特集 どう描く?今後の中南米戦略

経済、政治、通商協定はともに新たなステージへ

米国の政権交代や資源価格下落を背景とする景気後退からの回復など、中南米の事業環境には大きく変化がみられる。本特集ではこうした変化を「経済・ビジネス環境」「政治」「通商戦略」の切り口で分析する。

2018年6月22日

内憂外患の中南米、経済回復鈍る

ベネズエラ以外の南米諸国の経済回復で中南米全体として景気は回復状況にある。国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会は2018年4月11日付で2017年12月に発表したラテンアメリカ・カリブ地域の2018年の経済見通しデータの更新を行った。

それによると域内全体で2.2%のGDP成長率予想は変わらないものの、アルゼンチンなどで0.5ポイント下方修正された一方、チリで0.5ポイント、ブラジルで0.2ポイント上方修正されている(表参照)。

表:GDP成長率見通しの推移(―は値なし。△はマイナス値)
国名 2017年12月14日
時点
2018年4月11日
時点
修正
(%ポイント)
中米 3.6 3.6
階層レベル2の項目 コスタリカ 4.1 3.4 △ 0.7
階層レベル2の項目 キューバ 1.0 1.6 0.6
階層レベル2の項目 グアテマラ 3.5 3.3 △ 0.2
階層レベル2の項目 メキシコ 2.4 2.3 △ 0.1
階層レベル2の項目 パナマ 5.5 5.6 0.1
階層レベル2の項目 ドミニカ共和国 5.1 5.0 △ 0.1
南米 2.0 2.0
階層レベル2の項目 アルゼンチン 3.0 2.5 △ 0.5
階層レベル2の項目 ブラジル 2.0 2.2 0.2
階層レベル2の項目 チリ 2.8 3.3 0.5
階層レベル2の項目 コロンビア 2.6 2.6
階層レベル2の項目 パラグアイ 4.0 4.0
階層レベル2の項目 ペルー 3.5 3.5
階層レベル2の項目 ウルグアイ 3.2 3.0 △ 0.2
階層レベル2の項目 ベネズエラ -5.5 -8.5 △ 3.0
ラテンアメリカ全体 2.2 2.2
出所:
国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会データ基に作成

米国の政策の影響が直接・間接的に中南米に波及

近年、中南米経済は中国経済の動向に左右されるといわれてきた。特に資源国が多い南米ではほとんどの国で最大の貿易相手国が中国になったり、中国企業の投資が急増したりしていたからということが背景にある。

しかし、トランプ米大統領就任(2017年1月)以来、その保護主義的な政策は、直接・間接的に中南米諸国の経済に影響を与えている。直接的な影響を受けている国としては北米自由貿易協定(NAFTA)再交渉を強いられているメキシコがある。同国政府はNAFTA維持に最大限の力を注いでいるが、並行してEUとのFTAの近代化、南米諸国との既存協定の拡大深化に取り組み、NAFTA再交渉で考えられるさまざまなシナリオに対応しようとしている(「NAFTA再交渉が域内の通商協定を刺激」参照)。また、包括的および先進的な環太平洋パートナーシップ協定(CPTPP、いわゆるTPP11)の早期発効に向けたアクションも素早く、5月23日にはTPP11を批准した。こうしたトランプ政権の動き、そしてそれに影響を受けるメキシコの動きは、同国が加盟する太平洋同盟諸国、TPP11の南米各国(コロンビア、ペルー、チリ)のみならず、通商政策をこの2、3年で開放政策に転換しているブラジルやアルゼンチンの通商政策にも影響している(「門戸を開き始めたメルコスール」参照)。

金融面での影響が顕在化

また、トランプの保護主義的政策の影響は、金融セクターを通じて、間接的にラテンアメリカ主要国の経済に波及している。つまり、ほぼ完全雇用に近い状態である米国において、さらに減税や財政支出、保護主義的な通商政策が採られることで米国における物価上昇圧力が増し、金利引き上げ幅や、回数の増加につながるとの予想が出されていること自体が問題となる。もともと米国におけるテーパリング(量的金融緩和の縮小)の動きないし実際に連邦準備制度理事会(FRB)が金利引き上げを開始した当初から、同国の金利引き上げが中南米含む新興国、特に資源価格に貿易収支が左右される南米資源国にとってマイナスの影響を与えかねないとの懸念はあった。しかし、これまでは金利引き上げのスピードが遅く、特に問題となっていなかった。

