特集:ASEAN地域のスタートアップ事情急速に発展するスタートアップと整備されるエコシステム(ASEAN)

2018年9月14日

世界の中のASEANスタートアップ

スタートアップ(注)というと欧米などが主流で、ASEANは出遅れている感がある。例えば、世界のエコシステムをウオッチしているスタートアップゲノム(Startup Genome)の「グローバル・スタートアップ・エコシステム・ランキング2017」では、米国シリコンバレーが1位で、その後にニューヨーク、ロンドン、北京などが続いた。さらに、米国、イスラエル、欧州、中国の都市がランクインし、ASEANの中ではシンガポールがようやく12位で初めて登場した。ちなみにトップ20に入っているのは、ASEAN地域の都市では、唯一シンガポールだけである。

他方、ASEAN地域のスタートアップに対する投資は確実に伸びている。英国の調査会社プレキン(Preqin)によると、2010年のベンチャーキャピタルがASEANに投資した件数は53件であったが、2016年には365件に拡大した。また、シンガポールのスタートアップ情報会社のテックインアジア(Tech in Asia)がまとめた「東南アジアにおけるハイテク系企業の資金調達額」をみると、2013~2014年は10億ドル前後であったが、2017年には79億ドルと実に8倍近くに急増している。このような情勢から、今後、ASEANがエコシステムとして注目される地域であることは疑う余地がない。

ASEAN域内には、評価額10億ドル以上の非上場企業「ユニコーン」が10社程度あるといわれている(表参照)。事業内容をみると、先進国で成功したビジネスモデルを現地風にアレンジした、いわゆる「タイムマシン経営」的なものが多い。例えば、米国の配車アプリのウーバー(UBER)のビジネスモデルを現地の「市民の足」であるバイクタクシーにアレンジしたインドネシアのゴジェック(Go-jek)の例などは分かりやすい。

次の動きとしては、人工知能(AI)、モノのインターネット(IoT)などのディープテック系のスタートアップの台頭になるが、現状は有名企業が目立たない中、金融向けモバイルアプリケーション開発を手掛けるシンガポールのタジット(tagIT)の技術が三菱信託銀行に採用されるなど、萌芽(ほうが)は見て取ることができる。ディープテック系の登場が本格化すれば、ASEAN地域のエコシステムは規模、質ともにさらに拡大すると期待される。

表:ユニコーン企業の一例
会社名 事業内容 設立国 設立年
VNG ゲーム、SNS ベトナム 2004年
Razor ゲーム専門機器販売 シンガポール 2005年
Sea (旧Gerena) ゲーム シンガポール 2009年
Tokopedia C2Cマーケットプレイス インドネシア 2009年
Gojek 配車 インドネシア 2010年
Bukalapak C2Cマーケットプレイス インドネシア 2010年
Grab 配車 マレーシア 2012年
Lazada ECプラットフォーム シンガポール 2012年
Traveloka 旅行予約サイト インドネシア 2012年
Revolution Precrafted プレハブ住宅販売 フィリピン 2015年
出所:
ジェトロ調べ

スタートアップ発展の背景

ASEAN地域において、スタートアップが急速に発展した背景としては幾つかの要因が考えられる。中でも特に注目したいのが、スマートフォンの普及だ。ASEAN地域は世界経済の「成長センター」であり、近年、中間層の増加が著しい。今やスマートフォン普及率はシンガポール、クアラルンプール、マニラなどASEAN主要国の首都では東京と同等、あるいはそれ以上の普及率に達している。

デジタル・デバイド(Digital Divide)という言葉がある。ITを活用できる人とできない人との間に生じる知識、機会、貧富などの格差を表しているが、近年ではデジタル・デビデンズ(Digital Dividends)という言葉も登場した。世界銀行が2016年のレポートで使った言葉で、Dividendsとは「分け前」などを指す。要するに格安スマートフォンの登場などで「デジタル化の恩恵」を受ける人々が爆発的に増えたことを意味する。

図が表すように、ASEAN域内では都市部を中心に、インターネットの普及が急速に進んでいる。ASEAN地域に住む多くの人々がスマートフォンを持ち、いつでもどこでもインターネットにつながることが可能な時代になったことで、ASEAN域内の人々がサービスの利用者のみならず、サービスの提供者(起業家)にもなることができる環境が整ってきた。

図:ASEANの都市別インターネット普及率
東京は2007年時点での普及率は80%程度で、その後は緩やかに上昇し、2017年には90%を超えた。ASEAN主要国の都市ではバンコクが83.9%、クアラルンプールが74.3%と急速に2010年以降で普及率の拡大が進んでいる。
出所:
ユーロモニター

そのほか、ASEAN地域で近年、スタートアップが発展してきた背景には、経済・社会の課題の多さ、ライバルの少なさ、政策面からの後押しなどもある。域内の主要都市は先進的に見えるが、それらを取り囲み、面積の大部分を占める地方・農村地域を見渡せば、ベーシックなインフラの未整備をはじめ、多くの経済・社会課題が依然として残っている。

