特集:分断リスクに向き合う国際ビジネスWTO改革の行方

2023年8月29日

世界貿易の分断リスクが高まる中、世界164カ国・地域が加盟する世界貿易機関(WTO)は包摂的で自由な多国間貿易体制の最後の砦とも言えよう。しかしWTOは、しばしば機能不全が指摘され、制度改革の必要性が唱えられて久しい。2018年10月には、日本、カナダ、EUなど13の有志国・地域でWTO改革に関する閣僚会合を開催。WTO紛争解決制度が、その上級審に当たる上級委員会における空席の継続から、機能停止の瀬戸際にある事態に深い懸念を示していた。そこから早5年が経過し、2019年12月には、上級委員会の委員数が審理に最低限必要な3人を割ったことで機能停止が現実のものとなり、現在に至っている。

そのWTOで、今改めて制度改革に向けた機運の高まりがみられる。理由の1つは、前回2022年6月の第12回閣僚会議外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますの成果文書(文書番号WT/MIN(22)/24)にWTO改革に取り組むことが明記され(3~4項)、中でも紛争解決制度について2024年までに全加盟国・地域(以下、加盟国と表記)が利用できる完全かつ良く機能する制度の実現を目的に議論することが盛り込まれたこと、最高意思決定機関である閣僚会議で全加盟国の合意事項として期限を切った約束が盛り込まれたことで、議論が加速した。第2に、米国による改革へ積極的な関与が挙げられる。上級委員会の機能停止は、米国による新委員の選任拒否が続いている結果から生じたものだ。その米国が、同7月に紛争解決制度改革について論点整理した文書を公表するなど、会合に主体的に参加している。米国の関与を前向きな変化ととらえる加盟国は少なくない。

こうした変化を踏まえ、本稿では、議論が再燃しつつあるWTO改革の行方について整理、展望する。

機構改革に焦点を絞ったWTO改革

WTO改革は、広義ではルール形成機能の見直し・強化と、機構改革に整理できる。ルール形成すなわちWTOで扱う議題を環境やデジタル貿易といった現代的課題にアップデートすべき、という点は従来からの課題であった。最近は、加盟国の全会一致でルール形成を進めることの難しさから、有志のWTO加盟国間で交渉し、合意形成を進める傾向がみられる。2023年7月に妥結した、開発のための投資円滑化ルール交渉は、有志国イニシアチブの好例といえる。他方、現在議論が進むWTO改革は、機構改革の側面に焦点が絞られつつある。機構改革には主に、閣僚会議の役割や一般理事会などWTOの審議機能や、WTO事務局の行政手続きの改革と、紛争解決制度改革の2つの側面がある(図参照)。

図:WTO改革の概念図
WTO改革は広義では、1.ルール形成機能の強化(例:気候変動対策、デジタル貿易)、2.審議機能の見直し(例:一般理事会、WTO事務局)、3.紛争解決制度改革(例:二審制の維持、判断の迅速化)の3つの側面がある。現在議論が進んでいるのは2.と3.の機構改革である。

出所:WTO事務局資料および各種報道を基に作成

WTOの審議機能の改革については、2023年に入り、活発な提案が出されている(注1)。オーストラリアは、WTO閣僚会議の価値の最大化、と題した提案の中で、今後数回の同会議は、多くのリーダーたちがWTOの最優先議題に挙げるWTO改革に焦点を当てるべきだと指摘した。2年に1度開催の閣僚会議への負担集中を軽減する提案は複数みられ、いずれの提案も同会議に準ずる意思決定機関である一般理事会の機能改善に期待する。米国は、一般理事会の会合で過去に提案された議題が大きな変更なく繰り返し取り上げられる結果、新しい議題が深掘りできていないと指摘し、新しい提案を優先的に扱うよう提案した。中国も同様に、一般理事会の効果的な議論、さらにはWTO事務局の裁量の強化や、閣僚会議前に副大臣級の会合を開催することで閣僚会議の論点を絞り込むことなどを提案した。インドは、WTOが2025年に設立30周年の節目を迎えるまでに達成すべき30の提案と題し、手続き規則の改正やデジタルツールを活用した効率化といった実務的な改善策をまとめた。

一連の提案は、加盟国がWTOの審議機能を改善してルール形成機能を高めるという共通の目的に向かう現実的な取り組みとして評価すべきだろう。例えば、一般理事会で新規の提案を優先的に取り上げるという米国提案については、中国が賛同する姿勢を示すなど、立場の違いを乗り越えて、改革を前進させる意識が読み取れる。

