インフレ削減法は、気候変動対策に軸足(米国)

2022年10月6日

バイデン政権への支持が回復している。その支持率は一時期、約30%にまで落ち込んだ。しかし11月に迫った中間選挙を前に、40%超まで持ち直してきている(2022年9月1日付ビジネス短信参照)。その背景には、人工妊娠中絶に対する最高裁判断(2022年6月27日付ビジネス短信参照)や、8月16日に成立した「インフレ削減法」の大型経済対策の存在があると指摘される。

本稿では、このインフレ削減法の成立までの経緯とその内容を概説する。あわせて、経済および財政に与える影響について考察する。なお、文中で使用されている数値は、2022年9月19日時点の公表値に基づく。

インフラ・人的投資や気候変動対策について計画を発表

バイデン政権は2021年4月、看板政策として「米国雇用計画」と「米国家族計画」を議会に提案した。前者はインフラ投資や供給網の強化、後者は人的投資や気候変動対策を柱にする。両計画合わせて4兆ドル規模の成長戦略だ。

これを受けて、議会は「米国雇用計画」のうち、インフラ分野に特化した1兆2,000億ドル規模(今後5年の新規支出は5,500億ドル)の超党派法案を提出。2021年11月5日に「インフラ投資雇用法」として成立させた。

他方、「米国家族計画」を受け、民主党内で、気候変動対策や人的投資を盛り込んだビルド・バック・ベター法案が作成された。その予算規模は、1兆8,500億ドルに及ぶ。しかし、上院では与野党勢力が拮抗(きっこう)していることも背景に、ジョー・マンチン議員(民主党、ウェストバージニア州)が反対に回った。その理由としては、「支出規模が大きすぎるため、政府債務の増加や高インフレの助長につながる」ことが挙げられた。ウェストバージニア州では、化石燃料産業が盛んという事情もあるとみられる。いずれにせよ、これにより、同法案の成立は事実上頓挫した。しかし、上院民主党トップのチャック・シューマー院内総務(ニューヨーク州)とマンチン議員との間で、その後も交渉が継続。両者間で最終的に、(1)支出規模を5,000億ドル程度に縮小する、(2)それ以上の歳入を確保する、などの線で合意した。その結果成立したのが、「インフレ削減法」だ(2022年8月16日、バイデン大統領が署名)。

インフレ削減法の歳出と歳入の概要は、表のとおり。

表:インフレ削減法の歳出・歳入の概要(単位:億ドル) 

歳出
項目 金額
気候変動対策 3,910
医療保険制度改革など 1,080
総計 4,990
歳入
項目 金額
15%の最低法人税率の導入 2,220
処方箋薬価の交渉権付与など 2,810
内国歳入庁(IRS)の体制強化 1,010
自社株買いに対する1%の課税 740
超過事業損失制限の延長など  600
総計 7,380

出所:議会予算局(CBO)および責任ある連邦予算委員会(注1)の資料などからジェトロ作成

歳出項目の特徴として指摘できるのは、気候変動対策に力点が置かれたことだ。ここに、うち約3,910億ドルが充てられた(歳出全体の約8割にあたる)。ここまで高い比重が置かれた背景には、バイデン政権が示した目標がある(国際公約として、2030年までに温室効果ガス(GHG)を2005年比で50~52%削減することを掲げた)。エネルギー省は、インフレ削減法とインフラ投資雇用法に盛り込まれた気候変動対策によって、2030年までにGHG排出量を40%削減できると試算している。その結果、国際公約にかなり近づくことが見込めることになる。2022年11月に開催予定の第27回気候変動枠組み条約締約国会議 (COP27)でも、米国の発信力がある程度保たれると言えるだろう。

歳入項目の特徴としては、G7で合意された15%の最低法人税率の導入が挙げられる。これは主に、大企業に課される。EUでは2021年12月、多国籍企業に対する世界共通の最低法人税率の適用指令案が発表されていた(2021年12月23日付ビジネス短信参照)。米国もこれに追随したかたちだ。主要国での導入が見通せたことで、最低法人税率の導入について今後さらなる国際的な広がりが期待される。そのほか、内国歳入庁(IRS)による徴税の強化などが盛り込まれた。バイデン政権は、年収40万ドル未満の者に課税しないという公約を今回も明言している。あくまで大企業や富裕層が課税対象になっている。

