変わる社会と新たな需要
サウジアラビアのファッション市場(2)
2025年5月20日
サウジアラビアでは、2016年に発表された国家戦略「ビジョン2030」による社会改革が進み、人々のファッションも大きな変化を遂げている。サウジアラビアの最新ファッション市場動向に迫る連載の後編である本稿では、同国における近年の社会的変化を振り返り、それらがファッションに与えた影響について取り上げる。併せて、ジェトロの現地での取材を基に、サウジアラビア政府による同国のファッション産業振興に向けた取り組みや、日本製品への新たな期待についても紹介する。
「ビジョン2030」の開放政策で、トレンドにも海外の影響
サウジアラビアでは2016年に国家戦略「ビジョン2030」が発表され、石油依存経済からの脱却や国民の生活向上を目指して数々の政策が打ち出された。その中で、特にサウジアラビア国内の人々のファッションに影響を与えたと言えるのが、女性の社会参画推進と観光業の振興だ。
サウジアラビアでは従来、イスラム教の教義に厳格に従う社会慣習などにより、女性の社会進出が一部制限されていたが、「ビジョン2030」には、2030年までに女性の労働参加率を30%に引き上げるという目標が盛り込まれた。政府によるサウジアラビア人雇用促進策(サウダイゼーション)も後押しして、官民両方での女性の採用が進んでいる(2023年8月22日付地域・分析レポート参照)。加えて、2018年には女性の自動車運転免許の取得が認められ(2018年6月26日付ビジネス短信参照)、2019年には、女性がパスポートの申請や海外渡航を行う際に従来必要とされていた男性親族の許可が事実上不要になった(2019年8月6日付ビジネス短信参照)。これらにより、女性たちの行動範囲が大きく広がることとなった。また、女性の服装に関しても直接的な変革がもたらされた。従来、サウジアラビアにおいて女性は、公の場に出る際「ヒジャブ」などと呼ばれるスカーフで髪を覆い、アバヤを着用することが義務づけられていた。しかし2018年にアバヤの着用義務は撤廃され、女性の服装が事実上自由化された。
観光分野の施策としては、従来発給されていなかった観光ビザを2019年に解禁し(2019年10月1日付ビジネス短信参照)、国外からの観光客誘致に力を入れている。サウジアラビア政府は、観光・娯楽イベントの「サウジ・シーズン(Saudi Season)」を2019年から国内各州で開催しており、2030年には首都リヤドでの万博開催、2034年にはサッカーのFIFAワールドカップ開催を予定している。これらの一連の取り組みにより、サウジアラビア国民が国外の人々と接する機会が急速に増加しているといえる。
サウジアラビアの有識者は、これらの社会的な変化が同国のファッション業界に影響を与えていると指摘している。ジェトロは2025年2月18日、サウジアラビア文化省がファッション分野の産業振興のために設立したサウジアラビアファッション委員会と共催で、サウジアラビアの首都リヤドにおいて繊維・テキスタイル分野の展示商談会とワークショップを開催した(2025年2月27日付、2025年3月13日付ビジネス短信参照)。ワークショップには両国の業界関係者が登壇し、「サウジアラビアのファッショントレンドを深掘りする」をテーマに意見交換を行った。その中で、サウジアラビア最大手ファストファッション企業Fad intarnational
の購買・ブランドディレクターであるキャシー・アジャミ氏は、サウジアラビアにおける観光業の発展やソーシャルメディアの普及により、同国のファッション業界は国際的なトレンドの影響を受けている、と述べた。また、それに関連して、登壇したファッション委員会や現地ファッションブランドからは、現地のデザイナーやブランドの中には、日本文化に影響を受けたものもある、とのコメントがあった。
筆者が取材で訪れた、女性向け服飾品店が集まるリヤド市内のスーク(市場)では、黒無地の生地をベースとした一般的なアバヤのほか、襟の部分やシルエットがトレンチコート風になっているものや、中国の伝統衣装のテイストを取り入れたものなど、海外ファッションの影響を受けたアバヤが販売されていた。いずれも店頭の目立つ場所に置かれていることが多く、店舗の販売スタッフによれば、近年人気の高いタイプのアバヤであるという。同様に、日本文化を取り入れたスタイルのアバヤも販売されており、襟の形が和服を模しているものや、振り袖を想起させる大ぶりの刺繍(ししゅう)が背中側に入っているものなどが見られた(取材日:2025年2月18日)。サウジアラビアの女性の姿は一見して非常に保守的に見えるが、近年では慣習やルールの枠組みの中でも、海外のトレンドを取り入れ、ファッションを楽しんでいる様子が見て取れた。


(ジェトロ撮影)

