【コラム】米国はEU中国包括的投資協定をいかに評価しているか

2021年3月12日

EUと中国が2020年末に包括的投資協定(CAI)で大筋合意外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますに至ったことは、バイデン新政権への移行を目前に控えたワシントン関係者に衝撃を与えた。米国内のメディアや有識者の協定に対する評価も自然と厳しいものが目立つ。しかし、前向きに捉える声も少なくない。また、産業界の受け止め方も、思いのほか冷静だ。それぞれの見方の理由を考えてみたい。

7年にわたる交渉で合意

EUが中国との間で投資協定の交渉開始に合意したのは2013年11月。翌年1月から始まった7年近くに及ぶ交渉の果実として、EUは米国に先んじて「自由化型」(注1)の投資協定を手に入れた。EU諸国で中国の新疆ウイグル自治区における人権問題への注目が増すタイミングで協定が合意に至った背景には、目標としていた2020年内合意を実現するために中国側が大幅に譲歩したことに加えて、新型コロナウイルス禍の下で経営難に直面する欧州企業が、中国市場でのビジネス機会の拡大を強く求めたことがあるとされる。

欧州委員会が明らかにした合意内容外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますをみると、合弁会社設立の要件緩和など一部の参入障壁が撤廃され、EU企業が中国市場に参入しやすくなる内容が多く含まれた。例えば、従来、外資の投資参入が厳格に管理されていた電気自動車、化学品、通信機器など製造業分野の開放に加えて、クラウドサービス、金融サービス、私的医療などのサービス市場への参入についても要件が緩和された。EU側が問題視していた中国の国有企業問題や強制的な技術移転などの問題を是正する公正な競争環境(a level playing field)、環境や労働分野で国際ルールの順守に向けた取り組みでも、新たな規律が盛り込まれた(2021年1月5日付ビジネス短信2021年1月26日付ビジネス短信参照など)(注2)。

米国は交渉開始では先行するも妥結に至らず

多国間協調路線への回帰を掲げるバイデン新政権への移行を控えていた米国内の政府関係者にとって、EUと中国の投資協定妥結はまさに寝耳に水だった。トランプ政権のマット・ポッティンジャー国家安全保障担当副補佐官は合意の翌日、対中政策に関する列国議会連盟(IPAC)の会合で「共和、民主両党や政府の指導者は、新政権誕生を目前にEUが新たな投資協定に向けて進めたことに困惑してあぜんとした(perplexed and stunned)」と発言外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます。EUが中国との協定締結を急いだことに対するワシントン関係者の受け止め方を臨場感豊かに表現した。

バイデン陣営の反応も素早かった。新政権で国家安全保障担当補佐官に指名されることが発表されていたジェイク・サリバン氏は、公式発表に先立つ12月22日の時点で、自身のツイッター外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますに「バイデン・ハリス政権は、欧州のパートナーとの間で共通の関心である中国の経済慣行に関して、早い段階での協議に喜んで応じるだろう」とのコメントを発表した。同氏の呼びかけには、EU側に合意を思いとどまらせたい意向が含まれていたが、EU側は最終合意の予定を覆すことはなかった。バイデン陣営はその後、CAIに関する言及を控えている。

EUの発表を米国関係者が複雑な想いで受け止めた理由が、もう1つあった。それは、米国が欧州に先行して中国との交渉を進めていたことだ。米国は2008年時点で中国との交渉開始を決めていたが、同年に勃発した金融危機などによって前進しなかった。その後、米国は2012年4月にようやく「モデル投資協定」の改訂版を発表外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます。モデル投資協定とは、二国間投資協定(BIT)交渉で提示する条文案のベースを指す。それ以前のモデル協定と比較すると、改訂版では来るべき中国との交渉を意識し、国有企業(SOE)の定義の明確化、SOEに対する差別的な待遇に関する規律の強化、透明性の向上、環境・労働の保護に関する規律強化などが図られた。こうして交渉の準備を整えた米国は2013年7月、2国間の戦略・経済対話(S&ED)で満を持して交渉開始にこぎ着けた。EUを半年近く先行していた計算になる。

