米国が懸念する為替操作とは
為替操作と通商協定(前編)

2022年10月26日

ドル高が収束する気配が見えない。背景にあるのは、インフレ抑制のための米国連邦準備制度理事会(FRB)による政策金利の引き上げだ。為替市場での過度な変動に対処するために、日本政府は9月に、24年ぶりに為替介入を実施した。介入額は、2兆8,000億円超に及んだ。1日としては過去最大規模という。急激なドル高の影響は、世界全体に広がっており(2022年10月4日付ビジネス短信参照)、各国の金融政策への注目度が高まっている。

他方、米国には、他国の為替介入に強い警戒感がある。米財務省は原則、年に2回、他国が為替操作を行っているかどうかの報告書を議会に提出し、各国が為替に介入する状況を監視している。また、自由貿易協定(FTA)交渉の度に為替条項を設け、為替の人為的操作を防ぐべき、という議論が起きる。ただ、FTAにて当該条項を定めることは、他国の為替介入を制限するなど金融政策に直接影響を及ぼし得ることから、長年、FTAの協定文に為替条項が取り入れられることはなかった。しかし、2020年に発効した米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)にて、初めて協定文に為替条項が設けられた(注1)。

本稿では、まず前編で為替操作に対する米国の懸念を概観する。その後、米国が指摘する為替操作と、通貨防衛手段としてとられる為替介入について、アジア通貨危機の例を参考に整理する。後編では、通商協定における為替条項の議論の変遷を整理し、FTAでの為替条項の扱いについて展望する。

米国政府は為替操作・貿易不均衡に懸念

米国では、他国による輸出競争力獲得を目的とした自国通貨を減価に導く為替操作や、過度な米国経済へ依存の結果生まれる2国間の貿易不均衡が、米国内の保護主義的勢力の拡大につながった、という過去数十年にわたる歴史的な認識がある(注2)。日米貿易摩擦が激化していた1980年代から1990年代にかけては、米国は日本の対米貿易黒字を問題視し、日本産自動車の輸出自主規制や外国製半導体の日本国内でのシェア拡大などを迫った(注3)。米国の経常収支赤字がGDPの6%近くに達し、中国の世界貿易機関(WTO)加盟が赤字拡大を加速させた2000年代半ばには、米国の製造業は、中国の金融政策を問題視した。デトロイトスリーで構成される自動車政策会議(AAPC)は、今でも、「外国の為替操作が貿易に悪影響を与える」と主張する代表的な組織の1つだ(注4)。

そこで米財務省は1989年から、原則年に2度、他国の不公正な金融政策に対処するため、「米国の主要貿易相手のマクロ経済と為替政策(Macroeconomic and Foreign Exchange Policies of Major Trading Partners of the United States)」(為替操作報告書)を議会に提出している。(注5)。この報告書の中で米財務省は、「2015年貿易円滑化・貿易執行法」に基づき、次の参考で示す基準によって、他国が為替操作国、監視対象国などに該当するかどうかを判定している。

参考:為替操作国の認定基準

米国との物品貿易の輸出入総額が400億ドルを超える国・地域を対象に、1~3全ての条件を満たす場合に、為替操作国と認定される。

  1. 大幅な対米貿易黒字(年間150億ドル以上の財・サービス貿易黒字額)
  2. GDP比3%以上の経常収支黒字、またはGDP比1%以上の現在の経常収支と長期的経常収支の間の乖離
  3. 外貨の純購入が繰り返し行われる持続的で一方的な為替介入(過去12カ月間のうち8カ月以上の介入、かつGDP比2%以上の介入総額)(注6)

出所:為替操作報告書(2022年6月版)

米財務省は、他国を為替操作国と認定すると、当該国と交渉し、問題解決に向け行動計画を策定する。当該国が適切な措置を取らない場合には、罰則を科すことができるとされている。直近で為替操作国として認定されたのは、スイスとベトナムだ(2020年12月の報告書で認定、2020年12月18日付ビジネス短信参照)。ただし、続く2021年4月の報告書で、両国は3基準を満たしているものの、「為替レートを操作していることを発見するのに十分な証拠がない」とされ、為替操作国の指定からは外れた。最新の2022年6月の報告書で、為替操作国として認定された国はない(2022年6月14日付ビジネス短信参照)。

