ウクライナ侵攻の衝撃
エジプト外貨問題を振り返る(2)
2026年9月2日
エジプトの外貨不足問題について考察する連載。第1回「外貨不足の構造的要因」では、外貨不足の根本的な原因について分析した。第2回となる本稿では、ロシアによるウクライナ侵攻がエジプト経済に及ぼした影響を検証する。2022年2月に勃発したウクライナ侵攻の影響で、エジプトの外貨不足は深刻化した。一方で、深刻な外貨不足の下でも実体経済は一定の強靭(きょうじん)性を示した。アラブ首長国連邦(UAE)の大型投資を契機とする外貨流動性の回復と今後の見通しについては次稿で解説する。
ウクライナ侵攻により貿易赤字が深刻化
エジプトの外貨不足問題の根源は、輸出による外貨収入よりも輸入や債務返済に必要な外貨の方が大きく、その穴埋めを不安定な外貨収入源や対外借り入れに依存してきたことにある。こうした構造的な脆弱(ぜいじゃく)性を表面化させたのが、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻だった。
ウクライナ侵攻が発生した2022年2月まで、エジプトの外貨準備高は1年以上にわたり400億ドル以上の水準を維持していたが、翌3月に約370億ドルまで急落し、8月には約330億ドルまで落ち込んだ。その後は、2024年2月まで350億ドル程度の低水準で推移した。
エジプトの国際収支に直接の打撃を与えたのは、戦闘開始に伴う世界的な小麦価格の上昇だ。ロシア、ウクライナはともに世界有数の小麦の産出国であり、世界最大の輸入国であるエジプトは、その輸入量の大半を両国に頼っている。エジプトは伝統的な農業国で、小麦も年間約900万~1,000万トンを生産しているほか、政府は食料安全保障の観点から作付面積拡大や収量向上による増産を進めてきた。しかし、1億人超の人口を抱えるエジプトの小麦消費量は年間約2,000万トンに達する。人口増加率も約2%と高水準で推移しているため、国内生産の増加が需要の伸びに追い付かず、輸入への依存が続いている。ウクライナ侵攻の開始により、小麦の積み出し港である黒海の港が封鎖・攻撃されたことに加え、農地が戦場となり生産が減るとの懸念が高まったことで、世界的に小麦価格が高騰した(図1参照)。エジプトの小麦輸入額は数カ月遅れの夏に急上昇している。2022年秋以降は、外貨不足に加え、国際相場の落ち着きもあり輸入額が減少したが、2022年の通年小麦輸入額は前年比22%増の42億7,100ドルに達した。
出所:世界銀行およびUN Comtrade公表データからジェトロ作成
第1回「外貨不足の構造的要因」で見たように、ウクライナ侵攻が勃発した2021/2022年度(注1) の非エネルギー部門の輸入は前年度比約17.7%増の738億ドルとなり、貿易赤字も434億ドルに達した。
慢性的な外貨不足を抱えるエジプトが、なぜ高価な小麦の輸入を続けたのか。エジプトの主食はパンであり、その価格上昇は歴史的に政情不安を引き起こしてきた。2011年にエジプトに波及し、ムバラク政権の退陣に繋がった「アラブの春」の背景には、生活水準の低迷や、国際穀物価格高騰に起因するパンをはじめとする食料価格上昇への不満があったといわれている。その後、軍による介入を経て政権を握った現職のアブドゥルファッターハ・エルシーシ大統領にとって、パンの価格を安定させ、国民の不満を抑えることは最優先課題といえる。世界銀行によれば、エジプトでは2022年時点で約7,000万人がパン購入に対する政府の補助制度を利用していた。安価なパンの供給は社会秩序維持のための重要な政策であり、ウクライナ侵攻によって国際小麦価格が急騰した後も、補助金制度を維持するために多額の外貨を投入して小麦輸入を継続せざるを得なかった。
郷里送金の流出と資本逃避が外貨不足を深刻化
第1回「外貨不足の構造的要因」では、エジプトの外貨収入源として(1)観光収入、(2)スエズ運河の通航料収入、(3)海外で働くエジプト人からの郷里送金、(4)資本流入を挙げた。2020年代前半、これらの収入源はウクライナ侵攻およびその他の対外要因によって大きく影響を受けた。以下、要素別にウクライナ侵攻開始時から2023年末の状況を分析する。各収入源の推移については、第1回「外貨不足の構造的要因」を参照されたい。
観光収入については、ウクライナ侵攻よりも新型コロナウイルス感染症の影響が大きかった。エジプト中央銀行(CBE)によれば、同国の観光収入は2018/2019年度に126億ドルに達したが、2019/2020年度は99億ドル、翌2020/2021年度は49億ドルと、2年連続で大幅に減少した。2021/2022年度には再び100億ドルを超え、増加に転じている。
