厳しい職業資格や教育訓練に支えられた宝飾品産業は盛況が続く
スイスにおける富裕層向け産業(5)

2021年7月2日

スイスは、個人資産保有高で世界トップクラス。そのためスイスでは、富裕層向けの宝飾品産業がジュネーブを中心としたフランス語圏地域で盛んだ。交易の要衝だったジュネーブでは16世紀後半、金細工が伝統産業として栄えていた。しかし、カルバンの宗教改革の結果、ジュネーブに亡命したユグノー(フランスのカルバン派新教徒)が小型腕時計作りのノウハウを持ち込んだ。その結果、時計産業と宝飾品産業が結びつき、互いの加工技術を生かしながら発展してきた。本稿では、スイスの宝飾品産業の人材育成について報告する。

なお、宝飾品産業は、本来的に労働集約的だ。ジュネーブにも、個人数人で宝飾品を製作する小さな工房が多数存在する。宝飾品の製造工程は、宝石のカッティング、彫金、エナメル加工、時計製造をベースとした微細加工など、多岐にわたる(注1)。本稿では、こうした伝統工芸としての宝飾品産業を対象とする。

世界で開催される宝飾品フェア

欧州で毎年開催される大規模な宝飾品展示会としては、ドイツ・フランクフルトのアンビエンテ(2月開催)、バーゼルのバーゼルワールド(3月開催)、ジュネーブのEPHJ(時計宝飾展示会、6月開催)がある。また、2018年に創設されたジェムジュネーブは、新興の展示会だ。独自のラインナップで注目され、2019年5月の開催には210の出展社が参加した。なお、バーゼルワールドは高級時計を扱う世界最大級の展示会として知られる。この展示会併設の宝飾品展示コーナーは、国内有数と評価されていた。なお、バーゼルワールドには運営をめぐる問題が発生していたため、内容を大きく入れ替えて2022年に再出発することとなった(注2)。

ちなみに、宝飾品分野の展示会として世界最大といわれるのは、香港インターナショナルジュエリーショーだ。2021年は6月25~29日に開催予定とされる。主催者によると、同展の2019年の出展社数は2,600社、来場者数は5万4,000人だった。

宝飾品産業の職業資格は細分化

スイスで技能職として就職する場合、一般的にはその職務に対応する連邦技能資格(CFC)取得の必要がある。宝飾品分野においても、専門のCFCを取得することが求められる。資格を取得するためには、4年間の職業訓練期間中、職業訓練学校に週1回通い、企業で週4回実習し、試験に合格しなくてはならない。宝飾品のCFCは、さらに細分化された専門分野を取得することもできる。具体的には、宝石鑑定、宝石加工、金銀細工などで、職業訓練学校でその一部や全体を履修することができる。スイス・フランス語圏での主要な宝飾品関係の職業訓練校をあげる(表1参照)。

表1:スイス・フランス語圏での主な宝飾品職業訓練学校
学校名 概要
ジュー渓谷工業学校
(Ecole Technique de la Vallée de Joux、ボー州)
宝飾品、建築設計、時計製造、精密加工、精密加工管理等の職業訓練を実施。
芸術職業訓練センター
(Centre de Formation Professionnelle Arts、ジュネーブ州)
宝飾店、陶芸、衣料製作、コンテンポラリーダンス、内装設計、3Dデザイン、コンピューターグラフィックスなどの職業訓練を実施。
応用美術学校
(Ecole d’arts appliqués de La Chaux-de-Fonds、ヌーシャテル州)
グラフィックス、インタラクティブメディアデザイン、宝飾店、衣料製作、縫製品、彫刻、時計デザイン、金銀細工、3Dデザインなどの職業訓練を実施。

出所:スイス宝飾職人協会(ASEMBI)パンフレットからジェトロ作成

また、ジュネーブの社会人教育財団IFAGEでは、社会人を対象に財務、管理、人事をはじめ、電気工事、時計製造、商業など40以上の業務・産業について、CFC取得可能な講習や語学講座などを実施している。その中で、IFAGEの独自資格として宝石学コース(7週間)も提供している。教員は宝飾品業界のプロフェッショナルが務める(後述のデビッド・クラフト氏のインタビューを参照)。

さらに、宝飾品製作のベースとなるデザインやCAD(computer-aided design、キャド)製図などの知識は、一般の美術大学でも提供されている(表2参照)。

