中南米各国の「ビジネスと人権」への取り組み
NAP策定状況などの動きから
2026年5月19日
2011年に国際連合の「ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、指導原則)が成立して15年目となり、日本を含む世界の35カ国以上で指導原則を実行するための国家行動計画(以下、NAP)が策定されている。NAPは、指導原則で記載されている国家の人権保護義務を果たすために具体的な措置を明記する政策文書であり、企業への期待も示されている。
中南米各国ではどうか。デンマーク人権研究所(以下、DIHR)によれば、主要6カ国のNAP策定状況は表1のとおり、4カ国がNAP策定の実績がある(注1)。具体的には、コロンビアが2015年にNAPを策定し、チリ、ペルー、アルゼンチンと続いた。現在実施中のNAPはアルゼンチンに加え、ペルーが2025年末までの計画となっていたものを、目標に対する進捗度を鑑み1年間、実施期間を延長した動きがある。
本稿では、ビジネスと人権に関する各国のアプローチ状況について、NAP策定有無を踏まえながら、中南米域内外の貿易協定などに含まれる条項に触れるとともに、中南米進出日系企業による人権尊重の取り組み状況を整理した。
| 国名 | 政策文書などの採択 | 実施報告書 |
|---|---|---|
| コロンビア |
NAP策定(2016-2018) NAP策定(2020-2022) |
第1次NAPに関する2つの報告書あり(2017-2018) 第2次NAPに関する報告書あり(2022) |
| チリ |
第1次NAP策定(2017-2020) 第2次NAP策定(2022-2025) |
第1次NAPに関する報告書あり(2020) 第2次NAPに関する報告書はなし |
| ペルー | NAP策定(2021-2025) | 2023年に市民社会組織による第1次NAPに関する評価あり |
| アルゼンチン | NAP策定(2023-2026) | なし |
| ブラジル | なし | 該当なし |
| メキシコ | なし | 該当なし |
出所:デンマーク人権研究所「A smart mix of measures on business and human rights in Latin America」(2025年8月)からジェトロ作成
政策主導で取り組みを進める国
まずは表1で見た、NAP策定の実績がある4カ国を取り上げる。コロンビアでは第1次NAPで、人権と環境の観点から社会紛争が生まれ得るセクターとして鉱業・エネルギー、インフラ、アグリビジネスを優先分野と位置付け、第2次NAP(2020-2022)では所管省庁の政策に踏み込むに至っている。
チリは二期にわたって(2017-2020、2022-2025)NAPを策定している。企業の規制順守などに詳しいチリのVGC法律事務所によれば、両NAPとも政府が政策でビジネスと人権を進めることを推進し、将来的な規制を見据えて社会の動きを見極めるものになっている。企業の取り組み義務を設けた動きではないものの、第1次のNAPは国家、ライツホルダー(企業が尊重すべき権利を保持する主体)、ビジネスセクター間で議論されることを目的とし、第2次のNAPでは第1次で求めた議論を深め、各省などが取り組むべき内容を明確化したものとなっている。一例として、2021年11月にチリ金融市場委員会(CMF)は上場企業などの年次報告書でサステナビリティ関連情報の開示に人権分野を含めることを求めるルール変更を行っている。
ペルーでは150の指標と97の行動が盛り込まれ、22の政府機関によって実施されることになっていたが、NAPの実施期限が延期された中、2026年4月の大統領選挙を経てNAPがどのように位置付けられるのかに注目が集まる。
アルゼンチンでは政策を強化し、企業活動で人権を尊重する行動を促すことなどを目的に2023年からNAPが展開されており、11の国営企業などが設定した目標などが記載され、契約条項、融資条件(金融機関の場合)、組織内の教育などで人権に配慮する内容が紹介されている。
個別の法案や貿易協定から取り組む中南米の大国
続いて、NAP策定実績はないものの独自のアプローチがみられる国を取り上げる。
