中心部の再開発と再生医療分野の取り組み
米NC州ライフサイエンス産業(2)
2025年4月25日
全米屈指のバイオクラスターとして、ライフサイエンス関連企業を中心に集積が進むリサーチ・トライアングル・リージョン(以下、リサーチ・トライアングル)。ノースカロライナ州の州都ローリーやダーラム地域に位置する、このリサーチ・トライアングルに加え、州内の他地域でもライフサイエンス分野の新しいエコシステムが形成されつつある。本稿の前編「米NC州ライフサイエンス産業(1)概要とウィンストン・セーラムの取り組み」に続いて、中編では、ウィンストン・セーラムにおけるダウンタウンの再開発と、同地で特に注力されている再生医療分野の取り組みを紹介する。
たばこ産業からの転換を目指した再開発
ウィンストン・セーラムには、有名大学医学部と大規模病院がある。これに加え、ダウンタウンの再開発により、ウィンストン・セーラムは「イノベーション・クォーター」として、バイオメディカルサイエンス、臨床サービス、先端材料の研究、ビジネス、教育などの場となり、強固な知識コミュニティを形成するに至った。
ウィンストン・セーラムの主要産業はたばこ産業だったが、1980年代後半にR.J.レイノルズ・タバコ・カンパニーが工場閉鎖を決定したことをきっかけに、新たな産業の創出が必要となった。ノースカロライナ州を管轄するリッチモンド連邦準備銀行によると、イノベーション・クォーターは、1980年代後半にウェイクフォレスト大学が構想した計画から始まった。州都ローリー近郊のリサーチ・トライアングル(2024年3月28日付地域・分析レポート参照)に倣って、周辺地域の他大学と連携してリサーチパークを創設する計画だ。
ウィンストン・セーラムの知的資本はウェイクフォレスト大学の医学部に集まっている。1994年には、ダウンタウンにあるR.J.レイノルズの建物内にピードモント・トライアド地域研究センターが開設され、教育分野からビジネス分野への知識の波及を狙ったピードモント・トライアド・リサーチパーク(現在のイノベーション・クォーター)の整備が始まった。
2002年には、ダウンタウンの784万平方フィート(180エーカー、約72万8,400平方メートル)の土地を活用した、ウェイクフォレスト大学医学部の新しいリサーチキャンパス設立を中核とする拡張プランが発表された(注1)。同プランは、大きく3つのフェーズに分かれており、第1フェーズは2012年に完了した。第1フェーズでは、ダウンタウンの190万平方フィート(約17万6,500平方メートル)が整備され、R.J.レイノルズのたばこ製造関連施設をリノベーションしたウェイクフォレスト・バイオテックプレイスが開設された。同施設は、最大500人まで収容可能なアトリウムなどを備えるカンファレンスセンターのほか、ウェイクフォレスト医学部の研究室などのライフサイエンス関連の研究機関が立地する一大拠点だ。


イノベーション・クォーター(ジェトロ撮影)


バイオテックプレイス(ジェトロ撮影)
第1フェーズで開発されたエリアには、バイオテックプレイスのほかにも、R.J.レイノルズの石炭火力発電所をリノベーションした、コワーキングスペースやオフィスとラボのスペースを提供するビルなどが整備された。これらの施設に、大学などの研究機関やスタートアップ、弁護士事務所や商工会議所といった企業・機関が100社ほど立地している。
2021年には第2フェーズの具体的な計画が発表され、第1フェーズで開発された地区の南側の約120万平方フィート(約11万3,300平方メートル)の土地の再開発が始まった。第2フェーズでは、10棟の建物が建設され、臨床試験や研究、オフィスに利用可能な100万平方フィート(約9万3,000平方メートル)のスペースが整備される予定だ。
米国の不動産会社のコマーシャル・サーチが実施した2024年の調査によると、ウィンストン・セーラムの属するトライアド地域は、ライフサイエンス関連プロジェクトを目的とした、建設中の施設の床面積で全米7位だ。既存施設の床面積に対する建設中の床面積の比率は156%で全米1位となっており、イノベーション・クォーター開発の地域に与えるインパクトが非常に大きいことが示唆される。
再生医療分野に注力
有名大学医学部と大規模病院を軸に、再開発も相まって、ライフサイエンス分野のエコシステムが形成されているウィンストン・セーラムで、特に注力されている分野が再生医療だ。
2004年、再生医療分野で有名なアンソニー・アタラ教授(注2)が、米国マサチューセッツ州ボストン市のハーバード大学医学部からウェイクフォレスト大学に約20人のチームメンバーとともに移籍した。これを皮切りに、ウィンストン・セーラムにおける同分野の産業集積が始まった。同教授は、イノベーション・クォーターの開発で、研究施設などが整備されることに魅力を感じ、移籍したとのことだ。
ウェイクフォレスト大学では、アタラ氏を中心に、ウェイクフォレスト再生医療研究所(WFIRM)が設置された。WFIRMによると、同研究所にはバイオプリンティング、組織工学、細胞・遺伝子治療の専門家など400人以上が所属しており、世界最大規模の再生医療分野の研究施設だ。WFIRMは世界で初めて、実験室で培養した臓器をヒトに移植することに成功するなど、科学的な発見を臨床治療に結びつける国際的リーダーとして認知されている。ジェトロがWFIRMのジョシュア・マックスウェル助教授に質問したところ、これほどの規模の設備や人員を備えた再生医療分野の研究施設は全米でも珍しいとのことだ(取材日:2025年3月12日)。

