中国経済が直面する持続的発展に不可欠な課題解決とは-有識者に聞く習近平政権10年のキーワードからみる政策の変化

2023年9月11日

習近平政権になり10年余りが経過した。(国家主席)就任当時、すでに高度成長時代は終わりを迎えつつあり、新たな発展の「軸」が求められていた。そして今、中国経済は不動産市場の低迷、人口減少、債務拡大など構造問題がより顕在化している。米中対立やデジタル化の進展などを受け、中国政府はより安全やセキュリティに対する意識を高めている。習近平政権の政策は、この10年どのように変化してきたのか、今後の持続的発展に向けた政策課題とは何か。現在、米ハーバード大学に在籍する東京大学社会科学研究所の伊藤亜聖准教授に聞いた(取材日:2023年8月18日)。


伊藤亜聖氏(同氏提供)

大規模データベースを基にした米国の中国研究

質問:
現在、米ハーバード大学に在籍されているが、米国の中国研究、特に社会科学研究にどのような印象を持っているか。また、注目されていることは何か。
答え:
現在、ハーバード大学ウェザーヘッド国際問題研究所に在籍している。学内にはアジア研究、中国研究を含め複数の研究所がある。例えば、中国研究だとフェアバンク中国研究センターがある。しかしそれ以外の社会科学分野の研究所も含めて、学期中は各々(おのおの)の研究所が研究会を頻繁に開催しており、外部から研究者を呼ぶなど活発に行われている。1日に複数の研究会が開催されることもある。例えば、今年2月のある日には、中国のLGBTQ、日本のマクロ経済、インドの生体個人認証、唐代中国の石碑の研究、中国都市開発を巡る政治、アジア文学、これらの6つの公開研究会があった。学内には中国研究、特に社会科学分野で中国を研究している有力な若手研究者も多い。
米国、カナダの大学の研究者層の厚さを感じている。有力な研究者のまわりには院生やポスドクがおり、大学自体の研究環境も充実している。圧倒的な資金力がある。論文を見ていくと、1本1本の論文が重厚で、特に大規模なデータを使った研究が進んでいる印象がある。中国の企業データや人事データなど、マイクロで独自なデータセットを基に研究が進められている。これら研究発表に対して、かなりアグレッシブな質疑が繰り広げられている。
研究のためのインフラ整備も重視されている。例えば、ボストン大学には、現在、中国の対外融資をまとめたデータベース(China’s Overseas Development Finance Database)がある。過去15年分くらいの情報をミクロにデータベース化している。ワシントンにあるアメリカン エンタープライズ研究所にはChina Global Investment Trackerというデータベースがあり、仮に中国が公式に発表した数字がない場合でも、ウェブ情報の収集(スクレイピング)などを活用して推計している。研究者が作っているものとしては、反腐敗運動の検挙情報を一つ一つ収集し、個人レベルの検挙件数を積み重ねてデータベースを作成しているものなどがある。大規模なデータベースを独自に構築して、研究の土台を作り、学術研究やビジネスにも使われている。
ジェトロでもビジネス短信という毎日膨大なテキストデータが蓄積されている。これらをデータベース化すると、たいへんすばらしいと思う。
質問:
他方で、日本の中国研究の特徴をどのように感じられているか。
答え:
日本の中国研究は、中国との距離が近いこともあり、質的かつ観察的な中国研究の蓄積がある。各分野、業界ごとに観察・分析をしていることが特徴だと思う。ジェトロのレポートも強みのある一つの観察・分析パターンであり、大規模かつ継続的にデータを構築できれば、よい研究につながる。
そのほか、日本の調査会社、例えば、とある調査会社の中国自動車産業レポートなどは調査チームが継続的にフォローしており、質も高く、学術研究で使っているケースもある。フィールドへの近さと同時に、独自のデータをアセットとして作っていけると良いと思う。

