縫製産業中心に労働環境整備が進む、アフターコロナに向け高付加価値産業育成が鍵(カンボジア)
アジアのサプライチェーンにおける人権尊重の取り組みと課題(2)

2021年10月5日

カンボジアの労働環境は、これまで主要産業である縫製産業の労働者の保護に主眼を置いて整備されてきた。1997年の労働法制定に加え、2013年以降の最低賃金引き上げなどにより、縫製産業に従事する労働者は恩恵を受けてきた。他方、国際労働機関(ILO)と世界銀行グループの一機関である国際金融公社(IFC)が共同で設立したベター・ファクトリー・カンボジア(Better Factory Cambodia、以下BFC)は、設立以来約20年にわたりカンボジアの労働環境改善に取り組み、児童労働の削減などの成果をあげてきた。カンボジアでは、政府と非政府組織がそれぞれの立場で労働環境の整備・改善に取り組み、それが縫製産業を中心とした産業の発展、輸出の増加につながってきた。しかし、その縫製産業は新型コロナウイルス禍などを受け、15万人の失業者を出した。政府は付加価値の高い産業を誘致することで、縫製産業の労働者の受け皿をつくり、雇用を守っていく意向を示している。

縫製産業の労働者保護色が強い労働法、最低賃金の急上昇に対応できない企業も

カンボジアの労使関係、雇用、労働条件などの労務関連事項は、憲法、労働法、労働組合法などで定められている。中でも1997年に制定された労働法は、カンボジアにおける労務関連事項の基本法として重要な役割を果たす。法律以外の主たる法源としては、政令、カンボジアにおける労務の所管当局である労働職業訓練省(以下、労働省)の定める労働省令がある。このほか、本来は法規範性を有さない労働省の指導、通達、ガイドラインについても事実上、強制力のある法規範として機能している。これらの労働法や通達などの特徴として、カンボジアの主要産業である縫製産業(注1)の労働者保護の観点から定められている規則が多いことが挙げられる。

例えば、政府による縫製産業に従事する労働者保護政策の1つに、最低賃金の引き上げがある。カンボジアにおいて、最低賃金は縫製産業にのみ適用されている。カンボジアでは最低賃金の引き上げは、労働者の生活の「維持」ではなく「向上」と捉える傾向がある。特に2013 年の国民議会選挙で最大野党が賃金引き上げを争点にして以来、最低賃金が毎年引き上げられている(図参照)。加えて、2012年から2015年までの間、最低賃金に不満がある労働者によるストライキは年間100件を超えており、最低賃金の上昇率を高める1つの要因となった。また、2018 年には労働法が改正されて年功補償制度(注2)が導入され、労働者はさらなる恩恵を受けることになった。他方、BFCのプログラムマネージャーであるサラ・パーク氏によると、賃金に対する生産性に課題が残る状態での急激な賃金上昇に対応しきれず、最低賃金を下回る給与で稼働を続ける工場も散見されたという。さらに、縫製産業以外の産業も縫製産業の最低賃金に追随する傾向が一般的だが、その適用は義務ではないため、縫製産業の最低賃金以下で働いているサービス業も多く存在している、と指摘する。

図:最低賃金および賃金上昇率(ドル、%)
最低賃金の推移は、2010年56ドル、2011年61ドル、2012年61ドル、2013年80ドル、2014年100ドル、2015年128ドル、2016年140ドル、2017年153ドル、2018年170ドル、2019年182ドル、2020年190ドル、2021年192ドル。賃金上昇率の推移は、2011年8.9%、2012年0.0%、2013年31.1%、2014年25.0%、2015年28.0%、2016年9.4%、2017年9.3%、2018年11.1%、2019年7.1%、2020年4.4%、2021年1.1%。

注:2010年10月から2013年4月まで最低賃金(基本給)は据え置き。2013年5月から縫製・製靴業の最低賃金は61ドルから75ドルに引き上げ。引き上げ後の75ドルに今まで別の手当として支給されていた健康手当5ドルを組み込み、2013年は月額合計80ドルが最低賃金になった。
出所:カンボジア労働職業訓練省発表を基にジェトロ作成

BFC、政府から独立した立場で労働環境整備に貢献

政府から独立した立場で労働環境整備に貢献してきたのが、BFCだ。BFCは、ILOとIFCのパートナーシップにより、世界12カ国で労働者の労働環境改善、人権保護、児童労働、教育の問題の改善に取り組んできたベターワークプログラムの一環で、カンボジアには2001年に設立された。労働条件を改善することで、縫製産業の競争力を高めることを目的としている。カンボジアでは、輸出型の縫製産業はBFCへの加盟(注3)が義務付けられており、加盟企業は毎年、BFCが定める労働環境に関するアセスメントを受けることになっている。カンボジアの縫製品の輸出先はEUや米国向けが中心であるため、サプライヤー側にも高いコンプライアンスレベルが求められ、必然的に企業はBFCの指摘に従いながら自発的に改善をするようになる。