表2:スイス・フランス語圏での主な美術大学
大学名 概要
ローザンヌ州立美術大学
(ECAL:Ecole cantonale d’art de Lausanne)
6学部学科(美術、グラフィックデザイン、写真、メディアデザイン、映画、工業デザイン)、5修士学科を設置。
ジュネーブ造形芸術大学
(HEAD:Haute école d'art et de design)
西スイス応用科学技術大学ジュネーブ校(HES-SO Geneve)の傘下。上級美術大学(École supérieure des Beaux-Arts)と応用芸術上級大学(Haute école d'Arts Appliqués)が2006年に合併して設立された。8学部学科、6修士学科を設置。学生数700人。
バレーデザイン・美術大学
(EDHEA:Ecole de design et Haute école d’art du Valais)
西スイス応用科学技術大学バレー校(HES-SO Valais)の傘下。

出所:各校の発表に基づきジェトロ作成

宝石学は、宝石や貴金属の評価を行う上で必須の知見ないし技術で成り立つ。しかし、これに基づく宝石の鑑定基準や人材の要件については、国際的に統一されてはいない。現状では、技術と取引ノウハウをもち、信頼される団体に鑑定技術に関する人材育成の依頼が集まる状況にある。国際的には以下の2団体が有力だ。これらの機関では、宝石の鑑定も行っている。

  • 米国宝石学インスティテュート(GIA:Gemological Institute of America)
    ロバート・M・シプレイ氏により、1931年に米国で設立された宝石学の教育研究機関。宝石学とは、貴金属や宝石類を評価・鑑定する学問で、宝石商が使う3倍無収差レンズ・ルーペはGIAが1934年に開発したものだ。1948年にGIAとして最初の宝石学のディプロマを発行。また1953年には、世界で初めて「ダイヤモンド・グレーディングレポート」を発行。ダイヤモンドの国際的な品質基準である「グレーディングスケール」を普及させた。現在、アントワープ、ロンドン、バンコク、香港、ムンバイ、米カールスバッド、ニューヨークなどに拠点を展開済みだ。
    GIAでは、宝石学(gemology)、宝石、デザインの3コースの専門課程教育を提供する。各課程7週間から半年程度で終了する。なお、日本ではGIA合同会社が設立されている。
  • 英国宝石学協会(Gem-A)
    1908年、英国出身のサミュエル・バーネートが、宝石に関する教育コースの必要性を国立鍛冶協会(NAG)の年次会合で提唱し、1913年から宝石学のディプロマ授与を開始。1925年には、ロンドンに宝石試験研究所が開設された。1931年に、NAGをベースに、現在の宝石学協会(Gem-A)が設立された。
    現在、欧州、北米、ミャンマー、中国、香港、日本などに拠点を展開。教育は宝石学とダイヤモンド専科の2コース、期間は4、6、9カ月コースがある。10種類の宝石を用いた実技研修や、オンラインコースもある。日本では日本宝石協会(Japan Gem Society)と提携した教育コースを開設している。

スイスでは、デビッド・クラフト(後述)のようにGem-Aに基づく鑑定資格取得を目指す動きもある。しかし、宝飾品の鑑定は現時点で、個別企業がその加工能力に基づいて鑑定するのが一般的な模様だ。

一方、宝飾品加工については、フランス語圏での職能訓練の方が細分化されており、厳しいとされる。宝飾品職能訓練終了者に対する連邦資格(CFC)は、フランス語圏もドイツ語圏も同様だ。しかし、フランス語圏では同一CFC 区分内で宝石商、金銀細工、宝石加工の専攻をもつことができる。宝飾品加工の教育に携わっているスイスの2機関を紹介する。

(1)宝飾職人協会(ASMEBI)

スイス宝飾職人協会(ASMEBI)は、1987年に製造職人組合(l’Artisanat)とジュネーブ宝石貴金属・時計ケーシング製造組合(les Fabricants Genevois de Bijouterie-Joaillerie et de boîte de montres)が合併して発足した。ASMEBIは、宝飾品分野で職能教育の質を維持向上させることを目的としている。また、連邦政府の宝飾品製造に関する職業教育資格(CFC)の管理も担う。ドイツ語圏では、同様の取り組みを金鍛冶・時計店組合(VSGU)が受け持っている。

フランス語圏で特徴的なのは、金銀などの細工を行う職人(ビジュティエ) と、宝石を用いた細工を行う職人(ジョアイエ)を区別して人材育成していることだ。ドイツ語では、双方とも宝飾加工(ゴールドスミス)と表現される。実際、ASMEBIでの訓練コースは、宝石商、金銀細工、宝石加工、彫刻の4部門に分けられている。