発展と安全のバランスが中国の政策課題

質問:
足元、中国経済はデフレ懸念が指摘されるようになっており、コロナからの回復が当初思われていたほど良くない。習近平政権も3期目を迎えたが、現政権の政策課題は何だと思われるか。
答え:
10年前に習近平政権が誕生した時、高度成長の時代はほぼ終わっていた。経済的な政策課題は10年前から劇的には変わっていない。経済、産業の高度化、生産性の向上がそれである。当時は例えば、経済、産業に明るい汪洋広東省書記が副総理になるということで、高度化にどのようなインパクトがあるかなどが論点となった。一方、大きく変わったのは少子化と経済安保だろう。少子高齢化は課題という意味では変わっていないが、出生率が想定以上に下がるなどの変化が起きている。また、経済安保などは10年前とは決定的な違いであろう。「発展と安全のバランス」という議論が出てきたところは大きな変化である。
李克強前総理はビジネス環境の改善、行政手続きの簡素化などを一貫した旗印にしており、一定の成果を上げていた。しかし、この方向性と近年強調されている安全・セキュリティの方向性とはずれがある。先だって(8月13日)に発表された「外商投資環境のさらなる最適化と外商投資誘致の強化に関する意見」(以下、外資誘致に関する意見。2023年8月15日付ビジネス短信参照)にもみられるように、外資の力は必要であるということが改めて打ち出された。これはある意味、中国政府が発展と安全の間にあって苦慮している部分といえる。
10年前にも、成長の芽をどこに求めるか、何を軸に成長していくのかという議論があった。振り返ると、中国企業の正攻法の研究開発が進み、デジタル経済も発展した。中国経済を塗り替えたといえる。では、今の成長の芽は何かというと、よりハードなテクノロジー「硬科技」(注)と逆にリテール分野の「新消費」にあるのかもしれない。10年前に低賃金という強みがなくなりつつある時に、もはや成長の芽がないと危惧されたが、実際は新興産業が立ち上がった。
いま中国では、より基礎的な研究開発やキャッチアップ段階の技術の更なる強化のほか、新消費といわれる、特に若者世代向けに新たなブランドや投資が生まれている。玉石混交ではあるが、新しい動きである。中国経済全体へのインパクトがどれだけあるのかはまだみえないが、成長が鈍化する中、新しい成長の芽として注目していくべきだろう。次の10年を考えた時に成長の芽を確保していくことが重要である。
中国では少子化が進みつつも、高等教育機関のレベルは向上している。基礎研究にも力を入れており、科学分野の論文も増えている。若者がどのセクターに行くのかにかかっているが、より基礎的な研究に若者が集まれば研究自体は進んでいく。しかし、これがマクロ経済を救う保証はない。金融セクター、不動産セクターに起因する脆弱(ぜいじゃく)性がある一方で、革新も続く。それが次の10年のニューノーマルなのかもしれない。

「国家安全」、強い実行を伴う政策キーワード

質問:
現政権のこれまで10年を振り返った時、注目する政策、または政策変化、キーワードは何だと考えられるか。今後、中長期的にみた際の政策課題とは何か。
答え:
この10年の報道データを使って、習近平政権の政策文書(ポリシードキュメント)を分析した。10年間の政策的キーワードをみて、キーワードがいつピークを迎えたかなどを分析したところ、コアなキーワードが変わっていく姿がみえた。第1期(2012~2017年)のキーワードでは、「新常態」「供給側改革」「混合所有制」などであり、第2期(2017~2022年)では「共同富裕」「新発展段階」などが主なキーワードで登場していった。2022年にピークとなったキーワードは「高齢化」と「国家安全」などがあり、特に「国家安全」は、分析期間の最後の月に当たる2022年10月にピークとなった。政策的なキーワードはこれからも新しいものが出てくると思う。重要なのは、キーワードが出てきた時に実際に実行に移されるのか、実態にどのような影響を及ぼしているのかを見ていくことである。言及したのに実行されていないものもある。その中でも、安全・セキュリティは実際に強い実行がなされている。
一方で、先ほどの「外資誘致に関する意見」も出されている。これまで江沢民政権、胡錦涛政権は、基本的には2期10年を任期としており、主席が代わるタイミングの前後で、学者を含め活発な論壇が起こり、新しいキーワードが出てくる。習近平主席の場合は、3期目が確実視されていたためか、新しい政策を議論する論壇にまで至らなかった。それでも2期目の終わりのころは、発展と安全の議論において、より安全が重要であることが明確となった。これはある意味、鄧小平の改革開放の理念である「発展こそ根本的道理」という発展主義からのシフトであった。米中対立など外部環境も影響を与えたのであろうが、将来振り返った際、中長期的にみてこの時に国家戦略を見直した、ということになる可能性はある。
しかしながら、中国経済は巨大な市場であり、重厚な中間層もいる。安全を強調するだけでは物事は収まらない。安全保障にかかわるセクターでは「安全」をしっかりみていくのだろうが、それ以外のセクターで、しっかり「発展」を目指すという、ある意味での国内での切り分けのような可能性もあるのかもしれない。

