特集:現地発!アジア・オセアニア進出日系企業の現状と今後事業拡大を計画する日系企業増加、人材獲得の課題も(シンガポール)

2023年3月20日

新型コロナウイルス流行が沈静化するなか、事業拡大を計画する在シンガポール日系企業が増えている。一方、経済回復の本格化とともに、人件費の上昇など経営コストの上昇や、事業拡大に必要な人材の獲得などの課題にも直面している。また、新型コロナ禍で顕在化したサプライチェーンのリスクへの対応など、取り組むべき課題は多い。

今後1~2年で日系企業の44.6%が事業拡大へ

ジェトロの2022年度海外進出日系企業実態調査(注1)によると、在シンガポール日系企業で今後1~2年の事業展開の方向性として、「現状維持」と回答した企業が最も多かった(52.6%)。これに次ぎ、「拡大」が多かった(44.6%)。この回答割合は、前回調査(41.3%)と比べて上昇した。一方、「縮小」と回答した企業は2.0%、「第三国・地域への移転、撤退」が0.8%に留まった。同国では2022年4月26日から集会や出社人数の上限が撤廃され、同年8月29日に屋内でのマスク着用の法的義務が一部を除き撤廃されるなど、新型コロナの感染対策が段階的に解除される中で、同調査が実施された。

当地のビジネス環境について、在シンガポール日系企業が「経営に良い影響がある(メリット)」として最も多く挙げるのは、「言語・コミュニケーションの容易さ」(64.0%)だ。次いで「政治・社会情勢」(59.0%)、「駐在員の生活環境」(54.4%)が続く。一方、「経営に悪い影響がある(リスク)」としては、「人件費の水準」が81.1%に上った。次いで多かったのが「物価・賃料の水準」(71.8%)、「ビザ・就労許可手続き」(70.9%)だった。リスクの上位3項目は、アジア太平洋地域全体(注2)の日系企業の回答割合と比較して差が最も大きく、シンガポールでは同3項目が最もリスク要因として顕在化している実態が浮かび上がった(表1参照)。

表1:シンガポールのビジネス環境上のメリット、デメリット
(上位10項目、複数回答)

ビジネス環境上のメリット(△はマイナス値)
順位 回答項目 回答率
(%)
アジア大洋州地域全体との差(%、ポイント)
1 言語・コミュニケーションの容易さ 64.0 22.4
2 政治・社会情勢 59.0 29.2
3 駐在員の生活環境 54.4 16.6
4 法制度の整備状況(外資優遇・規制など) 53.7 25.5
5 税制優遇の整備状況(法人税、物品税、輸出入関税など) 52.8 23.9
6 税制・税務手続きの効率性 50.0 29.5
7 治安・犯罪・テロ 48.8 26.2
8 行政手続きの効率性(許認可など) 48.1 28.1
9 制度・政策の運用の透明性(産業政策、エネルギー政策、外資規制など) 46.3 26.3
10 市場の成長性 40.4 △ 19.6
ビジネス環境上のデメリット(△はマイナス値)
順位 回答項目 回答率
(%)
アジア大洋州地域全体との差(%、ポイント)
1 人件費の水準 81.1 27.7
2 地価・賃料の水準 71.8 37.7
3 ビザ・就労許可手続き 70.9 28.9
4 離職率の水準 45.2 3.7
5 雇用・労働制度 39.3 1.5
6 自社が求める人材の雇いやすさ
従業員の雇いやすさ(一般ワーカー、一般スタッフ・事務員など)
36.5 8.7
7 土地・事務所スペース 35.3 18.4
8 自社が求める人材の雇いやすさ
従業員の雇いやすさ(専門職・技術職など)
34.7 1.0
9 自社が求める人材の雇いやすさ
従業員の雇いやすさ(マネジャー・管理職など)
34.1 0.3
10 為替レートの変化 33.8 △ 13.4

注:有効回答数は、以下の通り。なお、メリットとデメリットの設問は、それぞれ独立している。
在シンガポール日系企業:メリットについて322社、デメリットについて323社。
アジア大洋州全体の日系企業:メリットについては2,267社、デメリットが2,479社。
出所:2022年度海外進出日系企業実態調査

