特集:ASEAN地域のスタートアップ事情アジア進出の一歩目をフィリピンで

2018年9月14日

フィリピンでは、ASEAN域内先進国と比較すると、スタートアップの情報や資金調達機会が十分ではなく、エコシステムは形成途上にある。他方、早ければ2018年内にも「イノベーティブ・スタートアップ法」が施行される見通しで、ビジネス環境は少しずつ改善されつつある。発展途上国ゆえの社会課題は多く、そこに商機があるのが魅力的だ。ITを用いたテック・スタートアップ企業へのインタビューを通して、フィリピンのスタートアップ環境を概観する。

国内エコシステムは形成途上

フィリピンで最も有名なスタートアップは、2015年に設立されたレボリューション・プリクラフテッドだ。同社はフィリピン人が起業したスタートアップで、世界的に著名な建築家が設計する家屋をオーダーメードにもかかわらず、低価格かつ短い工期で提供する。フィリピン初の「ユニコーン」企業として国内外から注目を集めるほどに急成長している。

アジア周辺国では地場スタートアップが電子商取引(EC)やライドシェア、旅行などの分野で勃興しているが、フィリピンでは状況が異なる。EC市場ではシンガポールを統括拠点とするラザダが高いシェアを誇り、ライドシェア分野はマレーシア発祥のグラブにほぼ独占されている。また、インドネシアでは旅行分野で地場スタートアップのトラベロカが市場を牽引しているが、フィリピンで活躍する地場スタートアップは目立たない。レボリューション・プリクラフテッドに続く、フィリピン発の有力なスタートアップは少ない現状だ。

なぜフィリピンでは、スタートアップをはじめとした起業家が育ちにくいのか。ある日本人関係者は「IT系人材は豊富だが、そのほとんどが海外就労者(OFW)となる。また、国内でもIT-BPO産業(アウトソーシングの一種)で十分な就業機会がある」点を理由として挙げる。政府によるあっせんの下、毎年200万人近くが海外就労者として国外で働いている。また、国内ではコールセンターやバックオフィス業務などを受注するIT-BPO産業の雇用者数は100万人を既に超えたとみられるが、欧米企業による受注請負を主たるビジネスとしており、起業家精神を養成するにはこうした形態から脱することが求められるという。地場のソフトウエア開発企業で、フィリピン大学など地元の優秀な大学を卒業した学生を多く雇用するストラットポイント・テクノロジーズ(Stratpoint Technologies)のマリー・ローズCEO(最高経営責任者)は「高度人材流出を止めるためには高度人材に見合う職を確保する必要がある」と述べる。

起業家育成を含め、フィリピンではスタートアップのエコシステムは形成途上だ。政府による具体的な支援策は乏しく、関連情報の収集機会につながるネットワーキングやピッチイベントなどの開催も少ない。国内には、インキュベーターやアクセラレーター、そしてベンチャーキャピタル(VC)、エンジェル投資家など、目立ったエコシステムプレーヤーがみられない。プライスウォーターハウスクーパース(PwC)の「2017年フィリピン・スタートアップ・サーベイ」によると、アンケートに回答したスタートアップ106社のうち、「資金確保」が経営上の最も大きな障壁だと答えた起業家は88%に上るなど、とりわけ地場VCの少なさが課題になっている。

官民合同のイノベーション・ハブを設立

フィリピン政府は、エコシステムの整備に向けて動き出している。2015年に発表された政策ロードマップ「デジタル・スタートアップのためのフィリピン・ロードマップ」では、2020年までに国内で500社のスタートアップ企業が2億ドルの資金調達を行い、20億ドルの企業価値を創出することを目標に掲げている。さらに、国内のスタートアップ企業を支援する法案「イノベーティブ・スタートアップ法」が早ければ2018年内にも施行される予定だ。革新的なスタートアップ企業に対して総額100億ペソ(約210億円、1ペソ=約2.1円)の補助金が拠出されるほか、税制や査証で特例を与える。革新的なテクノロジーや優秀な人材を創出することで社会的課題を解決し、さらなる経済成長を促す狙いだ。(詳細は2017年12月15日付ビジネス短信参照)

官民が連携し、スタートアップを支援する体制も整いつつある。貿易産業省(DTI)は2016年、アーリーステージ段階にある企業を主な対象とするインキュベーター、アクセラレーターであるアイデアスペース・ファンデーションと共同で、「QBO・イノベーション・ハブ」を設立した。QBOは、スタートアップ間の交流や会計士、メンター、VCをつなげるためのネットワーキングイベントを定期的に開催している。また、普及啓発のために、無料セミナーなども開催する。QBOのナターシャ・バウティスタ・オペレーション部長は「フィリピンのエコシステムは点在していて、つながっていない。人々のマインドを変えていきたい」と話す。エコシステムが未成熟なフィリピンにとって、QBOがステークホルダーを結び付け、起業環境を整備していくことに期待が集まる。

