【コラム】第4波のベトナム、ワクチン外交をめぐる攻防
新型コロナ禍の現状を駐在員視点で読み解く(2)

2021年7月12日

ベトナムは、新型コロナウイルス感染対策に成功した国と評価されてきたが、第4波による感染増加やワクチン調達率の低さなどで、一部の外国メディアでは批判的な論調も出ている。実際は、ベトナム政府はワクチン調達に関し、したたかで柔軟な外交を繰り広げるとともに、安全性重視の下、着々とワクチンの国産化の準備を進めている。

2021年中に人口の70%分のワクチン接種目指す

ベトナム政府は、2021年末までに人口の70%のワクチン接種を終えることを目標としている。7,500万人に2回ずつ接種するとして、1億5,000万回分のワクチン確保が必要だ。グエン・タイン・ロン保健相が7月1日の政府の定例会議で行った報告によると、1億500万回接種分のワクチン調達先を確保、4,500万回分を交渉中という。2021年第3四半期(7~9月)には3,000万回分を確保する見通しだ(ワクチンの調達状況については表参照)。

表:ベトナムのワクチン調達状況(2021年7月2日時点)
ワクチンの種類 調達状況
アストラゼネカ(英国)

COVAXファシリティーを通じて3,890万回分を調達予定
また、ベトナム・ワクチン社(VNVC)を通じて3,000万回分を調達予定であり、8月初旬までに少なくとも800万回分を調達できるよう調整中

※これまでの調達
COVAXファシリティーを通じて約250万回分
日本政府から約200万回分
VNVCを通じて約40万回分

スプートニクV(ロシア) 2021年中に2,000万回分を調達予定
中国医薬集団(シノファーム)(中国) 中国政府から50万回分
ファイザー(米国) 3,100万回分を調達予定
モデルナ(米国) 調達量は未定(6月29日に緊急使用が認可)

出所:保健省サイトなどを基にジェトロ作成

中国との関係:ワクチン外交に見るベトナムの絶妙なバランス感覚

中国医薬集団(シノファーム)製のワクチン50万回分が6月20日、ベトナムに到着した。ベトナム政府が中国製ワクチンの緊急使用を認可したのは6月3日。中国製ワクチンの調達に関しては、ベトナムはASEAN加盟10カ国の中で最後となった(2021年6月11日付ビジネス短信参照)。

中国は2020年8月24日、メコン・ランカン川(瀾滄江)開発協力首脳会合で、メコン川流域5カ国(タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマー)に対してワクチンを優先的に供与すると申し出ている。その後も、ベトナムのグエン・フー・チョン共産党書記長と中国の習近平国家主席の電話協議(2020年9月29日)などで、中国側はワクチン製造などに関するベトナムとの協力を重視すると述べたが(新華社通信 2020年9月29日)、ベトナム側の発表には、ワクチンについては一切触れておらず、ベトナムの慎重な姿勢がうかがわれる。対照的に、隣国のラオスでは、2020年11月には中国シノファーム製ワクチン2,000回分が到着し、医療関係者を中心とした接種が開始された(2021年6月11日付地域・分析レポート参照)。

ベトナム・中国双方に利益となるかたちで接種対象を限定・明確化

ベトナムは、中国製ワクチンについてはタイミングだけでなく、接種対象についても慎重に探ってきた。ロン保健相は3月31日の駐ベトナム中国大使との会談で、中国でワクチンパスポートの運用が始まり、中国製ワクチンの接種者が優先されることを踏まえ、中国に出張・留学したいベトナム人向けにワクチン供給の支援を求めた。6月3日(ベトナムでシノファーム製ワクチンの緊急使用を認可した日)には、李克強首相はファム・ミン・チン首相との電話協議で、ベトナム国内に居住する中国人へのワクチン接種が円滑に行われることを希望した。結局、シノファーム製ワクチンについては、ベトナムに居住する中国人や、中国へ就労・留学を予定しているベトナム人、中国との国境付近に暮らすベトナム人が接種対象となった。ベトナム国民を包括的に対象とすることを注意深く避けつつ、しかも、中国側から見ても、首相同士の協議当日に緊急使用を認可し、要望どおりに接種が実現し、面目が立つように決着しているので、さすがと言うべきであろう。

特定国に依存しない工夫としての全方位外交

ベトナム政府は、要人同士の2国間会談などあらゆる機会を通じて、ワクチン確保に努力している。

例えば、前述のロン保健相と駐ベトナム中国大使との会談が行われた日に、ロン保健相はロシア、インドとも会談しており、3者との会談結果をまとめて公表している(「家族と生活」3月31日)。ほかにロン保健相が1日で3カ国・地域の大使と会談した例としては、(1)EU、米国、日本(4月1日)、(2)オーストラリア、フランス、スイス(6月8日)がある。まさに「全方位外交」だ(「VNエクスプレス」4月21日)。ワクチンに限らず、一般には、持てる国の方が持たざる国よりも交渉上は優位な立場にありそうだが、各国大使は本国への報告の際に、他国のベトナムへの協力状況を意識せざるを得ない。気が付けば、ベトナムのペースで交渉が進む環境が作り出されている。さらに、ベトナム国民に対して、特定の国にだけ依存しているわけではないということを伝える意図もあったと思われる。