米国の紛争解決制度改革の方針を読み解く

これに対し、紛争解決制度改革は、上級委員会の機能停止の発端が米国による委員選任拒否にあることからも分かるように、加盟国間での対立が先鋭化してきた(注2)。米国が2017年以降、委員選任手続きを妨げる一方で、WTOの場では紛争解決制度に関する自身の提案を示さないことにも他の加盟国から不満が出ていた。

その後、米国は、2022年春から2023年初にかけて、非公式ながら紛争解決制度改革の検討会合を主導。2023年2月以降は検討会合のファシリテーターをグアテマラの交渉官に譲り、一加盟国の立場ながら、会合に参加し、2023年4月には紛争解決制度改革の非公開の独自提案を提出した。さらに、同年7月には、「WTO紛争解決制度改革に対する米国の方針」と題するコミュニケーション(政策文書)を公表した(表参照)。

表:WTO紛争解決制度改革に対する米国の方針
改革された紛争解決制度に期待される貢献 説明
貿易紛争解決の円滑化 紛争解決手続きを新たなルールの策定に用いるのではなく、加盟国間の紛争解決の支援に徹することが、WTOの監視・審議機能の保全につながる。
合意された約束とルールの維持 紛争解決手続きは加盟国が合意したWTO協定の内容を改変するものではない。ルールとともに、加盟国に残された政策的余地も尊重されなければならない。
貿易体制の公正性の保持と促進 紛争解決制度の裁定者(adjudicator)は、加盟国が非市場経済的な慣行から労働者とビジネスを保護する力や、民主主義や人権といった、中核的価値を損なう解釈を行ってきた。
加盟国の安全保障上の利益の尊重 加盟国は、自国に必須の安全保障上の利益を保護するためにどのような措置が必要か判断する権利を有する。
紛争解決の各種手段の活用 WTO紛争解決は「訴訟」と同義になり、司法的性質を強めてきたが、当事者による協議などあらゆる解決手段を有効活用できるシステムが望ましい。
紛争解決にかかるコストの低減 WTO紛争解決に必要なコストは法外に高く、全ての加盟国がアクセス可能な制度への変革が必要。
効果的な紛争解決 WTO紛争解決手続きは何年も要し、効果的な解決策を提示できていない。より合理化され効率的な制度が必要。
制度の透明性の向上 当事者以外の第三国や一般人もアクセスしやすく、理解が得られるシステムの構築を求める。
制度および判断への信頼構築 WTO紛争解決は加盟国政府およびステークホルダーから信頼される合法的な解決策を提示しなければならない。
紛争解決制度の一貫性の保全 WTO紛争解決は、加盟国が合意した協定である紛争解決了解で想定された制度から乖離している。制度を適切に評価し継続的に機能するシステムの構築が必要。

注:米国によれば、本ペーパーは交渉提案ではなく、かつ項目は例示であり、網羅的ではない。
出所:WTO事務局資料(2023年7月5日米国コミュニケーション)から作成

同政策文書は交渉提案ではないが、WTOの場で自国の立場を明示したことに一定の意義がある。この中には、従来から米国が主張してきた主な論点を確認することができる。第1に、「合意された約束とルールの維持」。第一審にあたる紛争解決小委員会(パネル)および上級委員会の判断が、加盟国のWTO上の権利義務を変更することにつながってはならない、というのは米国の中心的な立場といえる。特に米国は、上級委員会の判断が協定上は先例拘束性を有しないにもかかわらず、事実上の先例となり協定解釈を拡大していると問題視してきた。第2に、「加盟国の安全保障上の利益の尊重」。2022年には、米国の鉄鋼およびアルミニウム輸入に対する追加的関税措置について、米国が「戦時その他の国際関係の緊急時」に当たる措置であると主張したのに対し、パネルがそのような事態に該当しないと判断した。米国はこのような安全保障上の事態に関しては、当事国自身の判断が尊重されなければならないと主張している。こうした主張は第1の点、つまり協定解釈の拡大という、米国による批判の具体例といえる。第3に、「コストの低減」と「効果的な紛争解決」。WTO紛争解決に高額な費用がかかり、最終判断まで何年もの期間を要するという点は、米国のみならず批判の対象となってきた点である。第4に、「制度および判断への信頼構築」。米国は、パネルや上級委員会の報告書作成において、WTO事務局が大きな役割を担っており、判断の信頼性と独立性を損ねていると主張してきた。WTO事務局は報告書作成において限られたサポート機能を果たすのみにとどめ、意思決定に関わるべきでないとの立場だ。