スエズ運河の通航料はエジプトにとって安定した外貨収入源であり、ウクライナ侵攻後も50億ドル以上を維持していた。2022/2023年度の通航料収入は88億ドルで、スエズ運河庁によれば過去最高の収益を達成した。
他方、観光やスエズ運河の通航料収入よりも規模が大きい外貨獲得源である郷里送金については、2022/2023年度に前年度比30.8%減の221億ドルまで落ち込んだ。翌2023/2024年度についても219億ドルと低水準であった。この理由は、並行為替市場にある(注2)。外貨不足により、通貨エジプト・ポンド(EGP)に下落圧力がかかる一方で、当局は2022年3月以降何度か切り下げを行いながら、2023年初頭以降は為替相場を1ドル=約30EGPの水準に管理していた(図2参照)。このため、公定レートと並行市場の実勢レートに大きな乖離が生じた。IMFによれば、この乖離は2022年2月に生じ始め、並行市場では2023年半ばに1ドル=約40EGP、2024年初頭には一時1ドル=70EGPを超える水準までEGP安が進行した。並行市場の方がドル高・EGP安で推移していたため、郷里送金が公式市場ではなく並行市場へ流れる現象が発生した。その結果、公式市場で取引される外貨が減少したとIMFは分析している。
出所:CBE発表からジェトロ作成
さらに、こうしたエジプト経済の不安定化を見越して、海外投資家はウクライナ侵攻の可能性が高まった時期から、国債などを中心とするポートフォリオ投資を引き揚げ始めた。CBEによれば、2021/2022年度のポートフォリオ投資は210億ドルの流出、翌2022/2023年度も38億ドルの流出となった。
エジプトの主要外貨獲得源のうち、観光収入とスエズ運河収入は比較的堅調であったが、並行為替市場の拡大による郷里送金の減少とポートフォリオ投資の流出により外貨供給が大きく縮小し、外貨不足を一層深刻化させた。外貨不足は単なる外貨不足にとどまらなかった。公定レートと並行市場の乖離拡大を通じて郷里送金や資本流入を減少させ、さらに外貨不足を深刻化させる悪循環を生んだ。
外貨不足により実質的な外貨送金制限
外貨不足を受けて、エジプトでは実質的に外貨送金が制限される状況が続いた。CBEは2022年2月、エジプトへの輸入代金の支払いについてL/C(信用状)決済を義務付けると通知した。実際には、外貨不足を背景にL/Cの発行が大幅に遅延し、自動車、機械、電子機器、化学品など幅広い輸入品の供給に支障が生じた。その結果、日系企業を含む輸入業者は事業計画の見直しを迫られ、生産活動や保守・修理業務にも遅延や停止が発生した。政府は外貨準備高の減少を抑制し貿易赤字を縮小するため輸入を抑制したとみられる。輸入代金の決済ができないため、港湾には輸入貨物が滞留し、貨物に減損が生じたり、高額な保管費用を請求されたりする事態となった。その後、2022年末にCBEはL/C使用義務を撤廃したが、実際にはL/Cを利用しない場合でも、輸入業者が銀行からドルを入手できず、外貨送金が滞る状況が約2年間続いた。
ジェトロがアフリカに進出している日系企業に対して毎年実施している「海外進出日系企業実態調査(アフリカ編)」においても、エジプトにおける投資環境面の課題として「財政、金融、為替」が常に上位にランクインしてきた。2022年9月に実施した同調査では85.7%、2023年9月調査では63.0%の企業が「財政、金融、為替」を課題として挙げた。また、ロシアによるウクライナ侵攻が自社の活動に与える影響について、何らかの影響があったと回答した企業は約8割に上り、「大いに影響があった」と回答した企業は51.7%で、アフリカで最多だった。
外貨不足状況下で示した経済の強靭性、外資企業の投資も継続
ロシアによるウクライナ侵攻を契機として、上に見てきたようにエジプト経済は大きな打撃を受けた。他方、2022~2026年にカイロに滞在していた筆者の体感として、経済指標の落ち込みとは裏腹に、最も外貨不足の影響が深刻だった2022年、2023年においても、エジプトの消費の中心地であるカイロ市内は活気があり、新首都建設をはじめとするインフラ整備工事も続き、消費も旺盛であった。


(2023年12月、ジェトロ撮影)
実際に、2022年から2024年初頭にかけて、エジプトは深刻な外貨不足と高インフレに直面したものの、実質GDP成長率は2022~2024年も3%前後と、低調ではあるもののプラス成長を維持し、失業率も7%前後で悪化しなかった。エジプト政府は、2022/2023年度においても観光、ICT、農業など一部産業が引き続き成長したと報告している。
