減量薬は英国救う特効薬か
国民の食欲はコントロールできるか(3)
2025年6月25日
英国民の約3割が肥満という現状では、肥満の予防だけではなく、既に肥満になっている人の減量治療も重要な課題となっている。2025年4月には英国で「食の雑音(Food Noise)」と題した本が出版され、翌月にベストセラー入りした。同書では、過体重または肥満の人の57%が、食べ物のことが頭から離れない経験をしたことがあるという研究結果が紹介されている。空腹でなくても食べたい衝動に駆られる精神状態を「食の雑音」と表現している。
減量薬で「食の雑音」静める
近年、英国では、深刻な肥満症に対する治療法として、スリーブ状胃切除術や胃バイパス術(注1)などの外科手術に加え、GLP-1(注2)受容体作動薬などの減量薬の使用が急速に広がりつつある。GLP-1受容体作動薬は、インスリン分泌を促進して血糖を降下させる作用や、胃内容物の排出遅延作用、食欲抑制作用、体重減少作用を有する。GLP-1受容体作動薬の使用によって「食の雑音」が消えたという体験談が広まり、「食の雑音」という言葉は新聞でも日常的に目にするくらいに定着している。一方、GLP-1受容体作動薬には、吐き気、嘔吐、下痢、便秘などの副作用を引き起こす可能性があり、腸閉塞や、膵(すい)炎などの重篤な副作用もあり得る。
英国で国営医療サービス(NHS)での使用が推奨されているGLP-1受容体作動薬には、以下の表に示す3種類がある。ウゴービは、2型糖尿病治療薬のオゼンピック(Ozempic)と同じ成分だ。ウゴービの投与試験では、16カ月で15%の体重減少効果が確認されている。マンジャロはGLP-1受容体だけでなく、GIP受容体も刺激する作用を持ち、3年間で23%の体重減少効果が確認されている。
製品名 |
サクセンダ (Saxenda) |
ウゴービ (Wegovy) |
マンジャロ (Mounjaro) |
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主成分 | Liraglutide | Semaglutide | Tirzepatide |
メーカー | ノボ・ノルディスク | ノボ・ノルディスク | イーライリリー |
MHRAの販売承認(注1) | 2021年1月 | 2022年5月 | 2024年1月 |
処方対象 (成人の場合) |
BMIが30以上、またはBMIが27以上30未満で体重関連の合併症〔血糖異常(糖尿病前症または2型糖尿病)、高血圧、脂質異常症または閉塞性睡眠時無呼吸症候群〕が少なくとも1つある | BMIが30以上、またはBMIが27以上30未満で体重関連の健康問題が少なくとも1つある | BMIが30以上、またはBMIが27以上30未満で体重関連の健康問題(糖尿病前症、2型糖尿病、高血圧、脂質異常症、閉塞性睡眠時無呼吸症候群または心臓発作、脳卒中もしくは血管症状の既往歴)が少なくとも1つある |
NICEの承認(注2) | 2020年12月 | 2023年3月 | 2024年12月 |
NHSでの使用条件 (保険適用対象) |
次の条件の全てを満たすこと
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次の条件の全てを満たすこと
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次の条件の全てを満たすこと
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用法 | 1日1回自己注射 | 週に1回自己注射 | 週に1回自己注射 |
注1:医薬品・医療製品規制庁(MHRA)は、医薬品、医療機器の審査、査察、市販後の対策を所掌する。
注2:国立保健医療研究所(NICE)は、医薬品や医療機器の費用対効果を評価し、評価結果によりNHSでの使用の推奨・非推奨を決定する。
注3:NHSでの使用条件におけるBMIについて、出自がアジア、中東などの場合は、「35以上」は「32.5以上」、「30~34.9」は「27.5~32.4」を基準とする。
出所:MHRA、NICE公表情報を基にジェトロ作成
就労対策としての期待
キア・スターマー首相は2024年10月、「肥満を抱える失業者に減量薬を処方する提案は、わが国の経済と健康にとって非常に重要になるかもしれない」とBBCのインタビューで語った。ウェス・ストリーティング保健・ソーシャルケア相も「肥満に関連する疾病により、NHSは年間110億ポンド(約2兆1,560億円、1ポンド=約196円)の費用を負担している」「肥満に起因する病気のせいで平均して余分に4日病欠するようになり、また多くの場合、完全に仕事を失わざるを得なくなっている」と述べている。
英国では、BMIが40以上で食事・運動療法で肥満が改善されない患者には、スリーブ胃切除術などの外科手術が保険適用となっている。高血圧や糖尿病などを併発している場合は、BMIが35以上の場合にも保険適用となる。
