、日米貿易協定が挙げられる。当時有効だった大統領貿易促進権限(TPA)では、関税率が5%以下の品目の関税率の削減・撤廃、関税率が5%超の品目はその関税率の半減までであれば、大統領権限で可能とされていた。同協定はこの条件を満たしていたため、議会承認なしで発効した。
注6:
議会承認が必要な通商協定と行政取極の違いは、市場アクセスが含まれているか否かが1つの焦点とする考え方もあるが、首都ワシントンの通商弁護士によると、「制度上の明確な境目は不透明」という(筆者による2023年1月のインタビュー)。
注7:
いずれも、2023年3月の議会公聴会での発言。
注8:
「21世紀の貿易に関する米台イニシアチブ」は、2023年5月に第1段階の合意をし、それ以外の分野は交渉を続けるとされた。同イニシアチブの実施法は、USTRに対して、米国側の交渉テキストを台湾側に共有する前に議会に提示することなども義務付けている。制度上、バイデン大統領は拒否権を発動し、法案への署名を拒否することもできた。だが、議会は大統領の拒否権に対して、上下両院の3分の2以上の賛成で法案を再可決でき、再可決された法案は大統領の署名なしで成立する。こうしたことから、バイデン大統領は、議会との関係悪化を招くだけとして、拒否権を発動しなかったとみられる。なお、通商を専門とする弁護士によれば、たとえ政権が議会承認なしで協定を締結できたとしても、何かしら国内法を変更する必要がある場合には議会を通す必要があることから、通商協定の履行に議会との関係性が重要と指摘している(筆者による2023年1月のインタビュー)。
注9:
例えば、全米自動車労働組合(UAW)は、2024年大統領選挙でもバイデン大統領を支持すると表明している(2024年1月29日付ビジネス短信参照)。
注10:
筆者による2024年1月のメールでのヒアリング。
注11:
本文中でも言及しているとおり、米国は柱2のサプライチェーン協定を既に寄託済みで、商務省が発効予定であることを発表しているが、議会から大きな反応はない。また、本文中で指摘している各議員の発言も、柱1の貿易についてのみであり、他の柱に対する批判的な言及はみられない。

米国の通商協定戦略と中国の台頭

  1. NAFTAからTPP、USMCA、そしてIPEFへ
  2. IPEFの意義と発効に向けた課題
執筆者紹介
ジェトロ・ニューヨーク事務所 調査担当ディレクター
赤平 大寿(あかひら ひろひさ)
2009年、ジェトロ入構。海外調査部国際経済課、海外調査部米州課、企画部海外地域戦略班(北米・大洋州)、調査部米州課課長代理などを経て2023年12月から現職。その間、ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)の日本部客員研究員(2015~2017年)。政策研究修士。