特集:ASEAN地域のスタートアップ事情タイのスタートアップ支援強化は数から質へ

2018年9月14日

近年、ベンチャーキャピタル(VC)によるスタートアップへの出資額が増加するなど、タイのスタートアップ支援体制は改善されつつある。しかし、スタートアップが事業を継続・拡大するためには、一回限りの出資にとどまらず、中長期的な支援が必要だ。タイのスタートアップをめぐるビジネス環境の変化について、その背景や今後の課題を考察する。

VCによる出資額が増加

タイでは近年、VCによるスタートアップ向け出資額が増加している。現地報道によれば、2017年にスタートアップがVCから獲得した資金額は1億600万ドルであり、前年比で約23%も増加した。

特に注目されるのは、コーポレート・ベンチャー・キャピタル(CVC)の増加だ。各産業の大企業がVC部門を設立し、有望なスタートアップへの出資を行っている。

現地スタートアップ関係者によれば、近年のタイにおけるCVC増加傾向は、その主体と出資対象分野から、次の3つの時期に分類される。まずは、外資の電気通信事業者によるCVC設立と、同分野への出資が目立った2012~2015年だ。次に、タイ地場の大手銀行がCVCを設立し、フィンテック分野への出資が注目された2015~2017年である。そして2017年以降は、建設・不動産、エネルギー、保険など、あらゆる分野の大企業が、スタートアップ向けの基金を設立し始めている。

CVCの数や出資額の増加など、数の面ではタイのスタートアップを支援する環境は、整備されつつあるといえるだろう。

注目される電子商取引分野

タイで増加するスタートアップへの出資において、特に注目されているのは電子商取引(EC)である。各分野のスタートアップの出資獲得回数(ラウンド)をみると、2011年以降は、ECが1位(24ラウンド)であり、2位のロジテックとフィンテック(それぞれ9ラウンド)に、3倍近い差を付けている。実際、現地報道によれば、タイのEC市場の規模は、2017年に29億ドルを超え、2020年には58億ドルまで拡大すると見込まれている。

こうした状況からタイ政府も、電子決済の利便性を高める政策を実施している。具体的には、国民1人1人が持つID番号や携帯電話番号を、各自の銀行口座とリンク付けることで、送金や決済を容易にする「プロムペイ」を2016年に導入した。

さらに現在は、消費者がスマートフォンを用い、デパートやレストランに設置される「QRコード」を読み取ることで、その場で送金決済ができる。現在では、タイ政府主導の下、国内の主要8銀行が「統一QRコード」を利用している。当該8銀行間であれば、相手と自分が異なる銀行口座を保有していても、容易かつ低額の手数料で送金ができる。

社会問題解決型のビジネスモデル

こうした中、ジェトロは、昨今事業を拡大させているタイのスタートアップにヒアリングを行った。これらスタートアップの創業者は、概して若くして事業を開始し、外国語やデジタルへの高い受容性を有している。また、米国のシリコンバレーを訪問し、現地大企業からアドバイスを受けるなど、貪欲に学ぼうとする姿勢が顕著だ。

さらに、こうしたスタートアップのビジネスの根幹にあるのは、デジタルやインターネットを活用した、社会問題の解決、または新たな付加価値の提供である。

例えば、バンコクの人気レストランは、日々多くの家族連れやカップルでにぎわっている。タイのスタートアップであるQueueQ LTDは、これらレストランと提携し、スマートフォン向けの「オンライン整理券発行」アプリケーションを提供している。


QueueQのランサン・プロムプラシット氏(ジェトロ撮影)

同社のランサン・プロムプラシット最高経営責任者(CEO)は「われわれのサービスを使えば、店舗に長時間並んで待つ必要はない。省いた時間を買い物に充てるなど、人々に新たな選択肢を提供できる」と話す。さらに、店舗側も「何時に何人の顧客が来るか事前に把握できるため、営業時間の拡大や、効率的なオペレーションが可能になり、市場に新たな付加価値が生まれた」という。

また、Neversitup Oc.,Ltdは、クレジットカードの支出を一元管理できるアプリケーション「Piggipo」を開発し、その利用者を急速に増やしている。家計債務を健全化し、かつ人々が安心してクレジットカードを利用できることは、安定した消費市場拡大、ひいては経済成長にも非常に重要だろう。

スタートアップの発展段階に応じた支援

ヒアリング調査によれば、創業したばかりのスタートアップが抱える課題は、シード、アーリー段階で必要な資金の確保や、大企業とのネットワーク強化である。これらの課題については、前述のようなCVC増加を背景に、支援体制は整いつつあるといえるだろう。

しかし、スタートアップが中長期的に事業を拡大していくには、事業規模の拡大に応じ、各段階で必要な資金を確保することが非常に重要だ。この点、ヒアリングした現地スタートアップによれば、現在は創業初期段階の一回限りの融資が多く、継続的に出資を受けているスタートアップは少ないという(注1)。

一般的に企業は、投資家から得た資金を、株式売却(IPO)やバイアウト(M&A)を通じて回収する。金融界ではこの段階をエグジット(EXIT)と呼ぶが、継続的に投資家から融資を受け、市場から評価され、スケールし続けた企業がこの段階に達する。しかし、タイのスタートアップの多くは、まだこのEXITには達していないという。

VCなどの投資家は、単発で資金を提供するだけではなく、自社のネットワークや経験を生かし、スタートアップに専門メンターを付けたアクセラレーションプログラムなど多角的な支援プログラムをもって、個々のスタートアップを中長期的に支援する姿勢が必要だ。

タイ政府は、中小企業を発展段階に応じて分類している。具体的には、起業したばかりの「スタートアップ」、スタートアップが成長した「レギュラー」、さらに拡大した「ストロング」である。タイのスタートアップが、レギュラーやストロングに、そして世界で活躍する「ユニコーン」(注2)に変貌していくため、官民ともに支援体制を、数から質の面で、さらに整備する必要がある。


注1:
スタートアップの発展段階に応じた融資を「シリーズA~C」と呼ぶ。初期段階で得る「シリーズA」に比べ、中間段階で得る「シリーズB」は獲得が難しいが、事業拡大には非常に重要とされている。
注2:
企業評価額が10億ドル以上かつ非上場のベンチャー企業を指す。
執筆者紹介
ジェトロバンコク事務所 シニアインベスメントアドバイザー
田口 裕介(たぐち ゆうすけ)
2007年、ジェトロ入構。海外産業人材育成協会(AOTS)バンコク事務所出向(2014~2017年)、アジア大洋州課(2017~2018年)。2018年より現職。