ただ米国10年債の利回りが3%を突破した2018年4月以降、グローバルマネーの先進国回帰の傾向が指摘され始めてきた。このことは、中南米諸国の株式市場の下落、あるいは為替面では特に割高といわれたアルゼンチン・ペソなどが売りの対象となり、金利引き上げやIMFとの交渉につながり、それがまた政治リスクを高める可能性もあるなど金融セクター動揺の要因となっている。


経済の中心。サンパウロ市のパウリスタ通り(ジェトロ撮影)

左派政権復活の可能性に身構える市場

2018年は主要国で大統領選挙が実施される予定となっている。選挙が予定されている国、特に域内大国のメキシコとブラジルでは、その動向が経済にも影響するであろうことはあらかじめ予想されていた。NAFTA再交渉が長引くメキシコでは国家再生運動(Morena)と労働党(PT)の左派2党と、中道の社会集会党(PES)が推すアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(通称:AMLO)氏が勝利する可能性が高くなっている。なお、AMLO氏のポピュリストとしてのイメージの強さから、同候補が当選すると短期的に通貨や株価の下落が予想されているが、同氏の経済政策(「論争を呼ぶ政策、日系企業への影響も」参照)をみるとプロビジネス的な要素も少なくなく、また既存の国際協定の順守も尊重する(「AMLO氏旋風が舞うメキシコ大統領選挙」参照)とあり、ある程度予見できる。

他方、ブラジルに関しては、これまでミシェル・テーメル政権が構造改革を進めてきたが、最大の課題とされた年金改革は完遂できない見込みである。ブラジル経済のアキレス腱(けん)とでもいうべき財政赤字の解消には至らず、リスクは残ったままだ。こうした中、ルーラ元大統領が、現在収監中であるにもかかわらず大統領選挙の調査では30%以上の人気を維持している。マネーロンダリングなどの罪で拒絶率(絶対にこの候補だけは入れないという率)も高い同氏であるが、大統領時代(2003~2011年)の資源高に支えられた高成長および潤沢な予算を背景とした社会包摂策のうまみが忘れられない有権者、そして出身地の東北部や労働者党(PT)の支持基盤である労働者層を中心に支持されているとみられている(「混迷するブラジルの大統領選挙」参照)。また、元軍人で右派のボルソナーロ氏が治安改善に強硬姿勢をみせ、それが中道主義的な政策を好む有権者や産業界の人気を一部取り込んでおり、中道候補者の本命とみられていたジェラルド・アルキミン氏[ブラジル社会民主党(PSDB)]の人気は低迷している。構造改革路線継続を望む金融市場としては、現時点の状況はリスクを感じざるを得ないものとなっており、国際金融環境と相まって為替相場は弱含んでいる。そしてこうした一連の流れを踏まえ、2016年10月の金融政策決定会合以降、12回連続で引き下げされていた金利は、2018年5月16日の会合では据え置きを決定。金利引き下げが継続して行われていたことが経済の回復の肝だったため、今後の回復速度が遅くなるとの見方が増え始めた。

その後、ブラジル国内で発生した大規模なトラック業界のストライキにより物流が止まり、その間の輸出も減少。この騒ぎの余波でペトロブラスの改革を行ってきたペドロ・パレンチ総裁が辞任(6月1日)し、為替が短期ではあるが1ドル=4レアル付近まで急落した。 不透明な大統領選挙の情勢と米国金利の上昇を背景とする新興国への厳しい視線。こうした状況の下で起きている通貨下落は、本格的に回復しきっていない国内経済の成長の頭を押さえるかたちとなる。足元のブラジル国内のエコノミストらによる2018年のGDP成長率見通しも下方修正され(1.94%、注1)、景気の先行きに慎重な見方がさらに増えてきている。

