アジア大洋州地域の人材確保・賃金高騰の現状と対応経済回復の兆しも、人口減少がリスクに(スリランカ)
求められる女性の労働参加拡大

2024年3月21日

スリランカは、2022年春に発生した経済危機から回復の兆しを見せる。物価上昇は落ち着き、実質GDP成長率は2023年第3四半期(7~9月)にプラスに転じた(2024年2月8日付2023年12月21日付ビジネス短信参照)。外貨準備高は2022年に輸入1カ月分の水準を割り込んだが、郷里送金や外国人観光客の回復などにより、2023年12月末には輸入3カ月分の水準まで回復した(2024年2月14日付ビジネス短信参照)。

このような状況の中で、現地に進出している日系企業を取り巻くビジネス環境には、どのような影響や課題が生じているのか。本稿では、ジェトロが毎年実施している「海外進出日系企業実態調査(アジア・オセアニア編)(以下、日系企業調査)2023年版」の結果を基に、人材確保を巡る現状とその要因を解説し、人材流出防止に取り組む地場企業の事例を紹介する。

経済危機が発生した2022年から回復の兆し

ジェトロは2023年8月から9月にかけて、スリランカに拠点を構える日系企業に対し、2022年春以降のスリランカ経済危機の影響に関するアンケート調査を実施した(上記の日系企業調査とは別の調査)。同調査では、経済危機による自社の操業への影響について、回答企業32社(製造業12社、非製造業20社)の80.0%が「悪影響があった」と回答した。経済危機で受けた悪影響の具体的理由(複数回答)としては、「ガソリン・燃料不足」(82.6%)、「為替の下落」(60.9%)、「電力不足・停電」(60.9%)、「所得税などの増税」(60.9%)などが挙げられた(2023年12月25日付ビジネス短信参照)。同国に進出している日系企業では、2022年の経済状況から改善しつつあり、回復基調が今後も続くと見込んでいる。経済危機で悪影響を受けた企業のうち、2022年同時期と比べて33.3%が「改善」と回答し、「横ばい」が50%、「悪化している」が16.7%だった。

他方、日系企業調査によると、2023年の営業利益見込み(2023年8~9月時点の見通し)については、回答企業29社のうち20.7%の企業が「赤字」の見込みと回答した。2022年の調査結果(2023年3月20日付地域・分析レポート参照)の45.0%からは大きく改善し、アジア・オセアニア地域では、ミャンマー(48.0%)やラオス(40.7%)、ニュージーランド(35.0%)、バングラデシュ(30.4%)、カンボジア(29.9%)、ベトナム(24.4%)よりも低い水準だ。

2024年の営業利益見通しが2023年と比べて「改善」または「横ばい」という回答は、回答企業29社のうち93.1%に上り、アジア・オセアニア地域でインド(93.3%)に次ぐ高水準だ。

人材不足の深刻度合いは他地域に比べ高くない

スリランカに進出する日系企業は投資環境上のメリットに関して、「人件費の安さ」(60.0%)、「言語・コミュニケーション上の障害の少なさ」(53.3%)、「ワーカー等の雇いやすさ」(26.7%)などを挙げており、同国は人材雇用面で魅力が大きい市場といえるだろう。

アジア・オセアニアの他地域と比較すると、その魅力はより顕著だ。人材不足の課題に直面している割合は回答企業31社のうち32.3%で、アジア・オセアニア地域で最も低い水準だった。2022年の同時期と比べて「悪化」と回答した企業は19.4%に上り、「改善」の9.7%を上回ったことから、前年よりも悪化傾向にあるものの、他地域と比べて深刻度合いは高くなかった。経済危機で受けた悪影響の具体的理由に関しても、47.8%が「従業員の賃金上昇」を挙げた一方で、「従業員の離職」は21.7%にとどまっている。

同国で人材不足に悩む企業が比較的少ない背景としては、次の点が挙げられる。

1. 市場での製品・サービス需要低下

スリランカで輸出を目的として製品を製造する日系企業の中には、欧米や中国など海外市場の需要低下により、生産量を抑えている企業が複数ある。その結果、2023年のスリランカの輸出量は減少している。また、国内市場に展開する日系企業の中には、消費市場の縮小に伴って新規採用を控えている企業もある。そのような企業にとっての課題は、人材不足ではなく、むしろ人員の余剰だ。

2. 採用が容易

景気が落ち込んだスリランカでは、地場企業と比して賃金の高い日系企業での就労を希望する労働者が多い。加えて、「親日」と評されるように、スリランカでは操業を長年続ける日系企業が高いプレゼンスを示しており、雇用機会を提供する貴重な存在として位置付けられることもある。このため、日系企業が人員を募集する際には通常多くの応募が集まり、採用についてはさほど苦労しないと複数の企業が指摘している。