2024年10月に公表された英国国家統計局(ONS)の分析では、2014年4月から2022年12月の間にイングランドでNHSで肥満の外科手術を受けた人の収入を追跡調査し、手術を受ける前に比べて、手術後5年目までに平均的に収入が増加したことを明らかにした。これは、賃金水準や労働時間が増加したためではなく、手術を経て就労できるようになった人が増えたためとしている。スターマー首相やストリーティング保健・ソーシャルケア相は、減量薬でも同様の効果を期待していると思われる。
英国民の19%が減量薬を試したいと回答
調査会社ユーガブの調査(2024年3月)では、「費用を気にしないとすれば、減量薬と食事・運動指導のどちらの減量法を試したいか」との質問に対し、19%が減量薬を選択し、45%が食事・運動指導を選択した。食事・運動指導を選んだ割合に比べれば少ないが、英国民の減量薬への抵抗感は薄い。減量薬で体重が減った有名人の「成功談」がソーシャルメディアで拡散され、処方対象条件を満たさない美容目的の違法なオンライン販売が横行したことで、優先的に治療を受けるべき糖尿病や重篤な肥満症の患者に減量薬が行き届かなかったり、偽物の危険な減量薬が出回ったりするなどの社会問題にもなった。
肥満治療が必要な人々の間でも、NHSの保険適用がされる人とされない人との格差が生まれている。英国紙「タイムズ」は2024年12月21日付の記事で、少なくとも50万人以上の英国民が減量薬を使用しており、その多くは月に150ポンドから200ポンドという高額の費用を自己負担して、オンライン薬局などで減量薬の処方を受けていると報じた。前述の表のとおり、減量薬のNHSでの使用条件は、販売承認時の処方対象よりも狭く設定されている。ウゴービについては、体重管理サービスを利用できる約3万5千人しかNHSの保険適用を受けられない。2024年12月にNICEの承認が降りたマンジャロについても、最初の3年間は臨床上優先度の高い約22万人しかNHSの保険適用を受けられない。NICEは、340万人がNHSでの使用条件に当てはまると見込んでいるが、予算的な制約などから、全員が対象になるまでに12年かかるとしている。
英国政府の肥満政策に従事するグラスゴー大学のナビード・サッター教授は、2025年1月に放送されたBBCの番組で、「もし今すぐ対象者全員に減量薬を投与すれば、年間100億ポンドを要する」との推計を示し、減量薬を多くの人が自己負担する現状について、「必ずしも公平ではないが、経済的な現実だ」と語った。
2025年5月現在、肥満治療が必要なより多くの人々にNHSの保険適用で減量薬が処方されるように、政府内で検討されているとも報じられている。ストリーティング保健・ソーシャルケア相の発言のとおり、年間110億ポンドのNHS予算が肥満に関連する疾病に費やされているのであれば、減量薬投与のための年間100億ポンドで英国民の肥満問題が解消されるのなら、減量薬は一見、NHS予算の逼迫をも解決する夢の特効薬のようにも見える。
しかし、減量薬は使用できる期間が決まっており、減量薬を使わなくなった途端に「食の雑音」が再び現れるため、処方終了後に体重回復(リバウンド)する例も多い。オックスフォード大学の研究グループが2025年5月に学会発表した報告によると、減量薬によって平均して約8キログラム体重が減少したものの、処方終了後約10カ月で元の体重に戻ってしまっていることがわかった。減量薬で一時的に食事量を減らすだけではなく、それをきっかけとして食習慣を見直すことも不可欠なのだ。
減量薬の普及に伴い、減量薬の使用者向けの食事配達サービスや、レストランでの少量メニューが英国でも徐々に増えつつある。以下はその一例だ。

日本の肥満率は4.9%と、G7各国の中で最も低いが(2025年4月28日付地域・分析レポート参照)、ヘルシーな日本食や日本の食材を減量薬の使用者に提案することで、英国民の健康の改善に役立つことはできないだろうか。英国では日本食人気が続いているが、その要因の1つには、日本食にヘルシーなイメージが持たれていることが挙げられる(2020年5月25日付地域・分析レポート参照)。2013年にユネスコ無形文化遺産に登録された「和食;日本人の伝統的な食文化」は、一汁三菜を基本とする理想的と言われる栄養バランス、うま味を生かした動物性油脂の少ない食事などによって特徴づけられている。イメージだけではなく、科学的な根拠に基づいた提案によって、日本食や日本の食材が英国の肥満問題に貢献できる可能性は十分にあると考えられる。
- 注1:
- 胃を小さく形成したり、小腸のルートを変更したりして、消化吸収を抑制する外科治療。
- 注2:
- グルカゴン様ペプチド-1。消化管ホルモンで、グルコース依存性インスリン分泌刺激ポリペプチド(GIP)とともに、インスリン分泌増強作用を持つ「インクレチン」とも呼ばれる。
国民の食欲はコントロールできるか

- 執筆者紹介
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ジェトロ・ロンドン事務所
林 伸光(はやし のぶみつ) - 2009年、農林水産省入省。2023年9月からジェトロ・ロンドン事務所に在籍。