シンガポールでは、新型コロナが流行する前から、そもそも雇用市場がタイトな状況にあった。コロナ禍が沈静化するに連れて、各企業が採用活動を活発化し、労働者も転職活動を再開。この結果、雇用市場が一段とタイトになり、給与を押し上げる要因となっている。シンガポール人材省の労働力統計によると、国民(永住権者を含む)の総賃金(注3)の中央値は、2022年6月時点で月5,070シンガポール・ドル(約50万7,000円、Sドル、1Sドル=約100円)。前年比で8.3%上昇した(2023年2月7日付ビジネス短信参照)。

上昇している経費は人件費だけではない。同国の発電燃料の9割以上を占めるガスの国際価格が2021年下半期に世界的に高騰したことを受け、電力料金も2022年にかけて急騰した(2022年6月22日付ビジネス短信参照)。当該調査で、「人件費、電力料金の変動が経営に大きく影響している」(一般機械製造A社)との指摘があった。

半数以上が人材採用で困難、待遇改善で対応も

また、リスクとして挙がった上位10要因の中には、「自社が求める人材の雇いやすさ」も挙がった。この結果から、一般ワーカー・スタッフ・事務員から、専門職・技術職、マネジャー・管理職まで、全てのレベルの採用に困難が生じている実態を読み取ることができる。さらに、在シンガポール日系企業のみを対象とした特別設問で、人材の採用状況についても聞いた。この設問で、「必要な人材の採用で困難に直面している」と答えた在シンガポール日系企業は53.5%(有効回答企業数:329社)と、半数以上に上る。

製造業(有効回答企業数:40社)で、人材採用が難しい職種として最も多かったのが「工場のラインワーカー」(40.0%)。次いで「専門職種」(30.0%)、「プログラマーやシステムエンジニアなどIT人材」(30.0%)だった。また、非製造業(同135社)では、最多が「中級幹部職」(57.0%)。これに、「一般事務職」(31.9%)、「専門職種」(31.9%)が続き、製造・非製造を問わず、幅広い職種で採用困難に直面している(複数回答、表2参照)。

表2:シンガポールで採用が困難な職種
(上位5項目、複数回答)
製造業/
非製造業
職種 回答率(%)
製造業 工場のラインワーカー 40.0
専門職種(法務、経理など専門技能を必要とする職種 30.0
プログラマーやシステムエンジニアなどIT人材 30.0
中級幹部職 30.0
一般事務職 27.5
非製造業 中級幹部職 57.0
一般事務職 31.9
専門職種(法務、経理など専門技能を必要とする職種 31.9
上級幹部職 27.4
プログラマーやシステムエンジニアなどIT人材 23.7

注:在シンガポール日系企業の有効回答数は、製造業が40社、非製造業が136社で、合計176社。
出所:2022年度海外進出日系企業実態調査

人材採用難への対応策として、給与引き上げに踏み切った企業も少なくない。同時に、「IT業界は賃金上昇が激しい。働きやすい環境など、賃金以外のメリットも重視している」(情報通信B社)、「カフェスペースや在宅勤務など待遇の強化」(物流C社)など、給与以外でも勤務待遇を改善する必要性が指摘された。なお、人材探しでは、人材会社に依存する企業が多いなか、「紹介会社に頼った人材の確保には、限界がある」(金融D社)という意見も聞かれた。このほか、中級幹部職の人材難に直面している企業(電気・電子E社)から、「社員の日本研修などを計画したものの、育成にまで至っていない」という声もあった。

しかし、人材採用に苦慮する日系企業が多い状況下でも、今後1~2年の現地従業員数の予定について、「増加」(39.0%)と回答した企業は、「減少」(11.0%)を上回った。

新型コロナを機に、製造サプライチェーン見直しの動きも

本調査では、サプライチェーンの見直しについても聞いた。当地日系製造会社(有効回答企業数:90社)のうち60.0%が2022年8~9月までに、新型コロナ流行や国際情勢の緊迫化などを背景に販売や調達、生産のサプライチェーンを見直したと回答した。既に実施済みの見直し内容として最も多かったのは「販売価格の引き上げ」(64.7%)。次いで、「調達先の見直し」(58.8%)、「調達先との連携強化」(47.1%)だった(表3参照)。

表3:日系製造業企業がサプライチェーン(販売・調達・生産)の見直しを実施済み、今後予定している見直し内容(複数回答、上位5項目)

