ドイツ政府が国家水素戦略を改定
研究・実証から市場立ち上げフェーズへ

2023年10月17日

ドイツ連邦政府は2023年7月26日、国家水素戦略の改定(ドイツ語)PDFファイル(外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)(925KB)を閣議決定した。2020年6月に国家水素戦略を策定(2020年9月9日付地域・分析レポート参照)してから初の改定だ。今回の改定は、研究・実証から大規模生産へという、水素市場立ち上げの新たな段階への枠組みを設定するものとされ、2030年までの目標と対策が定められている。

本レポートでは、国家水素戦略の改定版(以下、改定版戦略)の構成に従い、(1)水素の確保、(2)水素インフラの整備、(3)水素の利用用途の確立について、関連する政府や企業の動向なども交えながらポイントを紹介する。

水素の確保-2030年に10GWの国内水素生産能力、総需要の50~70%を輸入

改定版戦略では、ドイツの水素総需要量(アンモニアなどの水素派生物を含む、以下同じ)が、現在の55テラワット時(TWh)から、2030年に95~130TWhまで拡大、2031年以降は需要がさらに増加すると想定する。このため、国内での水素生産能力を拡大するだけでなく、国外からの水素輸入にも取り組む。

(1)国内での水素生産

改定版戦略では、国内の水素生産能力の目標を2030年までに改定前の目標の5ギガワット(GW)から少なくとも10GWへと倍増させた。水素製造への財政支援は、再生可能エネルギー(再エネ)を活用した、水の電気分解によるグリーン水素製造に限定される。ただし、移行期には、グリーン以外の水素(ブルー、ターコイズ、オレンジの水素、注1)の利用も認めている。なおピンク水素は含まれていない。この点では、これまでグリーン水素に固執してきたドイツ政府の現実的な対応への変化が見て取れる。

水素生産能力の拡大目標達成ための主な対策
「欧州共通利益に適合する重要プロジェクト(IPCEI)」の枠組みでの水素プロジェクトへの支援(水素生産能力2.5GWを確保)。[2023年に実施]
洋上風力エネルギー法(WindSeeG)に基づく水素プロジェクトの入札の実施〔水素生産能力を年500メガワット(MW)確保〕。[2023~2028年に実施]
EUの再エネ指令(REDⅡ)改正案(2023年9月20日付ビジネス短信参照)の発効に向けドイツで国内法化し、水電解槽への投資インセンティブを拡大(水素生産能力2GWを確保)。[2023年に実施]

なお、ドイツの主要な水電解装置メーカーでは、ティッセンクルップ・ニューセラが2025年までに5GW(アルカリ型)、シーメンス・エナジーが2025年までに3GW〔PEM(固体高分子)型〕、サンファイアが2024年までに1GW(アルカリ型など)まで年間生産能力を拡大する計画を掲げている。

(2)国外からの水素輸入

改定版戦略では、経済的な観点から、2030年の水素総需要量のうち50~70%(45~90TWh)をドイツ国外からの輸入で賄うことを掲げ、2031年以降も輸入割合は増加すると予測する。輸入の際の輸送方法は、2030年までは主に船舶によるとしている。また、短期的にはアンモニアの形態での輸入が中心で、その後はメタノール、液体有機水素キャリア(LOHC、注2)、液化水素などの形態も広がるとの想定だ。さらに、2031年以降はパイプライン経由の水素輸入が拡大すると述べている。

輸入による水素確保のための主な対策
水素の船舶輸送やノルウェーなどからの水素パイプライン輸送に必要な水素輸入のインフラ枠組みを定める「水素輸入戦略」の策定。[2023年に実施]
供給側とオフテイカー(引き取り手)側のダブルオークションによってHINT.COが10年間の水素購入と1年ごとの水素販売を行う「H2Global」(2022年12月12日付ビジネス短信参照)による支援の継続、発展。[実施中]
入札によってグリーン水素1キログラム(kg)当たりの固定額のプレミアムを10年間にわたり提供する「欧州水素銀行」(2023年3月22日付ビジネス短信参照)による支援。[2024~2025年に実施]

なお、H2Globalは、2021年にドイツ政府が支援を発表し、2022年12月からグリーンのアンモニア、メタノール、SAF(持続可能な航空燃料)を対象に第1回入札(購入)を実施し、現在は選定プロセスを進めているところだ。また、2023年3月にH2 Globalへの支援をオランダ政府が発表したのに続き、5月にはH2Globalが欧州水素銀行のEU域外からの水素輸入に対する支援を担うことが発表され、EU加盟国に対して参加を募っている。

国内水素インフラの整備-水素パイプライン、港湾には水素輸入ターミナル

改定版戦略では、確保した水素を需要家に輸送するため、既存の天然ガスパイプラインの水素輸送への転換と水素パイプラインの新設、国外からの輸入インフラ整備に取り組むとする。

