農園経営に新規参入加速、課題も多いアグリテック
食料自給率引き上げへ、都市国家シンガポールの試み(3)

2023年3月3日

シンガポールでは近年、植物工場や陸上養殖施設など、農業や水産業への新規参入が外資を含めて相次いでいる。しかし、島国の都市国家の同国では農地が限られ、人件費や電力などのコストも高く、農園経営には課題も多い。食料自給率向上に取り組む特集の最終回は、国内のアグリテックを巡る状況を伝える。

農園数が増加、国内4カ所目の鶏卵施設も稼働開始へ

シンガポール食品庁(SFA)が2019年に、食料自給率を2030年までに栄養ベースで30%へ向上するとの目標を発表して以降、植物工場や養殖施設など、農業や水産部門への新規参入が相次いでいる。同庁の最新統計によると、野菜農園は2019年の85カ所から、2021年に113カ所に増加した。陸上養殖施設も2019年の15カ所から、27カ所へ増えている。

2022年には、アーバン・ファーミング・パートナーズが8月3日、西部郊外ジュロンの工場地帯に、植物工場兼研究・開発(R&D)施設「グローグレース(GroGrace)」を開所した。同施設はオランダの栽培技術を採用した国内初の植物工場だ。4階建ての施設の総床面積は650平方メートル。年間33トンもの葉物野菜の生産が可能だ。

また、2024年中には4つ目の鶏卵施設が稼働開始する予定だ。シンガポールを本社とするイセ・フーズ・ホールディングス(IFH)は2022年10月25日、SFAから鶏卵農場建設の土地の基本認可を獲得したと発表した。同社は日本最大の鶏卵生産事業者であるイセ食品の名誉顧問、伊勢彦信氏が過半数の株式を保有。このほか、シンガポール投資会社バーテックス・ホールディングスなどが株主に名を連ねる。IFHは種鶏場やふ化場、採卵農場からなる総合卵生産施設を開発する予定だ(2021年9月29日付ビジネス短信参照)。

農園・養殖事業者数は増加、自給自足率は横ばい

農園や養殖場が増加する一方で、鶏卵以外の食品の自給率は伸び悩んでいる。鶏卵の自給率は2019年第1四半期(1~3月)に25.5%だったのが、30.4%まで上昇した。IFHの施設が2024年に稼働開始すれば、年間3億6,000万個の鶏卵の生産能力となる。この結果、国内の鶏卵自給率が約50%へ上昇する見通しだ。しかし、2021年第4四半期(10~12月)の養殖魚を中心とした海産物の自給率は8.0%、葉物野菜を中心とする野菜の自給率が4.4%と、2019年第4四半期と比べて変化はほとんどない(図参照、2022年4月11日付ビジネス短信参照)。

図:シンガポールの国産主要農産・海産物の自給率の推移(単位:%)
鶏卵の自給率は2019年第1四半期に25.5%だったのが、30.4%まで上昇した。しかし、2021年第4四半期の養殖魚を中心とした海産物の自給率は8.0%、葉物野菜を中心とする野菜の自給率が4.4%と、2019年第4四半期と比べて、変化はほとんどない。

出所:シンガポール食品庁(SFA)

SFAはこれまでに、国内の農業分野の生産性向上に向けて、政府予算を投入している。2019年には、都市型農業の振興と自給率向上の目標達成を目的とした研究・開発(R&D)プログラム(注)に、総額1億4,400万シンガポール・ドル(約145億4,400万円、Sドル、1Sドル=約101円)もの予算枠を設けた。ヘン・スイキャット副首相兼経済政策調整相は2022年10月26日、同プログラムに1億6,500万Sドルの予算を追加すると発表した。同副首相によると、同プログラムを通じて、国内農園で生産する農産品の多様化や、遺伝学や繁殖方法を農産品の生産性や栄養を向上し、病原菌や環境変化に強い品種の研究を支援する方針だ。

さらに、SFAは農業関連事業者が集まる北西部リム・チューカンを、より持続可能で、労働生産性の高い、新たな農業集積区へ再開発する計画だ。SFAは2022年2月25日に、同農業区のマスタープラン策定づくりを行う企業の公募を締め切り、同年11月9日に落札企業を発表している。

課題の多い都市型農園経営、一方で経営ノウハウの輸出も

しかし、シンガポールでの農園や養殖場の経営は容易ではない。国内で農地用途と指定されている土地は国土の約1%にすぎず、農地を確保するのは簡単ではない。農地をリースし、農園ライセンスを取得するのはSFAだけでなく、環境庁(NEA)、都市開発庁(URA)と、関係官庁それぞれに対して申請が必要で、煩雑な手続きと時間が必要となる(注)。また、農場経営に当たっては、人件費や電力など諸経費も高いことから、国内産の農産品や水産品は輸入と比べると割高になってしまう。シンガポールでエビの陸上養殖に取り組むブルー・アクアの場合、同社がシンガポールで収穫したエビは、輸入した同じ種類のエビと比べると、価格は3倍以上だ。

ブルー・アクアのファルシャド・シシチアン(Farshad Shishehchian)グループ社長兼最高経営責任者(CEO)は2022年12月13日、ジェトロとのインタビューで、養殖場経営が困難なシンガポールで経営を続ける理由について「シンガポールに対する海外からの信頼が高い」ことを挙げ、同国でプロジェクトを継続していることが対外的に高く評価されると述べた。同社は2016年からシンガポールで、車エビやブラックタイガー(ウシエビ)の陸上養殖に取り組んでいる(2022年12月22日付ビジネス短信参照)。同社は今後、シンガポールで蓄積した陸上養殖のノウハウの海外に展開する計画だ。同社は2022年7月25日、オマーンの養殖業の拡大で、オマーン漁業開発(FDO)と覚書(MOU)を締結した。ファルシャドCEOによると、同社はオマーンで陸上養殖を行う最初の企業の1つとなる見通しで、2023年中にも養殖場の稼働開始を予定している。


陸上養殖場で飼育する車エビの稚エビを見せるブルー・アクアのファルシャドCEO
(右、ジェトロ撮影)

シンガポールで2012年から垂直型野菜農園を運営するスカイ・アーバン・ソリューションズも、同社の垂直農法技術を海外に輸出している。都市型の農園や養殖場経営では課題の多いシンガポールだが、そのノウハウが将来、同様の食料確保に関する課題を抱える都市のモデルケースとなるかもしれない。


注:
シンガポールの農園ライセンスの申請手続きについては、シンガポール食品庁(SFA)のウェブサイト外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますを参照。
執筆者紹介
ジェトロ・シンガポール事務所 調査担当
本田 智津絵(ほんだ ちづえ)
総合流通グループ、通信社を経て、2007年にジェトロ・シンガポール事務所入構。共同著書に『マレーシア語辞典』(2007年)、『シンガポールを知るための65章』(2013年)、『シンガポール謎解き散歩』(2014年)がある。