パネルと上級委員会からなる二審制の維持については、本質的な論点であるものの、米国の文書では明確な方針が示されていない。ただし、紛争解決の実施機関について、文中で「裁定者(adjudicator)」と表現し、パネルや上級委員会への直接的な言及がないことから、米国が現行制度の枠組みにとらわれず、根本的な見直しも含めた改革を想定していることが読み取れる。

2023年7月のWTO紛争解決機関会合(注3)では、非公式検討会合のファシリテーターが全加盟国に対して議論の進捗状況を報告した。それによれば、これまでのインテンシブな会合の結果、論点の8割は合意文書の起草に進められる段階にあり、1割はその段階に近づいている、残りの1割が加盟国間の意見の相違が大きいセンシティブな論点、となっており、9月以降、合意文書の起草に取りかかるとした。このように、一定の意見集約がみられるものの、課題は多い。米国と他加盟国の意見対立だけではない。WTO交渉に対応する人員の少ない途上国からは、日々WTOで各種委員会が開催される中、頻繁に開催される紛争解決制度改革の非公式会合に、参加したくても対応できる人員がいないとの悲鳴が上がっている。さらに、非公式会合で検討を進めるプロセス自体に疑問を呈して、紛争解決機関会合での全加盟国での公式の協議を望む声もある。

WTO初の「WTO改革のための閣僚会議」になるか

同7月のWTO一般理事会では、議長が「(2024年2月の)第13回閣僚会議は真に改革のための閣僚会議でなければならないとの声が上がっている」との見方を示した。WTO改革が閣僚会議の主要議題となれば、WTO30年の歴史で初となる。議長は、今秋以降、様々なレベルで検討を進め、12月の一般理事会までに閣僚会議に上げる論点を具体化する必要があるとし、閣僚会議に向けた工程案を示した。

今WTOでは、できるところから進める「行動で示す改革(reform-by-doing)」がキーワードとなりつつある。一般理事会の機能の見直しについて米中間で方向性の一致がみられるように、審議機能の見直しを中心に、機構改革を前進させる機運は高まっている。他方、紛争制度改革は前途多難だ。特に、パネルと上級委員会からなる二審制といった本質的な論点については、インドやアフリカ諸国をはじめ、多くの加盟国が見直しに反対する(注4)以上、仮に非公式会合で文書案をまとめたとしても、WTO協定の改正に全会一致を要するというシステムが維持される限り、採択は極めて難しいと言わざるを得ない。前回の第12回閣僚会議での成果文書で示された紛争解決制度改革のタイムラインは「2024年まで」であり、同2月の第13回閣僚会議は通過点に過ぎず、議論は2024年を通して継続するとみられる。

WTOのンゴジ・オコンジョ=イウェアラ事務局長は2023年7月、加盟国の交渉官に対し「第13回閣僚会議に向け、従来からの立場を繰り返すのではなく、真に実行可能な現実的な期待を持って臨む」よう呼び掛けた。まずはできるところから、改革を一歩でも前に進めることが、分断リスクに向き合う自由貿易体制の下支えになる。


注1:
詳細は「2023年版ジェトロ世界貿易投資報告」第3章第2節PDFファイル(1.14MB)(1)参照。
注2:
上級委員会の機能停止の経緯や背景については「2020年版ジェトロ世界貿易投資報告」PDFファイル(1.98MB)第3章第2節(2)参照。WTOの場以外では、米国の立場は、米国通商代表部(USTR)が2020年2月に公表した「WTO上級委員会に関する報告書」PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(2.37MB)に詳述されている。
注3:
紛争解決機関(DSB)は、一般理事会などと並ぶWTOの主要機関で、全加盟国が参加して、各紛争案件についてパネル設置の承認や報告書の採択などを行う。
注4:
通商専門紙Washington Trade Daily (2023年8月9日付)によれば、2023年6月に開催された紛争解決制度改革の非公式会合では、米国の独自提案に対し、中国、EU、カナダ、オーストラリア、インド、パキスタン、南アフリカ共和国などから反対意見が示された模様。
執筆者紹介
ジェトロ調査部 主査
安田 啓(やすだ あきら)
2002年、ジェトロ入構。海外調査部国際経済課、公益財団法人世界平和研究所(現・中曽根康弘世界平和研究所)研究員、ジェトロ・ブリュッセル事務所次長などを経て、2023年から現職。