米国政府の交渉の主な狙いは、中国の国有企業に対する差別的な扱いや環境・労働法制の不備の是正など「モデル投資協定」に盛り込まれた内容に加えて、金融や資源分野などにおける外資参入規制の緩和にあった。同時期に合意に至った日中韓投資協定(2012年5月に署名)はいわゆる「保護型」で、投資後の権利保護ばかりを対象としたものだった。これを横目に見つつ、米国は当初からより高次元な「自由化型」の協定を目指していたことになる。EUが署名にこぎ着けたCAIには「自由化型」の要素が含まれており、内容面でも先んじられたかたちとなった。この点について、戦略国際問題研究所(CSIS)のジェームス・ルイス上級副所長は「今回の妥結内容はトランプ政権が本来実現すべき中身だった」とし、国内の批判的反応にはEUに対する嫉妬が含まれていることを指摘する(2021年1月5日外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)。

米国内では厳しい見方が目立つ

EUと中国の間の署名を受け、米国内の主要メディアでは必然的に批判的な見方が目立った。批判の理由としては、前述した「協定妥結のタイミングの悪さ」(ブルームバーグ、2021年1月4日外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます )のほか、「そもそも協定の対象範囲が不十分」「新たに合意した強制労働などに関する規定についても内容的に不足がある」(いずれも「ウォールストリート・ジャーナル」紙、2021年1月10日外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます )といった協定内容を問題視したもの、「米中対立の中で、EUが必ずしも米国側の一員でないことを示した」「米EU関係に負の影響を与えうるもの」(ボイスオブアメリカ・ニュース、2021年1月1日外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます )など地政学的視点からの評価があった。

こうした協定の問題点を指摘するのは、在ワシントンの有識者も同様だ。例えば、米国通商代表部(USTR)で次席代表代行を務め、TPP交渉で中心的な役割を演じたウェンディ―・カトラー氏(アジア社会政策研究所副所長)は2月9日にCAIをテーマに論考を発表外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますした。その中で、EU中国間の投資協定が市場アクセス、投資自由化、持続可能な開発などで進展したことを評価しつつも、国有企業の規律がTPPより劣っていることや、自由化が進んだ分野についてもどこまで新しい要素を含んでいるのかなどを慎重に見極める必要があるとした。カトラー氏は、中国がかつて2国間の合意内容をしばしばほごにした点も指摘し、中国政府の市場歪曲(わいきょく)的行為に対する有効性についても疑問を投げかけた。言い換えれば、今回約束された国有企業との間の公正な競争環境や、補助金制度の透明性の確保、強制的な技術移転の回避などの内容について、中国当局がどこまで履行するのか懐疑的だということだ。中国の実効性については、当然ながら欧州側でも同様の見方がある(2021年1月8日付ビジネス短信参照)。

オルブライト元国務長官率いるオルブライト・ストーンブリッジ・グループは地政学的視点から辛辣(しんらつ)な見方を披露する。同グループは、今回の合意が「中国の政治的勝利」と明確に位置付ける(2021年1月13日外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます2021年1月28日外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)。その理由として、「今回の合意が米国とEUとの間の関係にくさびを打ち込むもの」であることに加えて、「ドイツとフランスがバイデン政権の下でもトランプ政権下の米国第一主義から回帰することにやすやすと確信を持てていない」ことを示す証左となるためだとした。カーネギー国際平和財団の著名なフランス人研究者であるフィリップ・ルコール客員上級研究員も同様の見方をする。同研究員からみて、「中国政府の指導者にとって米国の同盟地域と協定を結ぶ最高のタイミング」だったとし、「バイデン政権は想定以上に弱い立場から対中政策を立案する状況に置かれるだろう」と、バイデン政権の先行きへの不安を見せた(2021年1月7日外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます)。こうしたタイミングの悪さを指摘する声は民主党寄りの有識者に多い。彼らが、バイデン政権の下で米欧関係が修復して対中戦略で協調することの意義を声高に主張していたことを考えれば当然と言えるが、結果として、今後のバイデン政権の対中政策への期待値を下げる効果ももたらしている点も興味深い。