「優しい政策」に慣れた国民に「苦い薬」を飲ませられるか

アルゼンチンについては2018年、大きな選挙はないものの、構造改革の痛みと高インフレの継続に耐えかねた国民から、現政権への風当たりが強くなっているのがリスクだ。前政権が財政支出により、電力、ガスなどのインフラ価格を低く抑え込んでいたものを、現マクリ政権が財政収支改善のために改定し、物価の押し上げ要因となっている。通貨防衛とインフレ抑制のために高金利政策が継続されているが、これは景気回復を遅らせ、税収減にもつながりかねない。IMF融資の条件である2018年における財政収支のGDP比マイナス2.7%、2019年マイナス1.3%(注2)を満たすためには難しいかじ取りをマクリ政権は迫られることになる。

貿易収支面で2017年に過去最大の貿易赤字(約8億5,000万ドル)を記録し、2018年に入っても干ばつによる大豆の不作で輸出が伸び悩む。過去最大の貿易黒字(670億ドル)を2017年に記録し、外貨準備高も世界有数の規模(3,700億ドル)を維持しているブラジルと比べて、ファンダメンタルズ面でも差がある(2018年6月7日時点の外貨準備高は496億5,000万ドル、2017年の1カ月当たりの平均輸入額は約55億8,000万ドル)ので、同じ南米新興国といえども違う角度でウオッチしていく必要がある。

中南米諸国では、長らく続いた左派政権による財政支出拡大策の修正を「構造改革」というかたちで行っている政権が多いが、この改革は少なからず痛みを伴うものである。国民がこの苦い薬にどこまで我慢できるのか、あるいは選挙をきっかけにポピュリズム的政策への回帰を望むのか。 今後の長期的な中南米諸国の経済成長を占う上で注視すべきポイントといえる。

戦略転換を迫られる進出日系企業

マクロ環境の変化は、中南米における競争条件を変化させている。メキシコに進出している日系企業は、NAFTA再交渉の行方によっては、メキシコにて生産している品目の原材料輸入、そして完成した品目の仕向け先を再検討する必要がある。NAFTAの原産地規則が過度に厳格化する場合、メキシコの進出企業も世界中から最もコストパフォーマンスの高い部材を輸入することで生産コストを下げ、米国の関税負担を相殺させるオペレーションも考えられる(「NAFTA再交渉が域内の通商協定を刺激」参照)。また、中南米諸国やEUなど代替輸出先の開拓というテーマも浮上してくるだろう。

他方、南米南部共同市場(メルコスール)諸国に進出している日系企業は、メルコスールとFTA交渉が先行しているEU、EFTA、カナダ、韓国の競合企業との競争条件が変わることに警戒感を隠さない。ジェトロが2017年10~11月に実施した中南米進出日系企業実態調査によると、ブラジルにおいて「同業種企業で最も競合関係にある企業は」という設問に対し、欧州系企業と回答した割合は26.3%、韓国系企業は2.0%。アルゼンチンにおいても欧州系14.6%、韓国系7.3%となっている。つまりEU、EFTA、韓国とメルコスールのFTAが先に発効してしまうと、それらの国の競合企業が有利になるということだ。

他方で、メルコスールが欧州や韓国とFTAを先に締結されることで、メルコスール進出日系企業にとってメリットはさほど多くない。前述の調査によると、ブラジル進出日系企業の原材料・部品調達先国の割合で欧州と回答した割合は1.7%、韓国は0.1%に過ぎず、アルゼンチン進出の日系企業も欧州2.7%、韓国1.1%にすぎない。競合相手に先を越され、競争条件が不利にならないよう、日本もメルコスールとのEPA交渉を早期に始めるべきだとの意見の背景にはこうした事情がある。


注1:
ブラジル中央銀行(Focus - Relatório de Mercado )、2018年6月8日時点。
注2:
2017年はGDP比マイナス3.9%。
執筆者紹介
ジェトロ海外調査部 主幹(中南米)
竹下 幸治郎(たけした こうじろう)
1992年、ジェトロ入構。ジェトロ・サンパウロ事務所(調査担当)(1998~2003年)、海外調査部 中南米チーム・チームリーダー代理(2003~2004年)、ジェトロ・サンティアゴ事務所長(2008~2012年)、その後、企画部事業推進主幹(中南米)、中南米課長、米州課長等を経て現職。