また、ASMEBIは、日本の優れた宝飾品加工や宇和島真珠を生かした産業育成を志向。2020年12月に宇和島産のバロックパール(ふぞろいで通常市場に出ない真珠、形以外の品質は良い)を生かした真珠作品コンテスト「ベル・ハーモニー2020」をオンラインで開催した(2021年1月12日付地域・分析レポート参照)。


ASMEBIのアンドレ・ペラン会長の工房(ジェトロ撮影)

(2)デビッド・クラフト(David Craft)

デビッド・クラフトは、1995年にジュネーブに設立された教育機関だ。宝飾品製造や宝飾品の取引をビジネスの観点から教育している。創設者のデビッド・アレドンド氏は、ボリビア出身で宝飾品職人として50年近くの経験をもつ。宝飾品関係の業務従事者に対し、生徒の要望に合わせてカスタマイズした教育訓練を行っている。教育内容は、宝石学、宝飾品デザイン・加工、ビジネスベースでの取引ノウハウなど多岐にわたる。

現在、デビッド氏の子供3人がデビッド・クラフトの事業に協力。長男のサミュエル氏は、ドイツ、英国で宝飾デザインを学んだ後、8年前にデビッド・クラフトに入社。宝飾品デザインとマネージメントを担当している。また、次男のガブリエル氏は、宝石細工カッティングを、三男は、ウェブサイトメンテナンスを担当している。

技術訓練からビジネス実務まで幅広い教育プログラムを提供―デビッド・クラフトに聞く

ジェトロは、2021年3月11日にデビッド・クラフトを訪問。そのビジネスモデルについて、創設者のデビッド・アレドンド氏とその息子でデザイン・運営担当のサミュエル・アレドンド氏にインタビューした。

質問:
起業の経緯は。
答え:
自身(デビッド氏)はボリビア出身で、妻はチューリッヒ出身のスイス人。23歳で宝飾品製作会社をジュネーブで起業し、結婚1年後、チューリッヒにも拠点を置き、ビジネスを拡大してきた。
ベルギー、イタリア、ドイツ、英国で宝飾品の売買を実施している。買い付け元は、アフリカ、コロンビア、ブラジル、スリランカ、タイなど多様だ。ジュネーブでは、IFAGEでも20年間教えてきた。中国・深圳にも、講演会の講師として行ったことがある。ただし中国では、長期的な信頼関係を構築できることが見込めなかった。そのため、市場は大きかったが、自身ではビジネスに踏み込まなかった。 家族で国籍が異なり、さまざまな国に住むことで多様な文化を学んできた。移転の度に苦労も多いが、人生には苦労はつきもの。
さまざまな国で講師を務めてきた。スイスでは国籍ではなく、これまで何をしてきたかという働きで評価される。オープンマインドなスイスには助けられた。ジュネーブでは、新たなビジネスのフォーミュラを磨き上げた。どのようにカットしたかなど製造工程を見せることで、透明化し付加価値をつける。スイスだからということではなく、これまでの実績と信頼がデビッド・クラフトの付加価値を決めている。
質問:
提供するトレーニングの内容は。
答え:
宝石細工分野では、以下のような内容だ。
  • 値付けや嗜好(しこう)の違い。嗜好は国や顧客によって異なり、エメラルド、ダイヤモンド、サファイヤといった石ごとの評価も分かれる。
  • デザイン、伝統的なカッティングや飾りつけ
  • 切削、デザインを実現するための技術
内容は、生徒に合わせカスタマイズしている。
このほか、ジュウェロジーコース、クリエイティブコースなど複数のコースを提供している。
売買についてのノウハウ、ブローカーとの交渉、ネットワーキングなどもカバーできるのが特徴で、宝石職人に対する技術訓練だけではなく、ビジネスを行うものに対する実務面をカバーしている。オープンマインドな気持ちで常に新たなことを学習し、70~80歳という高齢になっても学び続けることが求められる。専門知識は、上級(advanced)コース(36時間)や特別(supplementary)コースの形で提供している。特別コースの一例は、石ごとの宝石学などだ。宝石学のカッティングコースでは教科書を提供し、分析器も販売。コース終了後も自習できるよう、ツールと知識をすべて与えることを目指す。通常は3年かかるコースを短期間で学習できる。また、実際に宝石を見る必要があることから、自習用に20個の宝石片を貸与している。

