ダラビ再開発の現状と課題
近代化が進むインド商業都市ムンバイ(中編)

2026年7月1日

前編では、交通渋滞の緩和や移動手段の向上を目的とした政策として「メトロ計画」と「高速鉄道計画」について述べてきた。本稿では、現在、マハーラーシュトラ(MH)州政府と地場財閥アダニ・グループが手掛ける官民一体のプロジェクト「ダラビ再開発計画」について述べていく。本計画は、都市開発とスラム再編を同時に進める点で、インド最大級の都市再開発案件の1つと位置付けられている。

超過密地区で知られるダラビ

ダラビ地区はムンバイの中心部に位置しており、近郊にはオフィス街であるバンドラ・クルラ・コンプレックス(BKC)地区がある。また、メトロ3号線の開通によりチャトラパティ・シバージー・マハラージ国際空港へのアクセスも強化され、重要地区としての存在感がより一層高まっている。同地区は、わずか2~2.5平方キロメートルの区間に推計70~100万人の住民が居住するとされ、人口の超過密化が問題となっている。また、環境問題も深刻化しており、水道や電気などのインフラは十分に整っていない。住民の話によれば、多くの住宅にはトイレが設置されていないため、公共施設のトイレを使用しているという。一方で、世界最大級のスラム街としても広く知られており、アカデミー賞受賞映画「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台にもなった。


ダラビ地区の様子(ジェトロ撮影)

ダラビ地区内にある公共トイレ(ジェトロ撮影)

産業活動が活発化、生産拠点として機能

人口の超過密化や環境問題が深刻化する中、同地区の産業活動は非常に活発で、都市経済を支える生産拠点として機能している点が大きな特徴だ。正式な統計データはないものの、現地紙(注1)によれば、同地区内には推計100万人以上の住民と1万2,000以上の小規模企業や工房が集積しているとされる。これらの産業は主に家内工業や零細事業が中心で、住居と作業場が一体化した形態が多い。主な産業としては、皮革製品、リサイクル、陶器、繊維・衣類などが挙げられる。特に皮革産業は輸出品の生産拠点として知られ、ダラビ経済の中核を担っている。区域の一角にある革靴製造現場で話を聞いたところ、従業員は4人で、1日当たり100足を手作業で製造し、完成品を国内および輸出市場へ供給しているという。リサイクル産業はダラビを象徴する産業分野であり、ムンバイから出る大量の廃棄物を分別・再資源化することで、都市全体の環境と経済を支えている。

これらの産業活動は、公式な登録を受けない「非公式」に属するものが多く、低コストで柔軟な生産を可能にする一方、労働環境や法的保護の面では課題も抱えている。それでもダラビは、年間数千億円規模ともいわれる経済効果を生み出していると推計され、強い自立性と生産力を持つ経済集積地として評価されている。


ダラビ地区内にある革靴の製造現場(ジェトロ撮影)

ダラビ地区内で製造されたバッグ(ジェトロ撮影)

リサイクル事業の現場(ジェトロ撮影)

近代都市化を目指した大規模都市開発

同地区における環境問題の解消やインフラの整備といった近代都市化を目指し、「ダラビ再開発計画」が現在進行している。同計画は、2025年5月にMH州のデベンドラ・ファドナビス州首相によって基本方針が承認され、州政府のスラム開発局(SRA)とアダニ・グループ傘下の特別目的事業体(SPV)であるナブバーラト・メガ・デベロッパーズ(NMDPL)を通じて実施されている。対象区域はダラビ指定区域約253.7ヘクタールのうち約173.9ヘクタールで、総事業費は約9,579億ルピー(約1兆6,284億円、1ルピー=約1.7円)に上る。2025年1月14日に着工し、2032年1月13日の完工を予定している。当初は、2004年にMH州が再開発を決定したが、行政と政治、住民間の合意形成が難航し、20年以上にわたり幾度も計画が中断・見直されてきた経緯がある。具体的には、対象となる数十万世帯の住民の再定住の基準や補償内容、移転先の確保などが課題として挙げられている(2025年6月4日付ビジネス短信参照)。

特に住民の再定住問題は深刻で、慎重な対応が求められる重要課題だ。同計画によれば、ダラビ地区の住民全てが同等の扱いを受けられるわけではなく、居住開始時期や居住区域によって対応が大きく異なる。2000年1月1日以前から地上階に居住する住民には、約350平方フィートの住宅が無償で提供され、引き続きダラビ地区内での居住が可能となる。一方、それ以降に地上階に居住を開始した住民は、ダラビ地区内での居住は認められず、ムンバイ都市圏内で賃貸物件が提供される計画だ。さらに、上層階に住む住民は、居住開始時期にかかわらずダラビ地区外での居住を余儀なくされる。また、当局発表資料に示されていない、2022年11月15日以降に同地区で居住を開始した住民は、住宅供給の対象外とされており、現時点で明確な対応方針は定まっていない。

居住開始時期は、選挙人名簿や電力使用記録、税証明などの公的書類や、行政が過去に実施した住民調査の記録を基に判定される。これらの証跡に基づき、基準日(例:2000年1月1日)以前からの居住実態が個別に審査される仕組みだ。特に上層階の住民については、証明書類に優先順位が設けられ、より厳格な審査が行われる。

持続可能な都市形成を目指して

ダラビ再開発を巡る問題は、再定住を起点に商業活動やコミュニティの存続に連鎖的な影響を及ぼし、結果として住民との衝突も発生している(注2)。前述のとおり、住民の再定住は居住開始時期や居住区域(地上階もしくは上層階)によって取り扱いが大きく異なる。住民の中にはダラビ地区外への移転を余儀なくされ、生活基盤そのものの変容を伴う点が重要な課題だ。

ダラビでは、前述のように居住と商業活動が密接に結びついており、皮革や縫製、リサイクルなどの産業が集積している。そのため、再定住による空間的分断は、商業スペースの縮小や移転を通じて住民の生計維持を困難にする可能性が高い。また、これらの経済活動は、同業者ネットワークや相互扶助関係を基盤とするコミュニティの中で成立している。このため、住民の分散はダラビの産業構造そのものに影響を及ぼすと考えられる。

以上のことから、近代都市化を目指す本プロジェクトでは、単なる住宅供給だけでなく、居住・ビジネス・コミュニティを一体的に構築する政策設計が必要だ。例えば、ダラビ内部または近接地での再定住を可能とする配置計画、従来の産業活動を継続できる商業スペースの確保、さらにはコミュニティ単位での移転を考慮した施策の導入などが、2032年の完工を実現する上で重要なカギを握るだろう。また、同計画は都市再開発のみならず、非公式経済の制度化や都市インフラ市場の拡大といった観点からも、日本企業を含む外国企業にとって新たな参入機会となる可能性がある。


注1:
2025年6月30日付タイムズ・オブ・インディア紙参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます本文に戻る
注2:
2025年2月18日付ヒンドゥスタン・タイムズ紙参照外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます本文に戻る
執筆者紹介
ジェトロ・ムンバイ事務所
野本 直希(のもと なおき)
2016年大手生命保険会社入社、ジェトロ調査部アジア大洋州課を経て2026年4月から現職。
執筆者紹介
ジェトロ・ムンバイ事務所
サンジャイ・バティア
1996年からジェトロ・ムンバイ事務所勤務。現在、同事務所にて事業開発および企業支援などを担当。