(1)水素パイプラインの整備

改定版戦略では、IPCEIプログラムのもとで、まず国内では総延長1,800キロメートル(km)以上の水素パイプライン網の整備(既存の天然ガスパイプラインの改造を含む、以下同じ)を行うとする。また、欧州全土では、総延長4,500kmの水素パイプライン網の整備を行う。国内のパイプライン網は、2032年までに、主要な水素の製造・輸送・貯蔵拠点と需要家を結ぶ予定とする。また、ドイツの水素パイプライン網は、欧州の水素パイプライン網(欧州水素バックボーン)を通じて、早ければ2030年にもノルウェーなどの近隣諸国に接続されるとする。

水素パイプライン整備のための主な対策
国内の水素基幹パイプライン網の開発計画の策定や展開に必要な、エネルギー産業法(EnWG)の改正。[2023年に実施]
IPCEIなどを通じた「欧州水素バックボーン(EHB)」の整備。[実施中]

なお、経済・気候保護省は2023年7月、2032年までに稼働予定の水素基幹パイプライン網開発計画の原案外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますを公表しており、意見公募を行った。同計画案は2023年秋に、本件を所管する連邦ネットワーク庁に改めて提出される予定だ。

(2)水素輸入ターミナルの整備

改定版戦略では、水素の船舶輸送に必要な輸入ターミナルをドイツ沿岸に建設するとする。また、建設中の液化天然ガス(LNG)インフラも重要であり、アンモニアやメタノール、LOHCなど向けに転換できる「H2-ready(水素対応)」の形態で建設されるべきとする。

水素輸入ターミナルの整備のための主な対策
水素関連インフラの立ち上げを加速する「水素加速法」を制定し、水素輸入ターミナル建設を加速。[2023年に実施]
水素への転用が可能なLNGターミナルの建設。[実施中]
さらなる輸入ターミナルを建設し、それらは初めから水素専用とする。[2024~2030年に実施]

水素利用用途の確立-化学・鉄鋼、モビリティ、発電用途が水素需要を牽引

改定版戦略では、水素の利用は、経済的に直接電化が不可能な場合や、気候中立を達成するための代替技術的解決策がない場合が重視されるとし、政府支援はこうした分野に焦点を当てるとする。具体的には、産業用途(化学、鉄鋼など)やモビリティ用途が重要であるとし、発電用途も一定の役割を担うとする。一方、少なくとも2030年までは、暖房用途では広範な水素利用は見込めないとする。

(1)産業用途(化学、鉄鋼など)

改定版戦略では、水素は、天然ガス・石油・石炭などの化石燃料を代替する原料、またはプロセス熱(特に電化が困難な高温帯)などのエネルギー源として、化学や鉄鋼などの特定の産業セクターにおいて重要な脱炭素化の手段になるとしている。そして、2045年の産業用水素需要量を290~440TWhと想定している。

産業用途の確立のための主な対策
エネルギー集約型企業に対して、従来設備に比べて温暖化防止効果の高い設備を導入する場合の設備投資費用(CAPEX)や運転費用(OPEX)を炭素差額決済(Carbon Contracts for Difference、CCfD)によって支援する「気候保護契約」の創設。[2023年に実施]
IPCEIや産業脱炭素化資金調達プログラム(DDI)による支援。[実施中]
気候変動に配慮した素材(当初の対象は鉄鋼やセメントを想定)の需要喚起の条件整備に向けた「グリーン・リード市場」の概念の提示。[2023年に実施]

なお、欧州委員会は2023年7月、2件の製鉄プロセスにおける水素利用の大型プロジェクトへの補助を承認している。ドイツ政府およびノルトライン・ウェストファーレン州からのティッセンクルップ・スチール・ヨーロッパによるグリーン水素製鉄プロジェクトへの20億ユーロの補助(5億5,000万ユーロがCAPEX支援、14億5,000万ユーロが10年間のOPEX支援)と、フランス政府からのアルセロール・ミッタルによるクリーン製鉄プロジェクトへの8億5,000万ユーロの補助だ。2023年に入ってから、欧州全体で大規模な水素利用プロジェクトの具体化が進みつつある。

(2)モビリティ用途

改定版戦略では、交通部門では、交通量の削減やモーダルシフト(注3)に加えて、バッテリーや燃料電池による電化や、合成燃料(Eフューエル)の利用が気候中立目標達成の中心的な手段とした。その上で、水素は特に大型商用車、航空機、船舶などにおいて利用されるとする。