生徒に渡される宝石教材
(ジェトロ撮影)

サミュエル・アレドンド氏(右)
(ジェトロ撮影)
質問:
教育対象者は。
答え:
現在の生徒は、60~70%がスイス・フランス語圏から、残りは英国・ドイツからが多い。国籍としては中国、サウジアラビア、アフリカからも来ている。チューリッヒ在住の日本人もいる。現在は、就業中の技術者に対するトレーニングが中心だ。生徒のニーズに合わせた期間を組んでトレーニングを提供する。ユニークな例としては、オークションハウスのクリスティーズの職員や銀行や警察からの生徒もいる。
ASMEBIは製造サイドの技術教育、デビッド・クラフトはマーケティングやマネージメントに焦点をあてた教育を行っている。
質問:
宝石学(宝石の鑑定のための学問)について。
答え:
宝石の鑑定サービスはGIAが提供している。デビッド・クラフトも求められれば鑑定書を出すことがある(注3)。かつて30カラットのダイヤモンドの販売にあたって助言(advice)を求められたときには、鑑定を実施した。なお、鑑定では市場評価額は書かないことにしている。ただ、テルアビブの知り合いに確認したところ評価額は8万ドルだった。
ロンドンのGem-Aとは提携関係にある。Gem-AのGemologyファウンデーションコースの単位として認められるワークショップを開催している。期間は2日間、3日間、6時間から選べる。コース中に実技試験も実施(1日、他にペーパー試験あり)。オンラインコース(Online Distant Learning)も実施している。その授業は理論、実技、試験で構成される。現在、スイスでGem-Aのコースを提供する機関が存在しない。そのため、デビッド・クラフトが実施機関となることを目指している。また、どのアートフェアにおいてデビッド・クラフトの露出を図るかを検討している。
質問:
宝飾品製造におけるスイスの優位性は。
答え:
1980年ごろ、ブシェラー(注4)に勤めていたとき、宝石を郵送したことがある。ドイツ語圏の宝石商とコンタクトを取る必要があり、そのような方法をとった。このとき、電話とメールで十分信用して商売ができた。スイスの政治的・経済的安定は非常に有利で、国境を越えるだけで状況が変わる。
また、宝石の販売には顧客に対し、その宝飾品が持つ歴史やストーリーの提示が重要だ。継承遺産の場合、アンティーク的価値がつくこともある。宝石にはデザインの歴史もあり、それらの情報を提供していくことが必要になる。
質問:
宝飾品製造において新型コロナウイルス感染拡大の影響はあるか。
答え:
(新型コロナウイルス感染拡大により)クリスティーズ、サザビーズ、日本の需要は低迷したが、スイスでの宝飾品需要は回復すると見込んでいる。
宝石は、例えばフリーポートの中で鑑定することは可能だ。しかし、実物を見ずに写真のみで鑑定することは不可能。そのため、現物の取引が行われ、鑑定するサービスは引き続き重要だろう。

注1:
宝飾品産業でも、メガブランドでは工業化が進んでいる。例えば、ラグジュアリー企業グループ大手リシュモン(本拠地:ジュネーブ)傘下のカルティエ、ピアジェ、ヴァンクリーフ&アーペルなどだ。ただし、本稿では人材育成の観点から手工業による宝飾品を中心に述べる。
注2:
運営方針などをめぐる大手メーカーとの価値観の不一致から、バーゼルワールドは今後の開催が見込めないという観測があった(2020年5月12日付ビジネス短信参照)。しかし報道や一般的な予想に反し、主催者MCHは6月23日、2022年の再開催を発表した。
注3:
鑑定には公的な資格はないため、例えば日本ではGIAのほか国内の中央宝石研究所(CGL)やAGTジェムラボラトリーの鑑定書も流通している。
注4:
ブシェラーは、スイス・ルツェルンに本拠を置く宝飾品・時計製造グループ。
執筆者紹介
ジェトロ・ジュネーブ事務所長
和田 恭(わだ たかし)
1993年通商産業省(現経済産業省)入省、情報プロジェクト室、製品安全課長などを経て、2018年6月より現職。
執筆者紹介
ジェトロ・ジュネーブ事務所
マリオ・マルケジニ
ジュネーブ大学政策科学修士課程修了。スイス連邦経済省経済局(SECO)二国間協定担当部署での勤務を経て、2017年より現職。