前述のように、エコシステムが未発達ゆえに、他地域と比較するとASEANはスタートアップの数が多いとはいえない。つまり、言い換えれば、この地域のビジネスチャンスは大きく、スタートアップが活躍する余地も大きいといえる。

各国の成長戦略とスタートアップへの期待

ASEAN各国は異なる経済発展段階の下で、それぞれ異なった成長戦略を描いており、スタートアップもその文脈の中で位置付けられている。トップランナーのシンガポールは既に高所得国ではあるが、面積も小さく、人口も少ないことから、その地位は長期的に約束されているわけではない。従って、同国にとって産業高度化は宿命であり、スタートアップはそれに貢献するものとして期待されている。シンガポールは世界190カ国・地域を格付けした世界銀行の「ビジネス環境ランキング」で常にトップクラス入りしているように、事業・投資インフラを積極的に整えており、多くのASEANスタートアップの本社をシンガポールに設置させることに成功している。さらに、シンガポール政府は「スマートネーション」構想の下、テックイノベーションにより、自国の競争力と国民生活の向上を目指しており、自国企業に限らず、スタートアップへの政策的な支援を充実させている。

シンガポールに続く経済発展をしている国としては、マレーシアとタイがある。この2番手グループは、高所得国へと脱皮するための起爆剤の1つとしてスタートアップのイノベーションに注目している。マレーシアの政府系インキュベーション施設、アクセラレーターはシンガポールを除くASEAN域内で最も充実していると言われている。首都近郊のクランバレーに加えて、シンガポールと接する半島南部のジョホール州にエコシステムを形成すべく、マレーシア政府が注力しているのは大変興味深い。他方、タイは他国と比較するとベンチャーキャピタルの存在が希薄であったが、タイ政府の積極的な振興策が功を奏しており、今後、スタートアップへの投資や融資が増える見込みとなっている。

3番手グループには、人口が多く、社会的な課題も多いインドネシア、フィリピン、ベトナムなどが入る。これらの国々では、それら課題を解決するものとしてデジタル技術の活用が期待されており、その担い手としてスタートアップを位置付けている。例えば、2億6,000万人の人口を抱え、約1万3,500の島から成るインドネシアは貧富の格差や地域間格差の是正のカギとして電子商取引(EC)を中核に捉えている。フィリピンも人口1億人を抱え、7,000以上の島があり、同様に社会的な課題は山積しており、革新的なテクノロジーや優秀な人材を創出することで解決に結び付けたいとしている。ベトナムは経済発展の原動力として民間経済を重視しており、2020年までに企業を少なくとも100万社に増加させるという目標がある。その一環として、まずはスタートアップの数を増やす支援に注力している。

期待される日本との関係

日本企業のASEANスタートアップとの関わり方は出資、連携など幾つかある。例えば、楽天ベンチャーズはインドネシアのゴジェックに出資し、ソフトバンク、トヨタ自動車、ホンダはシンガポールのグラブ(Grab)に出資を行っている。また、ヤマト運輸がマレーシアのソフトスペースと連携し、マレーシアヤマト運輸の「お届け時カード払いサービス」にMobile POSを導入した結果、配達時のクレジットカード払いに対応できるようになった例などもある。

他方、ASEAN域内における日本人スタートアップの活躍も見られるようになった。ASEANには、各国の日本商工会登録ベースだけで7,200社以上の日本企業が進出しており、実際の企業数はこの数倍になるといわれている。日本人向けの事業を行う日本人スタートアップの例としては、オンラインでの人材採用サービスや地場企業とのビジネスマッチングサービスを提供している企業などがある。さらに、現地人をターゲットにした事業を展開する日本人スタートアップも出てきている。例えば、フィリピンでは通信料が高いことに着目し、ロックスクリーン(画面ロック)上の広告を見ることでポイントがたまり、通信料が減額されるアプリを開発、提供している企業が登場した。

ASEAN地域で活躍するスタートアップに話を聞くと、さらなる日本との関係強化に大きな期待を寄せていることが分かる。求めるものは資金、技術・ノウハウ、顧客・マーケットなどさまざまであるが、まずは出会い、互いを知ることが大切だろう。

ASEANのスタートアップは、これから「旬」を迎える。各国事情については、本特集「ASEAN地域のスタートアップ事情」の各国編を読んでいただきたい。


注:
本稿おいて、スタートアップとは「新たな顧客価値を提供するビジネスモデルを持ち、ベンチャーキャピタル(VC)から資金を受け、急速かつ大きな成長を成し遂げ、出口(エグジット)戦略を持つ一時的組織」のこと。
執筆者紹介
ジェトロ ビジネス展開支援部 主幹
小林 寛(こばやし ひろし)
1998年、ジェトロ入講。ジェトロ・ハノイ事務所(2004~2008年)、企画部事業推進室(ASEAN・南西アジア担当)(2008~2010年)、中小企業庁(2011~2013年)、海外調査部アジア大洋州課長(2017~2018年)などを経て現職。