特集:ASEAN地域のスタートアップ事情スタートアップにおける社会課題解決の役割を重視(インドネシア)

2018年9月14日

インドネシアは、近年の堅調な経済発展と、中間層拡大によりスマートフォン(スマホ)利用者が増加し、電子商取引(EC)や配車アプリ分野を中心にスタートアップが勃興している。東南アジアを代表する「ユニコーン」企業やそれに続こうとする企業も誕生している。域内最大の経済、人口規模を誇り、中長期的な期待も高い。実際のビジネスは民間主導で、政府による具体的な支援策で目立ったものはないが、政府はデジタル産業を格差是正と中小零細企業育成の観点から発展させたいとし、中長期的なロードマップを策定している。以下では、現地取材を通じ、スタートアップ・エコシステムについて、地場スタートアップへのヒアリングとともに紹介する。

3社のユニコーン企業が誕生

東南アジア諸国を見渡すと、スタートアップ企業の現状はシンガポールをハブとした体制が構築されているといえるだろう。その中でインドネシアでは、ASEANにおける代表的なユニコーン企業(時価評価額が10億ドル以上の非上場企業)7社のうち、ゴジェック(Go-jek)、トコペディア(Tokopedia)、トラベロカ(Traveloka)の3社が地場企業として誕生し、国内市場向けを中心に事業展開している。中でも2010年に設立されたゴジェックは、インドネシアを代表するスタートアップである。バイクタクシーのオンライン予約・配送サービスからスタートし、料理や荷物の宅配サービス、電子決済などアプリ上で20弱のサービスを提供している。ライドシェアが浸透し、周辺国ではウーバー(Uber)、グラブ(Grab)が席巻している中、インドネシアでは同社が高いシェアを誇っている。2018年5月にベトナム、タイ、シンガポール、フィリピンへの進出計画を発表し、国内のみならず周辺国への展開を進めている。トコペディア は、2009年設立されたEC最大手で、B to Cサイトで成功を収めている。日本のサイバーエージェント・ベンチャーズやソフトバンクから資金調達するほか、2017年には中国最大手アリババ・グループを中心とする複数の企業からの資金調達が明らかになった。また、2012年設立のトラベロカは、オンラインで航空券やホテル手配などができるサービス提供をしている。米旅行サイト大手のエクスペディアや中国インターネット通販2位のJDドットコムからも資金調達した。

このように、インドネシアではスマホ普及が急伸し、ECや配車アプリ市場が急成長しており、とりわけスタートアップが製品・サービス提供の主たる担い手となっている。ベンチャーキャピタル(VC)のA社は「インドネシアでは約2,000社のスタートアップ企業が立ち上がっている」とするが、その事業規模や技術レベル、業績は一様ではなく大きな格差があるという。とりわけ、ECや配車アプリ分野では中国企業をはじめとして巨額資金により激しい投資競争が展開されており、今後、新たなスタートアップは生まれにくい。次なる有望分野として、BtoCではなくBtoB向けとして、ヘルスケア、フィンテック分野などを挙げている。スタートアップ企業が成功するためには、顧客の課題を見つけ、解決に導くという視点が必要で、業界の中から見て、コンサルティング部門や特定業界の出身者によるスタートアップの起業に成功の可能性を感じているという。

政府は社会的課題解決の手段としてスタートアップを支援

インドネシア政府はデジタル産業を経済成長の牽引役と位置付け、その振興に向け取り組む。政府が2015年に発表した「Goデジタル戦略2020」では、2020年までに「デジタル系スタートアップの1,000社の創業支援」「100万人の農民、漁民のデジタル化」「800万社の中小企業のデジタル化」を目標に掲げている。

スタートアップの育成支援では、デジタル分野のうち、とりわけECを中核に据えている。ジョコ大統領は「EC市場規模を2015年の200億ドルから2020年までに1,300億ドルへ拡大する」という目標を掲げた。2017年7月に制定された大統領令では、資金調達、税制、消費者保護、人材教育、通信インフラ、物流、サイバーセキュリティー、ガバナンスの8分野26項目のプログラムに沿って、運営されることが定められた。この中で、スタートアップに対する支援策も盛り込まれている。