フィンテック分野で商機

東南アジアにおけるスタートアップをみると、シンガポールでは産業高度化への貢献を、マレーシアやタイでは中所得国のわなから脱却するためのイノベーション創出や生産性の引き上げへの役割が期待される。これに対してフィリピンでは、社会課題解決のための技術やアイデアを有するスタートアップの誕生に期待が高まっている。フィリピンでは、周辺国と比較して低いインターネット普及率、日本よりも高い電気料金などといった、社会インフラの未整備が依然として投資環境上の課題だが、社会課題解決型のビジネス創出という観点からはスタートアップにとって商機にあふれているともいえる。例えば、高速道路や水道・電力など公共料金の簡易決済サービスを提供するマグパイ(Magpie)のジョピン・ロメロCEOとドム・ダナオCPO(最高製品責任者)は「デジタルペイメントの浸透率が数パーセントと言われるフィリピンだからこそ、ビジネスチャンスが多く存在する」と述べる。以下では、フィリピンで活躍する日系スタートアップ3社を紹介する。

(1)ヨーヨーホールディングス(YOYO Holdings)

ヨーヨーホールディングスは2012年10月、シンガポールで創業された日系スタートアップ企業だ。同社は2014年、プリペイド携帯電話の通信料金を報酬としたロックスクリーン広告アプリ「PopSlide」のサービスをフィリピンで開始した。ユーザーはロックスクリーンを解除するだけでアプリ内のポイントをためることができ、そのポイントを通信料金の支払いに充てることができる。フィリピンの庶民、中間層による通信料金の支払いはプリペイド式が多く、同社の深田洋輔社長は「通勤・通学前に店頭で支払い、夜には使い切っていることが多い」と語る。格安スマートフォンが出回り、普及率が格段に上昇しているにもかかわらず、支払いが滞ることによってインターネットアクセスが限られるケースが多い。同社サービスにより、ユーザーは無料でインターネットが利用でき、スポンサー企業にとっては多くの消費者向けに広告を打つという効果的なマーケティング手法を提供している。現在では、インドネシアやベトナムでも同様のサービスを展開している。


ヨーヨーホールディングスの深田社長(ジェトロ撮影)

(2)ベンテニー(Venteny)

家族の進学や台風で壊れた家の補修など、突発的にまとまったお金が必要となっても、フィリピンの中間層は銀行でローンを組むことは難しく、すぐに手当てすることができない。従業員は、少しでも目先の高い給料を求め、転職を繰り返す。そこに目を付けたのがベンテニーだ。同社は2015年4月から、従業員向け福利厚生サービスの事業を開始した。企業が同社サービスを導入することにより、従業員は提携先のスパ、ジムや託児所など約2,000店舗のサービスを受けることができる。また、従業員向けのマイクロファイナンスも提供する。勤務年数が長いほど低金利で借りられるファイナンスサービスで、従業員の長期勤続を促す。和出潤一郎社長は「福利厚生の導入は、その会社への帰属意識や企業文化が生まれる助けになり、離職率は下がり従業員の士気が高まる」と話す。


ベンテニーの和出社長(ジェトロ撮影)

(3)グローバル・モビリティー・サービス(Global Mobility Services: GMS)

グローバル・モビリティー・サービス (GMS)は自動車の遠隔起動制御技術(モビリティ・クラウド・コネクティング・システム:MCCS)を活用したモノのインターネット(IoT)プラットフォームサービスを提供するスタートアップだ。MCCSはトライシクル(三輪タクシー)や自動車の遠隔起動制御を可能にする。GMSフィリピン法人の中嶋一将副社長は同社サービスによって、「トライシクルやタクシー運転手が、車両をローン購入できる」と語る。まず、GMSがメーカーから車両を仕入れ、MCCSを搭載した後に購入者に提供する。毎月、期限までに支払いがない場合は車両を遠隔停止させ、支払いが確認されれば停止を解除するのだ。ドライバーはローン代を支払えば仕事ができ、支払わなければ仕事ができない。シンプルだが非常に有効な仕組みだ。また、返済状況のデータはGMSに蓄積され、利用者の与信情報となり、金融機関による新たなローンを可能にする。GMSは、これまでの基準ではローン審査に通らなかった人々に対して、雇用を創出し、新たなビジネスの可能性を提供しているのだ。


GMSフィリピン法人の中嶋副社長(ジェトロ撮影)

トライアル市場としての参入価値

日本人起業家にとって、フィリピンはどのような市場なのか。ヨーヨーの深田社長とベンテニーの和出社長はともに「アジア進出に当たってのテストマーケティング市場」としてフィリピンに優位性があると指摘する。和出社長は「シンガポールでの起業は、他の東南アジア諸国と比べるとマーケットサイズを含めて、限定的な要素が多い」とみる。一方、フィリピンは「未整備なビジネス環境のため課題は多い」が、日本から近く英語が堪能で、かつ労務費が安いため少ない資金で運営できる点がメリットだという。

執筆者紹介
ジェトロ海外調査部アジア大洋州課
渡邉 敬士(わたなべ たかし)
2017年、ジェトロ入構。