技術主権と国家戦略
フランスのイノベーション・エコシステム(3)
2026年2月12日
フランスのイノベーション・エコシステムの現状を紹介する連載(2025年11月18日付、2026年1月15日付地域・分析レポート参照)の第3稿では、研究機関が果たすイノベーション創出の役割と、スタートアップを活用した技術主権獲得の取り組みを概観する。背景には、米国依存からの脱却を目指すフランスの国家戦略がある。
イノベーション創出とディープテック・スタートアップ育成の拠点となる研究機関
イノベーション創出において、基礎研究・応用研究から生まれた技術シーズを社会実装へといかに導くかが重要視される中、研究機関や大学の果たす役割は非常に大きいといえる。フランスの公的研究機関では、CNRS(フランス国立科学研究センター)、CEA(フランス原子力・代替エネルギー庁)、INRIA(フランス国立情報学自動制御研究所)、INSERM(フランス国立保健医学研究所)などが中核的な存在だ。これらの研究機関は、国家投資計画「フランス2030」の一環として政府が推進する研究支援制度で資金が重点配分される国家優先研究プログラム(PEPR)に参画している。CNRSはフランス2030の下で約30のPEPRを主導または共同主導し、人工知能(AI)、低炭素水素など既存の変革技術の加速やDNAデータストレージ、光と物質の相互作用などの新規分野の研究を実施している。CEAおよびINRIAと協働し、フルーガルAI(注1)・組み込みAI(注2)や信頼性のある分散型機械学習などを研究する人工知能優先研究プログラム、医療・介護・社会的支援分野に重点を置くロボット研究プロジェクトを推進、またCEAおよびINSERMとはヒトの生理・病理状態のより正確な再現を目指す患者由来の細胞やオルガノイド(注3)を用いた「臓器チップ(OoC)」技術の次世代モデルを開発する研究プロジェクトなどを行っている。研究機関が産業変革に直接関与する体制が整いつつあり、これらのプロジェクトにより、フランスは国策上、重要と捉える分野や技術への研究開発を加速している。
一方、大学発のディープテック(注4)・スタートアップの創出・育成にも焦点が当てられている。フランス政府は、2030年までに年間500社のディープテック・スタートアップ創出を目指し、研究成果の事業化や起業前支援を強化するプラン・ディープテック(Plan Deeptech)施策を2019年に発表。Bpiフランスが資金提供などで主導的な役割を果たす。2025年3月の中間報告発表時点では、2,589社のディープテック・スタートアップが活動中だ。内訳はバイオ・ヘルステック(42%)、AI・量子コンピューター(25%)、グリーンテック・エネルギー(15%)、IoT(モノのインターネット)・ロボティックス(13%)、アグリ・フードテック(5%)となっており、ここからフランスのディープテックの強みが見えてくる。フランスは欧州のディープテック資金調達の20%を占める主要国であり、エコシステムの規模は世界でも4番目に位置している。2024年の資金調達総額は28億ユーロとなり、前年比31%減だが、前年の大型資金調達案件を考慮すると構造的成長は継続しているといえる。4つの戦略的柱として、人材の呼び込み、特にデジタル・産業分野の経験者の起業への誘導、資金調達支援の強化(初期段階から成長期までの資金ニーズへの対応)、技術移転の加速(大学・研究機関の研究成果の事業化)、欧州でのディープテック連携の推進が挙げられている。
フランス政府がフランス2030の一環として2023年に本格展開した大学イノベーション拠点〔Pôles Universitaires d’Innovation(PUI)〕は、プラン・ディープテックの「技術移転・起業支援」部門の中核として機能し、大学を中心とした地域イノベーションの拠点となっている(2025年3月時点:29拠点)。2024年には385社のディープテック・スタートアップが創出されたが、PUIを通じた支援も一役買っている。Bpiフランスは、PUIの制度の下、2025年4月にサントラル・シュペレック(Centrale Supélec)、ESSEC、EDHECなど理工系・経営系のグランゼコール(国家に承認された高等教育機関)8校と連携し、科学技術とビジネス分野を融合することでディープテック分野への人材誘導を加速する取り組みを開始した。2024年のディープテック・スタートアップの創業者の60%が研究者以外となるなど非アカデミア出身(ビジネス・産業界)の起業家が増加しており、PUIが多様な人材の受け皿となっている。卒業⽣によるスタートアップの数が特に多いフランスの⼤学(表1参照)およびスピンアウトの数で上位のフランスの⼤学(表2参照)は以下の表のとおり(2025年9月23日時点)。
| 順位 | 校名 | 人数 |
|---|---|---|
| 1 | HEC(ビジネススクール) | 5,636 |
| 2 | INSEAD(ビジネススクール) | 3,900 |
| 3 | ESCP(ビジネススクール) | 1,358 |
| 4 | ESSEC(ビジネススクール) | 1,265 |
| 5 | エコール・ポリテクニーク(理工科学系) | 1,237 |
| 6 |
サントラル・シュペレック(工学系) ※パリ・サクレー大学加盟 |
1,171 |
| 7 | パリ・ドーフィン(⼤学) | 1,045 |
| 8 | ソルボンヌ(⼤学) | 948 |
| 9 | パリ第一(パンテオン・ソルボンヌ)(⼤学) | 941 |
| 10 | EM リヨン(ビジネススクール) | 711 |
出所:BpiフランスとDealroomが共同で開発するデータベースからジェトロ作成