海外への頭脳流出が痛手に

他方、3割以上の日系企業は人材不足に悩んでおり、経営への影響は大きいといえる。それらの企業の懸念点としては、次のものが挙げられる。

1. 高技能人材の海外流出

スリランカでは経済危機以降、海外との賃金格差の拡大を背景に、海外への人材流出が進んでいる。2023年の純移動(海外からの転入者から海外への転出者を引いた数)が22万2,715人の大幅な転出超過となったため、2023年央の推計人口は前年の2,218万1,000人から14万4,000人減少の2,203万7,000人だった(表参照)。世界銀行の人口推移のデータ外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますに照らし合わせると、1960年以降では初の人口減少となる。

表:スリランカの年央推計人口の変化(△はマイナス値)
出生数 死亡数 純移動 人口変化 年央推計人口
2013 352,450 125,626 △71,730 155,094 20,585,000
2014 361,800 125,334 △44,714 191,752 20,778,000
2015 342,108 129,577 △17,055 195,476 20,970,000
2016 331,525 129,936 34,995 236,584 21,209,000
2017 322,089 137,432 57,028 241,685 21,444,000
2018 325,741 136,403 32,826 222,164 21,670,000
2019 329,177 141,104 △54,681 133,392 21,803,000
2020 299,875 139,203 △44,160 116,512 21,919,000
2021 295,418 136,685 77,600 236,333 22,156,000
2022 289,863 179,052 △85,572 25,239 22,181,000
2023 268,920 190,600 △222,715 △144.395 22,037,000

注:2017年~2023年の数値は暫定値。
出所:スリランカ・センサス統計局(DCS)を基にジェトロ作成

日系企業の中でも、特に自社内で長年育成した熟練労働者や、ITエンジニアなどの採用で人材確保が難しくなっているという声が上がっている。従業員が英国やオーストラリア、韓国などに流出した事例が相次いでいるが、「個別企業の努力では対処不可能だ」という声が根強い。ある企業は、海外での就業希望者を他国の同グループ拠点で就業させるという対策を取ったものの、スリランカの国全体としての根本的課題解消には至っていない。

2. 人件費の高騰

近年の物価や税負担の上昇を背景に、多くの日系企業が賃金を引き上げるとともに、複数の企業が従業員の生活環境の悪化を考慮し、通勤や食事の手当を支給している。日系企業調査によると、スリランカの日系企業の昇給率は、2022年から2023年にかけて8.3%、2023年から2024年にかけて6.9%となっており、アジア・オセアニア地域では、パキスタン(2023年→2024年:16.4%)インド(同9.5%)やバングラデシュ(同8.6%)とともに高い部類に入る。

ただし、人件費は周辺国と比べて低い水準で推移している。月額基本給の平均値は、製造業の作業員/エンジニア/マネジャー、非製造業のスタッフ/マネジャーの全カテゴリーで、アジア・オセアニア地域で最も低廉な水準だ。また、手当や賞与を加えた年間実負担額でも、製造業がミャンマーやバングラデシュと並ぶ低廉なゾーンに位置し、非製造業では最も低廉な水準を維持している。10年前にジェトロが実施した「在アジア・オセアニア日系企業実態調査(2013年度調査)(2013年12月)」と比較すると、通貨スリランカ・ルピーの下落もあり、ドル基準の賃金はおおむね減少している。

女性の労働参加拡大が重要課題に

人材の海外流出とともに少子化も進行しており、スリランカで今後、人口の大幅な増加を望むことは難しいだろう。人材雇用面でメリットを享受した労働集約型の事業を展開する日系企業にとって、安定的な人員確保が重要な経営課題として将来浮上する可能性は十分にある。

さて、そうした人口動態の変化を背景として注目されるのが、女性の雇用だ。IMFは、スリランカが経済を成長させるために取るべき重要な構造改革策として、貿易の自由化によるグローバル・バリュー・チェーンへの参画や、多額の赤字が発生している国有企業や電力部門の改革とともに、女性の労働参加の促進を挙げている。

スリランカでは、家父長的な文化もあり、教育水準の高い女性が働き先を得られないケースも多い。2022年時点の識字率は、男性93.9%、女性92.4%と性別間の大差はみられない。主に高校卒業時に受験する大学入試資格試験の受験者のうち、2022年に大学入学資格が認められた受験者の割合は、男性53.96%、女性69.65%となり、女性が大きく上回っている。だが、2022年時点の女性の労働参加率は男性の70.5%を大きく下回る32.1%にとどまり、2022年時点の失業率も女性は6.5%と、男性の3.7%より高い(図1、図2参照)。女性の大学入学資格者の失業率は10.1%に達し、全体の失業率を上回る。