なお、ウィンストン・セーラムには、リジェンメッドハブと呼ばれる再生医療分野のエコシステムが存在する。同ハブは主にWFIRM、イノベーション・クォーター、再生医療開発機構(ReMDO)、地域コミュニティで形成されている。
ReMDOは、再生医療分野において研究開発(R&D)から実用化や導入への移行を早めることを目的に設立された非営利団体で、ウィンストン・セーラムに本拠地を構えている。ReMDOはRegeneratORというイニシアチブのもと、5つのプログラムを提供し、試作品製造やスタートアップの育成、臨床試験実施や米国食品医薬品局(FDA)での認可取得をサポートしている(表参照)。
取り組み名 | 概要 |
---|---|
テストベッド (Test Bed) |
スタートアップや既存企業に対し、パイロット研究のリスクを軽減するため、先進的なプロトタイプ製造装置、分子遺伝学や組織分析で利用される機器、イメージング機器といった最新の機器を無料で利用できる場所を提供。また、これらの機器を利用するためのトレーニングやソフトウェアも提供。 2021年に開始されたため、テストベッドを利用して製品化に成功した例はまだないが、2025年3月時点で、スタートアップや既存企業など14社が利用している。利用料は各社の状況に合わせて設定されるが、低価格で利用が可能とのことだ。 |
イノベーション アクセラレーター (Innovation Accelerator) |
スタートアップや既存企業に対し、オフィススペースやバイオ分野の製造装置へのアクセス、再生医療分野の世界的権威とのコネクションや資金調達の機会などを提供。 |
労働力開発 (Workforce Development) |
パートナーの大学やコミュニティカレッジ、幼稚園から高校までの学校と協力し、リジェンメッドハブの企業のニーズに沿った再生医療分野における労働力開発に取り組む。 |
リジェンメッド クリニカルトライアル カタリスト (Clinical Trials Catalyst) |
再生医療分野で有望な治療法などを有する研究機関や企業向けの臨床試験促進プログラム。アトリウムヘルスなどの医療ネットワークを活用し、ノースカロライナ州やジョージア州など6州にある67の病院で550万人の患者の治療をベースに、米国食品医薬品局(FDA)のヒト臨床試験を実施できる。 |
規制ナビゲーター (Regulatory Navigator) |
再生医療分野の製品について、初期の段階からFDA認証に至るまで、専門的なアドバイスなどを提供するプログラム。FDAへの認可申請前の戦略に焦点を当て、製品開発の初期段階から後期段階までのサポートに重点を置いている。 |
出所:ReMDOウェブサイトなどからジェトロ作成