2020年以降、2022年8~9月の見直し内容(注1)
順位 見直し内容 回答率 (%)
1 [販売]販売価格の引き上げ 64.7
2 [調達]調達先の見直し 58.8
3 [調達]調達先との連携強化 47.1
4 [調達]在庫量の見直し 45.1
5 [調達](不測の事態に備えるための)複数調達化(マルチプル・ソーシング)の実施 39.2
今後の見直しの内容(注2)
順位 見直し内容 回答率 (%)
1 [調達]調達先の見直し 56.5
2 [販売]販売価格の引き上げ 45.7
3 [調達]在庫量の見直し 43.5
4 [調達]調達先との連携強化 43.5
5 [調達](不測の事態に備えるための)複数調達化(マルチプル・ソーシング)の実施 30.4

注1:在日系製造会社の有効回答数:51社。
注2:在日系企業製造会社の有効回答数:46社。
出所:2022年度海外進出日系企業実態調査

この先、サプライチェーンに関わる戦略に見直し予定があると答えた日系製造業企業の割合は、57.8%だった。今後の見直し内容としては、「調達先の見直し」(56.5%)が最も多かった。次いで「販売価格の引き上げ」(45.7%)、「在庫量の見直し」(43.5%)、「調達先との連携強化」(43.5%)と続いた(複数回答、表3参照)。調達先の見直し規模としては、「10%以上~30%未満」(50.0%)が最も多い。次いで、「1~10%未満」(37.5%)だった。

また、サプライチェーン上での人権に関する問題意識も高まっている。これを経営課題として認識していると答えた日系企業の割合は、製造業で62.3%。非製造業で60.5%と、製造・非製造の別を問わず、半数以上を占めた。さらに、自社サプライチェーンの人権方針への準拠を調達元企業に求める企業は、製造業で75.0%、非製造業で58.1%だった。

2023年の営業利益に改善見通しも、経営課題山積

本調査によると、2023年の営業利益について、在シンガポール日系企業の48.8%が2022年比で横ばい、34.3%が改善するとの見通しを示した。一方、見通しが悪化すると答えた企業は16.9%だった。改善するとした企業にその理由を聞いたところ、最も多かったのは「新型コロナに起因する行動制限緩和の影響」(36.2%)、「輸出量の増加による売り上げ増加」(22.8%)、「新型コロナに起因する反動増」(21.3%)だった(複数回答)。

新型コロナウイルスのシンガポール政府タスクフォースは2023年2月13日から、水際対策を全廃し、国内の残りの感染防止策もほぼ撤廃し、エンデミック(一定期間で繰り返し流行する感染病)への移行を宣言した(2023年2月15日付ビジネス短信参照)。経済活動の本格的な回復が一段と進み、人材需要がさらに増え、雇用市場のタイトな状況は、当面継続しそうだ。また、経済活動の再開とともに、オフィス需要が増えており、人件費や賃料など経営コストは、2023年も引き続き上昇する可能性が高い。

また、多くの日本人駐在員が取得する幹部・専門職向けの就労査証「エンプロイメントパス(EP)」は2023年9月から、発給基準が強化される。従来の最低基本月給に加え、新ポイントシステム「補完的評価フレームワーク(COMPASS)」が導入される(2022年3月8日付ビジネス短信参照)。さらに今回の新型コロナ禍で、サプライチェーンからの調達が滞るリスクも顕在化し、シンガポール進出日系企業が取り組むべき課題は引き続き多い見通しだ。


注:
当該調査は、アジア・オセアニア20カ国・地域で一斉に実施された。シンガポールでは日系企業1,084社を対象とし、404社から回答があった(調査期間:2022年8月22日~9月21日)。
注2:
北東アジア(中国、香港、マカオ、台湾、韓国)、東南アジア(ASEAN加盟国のうちブルネイを除く)、南西アジア(インド、バングラデシュ、パキスタン、スリランカ)、オセアニア(オーストラリア、ニュージーランド)。
注3:
「総賃金」には、雇用主の中央積立基金(CPF)負担額を含む。
執筆者紹介
ジェトロ・シンガポール事務所 調査担当
本田 智津絵(ほんだ ちづえ)
総合流通グループ、通信社を経て、2007年にジェトロ・シンガポール事務所入構。共同著書に『マレーシア語辞典』(2007年)、『シンガポールを知るための65章』(2013年)、『シンガポール謎解き散歩』(2014年)がある。