海外からの投資も進んだ。2022年11月にエジプトのシャルム・エル・シェイクで国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議(COP27)が開催されたこともあり、欧州や湾岸企業が相次いで太陽光発電や風力発電などのグリーン関連プロジェクトを発表した。製造業では、2022年11月にサムスン電子がスマートフォンの製造を開始した。スタートアップへの投資も好調で、2022年の中東・北アフリカにおけるスタートアップ投資件数は、エジプトがUAEやサウジアラビアを抑えて首位だった。こうした動きを後押しするように、エジプト政府は外貨獲得のため投資優遇政策を強化した。また、通貨EGPの大幅な下落により、海外企業からすれば短期的には資産を割安で取得できる状況であった。
日本企業の活動も続いた(表参照)。外貨不足の状況下での日本企業のビジネスとしては、(1)グリーン、水など国家戦略分野への参画、(2)豊富で安価な労働力と通貨安を生かした製造業の輸出拠点化、(3)人口1億人超の巨大消費市場を狙った内需の取り込み、(4)スタートアップ投資などがみられた。前述の「海外進出日系企業実態調査(アフリカ編)」でも、2022年には51.7%、2023年には72.7%の在エジプト日系企業が営業利益は黒字だと回答し、外貨不足の状況下でも、アフリカで南アフリカ共和国に次いで黒字企業の割合が高かった。
表:エジプトにおける日系企業のビジネス事例(2022年、2023年発表)
| 発表時期 | 企業名 | 内容 |
|---|---|---|
| 2022年12月 | 住友商事 | スエズ湾沿いのラス・ガレブ地区における陸上風力発電事業に参画。規模は500メガワット(MW) |
| 2023年3月 |
豊田通商 ユーラスエナジー |
設備容量500メガワット規模の風力発電所をラス・ガレブ地区に建設、運営 |
| 2023年7月 | 酉島製作所 | スエズ運河経済特区庁より大型送水ポンプの組み立て・製造・メンテナンス施設設立のための土地を割り当て |
| 2023年11月 | 伊藤忠商事 | エジプト・スエズ運河でのアンモニアバンカリング(船舶向け燃料供給)事業の共同開発に関し、エジプトの建設・エンジニアリング大手と覚書を締結 |
| 発表時期 | 企業名 | 内容 |
|---|---|---|
| 2023年6月 | 住友電装 | カイロ近郊のテンス・オブ・ラマダン市に新設する自動車部品(ワイヤーハーネス)工場の起工式を実施 |
| 2023年8月 | ユニ・チャーム | エジプト工場からケニア、ガーナ、コートジボワールへの輸出販売を開始 |
| 2024年2月 | 矢崎総業 | エジプト・ファイユーム近郊に新設する自動車部品(ワイヤーハーネス)工場の起工式を実施 |
| 発表時期 | 企業名 | 内容 |
|---|---|---|
| 2023年11月 | 三井物産 | エジプトでブロイラー生産や関連加工食品の製造販売を手掛けるワディ・ポルトリーに出資参画 |
| 2023年12月 | カシオ | 腕時計ブランド「G-SHOCK」の新店舗をオープン。アフリカ大陸で最大の売り場面積 |
| 2024年2月 | 日産 | シリーズハイブリッドシステム搭載車の輸入販売を開始 |
| 発表時期 | 企業名 | 内容 |
|---|---|---|
| 2022年8月 | Sunny Side Venture Partners | エジプトのECスタートアップ3社への出資 |
| 2023年2月 | AAIC | エジプトのオンライン薬剤給付プラットフォーマーへの出資 |
出所:ジェトロ「ビジネス短信」「地域・分析レポート」から作成
ウクライナ侵攻はエジプトの外貨問題を深刻化させたが、外貨不足状況下でも実体経済は強靭性を見せた。外貨を巡る状況が大きく変わったのが、2024年2月のUAEによる350億ドル規模の大型投資だ。これはエジプトにとって過去最大の対内直接投資で、大規模な外貨流入となった。第3回では、エジプトがどのように外貨不足から脱したのか、2024年以降の状況について論じる。
エジプト外貨問題を振り返る
- 執筆者紹介
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ジェトロ調査部中東アフリカ課 リサーチ・マネージャー
塩川 裕子(しおかわ ゆうこ) - 2016年、ジェトロ入構。展示事業部、ジェトロ富山、企画部(中東担当)、ジェトロ・カイロ事務所を経て、2026年7月から現職。中東・アフリカ地域の調査・情報発信を担当。





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