また、サウジアラビアにおける女性のファッションの変化について、ジェトロが業界関係者の一人に取材したところ、同氏は大きな変化の1つとして、「ビジョン2030」の政策により、女性が公の場で髪を隠すか否かの選択が可能になったことを挙げた。女性が実際にどのような服装をするかは家族や本人の意向、状況などによって異なるが、若い世代ほど自由な服装選択をしている印象を受けるという。なお、女性の服装規定として、髪を覆うことやアバヤ着用の義務が撤廃されても、肩や膝を露出する服装は推奨されていない。また、国内でも地域によって服装には異なる傾向がある。西部の都市ジッダでは、海が近くて暖かい気候であることから生地はリネンなどが好まれ、カラフルで開放的なスタイルがよく見られる。一方で首都のリヤドは、特に冬は気候が比較的寒冷なこともあり、より体をカバーするような保守的な服装が多いという(取材日:2025年2月18日)
他方、男性のファッションに関しては、街中で多くの男性がトーブとシュマーグを着用しており、公の場でトーブを着用する伝統が大切にされている印象を受ける。サウジアラビア政府も、民族衣装は国家アイデンティティの重要な構成要素であるとして重要視している。2025年1月には教育省から、公立および私立の中学校に通う男子生徒全員に民族衣装の着用を義務付けるという発表がなされた。しかし、「ビジョン2030」での開放政策により、国際イベントや海外ビジネスの機会は増加しており、それらがサウジアラビア人男性のビジネスシーンでのファッションに影響を与えることが予想される。ジェトロが取材したリヤドの大型ショッピングモールには、1階の人通りが多いエリアに欧米ブランドの紳士服店が出店しており、スーツやワイシャツ、ネクタイなどが種類豊富に販売されていた。今後もサウジアラビア社会の変化に伴って、スーツなど西洋風のビジネススタイルの衣料品の需要が拡大する可能性が見て取れる(取材日:2025年2月19日)。

サウジアラビア政府によるファッション産業育成の取り組み
「ビジョン2030」は、サウジアラビアのファッショントレンドに海外の影響を与え、特に女性の服装に関して大きな変化をもたらした。一方で、同政策においては、サウジアラビア発のファッションブランドを育てる取り組みも行われている。
サウジアラビア文化省は2020年、「ビジョン2030」の目標の1つである文化活動の促進を目的として、先述のファッション委員会を含む11の文化委員会を設立した。ファッション委員会は、サウジアラビアでファッション産業に携わる人々への支援をバリューチェーン全体にわたって行い、同産業を発展させることを目指している。主な取り組みとしては、旗艦プログラム「Saudi 100 Brands」があり、選抜された100以上の現地ブランドへ育成プログラムの提供や支援を行っている。
ファッション委員会ゼネラルマネージャーのアンマール・ボガリ氏は、先述のジェトロと共催したワークショップにおいて、サウジアラビアのブランドの世界的なプレゼンスを高めていきたい、との意欲を語った。同委員会では教育に力を入れており、2024年には若手デザイナー向けの制作スタジオ「ザ・ラボ(The Lab)」を開設した。「ザ・ラボ」では、ニットマシン(横編み機)やプリントマシンなど、服飾品制作のための各種設備が利用可能であり、海外の専門家の招聘(しょうへい)や留学プログラムの提供も行っている。また、サウジアラビアブランドの国際的な認知度向上に向けた取り組みとしては、2023年に「リヤド・ファッション・ウィーク」を初開催し、地場ブランドのファッションショーを世界に向けて披露した。
日本製品への新たな期待も
このように、世界的な地場ブランドの創出に向けて取り組みを進めるサウジアラビアでは、トーブ向けテキスタイルに限らない、日本製品への新たな期待も高まっている。
「ザ・ラボ」を運営する「ザ・ラボ・シティ・ハブ」の最高経営責任者(CEO)ハンデ・サディック氏はジェトロの取材に対し、近年、サウジアラビアではストリートウェアの人気が高いことから、日本製品の中でも特にデニムやジャージ素材へ関心を寄せている、と語った。また、ファッション委員会ではサステナブル(持続可能)なファッションの推進を重視しており、環境汚染の少ない自然素材での染色などにも注目している、とのコメントがあった(取材日:2025年2月20日)。
また、ジェトロが取材したサウジアラビアの若手デザイナーたちからは、日本文化に関心があるとの声や、自身のデザインにそれを取り入れているといった声が複数聞かれた。ジェトロとファッション委員会が主催した先述の展示商談会に参加したアブドゥルラフマーン・タラベ氏は、サウジアラビアでファッションブランド「MIRAI」を展開している。同氏は日本での滞在経験があり、「MIRAI」では和服など日本文化の要素を取り入れたデザインの洋服も販売している。同氏は日本のテキスタイルについて、以前は非常に価格が高いというイメージを持っていたが、展示商談会に参加したところ、そのようなことはないことが分かり、同時に質の高さを感じたという。さらに、サウジアラビアの若手デザイナーにとっては、日本製品を知る機会がまだ少ないため、今後も日本の生地などを見る機会がもっとあった方がよいだろう、と意欲を語った(取材日:2025年2月20日)。
サウジアラビアはファッション業界にとって成長市場であるだけでなく、新たな需要が生まれつつある市場と言える。「ビジョン2030」での社会の変化により、人々の服装も国際的なトレンドの影響を受けている。サウジアラビア政府は、地場のファッション産業の発展に力を入れており、文化省傘下のファッション委員会の活動などを通じて、若手デザイナーや新たなブランドの育成・支援に取り組んでいる。サウジアラビアにおいて、日本の合成繊維は従来からその品質を評価され、男性用トーブ向けのテキスタイルを中心に取引が行われてきたが、今後はストリートウェアやカジュアルファッション、サステナブルファッションなどの新たな分野においても商機が見込まれる。
サウジアラビアのファッション市場
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- 執筆者紹介
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ジェトロ調査部中東アフリカ課 リサーチマネージャー
久保田 夏帆(くぼた かほ) - 2018年、ジェトロ入構。サービス産業部サービス産業課、サービス産業部商務・情報産業課、デジタル貿易・新産業部ECビジネス課、ジェトロ北海道を経て2022年7月から現職。