研究・開発拠点として地位向上(シンガポール)
多国籍企業の拠点設置例が相次ぐ

2023年4月24日

内外の多国籍企業の研究開発(R&D)拠点が集積するシンガポール。政府の積極的な支援もあり、近年、スタートアップや研究機関とのオープンイノベーション拠点の設置も相次ぐ。政府は2023年度政府予算で、同国をアジア向け新規事業創出拠点として競争力の一層強化のため、新たなインセンティブを導入した。本記事では、日系企業を含む多国籍企業のR&Dやオープンイノベーション拠点をめぐる動向を報告する。

地域統括・R&D関連の固定資産投資額、過去最高

経済開発庁(EDB)が管轄するシンガポール内外の企業による統括本部・専門サービスと研究・開発(R&D)関連への固定資産投資(FAI、コミットメントベース)は2022年に総額27億8,200万シンガポール・ドル(約2,759億円、Sドル、1Sドル=約99円)と、過去最高だった。地域統括とR&D関連へのFAIは2012年の総額8億Sドルから、この10年で拡大傾向にある(図1参照)。

図1:統括本部・専門サービス・R&D部門の固定資産投資
(FAI、コミットメントベース)とFAI総額に占める割合の推移
(単位:10億Sドル、%)
固定資産投資にしめる統括本部・専門サービスR&D部門の割合は、2012年に5.0%だったが、2017年に17.7%まで上昇。その後2020年に8.7%まで加工したが再び上昇傾向となり、2022年は12.5%となった。<br> 2022年の統括本部関連の投資額は14億シンガポールドル、R&D関連の投資額も同様だった。

注:統括本部・専門サービス・R&Dの固定資産総額は2018年から、「R&D」と「統括本部・専門サービス」に分割。
出所:経済開発庁(EDB)

2022年にはドイツの法人向けソフトウェア会社SAPが3月、人工知能(AI)など先端デジタル技術のイノベーション・ハブを開設。同社が東南アジアでイノベーション施設を設置するのは初めてだ。また、米国航空エンジン製造会社プラット・アンド・ホイットニー(P&W)は9月、同社の保守・修理・整備(MRO)施設への導入を目的とした技術関連の開発拠点の開設を発表した。さらに、豪物流会社トール・グループが10月、イノベーション・センターを開設し、向こう5年間で2,000万Sドルを投資する計画の発表など、大手多国籍企業のR&Dやイノベーション施設の新規設置が相次いだ。

シンガポール政府1991年に、科学技術を振興する政府機関である国家科学技術庁(注1)を創設。以来、国内でのR&D活動を積極的に支援している。民間企業が国内で研究活動を行う費用の一部を助成する「法人向け研究・インセンティブ・スキーム(RISC)」などの奨励策や、研究関連や特許登録費の免税措置などを導入。また、国内で生み出した知的財産権(IP)を保護する環境も整備した。知的財産庁(IPOS)の最新統計によると、同国の特許出願件数が2021年に1万4,590件と前年比10.0%増加し、過去最多だった(2022年9月13日付ビジネス短信参照)。

加速する多国籍企業のオープンイノベーション拠点設置

国内における研究活動において、民間企業の存在感は大きい。科学技術研究庁(Aスター、注1)によると、同国には2020年時点で、R&D関連施設が1,052カ所ある。このうち972カ所が、民間企業が運営する研究施設だ(注2)。公営、民営の研究施設によるR&D支出は2010年には63億Sドルだったのが、2020年に104億Sドルへと大きく拡大した(うち、民間のR&D支出が66億Sドル)。R&D支出の対GDP比は2020年時点で2.2%、このうち民間企業によるR&D支出の対GDP比が1.4%だ。

企業の研究活動の中でも2015年以降増加傾向にあるのは、スタートアップや研究機関との協業や交流を行うオープンイノベーション拠点や、企業内の組織を横断する専門人材を集めて研究や新規事業創出を行う「センター・オブ・エクセレンス(CoE)」だ。ジェトロが2012年~2022年に内外企業・団体による研究拠点の主な新規設置案件の報道発表を集計したところ、全体(283件)の50%がオープンイノベーション拠点で、CoEが16%と、半数以上を自社組織、および企業の垣根を超えた第3者と協業し、新規ソリューションを開発する拠点が半数以上を占めた。2022年に新規設置の発表があった上掲のSAPやトール・グループの研究拠点も、オープンイノベーション拠点だ。

図2:研究・開発(R&D)、イノベーション・センター、
センター・オブ・エクセレンス(CoE)の新規設置件数の推移(単位:件)
オープンイノベーション拠点、センター・オブ・エクセレンス、R&Dの新規設置件数は2012年に21件だったが、2017年に38件、2022年に32件となった。2022年の内訳は、オープンイノベーション拠点13件、センター・オブ・エクセレンス9件、R&D10件だった。

注:研究拠点の新規設置の報道発表があった案件(合計278件)数をジェトロが集計、分類。
出所:各種報道発表からジェトロ作成

イノベーション拠点が増加した背景には、EDBの外資誘致戦略の転換もある。同庁は近年、国内の情報通信メディア(ICM)産業振興に貢献するため、最先端デジタル技術のイノベーション拠点の誘致を強化している。また、多国籍企業の統括拠点の機能も近年、変化している。同庁のキレン・クマール長官補(当時)は2018年2月に地元紙とのインタビューで、同国に統括拠点を持つ多国籍企業の機能が財務や人材管理、戦略企画など従来型の機能から、デジタル技術の開発へと活動をシフトしていると指摘していた(2018年3月7日付ビジネス短信参照)。