アジア通貨危機時にも為替介入の動き

ここまでみたとおり、米国には、他国が不当に競争上の優位を得ること目的とした、自国通貨を減価に導く為替操作(currency manipulation)に対して根強い懸念がある。他方、通貨防衛の手段として、今般、日本政府が実施した為替介入(foreign exchange intervention)がある。日本銀行によると、為替介入とは「通貨当局が為替相場に影響を与えるために、外国為替市場で通貨間の売買を行うこと」で、「為替相場の急激な変動を抑え、その安定化を図ること」と定義される。この定義自体は、自国通貨を減価・増価いずれの方向に導くかについては制限していない。だが通貨危機時の介入は、急激な通貨の減価を抑えるための手段として実施されているため、米国が懸念する為替操作とは、一定程度、切り分けられると考えられる。

為替介入が多数実施された例に、アジア通貨危機が挙げられる。実際このときも、為替介入は、自国通貨を買い戻し、通貨の下落を抑えるための手段として実施された。アジア通貨危機(注7)は、1997年のタイ・バーツの下落を契機に発生した。バーツ売りの投機が起こったのは、当時、タイの経常赤字がGDP比で8%台と大きかったこと、1994年から1996年にかけて資産市場(不動産など)に好不況の波があったことにより、金融部門が脆弱(ぜいじゃく)化していたことを、機関投資家が経済の脆弱性と捉えたためだ。投資家とタイの中央銀行との戦いは、1996年12月から始まっていた。このころからタイの外貨準備高は、緩やかに減少している(図1参照)。その後、1997年5月に、投資家による大量のバーツ売り投機が起きた。外貨準備高が急激に減少したことからわかるように、タイの中央銀行は、為替介入によってバーツの下落を防ぐよう、通貨防衛を試みた。だがこの時、既に外貨準備高のほとんどが先物予約により数カ月先の支払いが決まっており、1997年6月末には実質上、外貨準備は枯渇していた。翌7月、タイは固定相場制を維持できなくなり、変動相場制へ移行した。変動相場制へ移行すると、バーツは対ドル相場でさらに急落した。当時、タイの銀行では、ドル建てで海外から資金を調達し、国内ではバーツで融資を行う通貨のミスマッチが起きていたため、バーツが対ドルで急落すると、負債だけが膨らんでしまい、通貨危機が銀行危機につながった。

図1:タイの外貨準備高の推移
1996年2月から1998年2月までの推移。外貨準備高は380億ドルで推移していたが、1996年12月から緩やかに減少し、1998年2月時点では250億ドル以下になっている。

注:公表ベースの金額であり、先物予約ポジションは含まない。
出所:タイ銀行

このタイの変動相場制への移行が引き金となり、危機はアジア各国へも伝播した。まず、バーツの変動相場制はインドネシアのルピア安を誘発した。インドネシア当局は、為替介入のほか、資本移動の引き締め、金利引き上げなどで対応したが、1997年8月にインドネシアも変動相場制へ移行した(注8)。

韓国でもウォンが下落したことで、当局が為替介入などで対応した。しかし、リスクを懸念した外国金融機関などが、融資の借り換え(ロールオーバー)を拒否したことで、通貨危機が起きた。そこで韓国の銀行は、債務返済のためにウォンを売ってドルを調達した。これがウォン安をさらに加速させることにつながった(注9)。

このように、為替介入は自国通貨の減価を防ぐ防衛手段として利用されることから、米国が懸念する為替操作とは趣旨が異なっていると言えそうだ。

危機の教訓としての自己保険政策

為替介入と為替操作報告書の基準(先の「参考」参照)を照らしてみると、最も直接的に関係するのは、(3)の「外貨の純購入が繰り返し行われる持続的で一方的な為替介入」になろう。この点、アジア通貨危機後に各国が将来の対応策として取り入れた、外貨準備高を積み増す自己保険政策(Self-Insurance)には留意が必要だ。従来、外貨準備高は輸入額の3カ月分程度が適切とされていた。しかし、アジア通貨危機の教訓として、21世紀型の通貨危機では、短期間に大量の資本流出が起きかねないため、輸入額の3カ月分では足りないとの認識が形成された(注10)。これを受け、危機を経験した各国は、外貨準備を増強するようになった。タイの準備高は2021年時点で2,248億ドルと、危機以前の1996年の372億ドルから約6倍になった。同じ期間に、インドネシアは178億ドルから1,314億ドルで7倍超、韓国は332億ドルから4,383億ドルで13倍超となった(図2参照)。危機時の為替介入に備えるためだったとしても、外貨(特にドル)の積み増しは、結果として「外貨の純購入が繰り返し行われる持続的で一方的な為替介入」の素地になりうる点には留意が必要だ。