予想外に多い前向きな意見

一方、今回の協定締結について建設的な見方をする米国有識者も少なくはない。ルコール氏の同僚のエリック・ブラットバーグ欧州プログラム部長は「バイデン政権誕生直前の妥結のタイミングや見た目は理想とは程遠い」としつつ、近い将来の対中政策に係る強い大西洋間の合同アジェンダを構築することを除外するべきではない」とし、米EU間の関係是正に引き続き期待を示した(2021年1月7日外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます )。ブッシュ政権とオバマ政権で国家安全保障会議(NSC)の中国・台湾・モンゴル担当部長を務めたカーネギー清華グローバル政策センターのポール・ヘンリー所長も「協定は必ずしも誤りではない」とし、今後の最も望ましいシナリオとして、CAIと先に米中間で締結されている「フェーズ1合意」が米EU間の協調の起点となるとした。これらの意見の根底には、トランプ時代に中国と結んだ約束とCAIの内容を合わせて、米EUはともに中国に対してさらなる自由化や公平な事業環境を求めるべきだとする考え方がある。

CAIによる実利をより高く評価する見方もある。オバマ政権時代の政府高官であるクリストファー・スマート氏は2月12日付の政治紙「ザ・ヒル」に発表した論考外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます の中で「CAIは中身が物足りなく、タイミング悪いとの見方が多いが、少なくとも小さな前進だ」と評価。その理由として、同協定で中国が合意した内容が、環太平洋パートナーシップ(TPP)でオバマ政権が目指したゴールに沿ったものであることを挙げた。ピーターソン国際経済研究所のアナベル・ゴンザレス上級研究員も自らのレポート外部サイトへ、新しいウィンドウで開きます (2月10日)で協定の問題点を認めながらも、根拠の確かな(well founded)協定だと評価した。今後、中国との間でより構造的な関与やルールを構築する上でCAIに地ならし役を期待している。

ビジネス界は冷静な対応

最後に、実際に投資協定を利用する立場にある米企業関係者の反応を見る。国内最大の経済団体である米国商工会議所は2021年2月18日、「(今回のEUの決定は)対中政策面でEUが米国との協力により関心を示すかについて疑問を投げかけた」との見方を発表した。ただし、それを除けば、これまでのところ、他の主要産業団体や大手企業はCAIの発表について目立った意思表明は少ない。

その最大の理由は、CAIにおける最恵国待遇(MFN)の取り扱いにあると考えられる。ワシントンで2月3日に開催されたウェビナー外部サイトへ、新しいウィンドウで開きますで、欧州委員会のサビーヌ・ウェイアンド貿易総局長は「CAIによる中国のサービス分野の自由化は最恵国待遇ベースとなるため、(日米を含めた)EU域外国企業も恩恵を受けることができる」との見方を披露した。協定で新たに自由化される分野の詳細を記した付属書(Annex)が2月末時点で未公表のため、正確な情報は明らかにされていない。仮にそうだとすれば、協定によってEU企業に比べて劣後すると考える米企業がさほどいなくても不思議はない。上述したヘンリー氏らの主張もより意味を持つ。

仮に、CAIが対象とする全てのサービス産業にMFNが適用されない場合も、米国企業にはもう1つ可能性が残されている。それは、在欧州子会社を介して中国に投資することだ。親会社の国籍にかかわらず、在欧州子会社は協定上の要件を満たせば、欧州企業として投資協定を利用することが可能だ。これはサービス産業のみならず、製造業についても該当する。

翻って、これらのCAIの便益は、米中欧3極で事業展開する日本企業にも同様に裨益(ひえき)する。今後の中国における外資系企業の事業環境を予見する際には、バイデン政権の下で始まる米EU間の対中政策協力の動きとともに、CAIの批准、発効の動向をしっかりフォローすることが望まれる。


注1:
投資協定は、投資参入後の投資財産の保護(内国民待遇、最恵国待遇、公正かつ衡平な待遇、不当な収用の禁止、紛争解決手続など)に限って規定する「保護型」と、これに加えて投資参入段階における内外無差別などの自由化についても規定する「自由化型」の2種類に大別される。
注2:
欧州委員会は1月22日に協定条文を公表した。他方で、投資の自由化分野に関する付属書(Annex)については3月上旬にあらためて発表する見込み。
執筆者紹介
ジェトロ海外調査部海外調査企画課長
秋山 士郎(あきやま しろう)
1995年、ジェトロ入構。ジェトロ・アビジャン事務所長、日欧産業協力センター・ブリュッセル事務所代表、ジェトロ対日投資部対日投資課(調査・政策提言担当)、海外調査部欧州課、国際経済課、ニューヨーク事務所次長(調査担当)、米州課長などを経て2019年2月より現職。