ロシアとの緊密な関係は中国への防波堤か

中国大使と会談した同じ3月31日にロシアとも協議している事実を中国に示す意図があったのではとすら想像してしまう。3月16日にロシア安全保障会議のニコライ・パトルシェフ書記がベトナムを訪問した際に、「スプートニクV」1,000回分が寄贈され、3月24日に同ワクチンの緊急使用を認可している。梅田邦夫・前駐ベトナム大使は最新の著書(注1)で、ベトナム軍とロシア軍の共同軍事演習を例に「ベトナム側からすると、中国との関係上、ロシアとの緊密な関係を維持することは一種の保険になっていると考えられる」との考察を示している。ワクチン外交についても、こうした見方が当てはまるのではないだろうか。

国産ワクチンの開発状況

ベトナムはワクチンについては、国外からの調達に加えて、早期の段階から国産化も検討してきた。2020年6月30日開催の政府の新型コロナウイルス対策会議で、世界保健機関(WHO)ベトナム事務所代表がブー・ドゥック・ダム副首相に対して、GAVIワクチンアライアンス(注2)として、ベトナムにワクチン研究と製造に参加するよう要請した(共産党機関紙「ニャンザン」7月1日)。その段階で既に、一部の国産ワクチンの動物実験を行っていたが、その後、臨床試験へ進んでいる(2020年11月17日付ビジネス短信参照)。

最も開発が進んでいるのは、ナノジェン製薬バイオテクノロジー(ホーチミン市)とベトナム軍医大学が開発中の「ナノコバックス(Nanocovax)」ワクチンだ。2020年12月から臨床試験を開始し、ダム副首相(政府の新型コロナウイルス対策国家指導委員会委員長)も2回接種している。6月11日からは1,000人を対象に臨床試験も第3段階に入った。完成すれば、1回の接種が12万ドン(約576円、1ドン=約0.0048円)と手頃な価格だ(「健康と生活」2020年12月10日)。

その他の国産ワクチンの有力候補は、保健省傘下のワクチン・生物学的製剤研究所(IVAC)の「コビバック(Covivac)」で第1段階の臨床試験をしている。加えて、第1ワクチン・生物学的製剤社〔バビオテック(VABIOTECH)〕とワクチン・生物学的製剤研究・製造センター(POLYVAC)も開発を進めている。

国産ワクチン開発は安全確保が前提

ベトナムのワクチン管理については、WHOも品質、安全性、有効性を評価している。国産ワクチン開発も安全重視、ステップ・バイ・ステップで行われている。

チン首相は国産ワクチンの開発と外国からの生産技術移転を加速するよう6月7日に指示した(「ベトナム・ニュース」6月7日)。それに呼応するかのように、ナノジェン社は6月22日にナノコバックスの緊急使用認可を首相に要望した(「VNエクスプレス」6月22日)。ところが、保健省の担当者は即座に、ワクチン国産化を推進するという政府方針は正しいが、国民の健康にかかわることであり、承認については十分な科学的データに基づいて判断する必要があるとして、慎重な見解を示した(「健康と生活」6月22日)。ワクチン承認に当たっては、1)安全性、2)免疫が形成されるか(免疫原性)、3)感染の予防・軽減効果について検証が必要で、特に3点目の予防・軽減効果については、治験実施済みの1,000人程度では不十分というものだ。

チン首相は6月26日にナノジェン社を訪問して激励するとともに、ワクチンの安全確保を前提に治験加速化を支援するよう指示した。これを受けて保健省は、ホーチミン市のパスツール研究所などの協力を得て、1万3,000人の治験を実施することとし、8月中には結果を得られる見通しとなった(「健康と生活」6月26日)。

外国からの生産技術の移転も志向

ベトナムは、既にワクチンを生産している外国企業から生産技術の移転を受ける動きも並行して進めている。バビオテック社はスプートニクVの生産技術移転を受けている。キューバとは、IVACが生産技術の移転を受ける(「健康と生活」6月16日)。また、ベトナムの大手複合企業ビングループはビンバイオケア(Vinbiocare)を設立し、ワクチン生産を含めてさまざまな事業に取り組んでいる(「ラオドン」6月7日)。

国産ワクチンが実現すれば、中国など他の供給国との関係で、地政学的な地位の向上に資する。また将来、他の開発途上国にワクチンや生産技術を提供することができるようになれば、ベトナムの国際的な地位が向上すると期待される。


注1:
梅田邦夫著『ベトナムを知れば見えてくる日本の危機-「対中警戒感」を共有する新・同盟国-』、小学館
注2:
GAVIワクチンアライアンスは、途上国でのワクチン導入・普及に関する支援を通じて、子供の命と人々の健康を守ることを目的とした官民パートナーシップ。
執筆者紹介
ジェトロ・ホーチミン事務所 所長
比良井 慎司(ひらい しんじ)
1996年、経済産業省入省、ジェトロ・シンガポール事務所勤務(2006~2009年)、在トルコ日本大使館勤務(2011~2015年)、経済産業省資金協力課長(2015~2017年)。2019年より現職。専門はアジアを中心とした国際開発。