ブラジルでは、人権に関する政策を推進するための基本方針を定める人権とビジネスに関する国家基本法(法案572号/2022年)が国会に提出されているが、法案審議は特段進展していない。ただ、2025年9月には企業による人権侵害の防止と責任に関する仕組みについての議論を進めることを目的に、下院議会の経済開発委員会で同法案に関する公聴会が開かれ、大企業とその活動の影響を受ける地域社会との力関係の非対称性の問題への取り組みを進めるものと強調された。自発性から法的義務や監視を伴う規範性への移行についての議論は途絶えていない状況だ。
2025年11月には、同国サンパウロで国連開発計画(UNDP)主導の「人権デューディリジェンス(HRDD)に関する研修会」が開催されており(2025年11月13日付ビジネス短信参照)、進出日系企業による指導原則の実践を促す取り組みもある。
メキシコでは、2020年7月に発効した米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)に基づいた取り組みも進められている。米国政府の要請により、特定事業所における労働権侵害を巡る紛争解決メカニズム(RRM)の適用が進んだほか、2023年2月には強制労働により生産された商品の輸入を禁止する経済省令が公布され、同年5月18日以降、強制労働(児童労働を含む)により生産された商品の輸入は禁止されている(注2)。
DIHRによる6カ国の分析
DIHRは主要6カ国では企業の人権デューディリジェンス(以下、人権DD)自体を義務化した包括的な規制を設けた国はないものの、労働者の権利、先住民族などの権利、腐敗防止といった特定の人権分野で企業行動を規制する個別の取り組みが確認できることから、現状をベースに国家、ライツホルダー、ビジネスセクターなどが議論することで人権DDに関わる規制導入に向けた議論の余地はあると分析する。 ただ、DIHRは中南米地域ではインフォーマルセクターの大きさや、予算や制度の制約なども考慮しつつ、人権DDを義務とする包括的な規制のみを追い求めるのではなく、指導原則を踏まえた国内的および国際的な措置、強制的および自発的な措置を上手に組み合わせる「スマートミックス」も考え得ることから、NAPを発展させることは国家、企業、市民社会など異なるセクターが対話していくための重要ツールになると説明している。
中南米進出日系企業による人権尊重の取り組み
中南米進出日系企業による人権尊重の取り組みはどうか。ジェトロは「2025年度 海外進出日系企業実態調査」で、海外各国に進出する日系企業に経営状況や現地ビジネス環境の変化などについてのアンケートを実施し、「人権尊重の取り組み」についての回答結果を公表した。中南米進出日系企業が人権DDを実施していると回答した割合は35%となっており、2023年度(31.9%)から3.1ポイント増加した(図1)。2025年度は全世界編
(2.2MB)で進出日系企業が人権DDを実施していると回答した割合(30.8%)を上回った(注3)。企業規模別で見ても、中南米進出日系企業のうち、大企業による人権DD実施割合は44.7%となり、全世界編の回答割合(37.1%)を7.6ポイント上回っている。
注:本設問について、2024年度は一部地域(欧州・中東・アフリカ)のみで実施したため、中南米地域では2023年度と比較している。
出所:ジェトロ「2025年度 海外進出日系企業実態調査(中南米編)」
また、中南米進出日系企業が「人権DDを実施」「実施に向け準備中」「実施を検討するために情報収集中」のいずれかを回答した理由は、「本社グループ全体の方針・指示」(80.8%)に次いで、「サステナビリティ戦略の実践、企業の社会的責任」(49.6%)となっており、これは全世界編
(2.2MB)で進出日系企業による同理由の回答割合(42.2%)を7.4ポイント上回り、欧州編
(2.0MB)の回答水準(50.4%)に近いものとなっている。
前述したDIHRによる中南米地域の特徴を踏まえると、中南米進出日系企業にとっては自主的に戦略や社会的責任として「ビジネスと人権」を意識する動きがあると考えられ、前述のスマートミックスなアプローチにつながる企業の動きとしても注目に値するといえそうだ(図2)。
出所:ジェトロ「2025年度 海外進出日系企業実態調査(中南米編)」