モビリティ用途の確立のための主な対策
EUのRED II改正などによる、交通部門におけるグリーン水素を主体とする非バイオ由来の再生可能燃料(RENBO)の利用や供給割合の法定化およびドイツ国内法化。[2023年に実施]
EUの代替燃料インフラ規則(2023年8月2日付ビジネス短信参照)に基づく、道路、港湾、空港における水素充填(じゅうてん)インフラの整備。[2023年に実施]
再エネ由来の電力を使用したケロシン〔PtL(パワー・ツー・リキッド)により製造された合成ケロシン〕の大量生産に向け、H2Globalによる支援措置を創設。[2023年末に実施]
交通分野における液体または気体の合成燃料も含め、交通分野での水素や燃料電池の領域の現在の助成プログラムを、IPCEIや水素・燃料電池イノベーション国家プログラム(NIP)などによる支援を利用し改善や発展に取り組む。[2024~2025年に実施]

(3)発電用途

改定版戦略では、水素火力発電は、電力需要が大きく、再エネからの電力供給が少ない場合に、短期的および季節的な需給調整機能を担うとし、2045年の発電用水素需要量を最大80~100TWhと想定している。

発電用途確立のための主な対策(注4)
水素スプリンター発電所(運転当初からグリーン水素またはアンモニアを燃料とする火力発電所)の入札(合計4.4GW)。[2024~2028年に実施]
水素ハイブリッド発電所〔風力・太陽光発電所と水素ベースの電力貯蔵システム(水電解・水素貯蔵・水素発電を備えたもの)を組み合わせたもの〕の入札(合計4.4GW)。[時期未定]
水素対応ガス火力発電所(ガス火力発電所は2035年までに燃料を水素に転換しなければならない)の入札(合計10GW、うち6GWは新設)。[2024~2026年に実施]

なお、ドイツの大手電力会社RWEは、2030年までにドイツに3GWの水素対応ガス火力発電所を建設する意向だ。同社は2023年7月には、アンサルド・エネルジーア(イタリア)とテクニカス・レウニダス(スペイン)によるコンソーシアムと契約を締結したと発表、2025年から800MWの水素対応ガス火力発電所の建設を開始し、将来的に水素専焼をにらみつつ50%以上の水素混焼を行う計画を明らかにした。ただしドイツ政府による支援が必須であるとして計画実施を留保している。

関係者の評価と今後の見通し

改定版戦略について、専門家からは、2030年の水素需要の見込みが過大であることに加えて、必要な水素の国内生産量や国外からの輸入量の目標値の達成は困難であるとの指摘があった(2023年7月28日付「ハイドロジェン・インサイト」)。産業界からの主な見解としては、ドイツ産業連盟(BDI)は7月26日付声明で、国内水素生産能力目標を倍増させたことや、グリーン水素だけでなくブルー水素などの利用も許容したことを評価した。また、連邦エネルギー・水道事業連合会(BDEW)も7月26日付声明で、改定後の戦略の方向性については肯定的に受け取りつつも、具体的な支援策が抽象的または不足している点を指摘した。

欧州は、世界的に水素需要を牽引することが期待されている。加えて、欧州の水素利用を推進する産業団体ハイドロジェン・ヨーロッパ(Hydrogen Europe)の「クリーン水素モニター2022年」(2022年10月発表)によると、産業部門における2030年までの低炭素水素の年間消費量(注5)は欧州全体で614万トン。ドイツはその3分の1超(211万トン)を占め、欧州最大の消費国となるという。そのため、ドイツの取り組みは世界の水素市場立ち上げの試金石になるといえる。改定版戦略では2023年中に実施する予定の対策も多く、今後、ドイツの対策の具体化が注目される。


注1:
ブルー水素は、二酸化炭素(CO2)回収・貯留(CCS)と組み合わせて天然ガスから製造される水素を指す。同様に、ターコイズ水素は、メタンの熱分解によって製造される水素。オレンジ水素は、廃棄物や残留物から製造される水素。ピンク水素は、原子力発電を活用した水の電気分解によって製造される水素。
注2:
LOHCは、液体有機水素キャリア(Liquid organic hydrogen carriers)の略。化学反応によって、水素を吸収・放出できる有機化合物。
注3:
自家用車やトラックなどの車両から、海運や鉄道など環境負荷の少ない移動・輸送手段への転換を図ること。
注4:
国家水素戦略改定後の2023年8月1日、経済・気候保護省は欧州委員会との協議に進展があったとして、水素発電に関する措置の枠組みを公表した。そのため本レポートでは、8月1日の公表内容を基に改定版戦略の内容を修正して記載している。
注5:
産業部門の各プロジェクトにおける低炭素水素の消費計画を基に、同団体が消費量を推定。一部、消費時期が不明なプロジェクトも含まれる。
執筆者紹介
ジェトロ・ベルリン事務所 次長兼産業調査員
日原 正視(ひはら まさみ)
2003年、経済産業省入省。エネルギー政策や中小企業政策などを担当した後、大臣官房会計課政策企画委員、中小企業庁財務課長を経て、2022年7月から現職。