BFCのサラ・パーク氏によると、設立から20年の間で最低賃金の支払いを順守する企業が増えるなど、労働者に対する基本的な対応は改善されてきた。特に直近6~7年で、セクシャルハラスメントや児童労働が減少した。児童労働については、2014年の74 件から2018年の10件に改善されている。他方、同氏は、以前も欧米の労働環境に対する基準は厳しかったが、EU、ドイツ、オランダなど欧米諸国でデューディリジェンス法の整備が進んだことにより一層厳しい目が向けられる、と感じている。カンボジア縫製産業では労働環境改善が進んできたが、工場内への照明設備設置、化学物質の安全な取り扱いなど、労働安全衛生(注4)の改善が求められる、とした。カンボジアに進出している日系縫製業は「企業にとっても労働環境整備をしないと、欧米企業から選ばれない時代」と指摘する。

新型コロナによる受注減やEBA協定一部停止措置の影響が大

カンボジアはこれまで、上述したように労働環境を改善しつつ、欧米中心に縫製関連品を輸出することで、成長を続けてきた。特に、最大輸出国である米国向けの輸出は増加傾向だ。2020年1~9月の米国への衣料品、旅行用品、靴、自転車の輸出は前年比7.6%増の27億ドルに達した。カンボジアは、2016年に米国による一般特恵関税制度(GSP)の対象品目が拡大されて以降、対米輸出を伸ばしてきた。加えて、米中貿易摩擦により、中国企業がカンボジアに工場移転もしくは発注先を切り替えたことも、米国向けの輸出拡大に寄与している。

他方、新型コロナの影響により、縫製業全体としては受注減などの打撃を受けた。2020年の貿易額全体のうち縫製産業の占める割合は、2019年の72.0%から56.5%に減少している。カンボジア縫製業協会(GMAC)が2020年6月に行った調査では、2020年第4四半期中の注文があった企業は、会員企業のうち40%のみで、残りの企業は注文を受けていないことが明らかになった。注文があった企業のうち、45%は新規注文の大半が想定を下回る価格での受注となったと回答。この状況下で、2020年7月には約400の縫製工場が停止し、15万人の労働者が解雇された。さらに、2020年8月12日から施行されているEUのEBA協定(武器以外の製品を無関税で輸出できる協定)一部停止措置の影響により、カンボジアからEUへの輸出は約20%減少。新型コロナによる受注減に、追い打ちをかける結果となった。

新型コロナ禍の救済策は縫製産業が中心

新型コロナ禍での労働者保護について、労働省は2020年4月17日、新型コロナ禍で収入が大幅に減った縫製産業・観光業に従事する労働者に向けた支援策を発表した。縫製産業の企業が労働契約を停止する際、労働者に対して労働契約停止期間中に月額30ドルを支払うこと、観光業の企業は支払い能力に応じて労働者に一定額を支払うこと、政府は労働者に対して月額40ドルを支払うこと、企業の国家社会保障基金(National Social Security Fund 、以下NSSF)への保険料支払いを免除することを定めた(2020年4月22日付ビジネス短信参照)。他方、縫製産業・観光業以外の企業に対しては、上記の休業補償はない。加えて、前述の最低賃金やBFCの労働基準は、縫製産業のうちでも他国へ輸出する企業のみに適用される。BFCのサラ・パーク氏は、輸出縫製産業と同様に、縫製産業の国内販売企業や縫製産業以外の企業の労働環境が整備される必要があるとした。

アフターコロナに向け、高付加価値産業の育成へ

世界銀行は、新型コロナにより、カンボジアが付加価値の低い縫製産業に依存していたことが明確になったとした。電子機器・電子部品などの高付加価値産業の育成に成功し、輸出を拡大したベトナムを事例に、カンボジアにおいても同様に、産業の高付加価値化が求められるとした。政府は2021年6月、新投資法のドラフトに優遇措置の対象として縫製産業を記載せず、電気・電子産業、デジタル産業、サプライチェーン高度化に関する産業などを中心に記載している。アフターコロナに向け、将来の経済成長を牽引する高付加価値産業を育成し、回復に時間がかかる縫製産業の労働者の受け皿をつくり、雇用を守っていこうとするカンボジア政府の意向がうかがえる。


注1:
衣服・繊維・履物産業を指す。
注2:
雇用継続1年につき、年15日分の賃金その他相当額を、年2回(6月と12月)に分けて7.5日分ずつ支払う制度。
注3:
カンボジアから他国へ輸出する衣服・繊維産業がBFCの加盟対象で、履物産業の加盟義務はないが、欧米向けの輸出をする企業の多くが自主的に加盟している。また、2019年からは、米国向けの輸出が好調な旅行用品を製造する産業もBFCの対象に加わった。
注4:
工場内に十分な照明設備があるか、化学物質の取り扱いは安全で適切に行われているか、労働者が医療へアクセスしやすい環境にあるかなど、労働者の健康に配慮することが労働安全衛生として求められる。
執筆者紹介
ジェトロ・プノンペン事務所
井上 良太(いのうえ りょうた)
人材コンサル会社での経験(2017年~2020年)を経て、2020年7月からジェトロ・プノンペン事務所勤務。