気候変動対策

  1. クリーンエネルギー導入に伴い認められる税額控除
    • クリーン生産設備:
      太陽光パネル、風力タービン、バッテリーなどを製造するための設備投資や、化学、鉄鋼、セメントの工場などで大気汚染を削減するための設備の導入に対して税額控除する。
    • 二酸化炭素回収・貯留(CCS)、直接空気回収(DAC)、石油増産回収(EOR)など:
      2032年までに建設を開始したCCS関連施設を対象に、既存の税額控除額を拡充する(控除額は回収方法によって異なる)。あわせて、DACやEORの施設も対象に加える。
    • 家庭での太陽光発電設備の設置に対する税額控除の延長:
      太陽光発電設備などについて、購入額の30%まで税額控除する。
    • 省エネ機器の購入に対する一部還付:
      ヒートポンプなど省エネ機器を購入する場合、1世帯あたり最大1万4,000ドルを還付する。
    • その他:
      原子力発電、持続可能な航空燃料(SAF)、クリーン水素などの燃料エネルギー製造に対する税額控除制度を新設する。
  2. 電気自動車(EV)の購入に伴う税額控除
    EVの中古車および新車を購入した場合、購入者はそれぞれ最大4,000ドルと7,500ドルの税額控除を受けられる。 従来は、税額控除の要件としてメーカーあたりの累計販売台数に上限が設けられていたところ、2022年12月31日に撤廃される(注2)。他方、これ以外に関して規定された新たな要件はかなり厳しい。2022年9月時点で適用車種は限定的だ。(2022年8月18日付ビジネス短信参照)。
  3. メタンガスの排出量削減対策
    メタンガス排出量の監視を強化する体制づくりため、財源が環境保護庁(EPA)に割り当てられる。
    排出量が基準を超過した対象企業については、2024年中は1トンあたり900ドルが徴収される。徴収額は段階的に引き上げられ、2025年中は1,200ドル、2026 年以降は1,500ドルになる。一方、メタンガスの排出量を削減し基準以下にした企業には、補助金が付与される。
  4. 石油・ガスの採掘リース権の販売再開(歳出予算を伴う措置ではないものの、気候変動対策に関係するためあわせて紹介)
    本法には、連邦政府が管理するメキシコ湾とアラスカ沖の大陸棚について、リース権を販売することが盛り込まれた。これを受けて、内務省は2022年9月14日、海洋鉱区リース権の入札を再開すると発表した(2022年9月16日付ビジネス短信参照)。
    この措置自体は、気候変動対策と逆行するところがある。マンチン議員の強い希望により盛り込まれたとされている。

医療保険制度改革など

2021年3月に成立した「米国救済計画」では、公的医療保険の保険料に対する税額控除が拡大された。ただしこの措置については、2022年末の期限が設定されていた。その期限を2025年末まで3年間延長する。 そのほかメディケアの利用者を対象に、(1)医薬品購入にかかる年間自己負担額を2,000ドルまでにすること、(2)インスリン利用の自己負担額を月額35ドルまでに設定すること、なども盛り込まれた。

財源はどう手当てされるのか

歳入項目は歳出に比べて、大項目で構成された。その主要項目は、次に紹介するとおり。

最低法人税率15%の導入

(1)米国に本社を置き、3年間の平均収益が10億ドル以上の企業、または(2)外国に本社を置き、米国内での同収益が1億ドル以上の企業には、15%の最低法人税率を課す。 2023年1月から実施される。

処方箋薬価の交渉権付与など

納入される医薬品に関して、政府に製薬会社と薬価交渉を行う権利が付与される。調達価格の低下を通じて、コスト低下が図られる。 製薬会社による薬価の引き上げに関し、インフレ率よりも低く抑える措置なども盛り込まれた。

IRSの体制強化

人材の追加採用などを通じてIRSの体制を強化し、徴税漏れを防止する。

自社株買いに対する1%の課税

上場企業が自社の株式を買い戻した場合、その市場価格に対して1%の物品税が課される。 2023年1月から実施される。

事業損失制限規定の延長など

CARES法では、事業損失の制限(非法人の納税者が25万ドルを超える事業損失を生んだ場合に、超過損失を控除することを禁じる)が導入されていた。この制限について、2026年末の期限を2028年末まで2年間延長する。

インフレ抑制効果は限定的か

この法律は「インフレ削減法」と銘打たれた。もっとも、実際のインフレ抑制効果はあまり期待できないもようだ。議会予算局(CBO)によると、同法が2022年のインフレ率に及ぼす影響はほとんどなく、2023年への影響もマイナス0.1%~0.1%と見積もられる。むしろ、インフレ率を上昇させる可能性もあるという。ペンシルベニア大学ウォートン校の予算モデルでも、同法はわずかにインフレ率の上昇をもたらし、2024年に最大で0.05%上昇させると試算された。いずれにせよ、同法はインフレ抑制には、短期的にほとんど効果をもたらさないというのが大半の見方だ。

また、経済成長に及ぼすプラス効果もあまり見込まれない。経済成長に与える影響に関しては、前述のペンシルベニア大学ウォートン校のモデルで、2040年におけるGDPの押し上げ効果を0.1%と試算している。

一方、マンチン議員のもう1つの懸念点だった政府債務には、一定の効果が期待できそうだ。CBOは、今後10年間で2,380億ドルの債務を削減できると見込んでいる。

2022年11月には、中間選挙が行われる。2022年8月17~25日に実施されたウォールストリート・ジャーナルの世論調査によると、有権者は投票行動に影響を及ぼす重要課題として、特に「経済」(16%)、「人工妊娠中絶」(13%)、「インフレ」(11%)を挙げた。同時に、回答者の64%は、現在の経済状況を「悪い」と感じている。こうしてみると、中間選挙に向けては、連邦準備制度理事会(FRB)の対応(注3)を含め、バイデン政権がどれだけ経済状況を改善できると見込まれるかも焦点になりそうだ。


注1:
超党派の米国シンクタンク。
注2:
従来は、税額控除を受けることのできる車両の数に、メーカーごとの上限(累計販売20万台)が設けられていた。
注3:
FRBは、金融政策を通じてインフレ対策などを担う組織。
執筆者紹介
ジェトロ・ニューヨーク事務所
宮野 慶太(みやの けいた)
2007年内閣府入府。GDP統計、経済財政に関する中長期試算の作成などに従事。中小企業庁や金融庁にも出向し、中小企業支援策や金融規制などの業務を担当。2020年10月からジェトロに出向し現職。