図2:外貨準備高の推移
1995年から2021年までの推移。タイの外貨準備高は、1996年の372億ドルから2021年に2,248億ドルと約6倍、インドネシアは178億ドルから1,314億ドルで7倍超、韓国は332億ドルから4,383億ドルで13倍超となった。

出所:アジア開発銀行 Key Indicators for Asia and the Pacific

なお、為替報告書の(1)と(2)の条件(「参考」参照)は、為替操作・介入を規定する合理的な基準というよりも、冒頭で述べた、米国内でくすぶる一部貿易相手国との貿易不均衡への不満が反映されていると考えられる。例えば、資源を有さない国は、資源国との輸入超過のバランスをとるため、それ以外の国に対して輸出超過となるよう調整する必要があるなど、2国間の貿易収支は産業構造上、どうしても不均衡にならざるを得ないからである。従って、これら条件は、米国内のステークホルダーの意向に沿った結果だと捉えられるだろう。

結論として、米国が懸念する為替操作と、ドル高に対抗し通貨防衛を試みる為替介入とは、一定程度切り分けられると考えられる。ただし、為替介入に備えた外貨の積み増しには注意が必要になる。後編では、通商協定上の為替条項について整理する。


注1:
ただし、USMCA以前でも、FTA交渉参加国が、協定分本文ではなくサイドレターなどで、為替に関して約束を交わしたことはある。
注2:
次に示す資料を参照した。
  • Mark Sobel, (2019) “U.S. Foreign Exchange Policy—Currency Provisions and Trade Deals” CSIS
注3:
日米貿易摩擦については、例えば次に示す文献が詳しい。
  • Takatoshi Ito and Takeo Hoshi, (2020) “The Japanese Economy”, 2nd Edition, Chapter 13, The MIT Press
注4:
American Automotive Policy Council (AAPC)のウェブサイト外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます参照。
注5:
1989年当時は、年1回の報告だった。その後は、年に複数回報告される年もあれば報告がない年もあるなど、報告回数が一定していなかった。2012年以降は毎年、年に2回報告されている。
注6:
2022年6月版の報告書での基準。報告書ごとに、基準が多少変更されることがあるものの、おおむねこの3点となっている。
注7:
タイ、インドネシア、韓国でのアジア通貨危機の経緯や原因・教訓については、次の文献を参照した。
  • International Monetary Fund, Independent Evaluation Office (IEO), “IMF and Recent Capital Account Crises: Indonesia, Korea, Brazil,” 2003.
  • Ito, Takatoshi, (2007) “Asian Currency Crisis and the IMF, Ten Years Later: Overview” Asian Economic Policy Review vol.2, no.1, June: 16-49.
注8:
インドネシアはその後、財政が比較的健全な段階でIMFに支援を求め、支援を受けるための条件として、事前行動(Prior Actions)を約束した。その一環で16行の銀行閉鎖を発表したが、閉鎖対象であった大統領の子息が経営する銀行の業務が、実質上、別の銀行に引き継がれたことや、閉鎖される銀行の選定基準が不透明であったことなどが、市場の不信を買った。これにより大量の預金引き出しが起こり、銀行危機につながった。最終的には、大統領の辞任にまで至った。皮肉にも、IMFの支援を受ける過程で危機は拡大した。
注9:
韓国はIMFに支援を求めたものの、IMFは、市場が十分と判断するほどの支援を約束しなかった。結果、韓国からの資本流出が止まらなかった。最終的には、G7が韓国を支援する枠組みを発表したことで、事態は収束に向かった。
注10:
もう1つの教訓として、IMFの支援が必ずしも危機の拡大を防ぐのに十分ではないことも挙げられる。そうした背景もあり、各国は外貨準備高を拡大してきた側面がある。

為替操作と通商協定

  1. 米国が懸念する為替操作とは
  2. 今後のFTAの為替条項(米国)
執筆者紹介
ジェトロ海外調査部米州課 課長代理
赤平 大寿(あかひら ひろひさ)
2009年、ジェトロ入構。海外調査部国際経済課、戦略国際問題研究所(CSIS)日本部客員研究員、海外調査部米州課、企画部海外地域戦略班(北米・大洋州)を経て2022年8月から現職。