近年の好調な経済成長に伴い、国民経済が全般的に底上げされている一方で、多数の島から成るインドネシアは、貧困・失業の削減、貧富の格差や地域間格差の是正を課題として抱える。スタートアップ育成は、デジタル経済やECに関わる産業を発展させ、大都市の経済発展から取り残される恐れのある中小零細企業や次世代を担う若年層起業家を育てることで、社会的課題の解決を図りたいとする政府の意向が表れている。

1,000社のスタートアップを育成支援

インドネシア政府による具体的なスタートアップ向けの支援策はどのようなものか。まず、前述の「デジタル系スタートアップの1,000社の創業支援」は、2016年6月から立ち上がった。政府は起業家の育成、支援、指導を実施する企業キバル(Kibar)と提携し、2020年までに1,000人の起業家支援を目指す(参考:インタビュー(1))。

また、次世代のユニコーン企業を育成するための「NextICorn (Next Indonesian Unicorns)」プログラムでは、情報通信省と民間関係機関が連携し、世界の投資家(VC、エンジェル投資家)がインドネシアのスタートアップの情報へアクセスするためのプラットフォームを構築する。スタートアップにとっての資金調達機会はユニコーン企業や「シリーズC(Later)」では比較的充実しているが、シード、「シリーズA(Early)」、「シリーズB(Middle)」など企業規模が小さい段階では十分でない。これらの企業にとって資金調達は貴重なものであり、政府がこのような投資環境整備を支援することは、スタートアップの促進に大きく貢献するものと考えられる。

スタートアップのエコシステムでは、「エンジニアや起業家などの人材開発」「税制面でのインセンティブ」「資金・金融支援およびIPO(新規株式公開)など出口戦略支援」「法制度面でのビジネス環境整備」などが重要である。しかし、政府による具体的な支援策や制度整備に乏しく、経済的合理性により民間ベースでスタートアップが立ち上がっている段階である。

そのような中、インドネシア中央銀行がフィンテック(ITを活用した金融サービス)分野で、「レギュラトリー・サンドボックス(規制の砂場)」の適用を開始した。これまでにない商品・サービスを開発・提供するフィンテック分野のスタートアップに対して、実証実験のために法規制を一定期間、緩和する便宜を図っている。ジェトロが中央銀行の担当者に確認したところ、「革新的で汎用(はんよう)性の高い技術やアイデアを持つ企業に対して付与する」という。2018年5月には国内企業23社が登録され、そのうち「トコ・パンダイ・ヌサンタラ」がレギュラトリー・サンドボックスの許認可を受け、実証実験を実施している(参考:インタビュー(2))。フィンテック分野に限らず、このような支援制度や法整備などが加われば、より多くのスタートアップが誕生し、さらなる発展が期待できる。

ジェトロがジャカルタで開催した「INDONESIA-JAPAN Innovation Meetup」ピッチイベント
(2018年5月8日、ジェトロ撮影)

インタビュー(1)PT. キバル・クレアシ・インドネシア:ヤンセン・カムトCEO

PT. キバル・クレアシ・インドネシア(PT. Kibar Kreasi Indonesia)は、スタートアップを対象としたエコシステムビルダーとして、2016年からインドネシア国内でコワーキングスペースやイノベーションハブを運営している。とりわけ、(1)教育、(2)農業、(3)ヘルスケア、(4)物流、(5)旅行、(6)エネルギー(スマートエナジーなど)の6業種にフォーカスし、地場スタートアップ企業を育成している。アクセラレーター、投資家として地方のコミュニティーが抱える社会的課題の解決を図っている。

設立者のヤンセン・カムト氏は、自らもカリマンタン・ポンティアナック出身というように、「地方にチャンスがある」と認識している。広大で多様性に富み、市場、人材、大学などエコシステム構築の観点で可能性を秘めているという。これまでにキバルが手掛けた地方での起業家育成プロジェクトのうち、マカッサルのコーヒー農園支援事業では、ITなどを活用し、農家と消費者と直接結び付ける取り組み(直接販売)や品質向上のための指導などを行ってきた。そのほか、フローレス島における絣(かすり)織、スラバヤでの若手デザイナー育成、同じくスラバヤでの加工食品などのパッケージ改善などの事業で起業家を支援してきた。

