新型コロナウイルス感染症の流行拡大で広がる投資規制厳格化の動き
2020年5月7日
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行が拡大する中、日本政府は5月1日に一部の医薬品、人工呼吸器などの高度医療機器を安全保障上、特に重要な業種として外国企業の投資時の事前届出業種に加える告知案を公表した。世界の主要国・地域でも、外国企業の直接投資をより厳しく審査する動きがじわりと広がりつつある。自国の健康医療産業や企業価値が低下した高い技術力をもつ企業を標的とする企業買収が、自国民の利益に反して行われるのを予防するのが狙いだ。欧州連合(EU)、オーストラリア、カナダなどが先行して導入する動きを見せている。
企業の事業再編が減少する中、M&Aが活発化する業界も
COVID-19流行拡大のグローバルビジネスへの影響は、企業の日々の事業活動のみならず、より中長期的な事業再編にも確実に及んでいる。直近2020年1~3月の世界の企業合併・買収(M&A)の動きを見ると、前年に比べて金額ベース、件数ベースでそれぞれ28%、14%減少した(注1)。クロスボーダーの案件に限ると、同時期にそれぞれ33%減、19%減とさらに大きく、企業は海外事業拡大により慎重に投資を判断していることがうかがえる。市場では、M&A市場の回復には時間がかかると予想する声が多い。
こうした中、COVID-19流行拡大を契機に成長期待が増す医薬・医療機器分野の企業などを対象に、新たな出資や買収の動きが報じられている。例えば、米国政府がCOVID-19予防ワクチンを開発するドイツ企業に接触を図ったとするニュースは、欧米の複数のメディアで報じられた(「フィナンシャル・タイムズ」3月15日 など)。また、高い技術力などによって将来性が嘱望されるにもかかわらず、株価下落によって企業価値が低下した企業を標的とした買収や出資の動きもある。標的となる企業の中には、ビジネス環境の悪化や経済活動の制限による打撃を受ける結果、事業の維持・継続を目的に売却や出資受け入れを決めざるを得ない事例も報告されている(注2)。
EUが域内事前審査の強化を推進
当然ながら、こうした案件の中には国境をまたぐ、いわゆるクロスボーダーのM&A案件が含まれている。被買収企業の所在国政府は、クロスボーダー案件の内容次第で自国民や自国経済に不利益をもたらしかねないとして、敏感になり始めている。
最初に具体的に動きを見せたのがEUだ。欧州委員会は3月19日に発表したCOVID-19の流行拡大に対する経済政策(1,011KB) の一環として、重要な資産や技術を失うことを防ぐためのあらゆる手段を講じる必要があることを指摘。その直後の3月25日、外国投資の受け入れに関する具体的なガイダンス(注3)を発表した(表参照)。欧州委員会は同文書の中で、経済成長、競争力、雇用、イノベーションに不可欠な要素として、外国投資の受け入れに開放的な姿勢を強調しつつも、健康・医療関係企業などを対象とする買収がEU市民の保健環境に負の影響を与えないように、各加盟国がバランスの取れた対応をする必要性を示した(2020年3月27日付ビジネス短信参照)。具体的な対応策として、(1) 独自の案件審査プロセスを有する加盟国に対して、審査時に重要な医療インフラや関連するサプライチェーンなどに関係するリスク評価の徹底を求める、(2)審査プロセスを持たない加盟国には、早急に同様の制度を導入する、ことを求めた。欧州委員会は慎重な審査を有する対象分野として、健康・医療製品の生産能力(healthcare capacities)や、ワクチン開発などに従事する研究機関などの関連産業(related industries)とともに、新型コロナウイルスによる株価下落で企業価値が低下して割安感が出ている重要なインフラ産業や技術が関係する案件を挙げる。
さらに、欧州委員会で通商担当を務めるフィル・ホーガン委員は4月16日に開催された閣僚会合で、既に導入が決まっていた対内直接投資の審査枠組み規則 の一部を先行して導入する意向を明らかにした。EUではCOVID-19の流行拡大が始まる以前に、域内の安全保障や公益秩序の観点から懸念が生じる買収案件について、加盟国間で情報交換を通じて審査を強化するEU規則を策定していた(2020年10月11日から適用開始予定)。既に、スペインが直接投資規制を厳格化する国内法の整備を終えているほか、他国も見直し作業を進めている。各加盟国が国内法制度の見直しを進める中、ホーガン委員は先行導入を進める上で欧州委員会が協力する用意があるとして、先行導入について各加盟国に協力を求めた形だ。
国・地域 | 投資規制見直しの特徴 | 発効時期 | 根拠法など |
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欧州連合(EU) |
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2020年3月25日 |
ガイダンス(C(2020) 1981 final)![]() |
欧州連合(EU) |
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2019年4月10日 (2020年10月11日適用) |
EU規則 2019/452![]() |
スペイン |
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2020年3月18日 |
勅令法 8/2020![]() |
オーストラリア |
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2020年3月29日 |
2020年外資買収改正規則![]() |
カナダ |
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2020年4月18日 |
カナダ投資法![]() |
インド |
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未定(外国為替管理法通達により施行) |
政府発表![]() |
米国(参考) |
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2020年2月13日 |