図1:男女別労働参加者数(人、左)と労働参加率(%、右)
2015年から2022年にかけて、スリランカの男女別の労働者数は横ばいであり、労働参加率は若干減少している。女性の労働者数、労働参加率は男性の半分ほどの低い水準が続いている。

出所:スリランカ・センサス統計局(DCS)を基にジェトロ作成

図2:男女別失業率と男女別大学入学資格者失業率(%)
2015年から2022年にかけて、スリランカの失業率および大学入学資格者失業率は一貫して女性が男性よりも高い状態が続いている。男女問わず大学入学資格者失業率は全体失業率よりも高い。

出所:スリランカ・センサス統計局(DCS)を基にジェトロ作成

福利厚生を通じ、人材流出防止を図る

そうした女性の雇用に関して積極的に取り組んでいるのが、スリランカのコングロマリットで、病院の運営やヘルスケア関連商品や日用品の製造・販売を行うヘーマース(Hemas)だ。同社は2022年に、女性向け情報誌「サティン・マガジン(Satyn Magazine)」と米国公認会計士・英国勅許公認会計士協会[AICPA & CIMA(The American Institute of Certified Public Accountants and The Chartered Institute of Management Accountants)]が共催する「女性が最も働きやすい職場アワード」を受賞した。同社でウェルネス・ダイバーシティー・インクルージョン部門のシニアマネジャーを務めるチャトゥラーニ・クラトゥンガ(Chathurani Kulatunge)氏に聞いた(取材日:2024年2月12日)。


ヘーマースのクラトゥンガ氏(中央、ジェトロ撮影)

同社では、女性社員にさまざまな福利厚生を提供している。例えば、国内の法定の産前産後休業(産休)は、妊婦に産前2週間・産後10週間の計12週間を認めているが、ヘーマースでは第1子、第2子出産時には100日間(約15週間)の休暇を認めている。また、全ての事業所で女性社員に生理用ナプキンを支給している。

クラトゥンガ氏はそれらの取り組みの狙いについて、「(スリランカでは)女性は男性に比べて、キャリアを築いていく過程で、子育てや家事などの障害に直面しやすい。そのため、男性と同等の条件を確保することが必要だ。女性が抱きがちな内なる壁を取り除くことで、会社でも家庭でも活躍してほしい」と語る。

同社は、子育てや家事、身体や精神面などを含めて課題を抱える社員に配慮するという観点から、女性のみならず、単親で子供を育てる社員、身体や精神に障害を抱える社員、在職中に死亡した社員の家族も支援している。単親の社員は現在32人在籍しているが、仕事や家事、子育てを1人でこなして負担が大きいため、柔軟な勤務シフトを認めるとともに、金銭や文房具などを支給している。また、社員の死亡で取り残された子どもには、専用基金から18歳まで教育費を全額支給している。

他方、クラトゥンガ氏は採用について、「採用はあくまで応募者の能力で判断しており、女性を多く採用しようとしているわけではない。社員数は4,500人程度だが、男女比は7:3で男性の方が多い。管理職も同様の割合だ。社員の男女比を同等にすることを目指すのではなく、より多くの女性に応募してもらうことで、優秀な人材を集めたい」と話した。

一方で、経済危機に伴う海外への人材流出は同社にも影響を及ぼしている。クラトゥンガ氏は「社員のリテンション(人材の流出防止)は重要な課題だ。医療部門では、多くの医師や看護師が海外に流出しており、引きとめることは難しい。他方、他部門では社員が大幅に離職することなく、流出を防止できている。さまざまな福利厚生の取り組みは、CSR(企業の社会的責任)にとどまらず、生産性を確保するという観点から重要だ」と指摘した。


ヘーマースは、包括的な健康と福祉に関する活動を行うとともに、データを用いた定量的な検証も実施しており、2019年にはジェトロが創設したスリランカで日本型健康経営に取り組む現地企業を顕彰する「スリランカ健康経営
アワード(SRI LANKAN CORPORATE HEALTH & PRODUCTIVITY AWARD)」の第1回最優秀賞を受賞した。
(ジェトロ撮影)(2019年2月25日付ビジネス短信参照
執筆者紹介
ジェトロ・コロンボ事務所長
大井 裕貴(おおい ひろき)
2017年、ジェトロ入構。知的財産・イノベーション部貿易制度課、イノベーション・知的財産部スタートアップ支援課、海外調査部海外調査企画課、ジェトロ京都を経て現職。
執筆者紹介
ジェトロ・コロンボ事務所
ラクナー・ワーサラゲー
2017年よりジェトロ・コロンボ事務所に勤務。