政府が2020年までに「スタートアップ企業の1,000社」誕生を目指す中、同社は唯一の民間パートナーとして同目標を支援するが、政府公認事業とはいえ、政府からの資金援助はないという。バンドン、ジョグジャ、スマラン、スラバヤなど合計10都市を重点都市として事業を進める。また、2018年5月14日には米国グーグルと協業し、PT.デジタラヤ(PT. DIGITARAYA)の設立を発表した。同社はインキュベーター、アクセラレーター、投資家(VC)として、スタートアップ支援体制を強化する。

ヤンセン氏は、国内エコシステム整備に当たって最大の課題は人材であるという。起業家精神を持った人材は多くなく、若者のマインドセットが必要で、これまでは手本となるような成功事例がなかったが、「近年、ユニコーン企業が誕生するなど若手起業家にとっての手本ができた」と話す。


PT. キバル・クレアシ・インドネシア のコワーキングスペース(ジェトロ撮影)

インタビュー(2)トコ・パンダイ:ブディ・タルノ氏

2017年に設立されたトコ・パンダイ(Toko Pandai)はフィンテック分野でのスタートアップ企業として、中小零細・伝統的な商店向けに金融アクセス・サービスを提供する。インドネシアのモダントレード(コンビニエンスストア、スーパーマーケットなどの近代的店舗)は企業数構成比で1%強程度だが近年、成長が速く、売上高では伝統的店舗と同程度まで拡大した。他方、中小零細企業を中心とする伝統的店舗は企業数の99%弱を占めるが、成長が十分でない。伝統的店舗の運営者は、店舗経営においてマニュアル化されていない、近代的ではない、全てが現金であることなどの課題を抱え、台頭する近代的店舗に淘汰(とうた)される危機感を感じているという。

同社は、アプリケーション開発により、これら伝統的店舗向けに、(1)キャッシュマネジメント(キャッシュレス支払い)、(2)金融商品アクセス、(3)デジタル製品サービスアクセス、(4)ストアーマネジメントなどのプリケーションを開発し、サービスを提供している。

例えば、伝統的な店舗経営者がアプリケーションを導入することで、キャッシュフローや利益計算などを行う際に、帳簿記帳や計算で作業が効率化される。また、伝統的店舗に対して商品を納めるFMCG(日用消費財)メーカー・代理店にとって、代金回収での苦労が軽減される。これまではメーカー・代理店の社員が、伝統的店舗からの代金回収に当たって、多くの時間をかけてきた。しかし、同アプリにより、店舗側の支払いが確認された後に、はじめて商品を発送するため、メリットがあるほか、社員の不正も防げる。銀行口座を持つ事業者(Bankable)はATMなどを通じて入金する。持たない事業者(Unbankable)は、トコ・パンダイが派遣する「Top-upエージェント」に対して支払う。ブディ氏は「将来的にUnbankableからBankableへ移行することを期待したい」と語る。現時点では経営者側の金融リテラシーが低いことや、現金至上主義、銀行と関係を持ちたくないことなどが保有層になりにくい原因であるという。

現在、トコ・パンダイは、パイロット・プロジェクトとして、ジョグジャカルタ州の約30店舗でサービスを試験導入している。同地域は多くの文化や新しい技術を受け入れる素地があるため、実証の場に選択した。パートナーである地場銀行が店舗経営者に対して、スマホを無料で提供するなどテストマーケティングがしやすい環境にある。

同プロジェクトは、中央銀行からレギュラトリー・サンドボックスとして認可を受け、約6カ月間の実証期間を経て、成功すれば、正式な事業ライセンスが発行され、そのまま延長される可能性があるという。同制度について、ブディ氏は「(中央銀行は)非常に協力的で助かっている」と話す。試験導入により、社会的な効果やインパクトを観察・分析したいとの考えが中央銀行側にあるようだ。同氏は「自社サービスにより、中小零細企業の金融商品・サービスの利用を導き、持続的な成長につながる」と自信をみせる。

執筆者紹介
ジェトロ・シンガポール事務所次長
藤江 秀樹(ふじえ ひでき)
2003年、ジェトロ入構。インドネシア大学での語学研修(2009~2010年)、ジェトロ・ジャカルタ事務所(2010~2015年)、海外調査部アジア大洋州課(2015~2018年)を経て現職。現在、ASEAN地域のマクロ経済・市場・制度調査を担当。編著に「インドネシア経済の基礎知識」(ジェトロ、2014年)、「分業するアジア」(ジェトロ、2016年)がある。