【中国・潮流】SARSを踏まえた香港の新型コロナウイルス対策

2020年4月13日

新型コロナウイルスの影響による「学校の全面休校」「ディズニーランドの休園」「トイレットペーパーや食糧の買い占め騒動」。1月下旬に香港で起きた事象がいずれも、その後世界でも生じている。

政府の迅速な対応、社会に浸透した防疫対策の徹底ぶりは、2003年に香港で約300名の死者を出した重症急性呼吸器症候群(SARS)の大流行の教訓にほかならない。香港におけるウイルスとの闘いはまだ続いているが、香港政府の取り組みをベンチマークすることで今後の予見に役立てたい。

「淘大花園で何が起きたか知っているか」

2002年11月に広東省で発生したSARSは、翌年2月に感染地の広州市から親族の祝宴にかけつけた医師により香港にもたらされたとされる。同医師の宿泊したホテルから感染者が続発し、そのうちの1人が入院したプリンス・オブ・ウェールズ病院で、医療関係者、入院患者、見舞客など100名以上の集団感染が発生した。さらに、その外来透析患者の1人が高層団地群の淘大花園(アモイガーデンズ)アパートE棟を訪れたことから、団地全体で感染者321名、死者42名の惨劇となった。6月23日に世界保健機構(WHO)が感染地から除外するまで、香港では1,755名が罹患し299名が死亡した。感染が終息するまでに、計4カ月を要した。

新型コロナウイルス禍の香港において、経済的な影響や先行き見通しを現地で尋ねると、必ず「SARSの時はこうだった」「淘大花園で何が起きたか知っているか」とSARSの経験が引き合いに出される。1月22日、キャリー・ラム行政長官は、ちょうど香港で1人目の感染の疑いが報じられたタイミングでダボス会議に登壇し、「香港は2003年のSARSや鳥インフルエンザ、新型インフルエンザなど過去の経験より多くを学び、既に対策を講じている」と言及している。同長官は、SARS流行時は社会福祉局長の立場にあった。

ウイルス対策に向けた3原則

WHOが中国・武漢市における新型コロナウイルスによる肺炎の流行に関する声明を発表した1月9日に先駆け、香港政府は対策を講じ、市民に防疫対策を呼び掛けている。1月7日の行政長官の定例会見で、未知なるウイルスと対峙するための3原則として、「状況に応じた迅速な対応」「事態悪化を想定した準備」「情報開示と透明性に基づく取り組み」を示して以降、これらが徹底されている。

諸外国との比較でとりわけ目を見張るのは、情報開示の徹底ぶりである。1月下旬より連日、夕刻に香港政府の衛生署衛生防護センター(CHP)および医院管理局の幹部による記者会見が行われており、その日に発症が確認された感染者の特徴や属性、検疫や医療上の取り組み、域内感染の伝播状況などが伝えられている。質疑応答も含めて1時間程度に及ぶ。それがテレビで生中継され、市民も直接状況を把握できる。また、ウェブ上で公開されているCHPの「インタラクティブマップ・ダッシュボード外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます」を通じて、疑似感染者を含めた全症例の年齢、性別、居住先、入院先、立寄り先、感染経緯、利用交通機関なども開示されている。感染者との濃厚接触者の申し出を促すと共に、デマの抑制を狙ったもので、開設以降のアクセス数は1,600万件を超えた。

迅速な水際対策

3原則の1つ「状況に応じた迅速な対応」の典型が感染予防に向けた水際対策だろう。香港政府は1月4日、感染症への警戒レベルを3段階のうち中位である「厳重」とし、武漢市からの直通便を含む中国本土から乗客が到着する西九龍高速鉄道駅と香港国際空港で、利用者への体温計測の措置を本格化させた。1月24日には、武漢市からのフライト、高速鉄道の直通便の離発着を停止した。

旧正月初日にあたる翌25日には、感染症への警戒レベルを3段階中最上位となる「緊急」へ引き上げ、外部専門家による諮問委員会を設置、緊急用務以外の公務員への在宅勤務を指示し、民間企業にもこれに倣うように推奨(公務員の在宅指示はその後4度延期され、3月2日まで行われた)、早くも学校の再開を2月17日以降とすることを公表した(その後延期が繰り返され、4月上旬時点では4月20日以降に学年に応じて再開予定とされ、追って通知される)。27日には湖北省全域からの入境制限を開始、翌28日には、中国本土からの入境制限を本格化させた。既に施行されていた中国人団体旅行の受け入れ停止に加え、個人旅行者のビザ発給も停止し、30日から中国本土との間の高速鉄道やフェリーの運行を取り止め、出入境拠点の半数に相当する6拠点を閉鎖した(2月4日にさらに4拠点を閉鎖)。28日時点では感染者はまだ8名だった。さらに、2月8日からは中国本土からの入境者に対する14日間の強制検疫措置を開始し、5月7日まで3カ月にわたり継続をするという大胆な水際措置に踏み切っている。

他方、中国本土との陸路物流は制限しておらず、越境トラックのドライバーや航空パイロットは強制検疫の対象から除外するなど、必要最低限の経済機能が維持されるような措置を講じている。