| 順位 | 校名 | 社数 |
|---|---|---|
| 1 | パリ工科(大学) | 161 |
| 2 | エコール・ポリテクニーク(理工科学系) | 158 |
| 3 | サントラル・シュペレック(工学系) | 71 |
| 4 | ストラスブール(⼤学) | 37 |
| 5 | クレルモン・オーヴェルニュ(⼤学) | 20 |
出所:BpiフランスとDealroomが共同で開発するデータベースからジェトロ作成
研究機関から産業界へ― 概念実証、事業化、社会実装を促進する
個別の大学の取り組みを見ると、1)ソルボンヌ⼤学アライアンスは、その創設⽬的として、ディープテック分野におけるイノベーションの経済的価値化と技術移転の推進を掲げる。ソルボンヌ⼤学を中⼼とする12のメンバーで構成された⼤学イノベーション拠点(PUI)だ。具体的には、スタートアップの創出に加え、既存企業への技術移転、専門人材の採用、共同研究などを支援している。同大学グループは2023年にPUIに選定され、政府から900万ユーロの資⾦提供を受け、PUI構想の中核を成している。2)グランゼコールの1つであるエコール・ポリテクニークは、フランスで最も優れた⼯学系高等教育機関の1つとみなされており、ビジネス志向も非常に強い。フィガロ紙で、CAC40(フランス経済を牽引する大企業40社で構成されるフランスの主要株価指数)に含まれる企業経営者を最も多く輩出した教育機関と紹介されている。同校はディープテックや、AI・データサイエンス分野に特化したHECとの共同修⼠課程など、さまざまな創業支援のプログラムを運営している。
特筆すべきは、パリ南西部に位置するパリ=サクレー地域にあるオープンイノベーション拠点のX Novationセンターだ。敷地面積5,000平方メートル以上を誇る2015年設立の同施設は、パリ工科大学の研究機関などと連携し、ディープテック創出・技術移転・起業支援を推進している。同センター内に設置されているインキュベーター「X-Up」は、グリーンテック、ヘルステック、エドテック(Education Technology)、未来産業の4つの分野に特化し、表3の4種類のプログラムでステージ別に運営している。
| プログラム名 | 対象者・条件 | 支援期間・料金 | 主な支援内容 | 特徴・備考 |
|---|---|---|---|---|
| X-UP Create |
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10カ月 無料(株式5%の提供) |
|
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| X-UP Create BLAST |
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18カ月 無料(株式10%の提供) |
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| X-UP Scale |
|
6カ月 5,000ユーロ(833ユーロ/月) |
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| X-UP Access |
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随時 オフィス:400ユーロ/平方メートル/年〜 コワーキング:100ユーロ/月 |
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注1:製品やサービスの初期段階で試作(プロトタイプ)を迅速に作成して、検証・改善するためのサポート。
注2:Product-Market Fitの略で、製品やサービスがターゲット市場のニーズに適合している状態を指す。
出所:エコール・ポリテクニークのウェブサイトを基にジェトロ作成
X-Upで育成されたスタートアップの創業5年後の生存率は80%となっており、フランスの一般的な企業(マイクロ起業家を除く)の5年後の平均生存率69%と比較しても高いことが分かる。そのほか、X Novationセンターには最先端のプロトタイピングスペースであるX-FABが設置されており、X-UPのスタートアップや研究者などが3Dプリンター(FDM/SLA)、レーザー加工機、CNC機械加工機などを利用して試作品の開発に取り組むことができるほか、機器・ソフトウエアのトレーニングやプロジェクトの個別支援・アドバイスを得られる。このようにエコール・ポリテクニークはハード面・ソフト面のいずれにおいても起業支援のための充実した体制を整えている。
フランスでは、これら公的研究機関や大学の技術の成熟化、PoC(概念実証)実施、事業化支援、技術の知的財産化を推進する目的で、技術移転専門機関(SATT)が2012年に設立され、2025年現在、全国に13カ所設置されている。研究成果のスクリーニングや事業化可能性評価、事業化に向けた資金提供や企業との技術マッチング支援など、2019年時点で、1,890件のプロジェクトを支援し、2,596件の特許、841件のライセンス契約、370社のスタートアップ創出の成果を上げた。SATTは公的ギャップファンド(研究成果が市場に出るまでの間を埋めるための資金支援)の役割を果たし、大学・研究機関で生みだされる技術を産業界へと橋渡し、社会実装するための重要な機能を担っている。
スタートアップを活用した技術主権と国家戦略