中南米での人権DD実施にあたりサプライチェーン上で懸念される人権課題の特徴としては、インフォーマルセクターや農業の視点で児童労働や労務管理が挙がった中、人権と環境の視点で先住民への影響を考慮したコメントが含まれている点だ。また、人権DD実施において、もっとも困難に直面している事項として、「サプライヤーに人権条項を契約書に含めることに同意してもらうこと」「事業活動に伴う人権侵害のリスク特定と対応策の策定、実効性の検証」「教育頻度(年1回では難しいという問題意識)」「内製化で対応すべきものと外部委託すべきものの整理」など、取り組みに時間を要する課題についてのコメントが目立った。
一方、人権DDに取り組んだことによる具体的な効果として、「社内の人権リスクの低減(ハラスメント防止、労働安全衛生の改善等)」(86.1%)、「従業員の働きやすさの改善」(50.8%)と、自社の労働環境改善・従業員のエンゲージメント向上につながる効果を多くの企業が挙げたといえる(図3)。
出所:ジェトロ「2025年度 海外進出日系企業実態調査(中南米編)」
ブラジルの投資促進策が中南米域内のビジネスと人権への取り組みに与えた影響
経済協力開発機構(OECD)が2024年7月に公開した「貿易と投資における責任ある企業行動の促進(ラテンアメリカ・カリブ海諸国)
」によれば、2015年以降にラテンアメリカ・カリブ海諸国で「OECD多国籍企業行動指針」の考え方を踏まえて責任ある企業行動に関する条項(注6)を含む貿易投資協定が目立っている。これはブラジルが、投資家と国家間の紛争解決(ISDS)条項を含む二国間投資協定の代替協定モデルとして提唱してきた投資協力円滑化協定(ACFI)においてみられたものであり、中南米域内の動きとしてターニングポイントになったと説明している。ブラジルのACFIが流れを作った責任ある企業行動に関する条項の構造は、(1)締結国は企業に対し、社会的責任ある慣行を採用することにより、持続可能な開発へ貢献するよう最大限努力する合図を出すこと、(2)企業が順守すべき責任ある企業行動に関する原則と基準を規定することの2つだ。
ブラジルが中南米域内のチリやメキシコ、域外のモロッコ、インドなどと署名済みのACFIに加え、太平洋同盟の追加議定書やメルコスール・シンガポールFTA、EUメルコスールFTAなどの貿易協定にもみられる動き(表2)であり、中でもメルコスール・シンガポールFTAは先住民族や伝統的なコミュニティ、現地のコミュニティとの対話を奨励するといった、ステークホルダーエンゲージメント(企業と、影響を受ける可能性のあるステークホルダーとの間での継続的対話のこと)を求める内容となっている。
| 協定名 | 署名日 | ステータス | 条項によってカバーされるOECD「責任ある企業行動に関する多国籍企業行動指針」の分野 | 国際的な責任ある企業行動に関する指針への言及 | デュ―ディリジェンスへの言及 | 各協定における関連部分 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 太平洋同盟(追加議定書) | 2014年2月10日 | 発効 |
|
あり:OECD多国籍企業行動指針 | なし | 10条30項:社会的責任に関する方針 |
| ブラジル・メキシコACFI | 2015年5月26日 | 発効 |
|
なし | なし | 13条:企業の社会的責任 |
| ブラジル・チリACFI | 2015年11月24日 | 未発効 |
|
あり:OECD多国籍企業行動指針 | なし | 15条:社会的責任に関する方針 |
| ブラジル・チリFTA | 2018年11月21日 | 発効 |
|
なし | なし |
12章:労働 12条8項:企業の社会的責任 13章:貿易と環境 13条6項:企業の社会的責任 |
| USMCA(14章) | 2018年11月30日 | 発効 |
|
あり: OECD多国籍企業行動指針 | なし | 14条17項:企業の社会的責任 |
| ブラジル・モロッコACFI | 2019年6月13日 | 未発効 |
|
なし | なし | 13条:企業の社会的責任 |
| ブラジル・インドACFI | 2020年1月25日 | 未発効 |
|
なし | なし | 12条:企業の社会的責任 |