テストベッド内の様子(ジェトロ撮影)
RegeneratORには、WFIRMといった中核機関や各プログラムを利用するスタートアップのほかに、機器を提供する医療機器関連企業など、多くの企業が参画している(注3)。例えば、PHCグループでがんの精密診断機器を開発するエプレディアは、機器や顕微鏡スライド、染色試薬、その他検体の収集と分析を支援するツールを提供している(注4)。バイオプリンティング技術を開発するスタートアップのブリンターは、同イニシアチブや産業集積に魅力を感じ、本社をフィンランドからウィンストン・セーラムに移転した。
ウィンストン・セーラムの再生医療分野の取り組みは、連邦政府の助成金も獲得している。2024年1月には、米国国立科学財団(NSF)の最先端研究助成プログラム「NSF地域イノベーションエンジン(NSFエンジン)」に、WFIRMを中心とするイニシアチブである、ピードモント・トライアド再生医療エンジン(PTRME)が採択された(2024年2月7日付、2024年8月16日付ビジネス短信参照)。NSFエンジンプログラムは、「CHIPSおよび科学法(CHIPSプラス法)」で認可されたプログラムで、主要な技術重点分野において、学際的、共同的、実用志向、あるいは橋渡し的な研究や技術開発を推進することを目的としたものだ。本プログラムに採択されたことで、PTRMEに連邦政府から、初年度は1,500万ドル、10年間で最大1億6,000万ドルが交付される予定だ。
PTRMEには、WFIRMを中心に、ReMDOやノースカロライナ農業技術州立大学、ウィンストン・セーラム州立大学、フォーサイス・テクニカルコミュニティカレッジのほか、ブリンターや民間宇宙ステーションを開発するアクシオム・スペースといったスタートアップが参画している。PTRMEでは、再生医療製品のためのバイオマテリアルや細胞足場(スキャフォールド、注5)の開発など、再生医療分野の橋渡し的な研究や技術開発や労働力開発に取り組む。宇宙での製造というプロジェクトテーマも、ReMDOとアクシオム・スペースが主導で設定している。同テーマでは、微小重力下での組織や臓器の再生という新たな領域でのR&Dに取り組む予定だ。
グレーター・ウィンストン・セーラム商工会議所は、ウィンストン・セーラムを2030年までに米国南東部一の中規模都市にするビジョンを掲げ、ライフサイエンス産業などの重点産業の企業誘致に取り組んでいる。また、同商工会議所のエリス・キーファー氏によると、ウィンストン・セーラムは、過ごしやすい気候で物価も安く、家族で生活しやすい点が魅力で、ボストンやマイアミなどからライフサイエンス分野の高度人材の移住も増えているとのことだ。ウィンストン・セーラムには、有名大学医学部と大規模病院を中心としたエコシステムが形成されており、中心部の再開発でさらなる発展が見込まれる。ウィンストン・セーラムは、関連企業の進出先として有望な選択肢となるだろう。
後編「米NC州ライフサイエンス産業(3)カナポリス、食と健康分野に強み」では、近年、整備が進められている、食と健康分野に強みのあるリサーチパークのノースカロライナ・リサーチ・キャンパスを取り上げる。
- 注1:
- R.J.レイノルズからの土地と建物の寄贈が、再開発プランの鍵となったとのこと。寄贈された建物はリノベーションされ、研究機関などが拠点を構えるウェイクフォレスト・バイオテックプレイスとして利用されている。
- 注2:
- 再生医療研究の基礎原理を開発したことで有名。1999年には、同教授が率いるチームが世界で初めて実験室で培養した膀胱(ぼうこう)を患者に移植することに成功した。
- 注3:
-
RegeneratORの参画企業については、ReMDOウェブサイト
を参照。
- 注4:
- 日本企業の動向としては、他にも、リコーが2024年に、イノベーション・クォーターに世界初の製造施設「Ricoh 3D for Healthcare Innovation Studio」を開設した。同施設は、ウェイクフォレスト大学医学部の臨床医や研究者と連携し、術前計画や患者教育に使用できる患者固有の3Dプリント解剖学モデルの開発、設計、製造サービスを簡単かつ迅速に提供している。
- 注5:
- 再生医療において生体組織の再生や修復を行うために、細胞の接着や伸展、増殖、分化を制御・促進するための硬さや形状、化学特性を制御した土台。
米NC州ライフサイエンス産業

- 執筆者紹介
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ジェトロ・アトランタ事務所
檀野 浩規(だんの こうき) - 2015年、ジェトロ入構。ジェトロ福岡、特許庁(出向)などを経て、2023年6月から現職。