中国ビジネス、現場の声にもっと傾聴を

質問:
現在の米中関係をどうご覧になっているか。米国は、中国とはデカップリングはしない、デリスキングであると発言をしている。やや米国の中国の位置付けが変わったかのようにもみえるがどうか。
答え:
ワシントンではデリスキングの議論がされているのだろうが、私自身はフォローしていない。米国の日常生活の感覚でいえば、ローカルテレビなどでも中国について報道されることは少なく、唯一、気球が米国の上空に来た時に連日報道された程度である。バイデン大統領も中国に対する政策を発表するなど中国に言及しているものの、大統領選挙を念頭においたものとみられている。
ハーバード大学でも、ワシントンから中国研究者を呼んで講演してもらう機会もある。これまでのゼロコロナの影響もあり、中国に赴いてウォッチしているチャイナウォッチャーは少なくなってきているように感じている。1980年代に中国留学していた米国人の数よりも、いま中国に留学している米国人の方が少ないといわれる。中国に長期滞在して観察する人材が、果たしてどれだけいるのだろうか。少ないのではないかと思う。長期的な視点に立ち中国を観察していくことを考えた場合、このような人材が少ないことが危惧される。それは日本も同じことである。ゼロコロナが終わっても、米中間の国際航空便数は減ったままで、ようやく9月から増えるらしい。人の往来が途切れてしまうのは怖いことである。
中国から米国への人材については、ゲノムなど新興技術に関連する分野では制限を受けるケースを見聞きした。研究者レベルではビザ発給が厳格化され、なかなか発給されないケースがある。しかし、文系は全般的にそのようなことはない。
質問:
米国の対中規制は強化されており、中国も国家安全・セキュリティ規制を強めている。中国ビジネスを行う日本企業は難しい対応を求められているが、中国の政策動向や米国の状況などから、日本企業へのアドバイスは。
答え:
「現場にいる人材からの意見を聞く」ということに尽きると思う。現場の生の声、業界のビジネス動向を重視するということが何よりも重要であり、日本企業はこのことを意識的に一層深掘りすべきだと思う。机の上で得られる情報のみならず、現場の声をもっと聞いていくべきである。

注:
英訳は「Hard & Core Technology」。中国の西安光学精密機械研究所の米磊博士が提唱した概念で、ハイテクノロジーよりもさらに高度でコピーが難しいテクノロジーを指す言葉。
略歴
伊藤亜聖(いとう・あせい)
東京大学社会科学研究所特任助教、同研究所専任講師などを経て、2017年より同研究所准教授に就任、現在に至る。2022年9月より米ハーバード・イェンチン研究所、23年9月からウェザーヘッド国際問題研究所に在籍。主な著書に『デジタル化する新興国 先進国を超えるか、監視社会の到来か』などがある。
執筆者紹介
ジェトロ調査部中国北アジア課長
清水 顕司(しみず けんじ)
1996年、ジェトロ入構。日本台湾交流協会台北事務所、ジェトロ・北京事務所、企画部海外地域戦略主幹(北東アジア)、ジェトロ・広州事務所長などを経て、2022年12月から現職。