| メルコスール・シンガポールFTA | 2023年12月7日 | 未発効 | 一般方針 | なし | あり | 9条12項:責任ある企業行動 |
|
EUメルコスールFTA (暫定貿易協定(iTA)) |
2026年1月21日 | 暫定適用 | 一般方針 | あり: OECD多国籍企業行動指針、OECDデューディリジェンスガイダンス、ILO多国籍企業及び社会政策に関する原則の三者宣言 、国連グローバルコンパクト、国連「ビジネスと人権に関する指導原則」 |
あり(OECDデューディリジェンスガイダンス) (注:OECD紛争地域および高リスク地域からの鉱物の責任あるサプライチェーンのためのデューディリジェンスガイダンスにも言及) |
11条:貿易とサプライチェーンの責任ある管理(貿易と持続可能な発展章) |
出所:OECD資料からジェトロ作成
「ビジネスと人権」に関する各国アプローチは異なるも、徐々に企業行動を後押し
NAPは国のコミットメントを表明し、複数省庁間での取り組みを後押しするものとなっており、策定国における取り組みに注目が集まる。一方、NAPを策定していない場合でも、個別の法案や貿易協定などを通じて企業行動に働きかける動きもあるため、NAPと合わせて見ていく必要もありそうだ。各国の取り組みがどの程度実効性を伴うものとなっているかによって企業への影響度は異なるものの、いずれのアプローチも企業が「ビジネスと人権」を意識するよう促すことに変わりはなく、中南米進出日系企業が現地でビジネスを拡大していく中でビジネスと人権は徐々に経営の中核を成すテーマの1つとなる可能性がある(注7)。
- 注1:
-
当該地域単位での政策文書などの採択はなく、米州機構(OAS)の主要機関の1つである米州人権委員会(IACHR)の「ビジネスと人権:アメリカ大陸のスタンダード
(3.1MB)」レポートが各国のベンチマークとして存在していると説明している。 - 注2:
-
「サプライチェーンと人権」に関する法制化動向(全世界編 第3版)
(1.73MB)」(2026年3月)「メキシコ」を参照。 - 注3:
-
ジェトロによる2025年度「海外進出日系企業実態調査 全世界編」における人権尊重の取り組みに関する設問は、2023年度同様に調査対象を中国、香港、マカオ、ロシア、ベネズエラを除く全地域とした。2024年度は一部地域(欧州・中東・アフリカ)向けに同じ設問を設けている。
- 注4:
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(1) 「人権DDを実施」「実施に向け準備中」「実施を検討するため情報収集中」と回答した企業が対象。(2)理由の選択は複数回答。
- 注5:
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(1)「人権DDを実施」と回答した企業が対象。(2)項目の選択は複数回答。
- 注6:
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2011年の「OECD多国籍企業行動指針
(651KB)」では、人権に関する章(企業には人権を尊重する責任があるという内容)が新設された。2023年に「OECD責任ある企業行動に関する多国籍企業行動指針
(1.21MB)」に改訂されている。人権、労働、環境、腐敗防止などを含む、責任ある企業行動についての指針であること。 - 注7:
-
ジェトロは「特集 サプライチェーンと人権」にて、各国法制化動向をまとめた調査レポート「サプライチェーンと人権」に関する法制化動向(全世界編 第3版)や日本企業が国内外で人権尊重の取り組みを具体的に進めている事例などを紹介した地域・分析レポートを公開している。
- 執筆者紹介
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ジェトロ 調査部米州課 課長代理
古木 勇生(ふるき ゆうき) - 2012年、ジェトロ入構。お客様サポート部オンライン情報課、 企画部海外地域戦略班(中南米)、海外調査部米州課中南米班、ジェトロ・サンパウロ事務所、内閣府を経て現職。





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