ここまでフランスにおけるイノベーション創出・スタートアップ支援のための施策や取り組みを俯瞰(ふかん)してきた。フランス政府がこれらを推し進めてきた背景には、地政学上のパワーバランスの変化に伴い不確実性が増す中で、自国や欧州がいかにして生き残るかという国家の命運を懸けたしたたかな戦略が根底に据えられている。フランス政府は、「技術主権」を国家戦略の柱に据え、米国や中国の巨大テック企業依存からの脱却を目指している。特にAI、クラウド、データセンターなどの分野で、欧州内でのインフラ構築と自国スタートアップ育成を急務ととらえており、マクロン大統領も戦略的自立の重要性を何度も訴えている。この戦略に呼応するように、近年いくつか具体的な動きがみられる。特に注目されているのはミストラルAI(Mistral AI)だ。2023年4月の創業からわずか30カ月目で約140億ドルの評価額を達成し、欧州AI開発のリーダーに成長した。米国のオープンAI(Open AI)やアンソロピック(Anthropic)に対抗できる欧州の主権AI(ソブリンAI)モデルとみなされている。
2025年4月、フランスの港湾開発・海運大手CMA CGMはミストラルAIとの産業横断型の戦略的提携を発表した。この提携によりCMA CGMは生成AIを物流・メディア・顧客体験に統合するプロジェクトを推進。5年間で1億ユーロの投資により「Mistral AI Factory」「AI Media Lab」などの組織を設立し、AIによる業務効率化と情報信頼性の向上を目指す。CMA CGMは、ミストラルAIの資金調達ラウンド全てに参加したほか、いずれもフランス発のユニコーン企業である、AI・データサイエンスプラットフォームを開発するダタイク(Dataiku) やAIコード生成技術を開発するプールサイド(Poolside)に投資するなど、AI分野に累計5億ユーロ以上を投資している。
またミストラルAIは、2025年6月、欧州初の主権型AIクラウドプラットフォームMistral Computeを発表。米国半導体大手エヌビディア(Nvidia)と提携し、1万8,000個のGrace Blackwellチップを導入、フランス国内のデータセンターに同プラットフォームを設置する。この取り組みは、AWS、Microsoft Azure、Google Cloudなど米国クラウドへの依存脱却を目指す動きといわれ、EU域内でのデータ主権を確保し、政府・金融機関などの機密性の高い顧客への対応を目指している。2026年には欧州全域への展開を予定し、EUのAIインフラ構築戦略「ギガファクトリー構想」とも連動し、欧州のAI競争力強化に貢献する見通しだ(2025年4月14日付ビジネス短信参照)。
ミストラルAIは、AIモデル「Magistral」シリーズを通じて、多言語推論と透明性を重視した設計を採用しており、フランス語など欧州主要国言語での推論が可能な点は、言語的主権の観点でも重要と考えられている。エヌビディアと提携しているため、技術的には米国依存が残るものの、欧州内での運用・管理体制の確立により、主権を担保しようとする動きと捉えられている。
通信分野ではCNRSの研究者と理工系グランゼコールESPCIパリの教授が2015年に共同で創業したグリーナーウェーブ(Greenerwave)が挙げられる。同社は電磁波制御技術を活用したフランス製のスマートアンテナを開発し、米国発のスターリンク(Starlink)などの外国製通信技術に依存しない体制づくりに寄与している。低軌道(LEO)衛星によるグローバル通信インフラを提供するワンウェブ(OneWeb)や、欧州が推進するLEOと地球静止軌道(GEO)を組み合わせたハイブリッド型衛星ネットワーク計画アイリス(IRIS)と連携可能な国産ソリューションを提供している。また、同社は2025年6月、フランス航空防衛大手サフラン(Safran)との航空機向けサットコム(人工衛星を利用した通信システム)端末の共同開発や、フランス防衛装備総局(DGA)との軍事用途に対応する次世代多軌道衛星通信端末の配備のための1,000万ユーロ規模の契約獲得を発表した。フランスおよび欧州の通信主権を支える担い手として注目を集めている。
ここまで俯瞰してきたとおり、フランスはフレンチテックをはじめとする看板政策や、戦略分野への集中的な資金供給、民間資金を動かすためのイニシアチブ、民間企業によるオープンイノベーションの推進、研究機関・大学が研究シーズをビジネス実装につなげるための仕組みづくりによって、エコシステムを急速に成長させてきた。将来の産業基盤を支えるディープテックの成長やレイター期の資金調達などの課題を抱えながらも、それを乗り越えるための施策を打ちだし、さらなる発展が企図されている。これらの動きの背景には、イノベーションの力による経済の復興だけでなく、自国、ひいては欧州にとって死活的に重要な分野における技術主権を確保し、国家間の競争や紛争による影響を受けづらい、強固な自立を保つことを目指すフランスの生存戦略が通底している。
- 執筆者紹介
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ジェトロイノベーション部スタートアップ課 課長代理
井上 尚貴(いのうえ なおき) - 2014年、ジェトロ入構。農林水産・食品部 農林水産・食品事業推進課(2014年~2017年)、ジェトロ・ラバト事務所 海外実務研修(2017年~2018年)、企画部企画課(2018年~2021年)、ジェトロ・パリ事務所イノベーション分野担当(2021年~2025年10月)を経て現職。






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