さらに、シンガポールは、起業を支えるエコシステムが東南アジアの中で最も整備され、東南アジアで最も多くのユニコーン(企業評価額10億米ドル以上のスタートアップ)が集積している。こうしたことも、スタートアップと企業とのコイノベーションを活発化させる要因になっている(注3)。

大手日系企業にも、イノベーション拠点新設の動き

一方、在シンガポール日系企業で研究活動拠点を置いている企業は現時点では必ずしも多いわけではない。ジェトロの2022年度海外進出日系企業実態調査での特別設問(在シンガポール日系企業を対象に特設)によると、R&Dまたはオープンイノベーションの拠点を当地に置くと回答した日系企業は、設置予定を含めて全体の12%にとどまった(有効回答数:332社)。

また、シンガポール以外の全世界で、R&Dやオープンイノベーション拠点の設置場所を日系企業に聞いたところ、67.0%が日本と回答した(複数回答、有効回答318社)。次いで、米国が(18.9%)、中国(13.5%)、欧州(12%)と続いた。さらに、R&D、オープンイノベーション拠点を保有していないという回答は28.9%だった。同調査により日系企業の多くが、本社の日本を中心に研究開発している実態が浮き彫りになっている(図3参照)。

図3:在シンガポール日系企業のR&D、オープン・イノベーション拠点の設置場所
(複数回答、単位:社)
日本が213社で最も多い。その後、米国、中国、欧州、シンガポール・タイ以外のアジア、と続く。日本の内訳は、非製造業が150社、製造業が63社だった。

注:在シンガポール日系企業の有効回答数は318社(うち、製造業が71社、非製造業が247社)。
出所:ジェトロ、2022年度海外進出日系企業実態調査

ただ、大手日系企業によるシンガポールでのR&Dやオープンイノベーション拠点開設の動きも近年、増加傾向にある。2022年には、飲料メーカーのポッカが5月に、新たな自社ビルを着工した(完成予定:2024年第1四半期)。新たな自社ビル建設に伴い、新製品の開発やマーケット・テストなどR&D活動を強化する方針だ。また、建設会社の竹中工務店が6月、産官学での連携拠点として「COT-Labシンガポール」の設置を発表した。さらに、化学メーカーの東レは9月に、電子材料の研究センターを開所した。東レはシンガポールに開所する理由として、電子関連企業や研究機関、大学の集積と共に、「高い成長が見込まれるアセアン各地域の顧客へのアクセスが容易なこと」を挙げている。このほか、2023年中には、鹿島建設の新たなアジア太平洋地域統括ビルが完成する。ビル内には、鹿島技術研究所が入居し、ビル内で省エネ技術などの実証実験を行い、大学などとの協業を推進する計画だ。

開発拠点としてのシンガポールの強みについて、公共研究機関と共同研究を取り組む日系インフラ会社A社の研究者は「(当地には)さまざまな分野で多国籍の専門家が集まっている。幅広い知見を得られる上、ネットワークを築くことができる」点を挙げた。同じく地元研究機関と共同研究をしている日系食品B社の研究者は「日本の研究者と比べ、最終商品化・商業化を考える人が多い。Aスター自体が、市場に出してこそ、研究の価値があるという考えだ」と指摘する。ただ、当地での研究のためのコストは安くない。B社の研究者は「共同研究費は安く見積もっても、(日本の)5倍。人件費の見積もりが日本よりも高い」と述べた。

イノベーション支援で統括拠点としての地位強化へ

シンガポール政府は今後も、地域統括拠点としての競争力強化の一環として、イノベーション活動を支援していく考えだ。EDBは2021年、多国籍企業向けに新規事業の創出支援プログラム「コーポレート・ベンチャー・ロンチパッド(CVLプログラム)」を始動した。2022年7月には、CVLプログラムに2,000万Sドルを追加支出し、同プログラムの継続を発表している(2023年3月6日付ビジネス短信参照

また、政府は2023年度政府予算(2023年4月~2024年3月、2023年2月14日発表)で、R&D関連支出の新たな税控除スキーム「エンタープライズ・イノベーション・スキーム」の導入を発表した(2023年2月16日付ビジネス短信参照)。このスキームでは、R&D活動やIP取得、ライセンシングなどの適格支出について、上限額の範囲内で400%の税控除が認められる。これまでの税控除スキームと比較すると、税控除額を大幅に引き上げている(注4)。政府としてはこれからも、内外企業のR&D・オープンイノベーション拠点設置を奨励し、アジアに向けた新規事業拠点としての競争力を強化する方針だ。

政府としてはこれからも、内外企業のR&D・オープンイノベーション拠点設置を奨励し、アジアに向けた新規事業拠点としての競争力を強化する方針だ。


注1:
国家科学技術庁は、科学技術研究庁(Aスター)の前身組織。
注2:
残りの研究施設80カ所は、大学の研究施設のほか、Aスターやその他政府機関が管轄する公営研究施設。
注3:
シンガポールのスタートアップ・エコシステムと、企業との協業の状況については、2022年3月31日付調査レポート「変化を遂げるシンガポール発スタートアップとコイノベーションの可能性」を参照。
注4:
例えばR&Dに関わる人件費の税控除は現行、適格支出の250%までになる。しかし、2024賦課年度からは同400%に引き上げられる。
IP登記コストについては現行、最初の10万Sドルについて税控除が200%、残りの金額が100%。2024賦課年度からは、最初の40万Sドルについて400%の税控除が認められる。
執筆者紹介
ジェトロ・シンガポール事務所 調査担当
本田 智津絵(ほんだ ちづえ)
総合流通グループ、通信社を経て、2007年にジェトロ・シンガポール事務所入構。共同著書に『マレーシア語辞典』(2007年)、『シンガポールを知るための65章』(2013年)、『シンガポール謎解き散歩』(2014年)がある。