レストラン1店舗当たり20万香港ドルを支給

香港では、2019年6月の「逃亡犯条例」改正案に異を唱える反政府デモに端を発し、いまだに抗議活動が継続されている。もっぱら民主化を求めていたデモだが、新型コロナウイルスの感染地域から戻った市民の隔離施設設置に反対する周辺住民の運動に反政府抗議活動者が合流し、暴力化するという形で一部変異している。

デモが過激化した2019年10月以来、中国本土からの観光客の大幅減少を受け、小売・飲食・宿泊といったいわば中国本土客に依存していた産業が、新型コロナウイルスによる入境制限の強化や市民の行動の変化により、さらに追い打ちをかけられている。

「事態悪化を想定した準備」の経済対策的な側面として、政府は2月14日に21項目からなる新型コロナウイルス対策措置を発表し(2020年2月18日付ビジネス短信参照)、感染抑止に向けた防疫対策の強化や関連業界支援に向けた補助金の支給を柱とする「防疫抗疫基金」として300億香港ドル(約4,200億円、1香港ドル=約14円)が充当される。例えば、レストラン事業者に対しては営業ライセンスに応じて20万香港ドルがキャッシュで支給される(2020年3月12日付ビジネス短信参照)。助成の対象は、小売、飲食、ホテル、旅行、運輸、建設業等となっており、登録ライセンス毎に遍く支援される仕組みとなっている。タクシー等の運輸業に対しては燃料への実費補助が行われる。

また、3月20日に可決された2020/2021年度(2020年4月~2021年3月)の財政予算では、1,200億香港ドル規模の景気対策が組まれている。予算案は2月26日の段階で公表され、18歳以上の香港永住権所有者に対して1万香港ドルの支給を対策の目玉としており、ウイルス感染が収まり景気浮揚に向けた刺激が必要となる7月から8月にかけて支給される見込みとなっている(2020年3月4日付ビジネス短信参照)。

さらに、小売や飲食を中心に中小店舗の倒産や失業率の上昇が始まりかけたタイミングで、政府は第2弾の「防疫抗疫基金」(1,375億香港ドル規模)を4月8日に表明した。6カ月間にわたる月額9,000香港ドル(約12万6,000円)を上限にした従業員向け賃金補助の実施、中小企業向け融資額の増額、航空業界等産業界向けの助成を柱としている。政府が計上した一連の経済対策は、合計で2,875億香港ドルになり、これは香港の域内総生産(GDP)の約1割に相当する。このように香港政府の対策は総じて、困難に直面している産業界や個人を対象にキャッシュで直接的に助成をするという分かりやすい形になっていると言えよう。

正念場を迎えた香港の感染対策

1月23日に、香港で初めて新型コロナウイルスの感染者が確認されて以来、2月頭までの新規感染者数は湖北省や広東省からの輸入症例が中心であった。それ以降は域内での感染が中心になり新規感染者数は減少に転じ、3月2日から公務員が約1カ月ぶりに職場に復帰した。しかし、3月10日以降は欧米等からの輸入症例が急増し始め、いわば感染の第3フェーズに突入した。3月16日から22日までの1週間で150人から318人と新規感染者数が倍増し、その翌週の3月29日には642人へとさらに倍増している。

図:香港の感染者数の推移
1月23日~4月8日の香港の感染者数の推移を示す。新規感染者数をみると、当初は輸入感染者が中心であったが、2月4日からは域内感染者が輸入感染者を上回った。しかし、3月10日から輸入感染者が再び増加し、域内感染者を上回った。3月18日以降は3月21日を除き、1日あたり2ケタの輸入感染者が確認されている。累計感染者数は2月まで100人未満だったが、3月1日以降に増加ペースが加速し、4月8日時点で961人となった。

注1:4月8日時点の状況。
注2:域内感染者数には感染経緯が追えない症例を含む。
出所:香港政府衛生署衛生防護センターの発表を基に、ジェトロ作成

これへの対応として、3月25日からは香港居住者を除き、海外からの入境を2週間禁じる措置を開始し、公務員に再度在宅勤務を求め人の接触抑制に努めている(2020年3月25日付ビジネス短信参照)。28日夜間からは人と人との距離を保つために、飲食店では1卓4名まで、かつ隣との間隔を1.5メートル以上離すこととし、スポーツジム・遊興施設・映画館等の営業は禁止し、29日午前0時からは職場等を除き公共の場における4名を超える集りを禁じた。

何よりも実感することは、1月23日に新型コロナウイルスの初感染例以降、香港社会では中長期的な見通しの下に対策や制度設計が練られていることである。一例として、国際展示会を多数主催する香港貿易発展局は、2月12日の時点ですべての主催展示会を5月半ば以降に延期する旨を表明し、3月23日には再度7月半ば以降に再延期し、電子商取引の促進に重点を置くことを表明している(2020年3月27日付ビジネス短信参照)。これは、SARSの終焉に4カ月を要した香港ならではの判断だろう。

そして、香港政府は、ウイルスに対峙するための3原則に基づき矢継ぎ早、かつ時には大胆な施策を講じてきている。香港市民からは場当たり的との批判もあるが、都市封鎖という手段には頼らず、最大限に私権や経済への影響を考慮した上での対応と思料される。

執筆者紹介
ジェトロ・香港事務所 所長
高島 大浩(たかしま ともひろ)
1990年、ジェトロ入構。ジェトロ・ラゴス事務所、ロンドン事務所、バンコク事務所、対日投資部などを経て、2019年7月から現職。