外国投資リスク審査現代化法![]() |
出所:各国政府発表資料を基に作成
複数国・地域でも新たな規制導入の動き
EUに続いたのが、オーストラリアだ。同国政府は3月29日、新型コロナウイルス感染拡大を受けて、外国企業による全ての投資について事前審査の実施を可能とする暫定措置(364.47KB) を導入した。従来、「外資による取得および買収に関する法律(Foreign Acquisitons and Takeovers Act 1975
)」では、一般投資で2億7,500万オーストラリア・ドル(約187億円、豪ドル、1豪ドル=約68円)、農業分野で6,000万豪ドル、メディアでは0豪ドルと審査基準額を規定していたが、同基準を撤廃した(2020年3月30日付ビジネス短信参照)。これまで、基準額に満たない外国投資は報告義務が免除され、基準額を超える投資についても外国投資審査委員会(FIRB)によって国益に反しない限り認められてきた。しかし、ウイルス感染拡大によって打撃を受けた企業が経営再建を図る際に保有資産を売却することが、国民の利益を損なわせうるとして、政府は姿勢を見直した。今回の改定について、ジョシュ・フライデンバーグ財務相は「新型コロナウイルスの影響を受ける期間の一時的措置」としているが、具体的な見直し時期などについては明らかにされていない。
カナダでも、同様の動きが進む。政府は4月18日、カナダ投資法に基づく外国企業による投資の審査を厳格化することを発表 した(2020年4月23日付ビジネス短信参照)。従来、外国企業によるカナダ企業への出資については被買収企業の企業価値が一定額以上の場合にのみ審査対象となっていたが、公衆衛生や国民・政府にとって必要不可欠な製品・サービスの供給に関与する事業への投資は、投資額や支配的投資か否かにかかわらず審査が行われる。さらに、他国の国営企業または外国政府の指揮下にある民間企業などによる投資については、投資金額によらずあらゆる分野への投資が審査の対象となる。政府は審査の厳格化の適用期間について、「カナダ経済が新型コロナウイルス感染拡大の影響から回復するまで」としている。
隣国の米国では、これまでにCOVID-19流行を受けた直接投資規制の見直しは行われていない。2月13日に施行された外国投資リスク審査現代化法(FIRRMA)の最終規則の発表(1月13日)はCOVID-19の流行開始前であり、同規則では医療・健康分野における審査については特に触れていない(2020年2月20日付ビジネス短信参照)。しかし、米国内の複数の大手法律事務所は、COVID-19の流行拡大が国内医療産業の脆弱(ぜいじゃく)性を明らかにしたことにより、今後同分野の案件審査が慎重に扱われる可能性を指摘する(注4)。
規制強化の動きは開発途上国にも
投資規制の動きは、開発途上国へも広がりを見せ始めている。インドでは、商工省が4月18日、投資政策の見直しを発表した(2020年4月27日付ビジネス短信参照)。新型コロナウイルス感染拡大による経済状況の変化に乗じた、外国企業からの買収を牽制するのが狙いだ。従来、業種にかかわらずインドへの投資に政府の事前許可を必要とするのはパキスタンとバングラデシュの企業に限定されていたが、今回の改正に伴い、インドと国境を接する国、対印投資の主体者がインドと国境を接する国に居住している、または同国の市民である場合に拡大された。
インド政府の措置は規制強化の対象を隣国に限定していることから、地元メディアでは中国企業による企業買収を警戒したものだと報じられている。中国企業によるインドへの投資は増加する傾向にあり、最近も中国人民銀行による大手住宅金融であるHDFCへの出資拡大が伝えられたばかりだった。もっとも、中国企業への警戒心はインドに限った話ではない。先述した国・地域でも、規制が対象として想定する主たる投資主体は中国企業になるという見方が多くのメディアで報じられている。今後、いかなる運用がされるか注視する必要がある。中でも、規制強化を暫定措置として位置付けた国については、COVID-19の流行収束後にいかなる対応を取るか注目される。
一般的に、審査案件の対象拡大や厳格化は予見可能性や法的安定性を損なうのみならず、審査期間の長期化によって投資家の迅速な経営判断を阻害するとともに、被買収企業の企業価値を棄損しかねない。とりわけ、COVID-19によって経営が悪化した企業が被買収対象の場合、手元資金は必ずしも潤沢でないことが予想される。このようなケースで審査プロセスが長期化されれば、対象企業の息の根を止めかねず、国内経済や国民の利益に反する結果を招きかねない。日本政府も5月1日に公表した外国為替および外国貿易法(外為法)の新たな告示案 で、一部の医薬品、人工呼吸器などの高度医療機器を安全保障上、特に重要な業種として事前届出業種に加える方針を発表した。被買収企業の存続に加えて、ウイルス感染終息後の経済回復の速度を減じさせないためにも、受け入れ国政府によるバランスの取れた手綱さばきが期待される。
- 注1:
- レフィニティブに基づき、2020年第1四半期のデータを前年同期比と比較。
- 注2:
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Bloomberg 4月7日
、The Economist 4月11日号
など
- 注3:
-
正式名称は、「EU規則2019/452(対内直接投資スクリーニング規則)の適用に先立つ、第三国からの外国直接投資と自由な資本移動、並びに欧州の戦略的資産の保護に関する加盟国向けガイダンス-
(674KB)」。欧州委員会が作成する政策文書(Communication)であり法的拘束力はない。
- 注4:
-
Baker Mckenzie法律事務所
、Skadden, Arps, Slate, Meagher & Flom法律事務所
など

- 執筆者紹介
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ジェトロ海外調査部海外調査企画課長
秋山 士郎(あきやま しろう) - 1995年、ジェトロ入構。ジェトロ・アビジャン事務所長、日欧産業協力センター・ブリュッセル事務所代表、ジェトロ対日投資部対日投資課(調査・政策提言担当)、海外調査部欧州課、国際経済課、ニューヨーク事務所次長(調査担当)、米州課長などを経て2019年2月より現職。